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2012年07月23日

2012年7月20日 考えるという脳作業・・・後半

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年7月20日 考えるという脳作業・・・後半

「考える」とはどういう脳作業を意味するのか

前号に続いて「考える」を具体的に検討してみたい。我々は幼少時に親から「考えろ」と言われ、学校でも「考えなさい」と言われ続け、社会生活でも同様の指摘を受けることが多い。しかし、この「考える」ということは、具体的にどういう脳作業なのか、それについては親も学校も会社の上司・先輩も教えてくれていない。特に、学校では知識を体系的に教えているが、自ら考えるためにはどうすることが必要だという、肝心要なことは教えてくれないのに、先生から「考えなさい」と言われ続けてきた。

我々は、ここでもう一度「考える」ということを、洗い直し、自らの日常生活に取り入れていくことで、日常習慣化していく、ということを検討したらどうだろうかと提案したい。つまり、「考えよう」と意識しなくても、自然に「常に学び考え続ける」状態にすることができれば、「考える」ことは生活習慣になって無理なくできる。

ということになれば、生活習慣病ではないが、思考することを生活習慣化するのであるから、無理なく、いつでも考えることができるはずで、そのような日本人が増えて、それらの人達が企業に入っていくと、延岡教授、遠藤教授、伊藤所長の指摘に適う人間になれ、その結果意味的価値を創りだせ、「際立つ存在」の経営体に変身出来るはずだ。

考えることとは

では一体、考えるとはどういう脳の作業なのだろうか。世の中には専門家を含め、様々な見解が披瀝されているが、当方は以下の五段階ステップが脳細胞の中で意識的に行われることで「考える」作業が進むと認識し、日常習慣化作業として実行している。

① 集める⇒知識や資料・情報は多くあった方がよく、この集めることが基本である。

② 分ける⇒集めた情報は、必要な項目ごとに分けてファイル化する。

③ 比べる⇒必要なテーマ・研究内容にしたがって分けたファイル・情報を比べる。つまり分析作業である。

④ 組合せる⇒分析した結果の情報を、目的・目標に基づいていろいろ組合せする。これが実はアイディアの源泉で、様々な組合せが行うほどアイディアは多く生まれる。

⑤ 選ぶ⇒組合せした中から選択する。決定作業である。この決定が最も大事で、この際に時代の方向性を掴んでいるか、つまり第一ステップの「集める」作業が時代方向性に合致していたかどうかというところが問われるわけで、時代性・時流の捉え方が狂うと大問題になる。日本のテレビ事業がこれに該当する。

最近体験したこと

 今までに何回か「日本観光大国化」について具体的提案をし、各種セミナーや討論会を各地で開催してきた。その背景としては、日本が人口減に向かっている事実を考えれば、日本への観光客を増加させ、滞留人口を増やす戦略は重要であり、そこに微力ながら貢献していきたいと思って行動しているからである。 

しかし、全てのプロジェクトが順調に進められるということはなく、全く関心を呼ばず、返って誤解を受け頓挫する事例も多々あるが、一番問題なのは「外国人観光客を増やしたい」というなすべき「戦略」は十分に分かっているが、何ら手段を講じない人達がいることである。

どうして様々な方法を駆使して外国人観光客を増やさないのか。それは過去に様々な方法でトライしたが、それが悉く失敗して、脳細胞の中に「もういい、したくない」と思ってしまっている場合である。
ここに至ると最悪であって、こういうケースでは、行政と住民との人間関係が複雑に絡み合って、憎悪とも言うべき対立が生じているので、そこに入るとこちらが火の粉を浴びる結果となるから、折角の世界的観光資源があっても立ち入らないようにすることになる。

先日も、フランスで著名なジャーナリスト男性と、ハーバート大学院卒博士のアメリカ人女性と一緒に、関東地区の海辺の市を訪問した。いろいろ観光ポイントを案内してもらっているうちに、二人の外国人が異口同音に述べたのは「あれはすごい。あれは外国人が最も関心持つ観光素材だろう」というポイントがあった。

そこで、市長、観光部門の関係者に伝え、勿論、直接同行外国人からも話をしてもらったのだが、全然動かない。そこで、その市出身の友人に動かない背景を調べてもらうと、過去に市の有力者がコンサルタントを導入し、様々な仕掛けを講じたのに、全くうまく行かなかったという事実が判明し、もう他からの観光政策の提言はコリゴリだというより、そういう提案には嫌悪感さえ抱いている、という事実が判明した。

したがって、今は誰も何も動かなく、昔栄えた旅館は倒産していくという自然淘汰状態のままになっている。残念だが仕方ない。

この状態を「考える」という視点で分析してみるならば、まず、提案を受け付けないのであるから情報を「集める」作業を拒否していることになり、第一ステップがスタートしないわけであるから、最初から「考える」という行為を諦めていることになる。

