2010年11月22日

2010年11例会の実施結果

2010年11例会の実施結果

11月は15日(月)に、嘉悦大学教授 高橋洋一氏をお迎えし、銀行会館で開催いたしました。

テーマは「 日本の財政・金融政策 」でしたが、高橋洋一氏は講演の出だしにおいて、現状の菅内閣政治における矛盾点と、事業仕分け実施の構造的問題点などについて、ご自身が内閣府で活躍した経験から説き起こされましたが、なるほどと思う内容ばかりでした。

また、今の日本経済の最大の課題は「デフレ」であり、この解決が最も重要で、そのためには金融政策を思いきって変化させることが必要であるとの持論を展開されました。

さらに、名目成長が4%を達成すれば、消費税アップも必要なく財政再建が可能ということについても、シンプルに分かりやすく平易な言葉で解説され、これまたなるほどと思った次第です。

高橋洋一氏のような経験豊富で数学的頭脳から発する経済アプローチ、これを何故に日本の政治家は活用しないのか。そのことへの疑問が湧いた11月の例会であり、さすがに「小泉・竹中改革」の司令塔として、様々な改革を実現し、2007年には国民の富「霞が関の埋蔵金」の存在を暴露し、一躍脚光を浴びた論客であると再認識した次第であります。

説得力ある講演を展開されました高橋洋一氏と、ご熱心なディスカッションにご参加いただいた皆様に感謝申し上げます。

11月経営ゼミナール定例会は、367回に渡る定例会の最後を飾るにふさわしい内容であったと思います。

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2010年10月30日

2010年10例会の実施結果

10月は18日(月)に、元日航の「グレートキャプテン」小林宏之氏をお迎えし、銀行会館で開催いたしました。
日航パイロットとして42年間、無事故・無欠勤で世界を飛び回り、日航最長の飛行時間1万8530時間(地球800周)を記録した、その確実・安全・信頼の実績を「JAL機で42年間一度も欠航せず飛び続けた人生」というテーマで発表いただきました。

ディスカッションでは村松喜平氏から「城野宏先生の主張と全く同じだ」という見解を述べられましたように、戦略と戦術の区別、決断とは覚悟である等、人生のセオリーを述べられたことに共感を受けました。

もうひとつ共感いたしましたのは、小林氏がパイロットというスペシャリストから、ゼネラリストという境地に達しているのではないかと感じたことです。

人は一つの分野で「ある境地」にたどり着くことができた時、その人物は社会全般についても広く見渡せるゼネラリスト、つまり、人生の達人という立場になるという事例がしばしばあります。

ノーベル賞受賞学者の多くが、社会全体に対する意識を高め、その発言が世に受け入れられるのもこの例であり、旧くは宮本武蔵の五輪の書境地、私が専門とする山岡鉄舟の大悟後の人生、これらはすべて人生のゼネラリストという境地に達したからできたものと思っております。

この視点から小林氏のご発言をお伺いし、さらに、多くの方が人生目的を明確化するというところで戸惑っている姿を見るにつけ、今後の小林氏に期待することは「小林人生塾」の開設ではないかと思った次第で、大きな感銘を受けた10月のゼミナールでした。

小林氏のますますのご活躍と、活発なディスカッションにご参加いただいたご出席の方々に感謝申し上げます。

投稿者 Master : 06:32 | コメント (0)

2010年09月24日

2010年9月例会の実施結果

9月の例会は4月の伊豆湯ヶ島温泉白壁荘例会時に、アイスランド火山噴火の影響で来日できなかったフランスのジャーナリスト「リオネル・クローゾン」氏を迎え、

①9月13日(月)に「懇親食事会」、
②14日(火)はクローゾン氏の「基調講演」と、佐々木 隆JTB代表取締役会長、中澤敬草津町前町長、司会を山本が担当しパネルディスカッション、
③16日(木)は鹿児島・指宿温泉白水館主催で講演会、

を開催、盛況で活発な討論が展開されました。

今回の基調講演における、クローゾン氏の主張をまとめますと以下の二点になります。

①温泉地個々が英文化などを行って欧米人対応の対策をとるべき

②日本の温泉は欧米人が知らない「異文化」なので「温泉紹介ブック」を欧米書店に並ぶよう出版を行うべき

この主張はもっともなことですので、英文化は各温泉地の改善努力に期待し、「温泉紹介ブック」につきましては観光庁の協力が必要ですので、近く観光庁に提案すべく進めてまいります。

