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2012年09月20日

2012年9月20日 日独交歓音楽祭(下)

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年9月20日 日独交歓音楽祭(下)

ドイツとの関係づくり

前号に続く「日独交歓音楽祭」についてお伝えしたい。
日本童謡歌唱コンクールで宮内麻里さんが歌った「大きな木はいいな」が金賞を受賞したが、その作詞は高橋育郎氏である。高橋氏は元国鉄マン、JRに移管する際に退職し、以後は童謡作家として活躍しているが、国鉄時代も歌で貢献している。

例えば、千葉管理局で昭和55年、団体旅行に力を注ぎレコード化第一号「シャンシャンいい旅夢の旅」を、次に「お座敷電車なのはな号音頭」を出し振付してもらい歌手と組んでカラオケ列車や落語列車を走らせ、町内からの新人歌手には「房総半島ひとめぐり」「ハッピーランド房総」をレコード化して歌ってもらい団体列車の勧誘につとめ、街の祭りや運動会などにもアイデアを発揮し、増収に貢献した。今は平成4年に始めた「心のふるさとを歌う会」を、日本橋社会教育会館で主催している。

しかし、肝心の童謡の世界は、高橋氏も、同氏が所属する日本童謡協会も、童謡歌唱コンクールのような素晴らしい企画を持ちながら、日本の子供たちが以前よりは童謡を口ずさまなくなっている。少しずつ子供の世界で童謡が下火化しているのが実態である。

この問題について、時折、高橋氏と話し合うことがあって、簡単に解決策が見つかるものではないが、方向性としては「国際化」の流れを取り入れることが必要であると提言している。そのようなタイミングに、カールスルーエの有馬氏が指導する独日協会合唱団が、東京で公演することを希望していることを知り、高橋氏は日本橋に拠点を持っているのであるから、お互いが交流することで、両者の希望が適えられるはず。

つまり、有馬氏は東京の中心である日本橋で公演開催が出来、高橋氏はドイツとの交流で童謡の国際化へのキッカケづくりになる、という両者のメリットをつなげるべく、カールスルーエ合唱団一員で筆者の通訳をしてくれている三樹子さんを紹介したわけである。

三樹子さんは日本人であるから言葉の問題はなく、高橋氏は早速にメール連絡し、有馬氏とも関係づくりし、日本橋社会教育会館事務局とも連携し、独日協会合唱団「デァ・フリューゲル」(注 翼という意味)の来日公演計画づくりに入っていったのである。

館山市でも開催

高橋氏がカールスルーエと交信を始めてすぐに、千葉県館山市の踊りの師匠、里見香華さんを高橋氏から紹介された。里見さんは滝沢馬琴作の南総里見八犬伝に書かれた里見家の末裔で、「里見氏正史物語をNHK大河ドラマに」と活動されていて、今年の五月にはNHK放送センターで、NHK幹部に署名活動の束と一緒に提案したという南房州をこよなく愛する素敵な女性である。さらに、国際的な行動派でもあり、一昨年はブラジル千葉県人会会館落成式に森田千葉県知事と共に出席し、祝舞として自ら振り付けをされた高橋氏の作詞「ああ、武士道」を踊り、大好評を得たという。

この里見さんと高橋氏と三人で会ったのは、千葉市駅近くの館山寿司の店であった。それまで知らなかったが、館山は魚の種類が多く、寿司店数が人口比で日本一ではないかと言われているほど寿司が有名で、確かに、その後何度か館山で寿司を食べたがうまい。

寿司はご存じのように世界の食べ物になっている。世界中の大都市には必ず美味い寿司店があるようだが、やはり、世界の観光客に聞くと、日本で食べると一味異なり、別格の本もの美味さだと称賛する。

上海で日本ツアーの添乗員を務める中国人女性から聞いたが、日本に行って最大の楽しみは寿司だという。上海とは比べ物にならない美味さだという。その通りだろう。

その日本でも美味いと言われている館山の寿司、それを食べながら里見さんと話していると、館山は関東地区では観光地として有名であるが、果たして世界レベルで論じた場合どうなのかという話題になった。

