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2005年08月30日

重信メイさんから「イスラム社会全体像」を学ぶ

経営ゼミナール2005年9月定例会(310回)ご案内(2)
Ⅲ.丸の内時流塾
9月26日の丸の内時流塾は、すでに7月末にご案内していますが、経営ゼミナールのご案内状で再度ご案内させていただきます。

経営ゼミナールのパレスチナ問題理解の前に、まず、「イスラム社会全体像」を把握することが重要です。
21世紀を迎えた国際社会では、グローバルに人々の往来、交流が盛んになっておりますが、とはいえ、イスラム社会というと、日本にとっては遠い国、馴染みの薄い国だったので、イスラム社会についてはあまり知られていない、理解していない国だったのではないでしょうか。
理解をしていくためには、イスラム社会とはどのようなものかを解りやすく教えてもらうことが必要であり、今進んでいる民主化という課題がどのように進んでいるのか等を解説してもらい理解することが大事と考えます。

重信メイ氏から「民主化されるアラブ社会の現状と今後の方向性」と題しまして
全体概要について解説いただきます。
開催時間 5時半〜6時半
尚、9月26日の丸の内時流塾の開催時間は、講師のご都合により下記の時間になりますので、ご了承の程お願いいたします。
*経営ゼミナール例会にご参加される方は、この丸の内時流塾は無料でございます。多くの方のご参加をお待ちしております。

Ⅳ.10月の例会
10月の経営ゼミナールは、10月17日(月)の開催になります。10月のゼミナールは、「現地・現場・現認」の例会となります。さて、その会場は?
グループダイナミックス研究所所長・柳平 彬氏がJR南武線・矢向駅近くに経営する縄文天然温泉「志楽の湯」です。柳平 彬氏は、今年4月にこれまでの半導体の工場から180度異なった、縄文コンセプトを取り入れた温泉事業に進出したのです。

この「志楽の湯」は、古里を訪ねる雰囲気のあるアプローチと入り口、栗の木を浴槽中心に配置した「御柱風呂」や、古い味噌樽を利用した「味噌樽風呂」、圧巻は熊本県にある黒川温泉・新明館代表で、観光カリスマと言われる後藤哲也氏プロデュースの露天風呂です。

都会日帰り温泉を、どうしてこのようにこだわり創り上げたのか。その発想の源泉は何か。めざす最終目的は何か。開業後の実績は順調なのか。今後の展開方向性として何が必要か・・・。これらについて柳平氏から、率直に現場で披瀝いただきます。
10月の経営ゼミナールは「現地・現場・現認」です。皆様のご参加をお待ちしておりますので、ご予定の程お願いいたします。

Ⅴ.丸の内時流塾
10月の丸の内時流塾は、「現地・現場・現認」の例会であり、事業検討会となりますため、時流塾はお休みとなります。ご了承願います。

投稿者 Master : 12:22 | コメント (0)

重信メイさんから「パレスチナ問題の背景と行方」を聞く

経営ゼミナール2005年9月定例会(310回)ご案内(1)

9月の経営ゼミナールは、9月26日(第四の月曜日)に開催いたします。
(6月の例会の会場では、9月20日(火)とご案内いたしましたが、会場の都合で26日に変更になりましたので、よろしくお願いいたします)

今年8月23日、ガザ地区とヨルダン川西岸のユダヤ人入植地を対象に17日から始まった排除作業がすべて終了しました。また一方イスラエル軍は、ガザ地区からの軍の撤退を9月末までに終えたいという意向を表明しました。
このところイスラエルとパレスチナの問題が報道を賑わしております。

ユダヤ民族の歴史は聖書の創世記に始まり、紀元前10世紀古代王国が栄えますが、やがて王国は北と南に分裂し、アッシリアと新バビロニアに滅ぼされます。その後、ギリシャ、ローマの勢力下におかれました。ローマの圧政に反乱を起こしますが、鎮圧されて古代ユダヤ史は幕を閉じることになります。
以後2000年近くにわたりユダヤ民族は世界各地に離散。19世紀末、欧州でシオニズム運動が起こり、20世紀初頭よりユダヤ人のパレスチナ移住が増大しました。1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議を採択、イスラエルはこの決議を受け入れ1948年独立を宣言。1948年、56年、67年、73年とアラブ周辺諸国と4度にわたり戦争。その後、79年にエジプトと平和条約を締結。PLOとは、93年9月、相互承認を行い暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。その後、暫定合意に従い、イスラエルは西岸・ガザの主要都市から撤退し、代わってパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されています。
  