投稿者 Master : 14:41 | コメント (0)

2010年08月22日

2010年7月例会の実施結果


経営ゼミナール7月例会は12日(月)に、日本女子大学非常勤講師の佃為成氏をお迎えし、銀行倶楽部で開催いたしました。
テーマは「予知」で、元東京大学地震研究所准教授であられ、研究分野は「地震学」「地震予知論」の専門家という立場から発表いただきました。

地震の分野において予知するというと、ナマズが暴れたとか犬が吠えたとか、何かカンとか超常現象的なことなどと混同して扱われているが、予知とはそういうものではなく、ある事象において、何らかの「サイン」が発せられているのをキャッチし、そこに「考える」ことを加えて成り立つのが「予知」。

ですから、地震でいえば、地下から発する地震の前兆現象、すなわち地下からのサインをキャッチし、それを過去のデータや経験と照合し、これから起こることを前もって知ること、これが予知となります。

今の時代は「不安」がキーワードになって、これが日本や世界全体を覆っています。この「不安」に対する対策の第一は、物事で「不意打ち」をくわない事です。予測していない事件・問題が、不意に、突然に襲いかかるという事が、人に対して最も怖がらせ気持ちを不安にさせるので、日頃から事前の「予知」行動という事に目配り配慮が大事で、人生の生き方にも適用できるものだと、佃氏は論理を展開され、その通りと納得いたしました。

ご発表いただいた佃為成氏と、活発なディスカッションを展開のご参加の皆様に感謝申し上げます。

投稿者 Master : 09:50 | コメント (0)

2010年06月25日

2010年6月例会の実施結果

6月例会は21日(月)に、株式会社CBC総合研究所・代表取締役の
山川裕正氏をお迎えし、テーマは

「    今こそ『ビジョンと戦略発想』の経営を志向しよう!
 ―リーマンショック後、大転換時代の経営・営業・人生のあり方―
        『変わること、変わらないこと』        」

で開催いたしました。

山川裕正氏は、まず、今の時代の認識としてリーマンショック後は「縮小市場」になっているからこそ、ここで勝ち残るには

① ビジョンと方向を示し、トライ&エラーで
② お客様中心
③ 異質な強みを持つ人を巻き込み
④ 自ら、新しい市場を創造する

事と整理され、続いて
「ロマンとビジョンを抱き、戦略発想でメリハリよく動ける営業マンこそ、人間的魅力を持って大きな商売をものにしています。将来に不安が広がり、価格競争がより厳しくなっているビジネス環境の今だからこそ、ロマンとビジョンが大事になり、より大きな付加価値を生むことになると、経営や営業の現場から私は実感しています」
と強調されました。

熱き問いかけを賜った山川裕正氏に感謝申し上げ、熱心にご討議されたご参加の方々にお礼申し上げます。

投稿者 Master : 04:10 | コメント (0)

2010年06月01日

2010年5月例会の実施結果

2010年5月例会の実施結果

5月例会は2010年5月17日(月)に、経済評論家の森野榮一氏をお迎えし開催いたしました。
まず、森野氏はPIIGS問題、特に今回のギリシャ救済策について、対応政策を発表する度にユーロは下落し、世界の株式が下がるという実態を指摘されました。

また、これは国家・中央銀行でも投機筋に狙われると対抗できない現実を示しているもので、その投機筋の巨大な力は、世界中を巡るマネーは俗に一日3兆ドルともいわれているものが背景にある。
さらに、この「金余り」は2000年のITバブル崩壊を始めとして、リーマンショク等の対策で、先進各国の中央銀行が金融緩和、つまり金利引き下げを行なったことにありますから、自らの金融政策が今日の事態を招いている。

元々、ユーロ圏は統一的な財政・税務・法律等々を整備せず、単一通貨ユーロを先行させたこと、それがユーロ圏諸国の経済不均衡と、ギリシャの粉飾紛い財政発覚を機として金融危機が発生した。
結論として、多くのエコノミストは二番底があるとは考えていない。その根拠としては、GDPの3四半期連続底堅い成長であり、金利も低く、売り上げに対する在庫の比率も低く、住宅や耐久消費財の在庫が驚異的に積み上がっているわけでもないということから。

