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2020年04月28日

東京都庭園美術館 その五 ルネ・ラリック

前号に続き池田まゆみ氏(美術工芸史家)の『ルネ・ラリック――情熱、野心、創造』(国立新美術館 MOA美術館 東京新聞2009年「ルネ・ラリック」図録)の記述を紹介する。

≪彼についてしばしば尋ねられる質問がある。すなわち、①「ジュエリー制作から、なぜ”突然”ガラスに移行したのか」、②「これらの作品をすべて一人で制作したのか」、③「これだけの作品を生み出したラリックは、どのような人物であったのか」という問いである≫(8頁)

質問項目①と②については前号で述べた。そこで、次に質問③項目、「これだけの作品を生み出したラリックは、どのような人物であったのか」について見てみたい。これについては、以下の記述である。

≪「小柄でがっちりした体格、黒く燃える瞳。顔つきは力強さと優しさ、快活さを示している。並外れた魅力の持ち主で、それは優雅な物腰からきていた。女性に対しては、まるで宝物でも扱うように接していた。(…)かと思うと、ラリックには荒々しい面もあり、ラリックの内には激しく憤るもう一人別の男が潜んでいた。母〔訳注:娘シュザンヌ・ラリック〕は幼い頃、怒りに猛りに狂い会計係のムッシュー・パスキネを階段から突き落とすところを見たという。また、男としてアーティストとして生涯にわたり、束縛を嫌った。そして、自分が何かを始めるときには、必ず事前に他人の行いを慎重に研究していた。思いつきやハッタリを嫌い、偶然よりも忍耐を信じ、確信を持てた時に初めて行動を企てた」。孫娘マリッチ・アヴィランドが回想するラリックの素顔である。彼の人物像をこれほど端的に伝える言葉はないだろう≫(9頁)

 次にラリックが世界で認められた「アール・デコ博覧会」について述べる。

≪第一次世界大戦は過去のヨーロッパ社会の終焉を意味していた。古きよき時代は終わり、活気に満ちた大衆社会が新たに広がり、機械文明の浸透でそれまでにない変革の時代を迎えていた。パリには自動車があふれ、電灯の普及が夜の生活を一新し、新しい消費社会が広がりをみせる。1920年代はラリックのガラス工芸活動が最も充実した時代だった。一握りのエリートに向けたジュエリー制作から量産可能なガラス工芸への転換は時代の要請でもあった。パリ郊外の工場が手狭になったラリック社では、アルザスのヴィンゲン=シュル=モデールに新しい工場を開設して生産規模を拡大した。
 1925年のパリでは大戦後の産業の復興を期して、新時代のニーズに適応したデザインを集めた国際博覧会「現代装飾美術産業美術国際博覧会(通称「アール・デコ博覧会」)が開催された。かねてからガラスを活用した総合的な空間演出に新しい可能性を見出していたラリックは、博覧会の会場を舞台に大規模なデモンストレーションを実行した。まずメイン会場のアンヴァリッド広場に専用のパヴィリオンを設け、内外装にガラスを用いて光の空間をつくり上げた。展覧会のテーマ「光と水の演出」にちなみ、水辺のイメージで統一されたダイニング・ルームには《ロータス》のグラス・セットが置かれ、《ブドウ》の燭台や照明器具はもちろん、床、天井などすべてにガラスを応用した「光の空間」が演出されていた。噴水の装飾を浮彫りした大きなガラス窓を背景に、《ロータス》のセットはまるで池に浮かぶ生きた花のように、静かなたたずまいを見せている。光あふれる静謐な空間は、博覧会の翌年にオランジュリー美術館に完成したクロード・モネの「睡蓮の間」にも通じる自然の安らぎを感じさせている。
 ラリックの出展のうち最も話題を呼んだのは、コンコルド広場のオベリスクと張り合うかのようにパヴィリオンの正面に立てられた高さ約15メートルの野外噴水塔《フランスの水源》であった。八角形の柱の角にフランスの河川と泉を象徴する16段合計128体のガラス製の女神像を飾り、夕陽が沈むとスポット・ライトに照らしだされて光のモニュメントとなった。噴水は閉会後に撤去されたが、女神像は鋳型を利用して新たに鋳造されて市販された。被り物も両手のポーズも全身を覆う水の表現も1点ごとにデザインを違えているところがラリックらしい。噴水の後ろに位置する「工芸の庭」列柱廊に設けられた2カ所の小屋(しょうおく)のガラス扉《ガラス職人》もラリックの作であった。ラリックはこの他にも、セーヴル館のダイニング・ルーム、グラン・パレ内の香水コーナーの装飾、メイン・ゲート名誉門チケット売り場のガラス装飾を手がけ、アレクサンドル3世橋上のブティック街へも出店した≫(16、17頁)

さらに、池田氏は結論としてラリックの「用の中の美」を主張する。

≪19世紀が夢見た工芸産業への美術の応用「ル・ボー・ダン・リュティル(用の中の美を)」の理想を掲げた工芸家のなかで、ラリックは最も大きな成功をつかんだ一人であった。サロンで最初の成功を収めた1890年代の後半から「アルチスト(芸術家)」と呼ばれたラリックは、工場でのガラスの製造を開始した1909年からは、工場生産に美術を応用した「産業芸術家」として新たな世界に挑戦した。世紀末の「アール・ヌーヴォー」と20世紀初頭の「アール・デコ」、宝飾工芸とガラス工芸、二つの時代と二つの分野で頂点を極めたラリックの人生、そこにある情熱、野心、そして創造には、ものづくりを心の底から愛した一人の芸術家の純粋な魂が息づいている≫(18頁)

投稿者 Master : 2020年04月28日 09:06

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