そこで、世界の観光地にはランク付けがあり、その結果で観光客が増減することを里見さんに伝えると、突然、眼を光らせて、もっとその仕組みを詳しく話してほしいという。

では、とお伝えしたのはシュラン旅行ガイドである。このガイドに掲載されている東京周辺地図を見ると「東京」「日光」「高尾山」「富士山」の四カ所が三ツ星で、オレンジ枠で大きく表示されていて、高尾山に欧米人が多く訪れるようになった理由は、この三ツ星が要因。イエローで囲まれた二つ星は「鎌倉」「伊豆半島」「修善寺」「下田」の四カ所、黒字に赤線が引かれている一つ星は「横浜」「箱根」「中禅寺湖」「河口湖」の四カ所となっていて、残念ながら館山は選ばれていなく、当然に掲載されていない。

どうして掲載され、何故に表示されないのか、その疑問を解く鍵は簡単明瞭で、このガイドブック作成のライターが訪問していないからで、訪問しないのはライターの手許にその観光地の情報が届いていないのである。

という意味は、訪問させるような情報を観光地が発信していないということで、具体的に言えば英語か仏語による観光資料が作成されていないからだと解説したところ、里見さんの眼はワールドカップのアメリカ戦決勝でシュートを決めた澤選手のように、新たなる好機を捉えたというような鋭い輝きに急変化する。

里見さんと別れて二三日後、里見さんから電話があり、館山で観光協会と市の観光課長へ「外国人観光客誘致」について解説をするよう要望された。さすがに行動派の面目躍如で、あの時の輝く鋭い眼が市役所と観光協会を動かしたのである。

その後、いろいろ打ち合わせや調整があったが、今年の4月に館山市で「外国人誘致セミナー」を開催することが出来た。講師に筆者の友人でフランス人のガイドブックライターであるリオネル・クローゾン氏を迎え、併せて房総半島の取材を行ってもらい、クローゾン氏講演会とパネルディスカッションを開いたのである。

これ等一連の動きから、高橋氏が有馬氏と連携して計画化してきた独日協会合唱団「デァ・フリューゲル」の来日公演企画も、当然に里見さんの耳に入って、再び、国際派の里見さんは館山国際交流協会に働きかけ、8月末に館山と日本橋で「日独交歓音楽祭」が開催されたわけである。

日独交歓音楽祭

館山は千葉県南総文化ホールにて、日本橋は日本橋社会教育会館にて開催されたが、様々な方面からの出演プログラムが組まれ、二会場とも満員、大盛況であった。

当日はいくつかの市の市会議員も来ていて、所属する市もドイツと文化交流したいと高橋氏に申し入れがあったとのことで、外国との関係づくりに少しでも貢献できたとすれば、大成功の「日独交歓音楽祭」であったと思う。

また、今回の「日独交歓音楽祭」が開催されたことは、外国との取っ掛りが難しいと思って、海外との民間交流を逡巡し、海外進出を躊躇している経営者に参考になったのではないかと思う。

外国との関係づくりは一般的には難しいと思いやすいが、いろいろ考えれば方法はあるわけで、その重要な一つとして外国との接点キーワードを挙げれば「日本語教室」の活用であろうと思う。日本に興味持つ外国人の多くは、日本語を学びたいと思い、当然のごとく「日本語教室」を訪れる。

また、教師は日本語が出来るし、現地在留日本人が教師をしている場合が多いので、外国語が苦手という言葉の問題はクリア可能である。カールスルーエの有馬氏が合唱団の会員を増やしたのは、日本語教室にアプローチしたからだと有馬氏は述べており、さらに、東京での公演を希望していることを筆者に伝えたのは、合唱団所属で通訳の三樹子さんである。

今回のように外国の地に住む日本人と、その方が所属している日本語教室や趣味の会を通じれば、割合簡単スムースに外国人とつながりを持てる。

経営者として、未知の海外リスクを勘案し、海外展開を躊躇するという気持ちは当然だとしても、日本国内でのシェア争いで「外部からみてあまり違いの分からない、ちょっとした内容」という差異化に、凄まじいまでの意欲と、工夫努力を続けている現状を見ると、随分無駄なコストと体力を消耗しているわけで、それよりも日本の素晴らしい品質・技術を持っていけば、かなり高い成功率となると思っている。