しかし目先の動きではなく、今の高失業率が解消されないうちに、次の景気後退があるのかどうかという視点から考えれば、二番底懸念は将来への確信に依存するものだ。
もし大衆心理が大衆の血気を萎えさせるようなら、景気後退のリスクが高まるであろう。

このような森野榮一氏の指摘について、ジックリ対応すべきと思います。

ご参加の皆さまの熱心な討論に感謝いたします。

投稿者 Master : 08:37 | コメント (0)

2010年04月27日

2010年4月例会報告

経営ゼミナール4月例会報告
『日本の温泉、世界ブランド化への道筋』
企画コンサルタントフローランタン代表 柳楽桜子氏

4月の経営ゼミナールは、フランス人ジャーナリスト、リオネル・クローゾン氏をお迎えしての講演を予定しておりましたが、アイスランド火山噴火の影響で来日が不可能となり、急遽、通訳兼コーディネーターの柳楽桜子(なぎら さくらこ)氏に、クローゾン氏が講演する予定であった内容をご講演いただきました。
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*****

柳楽桜子氏は、通訳も含めた日仏間のコーディネートからコンサルティングまでを幅広く手がけられている人物です。伊豆とのご関係も深く、河津町との国際プロジェクト「河津バガテル公園」設立の全コーディネートを行っておられます。
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柳楽 桜子氏

柳楽氏は、事前にパリでクローゾン氏と今回の講演内容の打ち合わせを行っておられました。大変幸運なことでした。柳楽氏を通じてクローゾン氏の温泉に対する思いを伺うことができ、同時に柳楽氏の日仏間コンサルティングのご経験から、温泉地に欧米人が訪れるにはどうすべきかをご教示いただきました。
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クローゾン氏の温泉との出会いは1982年だそうです。仕事を終え大分県・湯布院を訪れたクローゾン氏は、すぐに温泉の持つ魅力に惹かれたそうです。それは、温泉地の風景、日本の美しい風景と日本旅館の調和、周辺の情緒ある田舎道の心地よさなどでした。さらにクローゾン氏に強烈な印象を与えたのは、温泉に入るということ、そのものでした。40℃前後のお湯に浸かるというのは、欧米の習慣にはないのです。初めてでありながらとても心地よい経験に魅せられ、以来クローゾン氏は来日のたびに各地の温泉を巡り歩いておられるそうです。
日本は全国どこに行っても温泉がある。これは素晴らしいことだ。クローゾン氏はこう語っておられるそうです。そして、温泉(=源泉)を中心に町(=温泉地)が形成されていることも、外国にはないとても特殊な成り立ちであるのだそうです。
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これほど絶賛されている日本の魅力とは、ひと言でいうとどういうことなのでしょうか。
それは「異文化」である、ということなのです。
日本の温泉は、欧米にない文化であり、習慣なのです。それが日本を訪れる外国人にとっての「魅力」なのです。温泉は、その異文化を同時にいくつも体験できる、欧米人にとってとても素晴らしいところなのです。美しい景色、自然に溶け込む宿の佇まい。続いて食事、美しくて美味しい和食に感激。そして、人。女将のおもてなしと、何といっても着物姿。これほどの日本の伝統美を同時に感じられるところは温泉しかないのです。
このような素晴らしい温泉が日本の各地にあることを、欧米人は知らないのです。温泉は日本を代表する文化であることをもっともっと欧米人に知らせてほしい、このことをクローゾン氏は強調されている、と柳楽氏は語りました。
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現在、フランスは日本ブームです。パリ在住の柳楽氏はそのことを肌で感じておられます。その火付け役となっているのは日本のアニメーションであり、それを牽引しているのは10〜20代の若者です。彼ら熱狂的な日本ファンの若者が成人し社会人となったら、きっとバカンスで日本を訪れるようになるでしょう。彼らは将来の貴重な来日予定者であり、将来の温泉ファン候補であるのです。

欧米人が日本を訪れるとき、必要なことは何か。
欧米人に合わせて設備を整えることではありません。そのことはむしろ温泉の価値、文化を自らの手で壊すことを意味します。そのままでいいのです。そのままの姿が「異文化」であり、欧米人はそこに大いなる魅力を見出すのです。
では、何が必要か。
それは、温泉の魅力を知らせること、すなわち、温泉ガイドブックを作ることです。
温泉とは何か、温泉の入り方、予算に応じて楽しめる温泉あれこれなど、それらがひと目で分かるガイドブックが存在すること、このことが最も重要なことであるのです。

