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2020年04月20日

「目黒の殿様」その一

コロナウイルス感染症による外出自粛以前は、よく目黒駅を利用していた。今は全く交通網とは無縁となったが、その目黒駅にはコロナウイルス対策散歩で時々行く。
 JR目黒駅西口に久米美術館がある。久米ビルの8階であり、美術館パンフレットに記載された地図は以下である。
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パンフレット表紙に『久米桂一郎肖像』の絵が掲載されている。
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この絵は黒田清輝が描いたものである。黒田清輝は東京外国語学校等を経て、明治17年(1884)から明治26年(1893)まで渡仏。当初は法律を学ぶことを目的とした留学であったが、パリで画家の山本芳(ほう)翠(すい)や藤雅三、美術商の林忠正に出会い、明治19年(1886)に画家に転向。ラファエル・コランに師事する。明治24年(1891)に『読書』、1893年には『朝妝(ちょうしょう)』がフランスの展覧会で入賞。同年アメリカ経由で帰国。明治29年(1896)に、滞欧時代に親しくなった久米桂一郎と共に白馬会を発足させた。
横に向いた桂一郎は、葉巻を口にして絵筆を走らせている。横顔の上にフランス語で描かれている。KÉIITCHIRO KOVMÉ LE SEIGNEVR DE MEGOVRO JANV 1897。KOVMÉとMEGOVROのVの字はUの字のことなので、KOVMÉは「久米」である。SEIGNEVRを仏語辞典で引くと「封建時代の領主・主君」とある。そこでこの絵に描かれたフランス文字は「目黒の殿様 久米桂一郎 1897年1月」と解される。(参照『東京の地霊』鈴木博之著 ちくま学芸文庫)
明治30年(1897)に黒田が親友の桂一郎を「目黒の殿様」と描いたわけだが、この当時は既に本来の「殿様」は消滅している。おそらく久米が裕福なのを茶化したのだろう。
では何故に、桂一郎が金持ちなのか、また、この絵が目黒駅前の久米美術館にあるのか。
次掲載に続く。

投稿者 Master : 2020年04月20日 11:18

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