そのためには狙うべき外国の地情報を「集める」作業を行い、日本国内情報も「集め」、それらを狙い定めた外国へ発信すべく編集し、外国の地と何かのキッカケづくりに努力する事だろうと思うが、その成功例が今回の「日独交歓音楽祭」である。企業の外国進出へ参考にお伝えした次第。以上。

投稿者 Master : 09:15 | コメント (0)

2012年09月07日

日独交歓音楽祭(上)

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年9月5日 日独交歓音楽祭(上)

異業種交流会にて

先日、異業種交流会で講演する機会があった。中小企業経営者などが多く、熱心に聞いていただいた。講演後、参加者と名刺交換し、質問を受けて気づいたことがあった。
それは、当然とはいえ、改めて確認したことであるが、「日本から日本を見る」という思考になっているということである。

当方は、毎月海外に出かけているので、必然的に「世界から日本を見る」という思考を展開すべく心掛けているが、やはり「そうか」と感じた次第である。例えば、世界的に有名なバラの花をテーマに起業したベンチャー経営者と名刺交換し、その事業概要をお聞きしたので、「その花はパリのブローニュの森のバガテル公園が著名ですね」と伝えると、怪訝な顔をする。初めて知ったらしいのである。

外国とつながりをつける

新しい事業を始めるに当って、まず必要なのは「集める」作業、つまり、自らが狙う市場の情報を集めておくことだろう。

また、その情報は世界中にあるわけで、日本国内にとどめておくことは、狭い範囲での「集める」作業になってしまうから、発想に広がりを欠く傾向になりやすい。
だが、それらを補って余りあるのが、起業家の凄まじいまでの意欲と、工夫努力であり、これを武器に強力に国内で事業を展開している事例を多く見る。

しかし、その工夫と努力によって、他企業に差をつけようとしている内容を少し深く分析してみると、その差異は「外部からみてあまり違いの分からない、ちょっとした内容」になっているように感じる。

その上、日本国内の流通サービス業における客対応力は、世界的にみて高く評価されているように、細やかな気配りがきいた上質レベルであって、この対応に慣れ切った日本の消費者を相手にするのであるから、差異化へ投入するエネルギーと、そこから得られるアウトプット果実を比較すると、あまり効率的ではない。

ということで、情報を「集める」作業は、国内だけでなく、外国の情報も集め、その過程で外国人とつながりをつくり、それをきっかけとして外国進出も検討した方がよいのではと、名刺交換したベンチャー起業経営者に話したのであるが、「話は分かるが外国とのとっかかりがない」ので無理だという顔をする。

多分、このような起業家が多いのではないかと推察する。そこで、今号では、先日開催した「日独交歓音楽祭」、これは民間外交として展開したのであるが、その経緯をお伝えすることで、外国人との接点はこのようにすると出来るという事例を紹介したい。

縮小していく国内市場対策として、外国進出が大事であることをすべての経営者は知っているが、そこへの道筋に悩んでいる方への一つの事例として参考にして頂きたい。

ドイツ・カールスルーエの合唱団

ドイツ南西部に位置するバーデン・ヴェルテンベルグ州の都市カールスルーエ(Karlsruhe)は、日本ではあまり知られていない。日本人には温泉保養地として著名なバーデン・バーデンの方が知られている。そのバーデン・バーデンから29キロメ-トル、急行列車でたったの15分のところにカールスルーエは位置している。

カールスルーエは城を中心に町がつくられており、街並みを歩いていくと、城の両側の側面から延びる道路が、城を基点として扇形に延び、その扇形の中に中心市街地が入っているので「扇の街」と呼ばれていることがよくわかる。

また、街の中心にはマルクト広場があるが、この広場を設計したのがヴァインブレンナ-で、バーデン・バーデンのクアハウスも設計したヨ-ロッパで屈指の設計家であり、市民はこの広場でくつろぎ、お祭りに興じるのである。

このカールスルーエには、ここ10年くらい毎年訪問しているが、カールスルーエには国際的に著名な国立音楽大学があり、世界中から留学生が集まっていて、その教授陣に二人の日本人がいることが分かってきた。