日本には、数々の素晴らしい伝統文化があり、日本を訪れた欧米人は日本の魅力に惚れ込みます。しかし、それらは残念ながらほとんど知られていません。それをいかに知らせていくかが、今後の日本の観光大国化への大きな鍵になることは間違いありません。経営ゼミナールでは、日本の観光大国化による経済活性化のために、今後も研究、講演を続けていきたいと思います。

なお、クローゾン氏は今年の9月に来日いただくことを予定しています。是非ともご期待ください。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 18:02 | コメント (0)

2010年03月26日

2010年3月例会報告

経営ゼミナール3月例会報告
『今の中国事情』
株式会社鴻盛煌商事 代表取締役 内村勇鵬氏

3月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
今回は、今の中国事情について、株式会社鴻盛煌(こうせいおう)商事、内村勇鵬(ゆうほう)氏よりお話を伺いました。
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*****

内村氏は月の半分を中国で過ごし、外国人研修生の受入事業や貿易事業を手がけておられます。お仕事柄内村氏は中国の事情に精通されており、新聞やニュースなどの報道では知り得ない、今の中国の生の情報を聞くことができました。
工場誘致などの中国進出は地方の方がよいというヒント、また、中国も上海などは人件費が上がっており、また人材の確保も難しくなってきていることなど、多くの現地事情を知りました。
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内村氏から学んだこと。それは中国人と仕事をするには、中国人を理解しつき合い方を知ることということです。このことは簡単なようでとても難しいことだと思います。中国人を理解することが、とても難しいことであるからです。
しかし、これは中国人に限った問題ではありません。日本人は、ひとつの価値観からしか物事を見ない傾向があると、山本代表は指摘します。日本人は、日本人の立場からしか物事を判断しないケースが多いようです。しかしこれは日本人の民族的習慣であって、そう簡単には変えられないことでもあります。
そのように考えると、内村氏のように相手方を理解し、相手の立場に立ち事業をスムースに行えるよう行動されている人物は、外国との架け橋役として大変貴重な存在であるように思います。日本人が相手の立場から物事を判断することが難しい思考形態を持つのであれば、内村氏のような方に教えを請うことはとても重要なことと思います。世界に目を向けるとき、その国の事情を知ることばかりではなく、相手側の立場に立ったものの見方を学ぶことが大変重要であることを知った、今回の例会でした。

4月は、フランス人の立場から日本の温泉を見る研究会を行います。
日本の温泉を世界ブランド化するための道筋として、フランス人の立場から見た日本の温泉はどのようなものかを学びます。
4月の例会にご期待ください。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 08:03 | コメント (0)

2010年02月24日

2010年2月例会報告

経営ゼミナール2月例会報告
『資産防衛術講座 先手を打って事業と財産を守れ!!』
中央総合事務所 代表 清水 洋氏

2月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
今回は、皆さんの会社や個人の資産をどう守るかということについて、清水洋氏にお話を伺いました。
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清水氏の発表のポイントは、今の時代は「常識」が変わっているのだということです。常識が変わったということを知ること、そして、新しい常識に自分の頭を切り換えることが重要であるのです。
常識とは、日本においては法律を指します。それは、日本が法治国家であるからです。今までの常識では叶わなかったことが、法律の改正によって可能になりました。このことを指して、常識が変わったと、清水氏は述べているのです。
法律の改正は、具体的には債務から企業や個人を救い、事業などに再チャレンジできることを可能にしています。
従来、債務超過に陥った企業や返済できないほどの負債を抱えた個人は、破産することが通常の方法でした。これが、法的手続きを行うことによって負債部分を切り離し、ノウハウや優良事業など健全な部門を残して再スタートを切るという常識に変化したのです。
このことを知識として知っておくことは大変重要なことです。時代の変化の一例を正しく捉えておくことは、その先の行動変化に多大な影響を及ぼします。
先日、年間の自殺者が12年連続で3万人を超えたとの報道がありました(日本経済新聞、2010.1.26)。警察庁のまとめによると、その原因として経済問題が二番目に多い(23%)という結果も分かっています。清水氏の発表内容を知ると知らぬとでは大きな違いがあるどころか、命に関わる問題に至る可能性もあることを思うと、知ることの重要性を痛感せずにはいられません。
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清水 洋氏