このような事例は各地で多いのではないかと推定しているが、これでは人間の脳細胞を使わず、ロスを続ける思考習慣化しているといわざるを得ない。

うまく行った事例もある

一方、非常にスムースに展開する場合も当然にある。

播磨灘に事業所を位置している企業から「世界遺産の姫路城までは外国人が大勢来るのに、すぐそこの播磨灘海岸には外国人観光客が少ない」という問題提言と、その解決策の相談を以前から受けていた。

いろいろ考えて、ふと、前述のフランス人ジャーナリストに話すと「そうならば播磨灘を海外にPRするために取材し、自分がレポート記事を書こう」ということになり、4月に当方も同行し一緒に播磨灘海岸各地を歩き回って、レポートは秋に完成することになっている。

この播磨灘レポートは、英文と仏文で「播磨灘文化・観光ホームページ」として世界に発信するのであるが、意欲的で前向きな経営者がいる場合は、行政とは関係なく日本観光大国化へ、ひとつの道筋貢献が進むことになる。

つまり、この企業にとっては自社の商品を、播磨灘産ブランドして世界に発信しているのであるから、当然そのPRになり、売上拡大につながり、また、播磨灘各地の観光地にとっては、外国人に知られる一助になって、いずれ時間軸の推移とともに、観光客が増えていくという結果が期待できるのである。

以上は、一企業の経営者判断が播磨灘の観光に貢献する事例であるが、ここで大事なことは「著名なフランス人ジャーナリスト」の投入ということである。

日本人ライターでも優れた文章は十分に書ける。だが、今回は外国人に読んでもらい、来日誘引したいわけであるから、ライターは外国人の方が適している。

そこで、書き手としてフランス人ジャーナリストと、NYタイムス寄稿ライターの二人を検討したが、結局フランス人が一番適していると考えたわけである。

フランス人が最も適しているという理由は、フランスが世界一の観光大国であり、文化ブランド国家であるから、そこのノウハウを肌身で持ち合わせているわけで、加えて、この人物が世界的大手の出版社が高く評価している人材で、ミシュラン社やアシェット社の観光ガイドブックのライターでもあるので、その方面にも働きかけてくれるという期待もあって今回選定したわけである。

 外国に頻繁に出かける中で、時間軸とともに知り合いが増え、人脈ができていくが、これも「考える」作業の第一ステップの「集める」作業に該当して、今回はたまたまその中から必要な「戦略要素」によって人脈の「分ける作業」をし、次に「人物を比べる作業」をして、続いて「必要な人物と要求される内容を組合せプランつくり」して、「最後に選択し決定作業」をしたわけである。

これが「播磨灘文化・観光ホームページ」つくりで行った背景であるが、もうひとつ重要な要素として時代性がある。

フランス人が書くレポート、そこに当然に今の時代性が入ってくるだろうが、それと播磨灘が持ち合わせている観光ポイントとが合致していなければ、いくらホームページで紹介しても世界の人々は見ないし、来日しないだろう。そのところの確認作業は、人間の直感的な分野であって、理論的に説明が難しいのだが、フランス人から原稿が届いた時点で、今の時流に合致しているかどうか、検討しチェックする予定である。以上。

投稿者 Master : 08:19 | コメント (0)

2012年07月10日

2012年7月5日 考えるという脳作業・・・前半

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年7月5日 考えるという脳作業・・・前半

日本人は「考える」ことについて具体的教育を受けていない
我々は幼少時に、親から「考えろ」と言われ続け、学校でも「考えなさい」と言われ続け、社会生活でも様々なタイミングで同様の指摘を受けることが多いのだが、この「考える」ということは、具体的にどういう脳作業なのか、それについては親も学校も会社の上司・先輩も教えてくれないままになっていると思う。
このあたりでもう一度「考える」ということを、洗い直し、自らの日常生活に取り入れていくことで、日常習慣化していく、というようなことを検討しないと、世界から「日本人は考える力が弱い」と指摘受ける結果となるだろうと懸念している。

伊藤穰一MITメディアラボ所長の指摘
伊藤穰一MITメディアラボ所長が、NYタイムスの社外役員に就任した。(日経新聞2012.6.23)

伊藤氏は1966年生れ46歳であり、日本におけるインターネット普及の第一人者で、MITメディアラボ所長には、2011年9月に約250名の候補者の中から抜擢された人物である。
その伊藤氏が次のように語っている。(クーリエ2012年1月号)

「従来のビジネスというのは、ある程度学んで効率を良くして、なるべく同じ作業を繰り返すことで生産性を高め、おカネを蓄積する。で、それを守る。だから、学びを止める。効率良く同じことを繰り返し、財産を蓄積するのが”オトナ“の世界なんですよね。

でも、変化の激しい現代の社会では、そのやりかたはもう通用しない。変化に応じて、効率は良くないかもしれないけれど常に学び続ける。偶然性だとか複雑性のなかで自分が生きるための学びの力とかネットワークの力を蓄積して、どうやって活動するかを考えることがすごく重要です。これは個人も組織もそうなんですが、それがいまの日本は弱いような気がしています」

