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2007年06月23日

7月の例会のご案内

 7月の経営ゼミナールは、7月23日(第四月曜日)に開催いたします。
 7月は、第一不動産株式会社の西村和芳社長をお招きいたします。
 今回の講師の西村和芳氏は、平成6年から16年まで計5回、当経営ゼミナールで講師をされました。平成6年「資産デフレは更に進行する」と題して講演、平成13年まで一貫して景気動向と地価の下げトレンドを的中されました。平成13年、日銀の量的緩和以降は、二極化ながら資産インフレの可能性を示唆し、今のバブル現象を的中されました。昨年秋、北京大学でも講演をなさっています。

 この1年、上海、北京、インドのムンバイ、中東のドバイ、マカオ等を歴訪され、グローバリズムと世界の過剰流動性を視察されました。今年のテーマの一つである「世界から日本を見る」に相応しい講師と存じます。前回の2004年2月の発表から、3年ぶりになりますが、東京情報だけでは日本経済を予測できないとする西村和芳氏により、外国からと、地方から見た日本経済と不動産の予測について発表していただきます。


1.日時 平成19年7月23日(月)(*第四月曜日です)
      6時集合(食事を用意しています)
      6時15分より山本紀久雄代表の時流講話 
      経営ゼミナ-ルは6時半開始8時半終了予定
   

2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
      千代田区丸の内1-3-1 Tel:03-5252-3791
      東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)
      アクセス:http://www.kaikan.co.jp/bankersclub/access/access.htm


3.テーマと講師
  「大転換の日本経済と不動産 -まだデフレか、もうバブルか-」
  第一不動産株式会社
 代表取締役社長 西村和芳氏

略歴
 生年月日 昭和22年4月3日生まれ
 学歴   北九州大学卒
 会社   昭和52年11月 西村調査士事務所 設立
       昭和54年8月  第一不動産株式会社 設立
       平成4年11月  九州財産ドック株式会社 設立
 
 著書   We are 不動産プレーヤー 週刊住宅新聞社発行(共著)
 資格   土地家屋調査士・宅地建物取引主任者

 所属学会等 日本マンション学会 日本土地法学会
         日本都市住宅学会   日本不動産金融工学学会
         日本FP学会    小倉ロータリークラブ

7月23日(月)開催の例会に、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。

* 会費  オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。

投稿者 Master : 12:29 | コメント (0)

2007年9月例会の予定 (8月例会はお休みです)

【8月の例会】
 8月は例年通り、夏休みとなります。


【9月の例会】
 9月は第三、第四月曜日が祝日となるため、9月10日(月)に開催をいたします。
 9月は、「現場を確認する」というテーマから、経営ゼミナール正会員であります
興亜硝子株式会社の工場を見学する予定でございます。

 興亜硝子株式会社は、日本の化粧品の硝子瓶のトップシェアの企業であり、上海にも進出しているグローバル企業でございます。硝子工場から見えてくるグローバルな世界を確認していただく予定でございます。

■興亜硝子株式会社市川工場視察

2007年9月10日(月) 15:00~18:00 終了後に懇親会を予定しております。

〒272-0126 千葉県市川市千鳥町 2番地
地下鉄東西線「行徳駅」に集合し、興亜硝子株式会社のバスで参ります。

 9月10日(月)のご予定をよろしくお願いいたします。

投稿者 Master : 12:23 | コメント (0)

2007年06月20日

2007年6月20日 BRICs・・・ロシア編その二

環境×文化×経済 山本紀久雄

2007年6月20日 BRICs・・・ロシア編その二


ロシアの未来

 HISの沢田秀雄会長が次のように語っています。(2007年3月18日 日経新聞)
 
 「約30年前、まだソ連だったころのモスクワを初めて訪れた時に直感しました。『この国は滅びる』。壮麗な建造物の陰で進行する病のにおいがしました」と。

 確かに、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦 CCCP)は、世界最初の社会主義国家として、1917年のロシア革命を経て、1922年15共和国によって成立し1991年に崩壊しロシアとなったので、沢田秀雄会長の直感は当たりました。

 だが、ソ連後のロシアは、ゴルバチョフ、エリツィン時代の経済混乱を、プーチン政権が進めた資源外交、石油や天然ガスの輸出収入で国内を潤し、資金力を拡大した企業が積極的な拡大戦略をとって、中産階級にも浸透し、個人消費が伸びてきています。