2004年11月11日、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長の死去を受け、2005年1月9日に大統領選挙でアッバース新大統領が圧倒的支持を得て選出されて以来、わずか9ヶ月、このところスラエルとパレスチナの問題の動きが早まっているように思います。
しかし、この問題はいくら新聞、テレビなどの報道、情報を聞いても、どうも分かりにくいと思うのは私だけでしょうか?
そこで、このようなアラブ問題については、その道に詳しい方から、詳細な説明をしていただくことがいいのではないかと思います。
9月の経営ゼミナールでは、重信メイ氏にご登場いただき、この問題について講演をしていただくことになりました。

重信メイさんは、あの日本赤軍のリーダー重信房子さんとパレスチナ人の父の間で、パレスチナの地で生まれ、育ち、学んで4年前に日本に来たばかりの人物です。イスラム世界全体を体感的に理解しています。これほどこの問題に相応しい方はおりません。

9月は重信メイさんをお迎えして、「パレスチナ問題の背景と行方」と題しまして私たち日本人には解りにくいイスラエルとパレスチナ問題を、講演していただきます。
ご参加お待ち申し上げます。 


講師略歴
1973年レバノン・ベイルート生まれ。
日本赤軍のリーダー重信房子とパレスチナ人の父の娘として、無国籍のままアラブ社会で育つ。97年、ベイルートのアメリカン大学を卒業後、同国際政治学科大学院に在籍。母の逮捕を機に来日し、2001年3月に日本国籍を取得。
現在、塾講師のかたわら様々なメディアで、パレスチナ問題を中心に、アラブからのまなざしを伝えている。著書に「秘密」(講談社)、「中東のゲットーから」(ウェイツ)

1.日時 平成17年9月26日(月)(*第四月曜日となります)
6時30分集合(お食事を用意しています)
6時45分より山本紀久雄代表の時流講話
経営ゼミナールは、7時開始、8時50分終了予定
*尚、講師のご都合により、通常の例会とは開始時間が異なりますので、
ご了承の程お願い申し上げます。

2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
千代田区丸の内1−3−1 Tel:03−5252−3791
東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)

3.テーマと講師
「パレスチナ問題の背景と行方」
ジャーナリスト 
重信 メイ氏

* 会費  オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。
*お問い合わせ 
出欠:㈱ボスコ内 経営ゼミナール事務局 平野(03−3498−4200)まで
その他は金子(ぬりえ美術館内(03−3892−5391)まで

投稿者 Master : 12:15 | コメント (0)

2005年08月21日

歴史は人が残す

  YAMAMOTO・レター 環境×文化×経済 山本紀久雄
       2005年8月20日 歴史は人が残す

最近の情勢判断

年に数回同じ居住区の人たちと食事会、ハイキング、旅行などをします。先日は暑気払という名目で、近くに新規オープンした焼肉店に行きました。安くてうまいと評判の店です。参加者は10名。女性が8名で皆さん中高年です。
最初の乾杯が終わって、差し障りのない雑談の後、市長・知事の評価、地元選出代議士の評価、次に郵政民営化について盛り上がってきました。皆さんテレビで問題点を把握していますので指摘はなかなか鋭く、なるほどと思うことが多々あります。それに対する見解を求められましたので、こちらの見解を述べましたら、真面目に聞いてくれたようです。

小泉首相による衆議院の解散によって、あっという間に事態が動き展開し、郵政民営化反対者は窮地に陥って国民新党ができたように、物事が極まってくると、結論がでるのが極めて迅速で、変化して行き、もはや元には戻らなくなります。しっかり時代を見たいと思います。世の中の出来事の背景を知ろうとしなかったり、無関心でいたり、目の前のことにしか気を配っていないと、遠くで起きている巨大な変化に気づくことができず、それがいつの間にか目前に関係してくることがわからず、明日も今日と同じだろうと漠然としていると、結局、後で後悔することになる。これが最近の情勢判断です。