一人はドイツ・リート歌唱で国際的に高い評価を得ている、声楽科歌曲クラスの白井光子教授、もう一人はベルリン・フィルハーモニーホールをはじめとする世界の一流舞台で活動を重ねる打楽器奏者の中村功教授である。

白井教授とは、カールスルーエ市街の散策中や日本食レストラン、マルクト広場の合唱団コンサート会場などで何度もお会いしているが、この白井教授に師事した有馬牧太郎氏がカールスルーエ「独日協会」の合唱団を指揮・指導している。

有馬氏は東京芸術大学卒業後、カールスルーエ音楽大学に留学、卒業後、同大学の声楽科講師を兼ね、現在いくつかの合唱団の指導もしていて、カールスルーエの合唱団も有馬氏の指導下にある。
この合唱団は、マルクト広場でのお祭りには必ずゲストとして歌を披露、それも全員が着物姿で登場し、最後には必ずソーラン節で盛り上げるので、客席から盛大な拍手が鳴り響く実力派である。

実は、この合唱団の有力メンバーであるチズマジア・三樹子さんが、筆者の通訳を担当してくれている関係で、自然に合唱団のメンバーとも親しくなり、自宅へ訪問し、ビアホールでお会いしているうちに、メンバーが合唱団に入るキッカケの実態が分かってきた。

最初は、日本に対する興味からで、その興味と関心内容は人によって異なるが、結果として日本語を学びたくなり、どこへ行けば日本語を教えてもらえるかを調べているうちに、「独日協会」の日本語教室を見つけ、そこで日本語を勉強しているうちに、日本の童謡等が歌われている合唱団の存在を知ることになる。

「独日協会」とはドイツ国内各都市に存在し、日独友好関係に寄与している民間組織であって、日本ファンの集まりである。

さらに、合唱団は既に2007年に東北地方を中心に日本公演をしているように、合唱団に参加すると憧れの日本へ行けるチャンスもあるので、日本の歌を通じて熱心に日本語を勉強することになり、一段と日本に対する興味を強くもっていくのである。

この独日協会合唱団が、再び2012年の夏に日本公演を計画していると三樹子さんから二年前に聞き、加えて、東京でも公演したいという希望があると聞き、ふと東京・日本橋で合唱団を主催・指揮している高橋育郎氏を思い浮かべた。

日本童謡歌唱コンクール

高橋氏とは長い友人であって、童謡の世界では知られている作詞家である。童謡とは広義には子供向けの歌を指し、狭義には大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲を指すように、我々が幼年期からよく馴染み、歌ってきたものである。

しかし、高橋氏はこの古い歴史のある童謡範疇を超えた、新しい現代感覚の作詞を創作していて、代表作として「大きな木はいいな」がある。

その高橋氏から一昨年11月、第25回日本童謡歌唱コンクールで「大きな木はいいな」が歌われると聞き五反田の会場に出かけた。

童謡歌唱コンクールとは日本童謡協会主催で、「子供」「大人」「ファミリー」の三部門があり、まずテープによる審査を各ブロック単位で実施し、その上位者が8月から9月にかけて行われるブロック決勝大会を経て、金賞受賞者が11月のグランプリ大会に出場し、金賞・銀賞・銅賞が決定するシステムで、テレビ朝日系列で放映される。

一昨年のコンクール会場で一番前の席に座り、全国から勝ち抜いた童謡を聞いたが、さすがに皆さん上手いなぁと納得し続けていると、「大きな木はいいな」を歌う東海・北陸ブロック代表の宮内麻里さんが登場し、細身の体を少し傾け歌いだした。その瞬間、彼女のソプラノが、奥深き山の深淵から湧き出てくる清らかな澄んだ水の流れのように、ステージから会場の奥まで通り抜け、歌い終わったときには、これは「グランプリだ」と確信したわけだが、結果はその通りで、みごとに大人部門の金賞を受賞した。

また、彼女の歌い方で特に感銘したのは「みんなではくしゅを してあげよう」というフレーズであり、後日、彼女に確認すると「ここが最もこの歌で好きなところ」という。次号続く。以上。

投稿者 Master : 16:13 | コメント (0)