 この動きが本物で、数年後にロシアは素晴らしい国へと変化しているのか。それとも再び低迷する国家に戻るのか。モスクワに在住する日本人でも見解は半ば反していました。

 いずれにしても、ロシアの動向は、ロシア自身にとっても、世界にとっても、勿論、日本にとっても大きな関心事ですから、注視しなければならない国です。

ロシアという国の成り立ち
 
 司馬遼太郎は、次のようにロシアを若い国と見ています。

 「人類の文明史からみて、ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史をもっていることを重視せねばならないと思います。ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか十五、十六世紀にすぎないのです。若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野性をもっているといえます」(ロシアについて 文芸春秋)

 ロシアにおける最初の国家は、862年に建国されたキエフ公国からで、その後、13世紀の始めにチンギス汗(君主)・モンゴル軍がやってきて征服され、ロシア平原に居座って、キプチャク汗国(ハンこく 1,243~1502)を立国し、ここに「タタールのくびき」といわれた暴力支配が259年間続き、ロシア農民に対して行った搾りは凄まじく、いくつもの貢税がかけられ、ロシア農民は半死半生にさせられ、反対すると軍事力で徹底的な抹殺を行うというやり方に、ロシア人は従うしかなかったのです。

 一方、この時期の西欧は華やかな幕開きでした。花のルネサンスが進行しつつあった時期に、ロシアでは「タタールのくびき」によって文化が閉ざされていたわけです。

 ようやくキプチャク汗国からの支配を脱し、モスクワを中心として、ロシア人のロシア国家が成立するのは、ロマノフ朝という専制皇帝を戴く王朝が17世紀に成立するまで待つことになります。日本で言えば江戸初期、大阪落城の直前あたりに相当します。

 ロシア人の文化感覚に重要な影響を与えているのは、この「タタールのくびき」で、国民の母型感覚、マザータイプとしての人間文化の奥にあるものに大きく影響させ、これがロシアというものの原風景にある、という事実を見逃してはならないと思います。

 外敵を異常に恐れるだけでなく、病的な外国への猜疑心と潜在的な征服欲、軍事力への高い関心、これらはキプチャク汗国の支配と、その被支配を経験した結果と推測します。


問題の数々・・・サービスの悪さ

 前回に続いてモスクワの問題点を列挙してみます。

 まず、レストランのサービスは最悪です。店に入っても「いらっしゃいませ」とは絶対に言いません。支払いを済まして帰る背中に「ありがとうございました」とも絶対に言いません。日本食レストランのよさの一つとして、日本式サービスの丁寧さが評価されていますが、モスクワの一流すし店には驚きました。店に入っても何も言わず、座ると黙ってウェイターがメニューを持ってくるだけ。すしは美味かったが、支払い明細伝票に「モスクワではチップ制です。従業員の励みになりますから、お気持ちをお願いします」と日本語で書かれているのを見て、急にすしの味が不味くなりました。チップを払う気にならないサービスなのに、チップを強要することはロシアの印象をさらに悪くします。

 しかし、このようなサービスではない日本食レストランもあることも付け加えます。一週間滞在中にモスクワ市内の日本食レストランに二度行って、一軒は酷いサービス、もう一軒は素晴らしいサービス。素晴らしいサービスの店はロシア人で満員で、酷いサービスの店は数組だけという現実、やはり、ロシア人も日本的サービスを期待しているのです。


問題の数々・・・離婚の多さ

 よくない印象と言えば、離婚の多さもあります。ロシア人は肌着を脱ぎ捨てるように離婚を繰り返すといわれています。離婚率はアメリカを超えているらしく、離婚の主な理由の一つは夫か妻のアルコール依存症です。ロシア人のウォッカ好きは有名です。

 離婚理由に兵役逃れ対策もあります。18歳から28歳までの男性は兵役の義務があり、大学生や病人で逃げる方法もありますが、28歳以下で妻と子どもがいれば兵営免除されるので、ロシアの男女は愛が実る前に、まず子どもをつくり、兵役逃れの必要がなくなるとさっと別れるといいます。