官僚の嘘

日本道路公団の内田道雄副総裁と金子恒夫理事が、談合全般に関与した「正犯」に当たると東京高検に逮捕されました。この逮捕に至るプロセスはテレビでご存知の通りで、内田副総裁が談合組織「かづら会」なぞは知らない、新聞報道ではじめて知った、という鉄面皮な迷答弁に、質問者の猪瀬直樹氏が呆れた顔をし「嘘でしよう」と発言したのがきっかけで、とうとう今回の逮捕につながりました。一民間人の作家が官僚の嘘を引き出して逮捕につなげたのです。時代は変わったと思います。テレビという公開画面の中で、民間人の質問に官僚トップが平然と嘘をついている実態が放映されたのです。多くの人に官僚とはあういう人間なのかという、新たな恐ろしさを感じさせ、その官僚の収入が税金から支出されている、という事実に憤りを感じます。東京新聞の7月31日に、千葉商科大学学長の加藤寛氏が「悪臭は元から断て」と次のように寄稿しています。
 「道路公団の民営化のために七人委員会がつくられたのはよかったが、途中で内部分裂のため改革案がつくれなかった。そのとき、ジャーナリズムの論理は辞任した委員を高く評価したが、改革とはそんな格好よさを褒め称えることではない。泥にまみれても改革委員会を死守することである。今残っている猪瀬、大宅氏に非難の声はあるが、彼らの頑張りがついに内田副総裁逮捕を実現したではないか。公団及びそのファミリーの影を暴かなければ、改革の一撃を加えることは難しい。国鉄の場合もその暗部を国民の前にさらけ出したから世論の支持が得られた。単なる改革プランは夢として描くだけで解決にはならない。レントシーキング、たかり社会の元を断たなければ、表向きの改革の姿だけを幾ら提言しても改革案にはならない。その元とは財源の根拠を提供していた郵貯、簡保、年金の元を断つことである」と。

海舟の直感

月刊誌ベルダに山岡鉄舟を連載していますので、幕末の状況分析を通じ、江戸無血開城こそが日本を独立国家として発展させたスタートであったと理解しています。
その江戸無血開城は慶応四年(1868)3月14日、田町の薩摩邸における西郷隆盛と勝海舟の間で正式に決定しましたが、実際には鉄舟が駿府にて西郷と会見交渉し、事前に事実上決めていたのです。
ということは鉄舟こそが独立日本を創りあげた功績者です。だが、この鉄舟も官軍が充満している東海道筋を突破して、駿府に辿りつくためには独りでは無理で、官軍の中を通り抜けられる武器が必要でした。それが薩摩藩・益満休之助でした。薩人の益満が鉄舟に同行してくれたからこそ、官軍の中を走破でき西郷と会見・交渉できたのです。
では、誰の指示で益満を鉄舟に同行させたのか。それは海舟です。海舟邸に前年末の薩摩藩焼き討ちの折幕府に捕らえられ、死罪となるはずの益満がいたのです。鉄舟が将軍慶喜の指示を受け、海舟邸を訪れる3日前に牢屋から引き取った、という図ったようなタイミングでした。海舟と鉄舟はそのときまで面識がありませんでしたし、鉄舟が慶喜の指示を受けたことも海舟は知りませんでした。しかし、益満を対官軍工作員として準備しておいたことが、鉄舟の功績を引き出し、これが江戸無血開城を成し遂げさせたのです。益満を牢屋から引き取ったタイミング、その海舟の直感力が歴史を創り上げました。