と、今の日本人は「常に学び考え続ける」という段階が弱いと述べている。日本テレビ事業が世界競争で敗退した事実から考えると、この指摘は当たっているのではないかと思う。

日本のテレビ事業敗北要因

日本の大手家電メーカー三社、パナソニック、ソニー、シャープが巨額の赤字を出したが、その主因は薄型テレビ事業での敗北だと分析されている。

その背景として、急激な円高や、電力料金の高さなどのインフラコストに加え、海外メーカーは優遇税制の恩恵を受けているなど、一企業ではコントロールできない逆風要因があるのは事実だが、戦略的に考えてみると「テレビを戦う素材商品」と選択し、そこに巨額の投資をし続けたというところに、根本的な要因があるのではないか。

テレビ事業は世界的に見れば成長市場である。2011年の世界販売台数は22,229万台で前年比6%伸びていて、主に新興国で売れている。ところが、価格は年率30%を超える下落が続いているから、中国・韓国・台湾の安い製造コストに日本企業は敵わなくなる。

今のテレビは大型の製造設備さえ備えれば、比較的容易に製造でき、品質も均一化出来る存在であるから、付加価値も少なく、唯一の差別化要因は「価格」になってしまう。

そうなると相手を上回る巨額の設備投資をして、さらにコスト競争力をつけた「規模型事業化」した企業が生き残るということになり、結局、いずれは世界で一社か二社が圧倒的シェアをもつ寡占化業界になっていく商品である。

つまり、一台あたりわずかな利益しか計上出来ないのであるから、世界中の市場を相手に売って、膨大な販売台数を確保し、それで採算をとるという、極めてリスクの高い面白みのない業界がテレビ事業であって、そのような時流変化に気づかず、相変わらずテレビに投資し続けたという経営判断、そこが妥当ではなかったと思っている。

日本型モデルの敗北か

多くの日本企業は技術を重視しているが、その技術とは、全く新しい商品の開発よりは、既存製品の機能改善やコスト改善が得意という特性を持っている。また、その進め方も開発から製造まで自社で抱え、それらに横たわる各部門間で調整して仕上げる方法である。

ところが、今の世界的製造業は、部品がどの企業の製品であれ、標準規格の部品であれば、それを組み合わせて製品にするという「モジュール化」が進んで、メーカー間の差は薄れ、コストも下がるので、大量生産と低賃金というアジア勢に価格競争力で対抗できない。

一方、米欧はアップル社のiPhonに代表されるように、革新的な商品を開発してきて、とうとう日本は安いモノづくりでアジア勢に負け、斬新な商品開発では米欧の負けるという結果で、稼げるアイテムが狭くなっている。ということで「日本型モデルの敗北か」と、毎日のように識者が評論をしているのが現在の日本である。

意味的価値を開発することだ

この状況下をどう解決していくか。二人の識者が提案している方向性を紹介したい。

1. 延岡健太郎・一橋大学教授(日経新聞・経済教室2012.5.28)
昔も今も、ものづくりの目的は価値づくりである。以前は優れたものづくりが、そのまま価値づくりに結びついていたが、それが乖離したのには二つ理由がある。

① どんな優れた技術・商品でも独自性がなければ、同じような商品が他社から購入出来るので、その商品の存在価値は低く、過当競争から価格が下がる。

② 日本企業が創る新機能や高品質に、顧客が喜ばなくなった。高い価格を支払っても欲しいと思う真の顧客価値になっていない。

と指摘し、では、どう取り組むべきか。これにも二案の提案がされている。

① ものづくりよりは、真の顧客価値を創出できる技術経営への変革である。特に、単純機能を超えた意味的価値を持つ商品は下図のように過当競争になりにくいので、それを提案できる人材と、それを評価できる経営プロセスが必要。

② 各社が独自の戦略的視点から、特定の技術・商品分野に集中して取り組むことだ。日本企業はリスクを恐れて横並びになる傾向があるが、今はそれこそが最大のリスク要因である。

2. 遠藤功・早稲田大学教授(日経新聞・経済教室2012.5.30)
経営とは「際立つ」ことである。自社ならではの独自価値を生み出し、競争相手と一線を画す「際立つ存在」を目指すことが経営の主題であって、中途半端に「体格」を競うのではなく、「体質」で勝負する時代を迎えている。そのためには、高い技術力や独自の現場力を生かすことができる事業を、戦う土俵として選択することが必要である。

このように二人の識者が提案している内容、それは価値づくりであり、それによって「際立つ存在」になることであって、そのためには単純機能を超えた意味的価値を考えださねばならないわけだが、これは、日本人に「考える作業の見直し」が必要だと言っているのである。では、考えるとはどういうことなのか、それを具体的に次号で検討してみたい。以上。

投稿者 Master : 03:58 | コメント (0)