モスクワのよい点・・・地下鉄の素晴らしさ

 ロシアの悪い面だけ挙げては不公平です。よい点もたくさんあります。まず、経済が順調であることは既にお伝えしたが、問題の車渋滞対策は地下鉄によって救われます。

 11路線ある地下鉄は素晴らしい、という一言です。モスクワ滞在中、地下鉄乗車は40回しました。20回分の回数券を二枚購入し、使い切ったことでカウントできます。

 電車は二分間隔でプラットホームに入ってきて、停車時間は30秒。それが分かるのは、一番前の車両から見える位置に、電光掲示板で現在時間と、停車秒時間が表示されるからで、それをかっちり守って動いています。

 駅のホームやエントランス、天井には見事なレリーフ絵があったり、大理石の壁がつながっているところが多く、コンコースにゴミは無く、改札口の通過は日本のスイカと同じICチップ制で、日本より早く導入されています。

 さらに、車内で感心するのは、お年寄りに席を譲るということが自然に行われていることです。お年寄りが乗ってくるとさっと若者が立ち上がります。お年寄りを大事にするということが常識になっていると感じます。

 もっと大事なことは、地下鉄車内で見かける若い女性、美人が多いことです。スタイルもよく、眼の保養になるので居眠りする必要が無く、それとアメリカに見られるような巨大なデブは皆無。デブが消えたのは経済状態がよくなってきてからだと言われています。


モスクワのよい点・・・緑の多さと素朴な人柄

 市内の樹木の多さもすごく、通りに面して森が連なっています。市電に乗ると、森の中を通過するので、近郊の田舎かと思いますが、ちゃんとしたモスクワ市内であって、軽井沢に街が造られているという感です。

 家はたいてい高層アパート。その一人の女性の住居に訪問しました。森の中に点在するアパートメント群一角の二階、中は居間と寝室、台所、洗面所だけの狭いスペースに夫婦二人。この間まで長男が同居していたというが、どうやって三人が起居していたか疑問もつほどの狭さですが、お話はいたって率直。素直に自分をさらけ出し、打ち解けた雰囲気で対応してくれます。他の国より素直な感じを受けました。

 地下鉄の中でも、合気道と印字されたTシャツを着た若者から話しかけられ、一緒のかわいいガールフレンドからも英語で質問受けます。急速に英語が通じるようになっているようです。さらに、日本外務省管轄の独立非営利法人「日本センター」で、日本語を学ぶロシア人に同行者が講演しましたが、眼を輝かして聞く態度と、熱心な質問、それへの回答に対して頷き、明るい笑顔が印象的に残りました。


ロシア理解は難しい

 一般的に、ロシア人は個人で接すると素朴でおおらかで親切であるが、ひとたび集団化すると横柄な態度になると言われています。モスクワでお会いした人たち、皆さんにこやかで親切でした。しかし、その人たちが集団化して起こす違法運転や、レストランの無愛想な対応、この落差は何から来ているのか。多分、その要因はロシアが持っている過去の歴史を含む様々な要因が絡み合って、論じるのは難しいのですが、しかし、ロシアを結論付けしたい方は、渋滞と高額ホテルを覚悟しモスクワに行くことをお勧めします。以上。

投稿者 staff : 11:39 | コメント (0)

2007年06月19日

「21世紀のアジアビジネスモデルを探る」

2007年6月18日「21世紀のアジアビジネスモデルを探る」
法政大学大学院(MBAコース)客員教授 増田辰弘氏

時代を閲する
 キーワードとしてのグローバルという内容、それを確実に捉えきれないまま、グローバル化時代が来ている、と称しているような気がしてなりませんでしたが、今回の増田教授によるアジアビジネス発表は、現代のグローバル化という実態の解明でした。
 また、その実態は、毎日接しているマスコミ情報としては顕れない「足で集めた実態情報」の羅列で、参加者がもっていた従来からのアジア観判断に大きな変化を与えました。正に「時代を閲する」ゼミナールでした。

閲するとは
 時代を閲するにはセオリーが存在すると思います。
 現実の姿とは、目の前に顕れた材料です。その材料に対してどのような基準で測定するか。その一点で閲した判断結果が左右します。
 つまり、時代への判断は、材料の適否と、基準の適否で決まるのです。
 材料の適否とは、収集した材料が部分なのか、全体なのか。基準の適否とは、客観性あるものなのか、それとも主観に溢れたものなのか。
 しかし、このように明確に整理された思考を取ることは至難な業で、一般的には、この両者の入り混じった内容で行うことになり、その結果は「判断誤差」として後日の時間軸で顕れてきます。