直木三十五

この益満休之助という人物を、主人公に取り上げて書いた作家が直木三十五です。
直木賞として冠を称せられている作家です。殆どの人は芥川賞が芥川龍之介であることは知っていますが、直木賞が直木三十五の業績を称える趣旨から設けられた賞であることを知りません。
直木三十五は明治24年(1891)大阪生まれ、早稲田大学に進むものの、関東大震災後に関西に戻り、雑誌「苦楽」の編集などに従事。再上京後は次々と著述をあらわし、昭和5年(1930)に新聞連載がスタートした「南国太平記」で一躍人気作家になったが、昭和9年(1934)結核性脳膜炎のため43歳で没しました。
このときの直木三十五の死に対して、多くの追悼が寄せられましたが、その多さでいえば、空前とも絶後ともいえるほどで、新聞は勿論総合誌、文芸誌など、かなりのページをさいて追悼特集を組み、「衆文」のように全誌をあげて追悼号とした雑誌もありました。
そのなかで菊池寛は「直木は大衆文学者といわれたが、彼の本領は一個の大歴史小説家である。彼出でて初めて日本に歴史小説が存在したといってよい。彼は荒唐無稽な筋書きによって舞文するのではなくして、歴史的事実に立脚して、その事件と人物とを、彼の豊富なる想像と精鋭な描写とによって、生かしているのである」と激賞しています。
確かに、図書館から「南国太平記」を借りて、夏休みに読んでみましたが、お由良騒動といわれる島津家のお家騒動を素材に、薩摩藩の幕末回天史を描いた長編であって、内容のポイントとなる場面は史実に基づいていることが分かり、益満休之助も登場し「鳥羽伏見の戦いの後、江戸に潜入した益満は、幕兵に正体を見破られ捕らえられ、勝海舟に助けられ、西郷との下交渉に働く」と、その姿が描かれています。
司馬遼太郎など名だたる作家が受賞している、大衆文学の登竜門としての「直木賞」は、直木三十五の業績を称えることから制定され、文壇歴史にその名を刻んでいます。

絵本の歴史

今月末に「ぬりえ文化」を出版します。ぬりえについては専門研究書がありませんので、日本でも、多分、世界でもはじめての専門書として各分野で活用される存在になると思います。といいますのも、2003年に出版した「フランスを救った日本の牡蠣」が牡蠣業界では専門書として活用されている事実を、先般の「国際牡蠣フェスティバル」で確認できたからです。今回の「ぬりえ文化」も関係する人々から受け入れられると期待します。
ところで、ぬりえを研究する過程で絵本の成り立ち・歴史についても分かりました。
「絵本の歴史は1844年にフランクフルトのお医者さん、ハインリッヒ・ホフマンによってつくられました。一人息子のクリスマスの贈りものとして、ホフマン先生が息子のいたずらや失敗を、自分で描いて、詩をつけて、一冊にとじて息子に贈りました。それを友だちや、その親たちが愉快がり、知り合いの出版社が乗り気になって石版技術で出版しました。それまでのかた苦しいお説教調で宗教画の安本を圧倒して、ぞくぞく版を重ねました。これが絵本のはじまりだったのです。この結果、ホフマン先生は医者ということは忘れ去られましたが、絵本の著者として人名辞典に残り、この絵本は絵本の古典となりました」と瀬田貞二氏の絵本論にありますように、ホフマンさんから始まったのです。

道路民営化委員会での猪瀬直樹氏の働きは、作家としてよりも道路公団民営化の歴史に名を残すでしよう。幕末、海舟が時の誰よりも国際情勢を的確に分析し、日本が分断されないように動いた一環として益満の手配があり、それによって鉄舟が働いたことで歴史を創りました。直木三十五も菊池寛によって直木賞として文壇の歴史を創りました。ホフマン先生も絵本の歴史を創りました。衆議院解散による9月11日の選挙結果で、郵政民営化を成し遂げるかどうか。小泉純一郎の名が歴史として残るかどうかが決まります。以上。

投稿者 Master : 10:58 | コメント (0)

2005年08月08日

感性と論理性と実現性

YAMAMOO・レター 環境×文化×経済 山本紀久雄
2005年8月5日 感性と論理性と実現性

内閣府セミナー
7月20日に内閣府と高齢社会NGO連携協議会主催のセミナーがあり、その分科会のパネラーとして出席しました。基調講演はさわやか福祉財団理事長の堀田力氏と、一橋大学名誉教授の江見康一氏です。堀田氏はロッキード事件の検事として著名であり、江見氏は81歳のときに東京から兵庫県赤穂市まで、約680キロを自転車で走破した人物で現在84歳、お二人とも洒脱な話し振りと、ハッとさせる含蓄に富んだ内容で勉強になりました。お二人の主張で共通していたのは、自分の人生は自分でつくるものであって、それは一人一人のオリジナルなものであるということ、これに同感いたしました。パネラーとしての分科会テーマは「自己実現の夢、健康で、明るく、楽しく、生涯学習」で、最初にパネラーとしてテーマについて見解を要望され、次のように申し上げました。