妥当な判断をするには点検と確認作業
 では、妥当な判断をするためにはどうしたらよいでしょうか。
通常、物事の情報収集に当たって、最初は客観的な事実の積み重ね行動をしていきますが、次第にその物事に慣れ親しんでいきますと、主観的な方向に軸足を移していきやすくなります。
 また、当初は部分情報ですが、次第に全体情報にとしてつかむことになっていきます。これは、時間の経過と共にいろいろ分かってきますから、当然なことです。
 しかしながら、時代も人も常に変化していくので、分かったつもりでいても、そこにどこかのポイントとタイミングで、何かの点検と確認を入れておかないと、未来を誤りやすいのです。
 その点検と確認作業を増田教授がしてくれました。現場からの継続した一貫調査によって、一般マスコミで報道されない実態を提供してくれ、アジアビジネスとグローバル化という、時代の流れに対する新たな気づきと認識を与えて頂きました。以上。

投稿者 Master : 16:56 | コメント (0)

2007年06月07日

2007年6月5日 BRICs・・・ロシア編その一

環境×文化×経済 山本紀久雄

2007年6月5日 BRICs・・・ロシア編その一


ホールインワン経済

日本経済は全体的には順調と言われていますが、その内容は外需、つまり、輸出のおかげで持ちこたえている実態です。また、その輸出の中心はBRICsと呼ばれる、ブラジル、ロシア、インド、中国などの途上国であり、そこへの輸出は昭和40年代の中心だった重厚長大産業が元気よく展開しているのが特徴です。

ですから、鉱工業生産が景気を判断する最重要指標のため、この分野が好調なので景気は大きく崩れないと予測されているのです。

そういう実態ですから、今回の景気は、一般の企業や人々には直接の恩恵が少ないとも言われています。いくら「いざなぎ景気を超えて史上最大」と称されても、実感に乏しいのは事実です。

そのことをあるエコノミストが「今回の景気はホールインワン景気」と言い、その心は「パットしない」・・・。なるほど上手いこと言うなと思います。

ロシアの成長

 五月末から六月初めまで、ロシアのモスクワに出張しました。BRICsの一員国です。いろいろな実態に遭遇し、様々な考えを持ちましたので、今回と次回のレターでロシア中心に検討してみたいと思います。

 まず、ロシアについて、皆さんお馴染みの日産自動車ゴーン社長が次のように語っている内容をご紹介します。(2007年3月24日 日経新聞)


「成熟市場で減速に直面する自動車メーカーにとって、BRICsは胸を躍らせるような『ニューフロンティア』だ。中でも、欧州最大の市場に浮上すると予測されるロシアに強い関心が集まっている。

一億四千二百万人が住むロシアでは、千人当たりの自動車保有台数は百六十七台にすぎないが、需要は急速に高まっている。

2005年から06年にかけて販売は26%増え百九十万台になった。外国ブランド車の成長は著しく、70%増の九十七万台に上る。

日産は62%の成長を記録した。日産は年五万台の生産能力を持ち、七百五十人を雇用するサンクトペテルブルグの組立工場を09年に稼動するため二億ドルを投資する。

ロシアは製造業にとって多くの点で課題を抱えている。産業基盤や物流、労働者の能力、供給業者、規制環境などの面で、ロシアは中国やインド、ブラジルと比べて勝っている点が少ない。コストや品質面を見ても、短期的な潜在能力はほかの三カ国より低い。

しかし、昨年六月に初めてサンクトペテルブルグとモスクワを訪問した私を感動させたのは、国の未来を造る決意に燃えるロシアの人々自身だった。私が人を判断するうえで常に重きを置く『意欲』を彼らの中に見た。

70年以上にわたりロシアは海外からの投資の歴史が皆無に等しく、多くの人にとって先行きを予測しづらい国のままだ。効率的な生産を実現するためには、日産のやり方をロシアの供給業者に幅広く浸透させる必要がある。

さらに私たちのやり方で従業員を訓練しなければならない。簡単ではないが、同時にチャンスでもある」


これがロシアに対するゴーン社長の判断です。ロシア人が世界で一番親しみを持つ国はフランス、そこのゴーン社長からこのようなメッセージを、ロシア人はどう受け止めているのか分かりませんが、ロシアの成長は日本の経済成長に重要な影響を与えることは事実です。


ロシアの成長率と日本企業の進出

世界の経済は2003年から06年までの四年間、実質成長率は年5.1%と高率でした。常識的な考えでは3%台の成長率でまず順調という見方ですから、5.1%とは大変な成長率です。

その要因は、世界の消費中心国のアメリカが、いろいろ心配されながらもそれなりに消費が拡大し、加えて、中国、インドが10%を超える成長をし、ロシアも2006年実質成長率6%台を達成し、世界経済全体に大きく貢献しているからです。BRICs全体の成長率5%台という実績は、世界経済全体に対して半分近く(2.5%弱)の寄与率になるとIMFは推定しているほどです。

ロシアの成長要因は、プーチン政権が進める資源外交です。石油や天然ガスの輸出収入で国内を潤し、資金力を拡大した企業が積極的な拡大戦略をとって、中産階級にも浸透し、個人消費が旺盛となっています。

その結果、日本の自動車メーカーの輸出は、トヨタ・日産共に2006年は輸出台数を前年比で60%以上増やし、ロシアの国民が自動車を買う余裕が出ているのです。

一方、日本の安倍首相はロシア重視の姿勢を示しています。安倍首相は対ソ連外交に尽力した父、安倍晋太郎氏の影響か「ロシアは大事な隣国」と位置づけているようです。2007年一月はモスクワで初の両国次官級戦略対話、二月にはフラトコフ首相の来日。五月に日本の麻生太郎外相の日本大使館落成記念と合わせたモスクワ訪問もあり、お互いの関係を深めようとして、日本の企業もロシア各地に進出しています。

サンクトペテルブルグには、トヨタ・日産・スズキ・三菱自動車が工場建設・検討を進め、モスクワでは石川島播磨重工業が現地トラック大手と合弁、旭硝子がガラス工場建設、サハリン沖資源開発事業サハリン1に伊藤忠・丸紅などが出資、サハリン2には三井物産・三菱商事などが出資することになっています。


問題はインフラ整備・・・渋滞道路

素晴らしい成長をしているロシアですが、実際に訪れてみると問題は山積しています。

まず、最初に、空港からホテルまでの間で発生した事件をお伝えしたいと思います。

夕方4時にモスクワ・シェレメチェボ国際空港に着き、入国審査はビザがあるため、女性係官はじろりとこちらの顔を確認するだけで、簡単に通過しました。

空港から市内中心地まで35kmで、タクシーで40USドル、約一時間とガイドブックにありますが、タクシーはいろいろ難しいと書いてあるので、知人がベンツ車をチャーターして迎えに来てくれました。

この日の気温は30度を超え、平年5月の平均気温は最高20度ですから、異常気象のようですが、もっと暑いのはベンツの車内です。クーラーが壊れていて、窓は運転手席の窓しか開かないのです。

市内と空港まで列車や電車はなく、手段は車だけなのに高速道路はないとの説明にウーンと唸り、顔面全体に滴る汗を拭うだけです。

実際に走り出して、すぐに渋滞です。四車線もある広い道路に車がびっしりで、全然動きません。この状態はモスクワ市内だったらどこでも同じだと言います。

そこに、突然、超中古車ベンツが妙な音を出しエンストしました。慌てて知人と運転手が道路端にベンツを押し動かし駐車させましたが、まだまだホテルまで遠い地点です。

知人にパスポートだけ持って車から出るよう指示され、広い歩道をバス停へ向かいましたが、驚いたことに歩いている歩道の後ろから車が走ってくるのです。それも乗り合いミニバスで、その後ろに乗用車もつながっています。歩道も実質車道になっているのです。

マナーが悪いのはベトナム・ハノイで慣れていますが、ハノイはオートバイ。だが、ここモスクワは冬場の氷結状態道路となるので、バイクでは危険なので四輪者です。モスクワの道路事情がこれほど酷い実態とは、どのガイドブックにも書いてありません。


問題はインフラ整備・・・ホテル宿泊代

モスクワの観光客は、他の大都市に比較し少ないと言われています。理由はホテル代がバカ高いからです。ビザ取得のためにはホテルの予約が必要ですから、最初、旅行社経由でホテルを探しましたが、回答は一泊六万円から八万円だと言います。ビックリしてモスクワ行きをあきらめたところ、知人が妥当適切価格の日本人経営ホテルを紹介してくれましたが、一般的な旅行社ルートでは桁外れの料金となり易いので、観光目的でモスクワを訪れるのは難しいだろうと思います。次回もモスクワ事件は続きます。以上。

投稿者 staff : 23:14 | コメント (0)