「国際会議や海外企業訪問時に経験することですが、日本人が発する質問に一つのパターンがあります。それは『平均ではどのくらいか』というもので、これに対する欧米人の回答は『多い人は多いです』といたって簡単です。つまり、平均ということにあまり関心がないのです。人は人、自分は自分ですから、多少は人を気にしますが、日本人のようにあまりにも気にすることはありません。この傾向は『欧米人は一人一人が違う生き方をしているという意味』に通じます」また「分科会のテーマは五つの内容から構成されていますが、自己実現していれば、その人は楽しく、明るいですから、身体も健康になり、自己実現を目指すための研究も進み、結果的に生涯学習になります。この五つの内容はつながっているのです」と。

他人から知る自分の個性
突然、若い男性から連絡が来ました。ある会社に勤めていたのですが、退社し独立したいという連絡です。早い時期に独立したほうがよい、という主張を持っていながら、なかなか独立できなかった経験者として、このような若い人の決断に賛成しますが、課題はその独立する内容です。条件整備がどの程度整っているかというところです。
概略の経緯をお聞きしてみますと、まだ十分に条件整備を整えていない実態でした。これは当たり前のことと思います。十分なる条件整備が整ってから独立するというのは、希望としては成り立ちますが、実際には「十分という意味」が抽象的ですので、それが完全に整備されるということはありえないと思います。
しかし問題は、安定した収入がなくなるのですから、独立するという意味、つまり、プロとして世間が認める力がないとお金は入ってきません。そのプロとして世間が認める内容を保有しているのか、というところが最大の課題となります。
また、一般的には若い時代は、自らの力の内容、それは潜在能力を含めてまだまだ自らの力の中味を知らないのが実態です。加えて、素晴らしい素材としての魅力があったとしても、それを発揮する場がないと、独立したとしても仕事にはつながらないのです。
そこで自らの存在価値を判定する方法の一つとして、今まで経験したことのない新しいテーマに挑戦することを勧めました。自分がどのような分野で活躍できるかという検討・トライのためです。
ちょうどよいタイミングで、ある企業からご依頼のテーマがあり、直感的にこのテーマが若い人に向いているのではないかと思い、企業に企画提案してもらいましたら、幸いに受け入れられましてスタートしたところです。
結果は分かりませんが、仮に今回のテーマが成功しますと、新しく経験する内容であって、成果を他者である企業が評価してくれるのですから、他者がプロとして通じる素材を見つけ、人に役立つ若い人の個性を探してくれる、ということになっていきます。
つまり、自分の個性は他者との関係性で開発され、磨かれるものであると考えていることの実証、それがこの若い人にも適応できることになりました。

鳥取県智頭町
何か困ったときに打開策を見つける作業は、一瞬の感覚・感性からが多いと思います。考えて、考え抜いて決めたとしても、その最初の発想と入り口は一つのある気づきから発生して行くことが多いのです。ですから、問題に当面したときに感じる最初の感覚・感性は大事です。
しかし、この感覚・感性のままで問題解決策を続けていくと、いつの間にか問題解決にならず、更に傷口を広げていくことも多々あります。それは、最初の感覚・感性は妥当であったとしても、その後に展開する方法に問題があるからです。
物事の印象を敏感に嗅ぎとって直感的に方向性をみつける感性と、物事の順序を組み立てていく能力としての論理性、その論理的に組み立てたものを本質を失わずに実際に処理して行く実現性が必要になります。つまり、物事を成し遂げていくには「感性」と「論理性」と「実現性」という三つの能力要素が必要なのです。

今、殆どの地方都市が集客力に悩んでいます。駅前にあった何とか銀座商店街はシャッター通りになっていますが、これは人が集まらないから売れず、売れないから営業不振となり、廃業していくからです。ですから、町に人が集まってくれれば、この問題は根本的に解決するのです。このようなロジックは当然分かっているのですが、その方策を考えられずに、一日一日無駄な時間を費やして、役場の地方公務員は給料を税金から受取っているのが実態です。しかし、この根本的問題を解決させかけている町もあり、その実例を鳥取県の端っこにある智頭(ちづ)町の実態からみてみたいと思います。

観光カリスマということをご存知でしょうか。国土交通省が認定した観光業に貢献した人におくられた名称です。智頭町の前町長の寺谷誠一郎氏も観光カリスマで、寺谷氏が行った実績は全国に知れ渡っています。今回、その現場をみて参りましたので実態をご報告いたします。
智頭町はJRで大阪から2時間、京都から2時間半、岡山からも1時間半、鳥取市からは約50分かかる山間僻地に所在します。トンネルを抜けて岡山方面に向かえば、剣豪宮本武蔵の生誕地がありますが、ここ智頭町には記念すべき歴史的な謂れや昔からの名所・旧跡は何もありません。何もない人口9000人の町に、今や年間5万人の観光客が訪れるようになっているのです。   


寺谷氏は素直な感性の持ち主です。小さな町が大都市に勝てる何かの武器は何か。これが発想の原点で、その原点から町を見回してみると「空気と水なら十分あるし、昔は宿場町だったからその名残は残っている」と気づいたのです。
次に考えたのは、町に中心ポイントをつくることでした。論理的に考えてみて、中心になる存在物は「大きくて目立つもの」が必要だと判断し、それなら町の中心地にある「大きな個人住宅」が適任だと、町長に当選したばかりの平成9年7月にこの住宅を訪ねたのです。訪ね伝えた言葉は「町のためにこの家を出て行って欲しい」という行動でした。これに対し当然のことながら、「大きな個人住宅」の当主は屋敷を町に譲る理由はなく、今まで住んでいたのだからこれからも住みつづけるという回答をしたわけです。
この町長の行動はあっという間に町全体に広まって「町長は頭がおかしい」と酷評されました。しかし、寺谷町長は日参を重ね、智頭町が観光で立ち上がるには中心ポイントがどうしても必要だということと、この「大きな個人住宅」を訪ねる度にその建物造作構造の素晴らしさにとりつかれていったのです。
この「大きな個人住宅」が、現在一般公開されている「石谷家住宅」です。石谷家は鳥取藩の、大名参勤交代宿泊地が智頭宿と定められた時代から、宿場町の中央に位置する庄屋をつとめ、その後も地域社会に大きな役割を果していたので、当然住宅も規模大きく立派なのです。ここに目をつけ説得し、今では智頭町の観光中心ポイントにし、ここを基点に宿場町の風情を残す杉玉を、各家の軒先に飾るなどの諸対策を講じた結果、観光客が急増したのです。詳しく知りたい方は、現地・現場・現認がセオリーですから、行かれると皆さんのお住みになっている街づくりへご参考になること請け合いです。

物事を成功させるには、直感的な感性、組み立てる論理性、実際に処していく実現性、この三要素が自己実現にも、プロを目指す独立にも、町活性化にも必要なのです。以上。

投稿者 Master : 11:09 | コメント (0)

2005年08月04日

万博会場で、バイオラングの霧を体験

バイオラング(Bio Lung)
   

世界最大級の緑花の壁、バイオラングに使われているお水が赤塚植物園のFFCウォーターです。垂直な壁という過酷な条件下でも植物は健やかに生育していくのに貢献しているそうです。
期間中、1500のノズルからFFCウォーターの霧が噴射されて、植物ばかりでなく、この暑さの中を見学する人々のオアシスにもなっているように思いました。

バイオラングに隣接する場所において、赤塚グループの岩井様から、FFCウォーターの素晴らしさを解説いただきました。
岩井様、暑い中をご説明、ご案内ありがとうございました。ご参加のいただきました皆様方にも御礼申し上げます。

投稿者 Master : 17:54 | コメント (0)