清水氏の講演は、本年度内にもう1回、秋ごろ行う予定です。
ひとりでも多くの皆様に、知ることの意義を実感していただきたいと願っています。
次回の清水氏の講演も、ご期待ください。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:51 | コメント (0)

2010年01月26日

2010年1月例会報告

経営ゼミナール1月例会報告
『二番底は来る・だが来ない』
経営ゼミナール代表 山本 紀久雄

1月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
今回は、年初恒例の山本紀久雄代表による2010年の日本経済の動向についてお話しいたしました。

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山本代表の今回の講演タイトルは『二番底は来る・だが来ない』。果たして来るのか、来ないのか。如何なる意味を包含しているのでしょうか。
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山本紀久雄代表

日本経済は二番底へ

マスコミ報道や識者の意見などを聞きますと、日本経済は二番底に陥るとの見解を耳にします。
山本代表が示された例を取り上げてみます。
まずは日本経済新聞が行った社長100人へのアンケート結果。ほぼ半数の人が、すでに陥っている〜陥る可能性が高いと回答しています。また、株式会社しまむらの藤原秀次郎氏は、景気はもう一段底へ行くとみている、それは、米国経済に底があると見ているから。また、消費者の生活防衛意識が強く、この不景気は長引く、とも語っています。

データから見ると景気は着実に回復

一方、景気動向を示すデータを見ますと、日本の景気は回復基調にあることが示されています。
山本代表提供の資料に、CI(コンポジット・インデックス)とDI(ディフュージョン・インデックス)という指数があります。これらは景気の動きをあらわす指数ですが、この推移を見てみますと、総合指数においては2009年3月から前月差がプラスに転じています(下図参照)。

(クリックで拡大します)

また、OECD景気先行指数においても、2009年4月からプラスに転じているのです(下図参照)。

(クリックで拡大)

すなわち、数字で見る限り、日本は昨年の4月から回復の途上にあると判断されるのです。

景気回復は大企業

その景気回復の中身を見てみますと、回復基調にあるというデータは、大企業が牽引していることが分かります。
こちらも山本代表の資料から、図を参照してみます。

(クリックで拡大)

図中の右の表を見ますと、大企業は2008年12月からマイナスに転じ2009年3月に急激に悪くなりましたが、その後ゆっくりと回復しています。一方、中小企業は、2009年以前からずっとマイナス水準で推移しています。このことが、景気の回復を実感できないことの原因ではないでしょうか。

小泉政権時、日本のGDPはプラスに転じ、景気は回復したといわれていました。このときも、大企業が業績を回復させました。そしてその中身は輸出によるもので、外需関連の産業が中心でした。このときも、データ上に見る景気回復と生活ベースでの景気回復感に乖離があったのは、記憶に新しいことです。

このとき、日本経済の回復は外需を積極的に取り入れることだということを学びました。小泉政権時の景気回復が示した事例は、外需を伸ばすことが、景気回復に必要な要件であるということを示していたのです。

日本が覚悟すべきこと

GDP成長率から判断する限り、日本経済はこの20年間成長していないことが明らかです。そして、僅かに成長を見せた小泉政権時は、外需が成長を牽引しました。
このことから判断すれば、日本の景気は内需主導型では回復することができないのです。
日本人は価値観を変えることが必要と、山本代表は語ります。
そして、この言葉を例に取りました。
「大日本主義を棄てることは、国土を小さくすることではなく、世界全体を我が国土として活躍すること」(東洋経済新報社説・石橋湛山)
これは何も商品を外国へ輸出するだけを指しているのではなく、内需型と思われる業種も様々に工夫し、世界を市場として視野に入れることが必要なのではないでしょうか。
今やインターネットの登場によって、外国との間の距離や時間の壁は簡単に飛び越えることができます。また、政府が国策として進めている観光立国化政策は、日本を訪れる外国人にお金を使ってもらうことによる外需獲得を意味しています。内需専門と考えておられる業種にも、外需を獲得するチャンスがあるのではないでしょうか。さらにいえば、そうした業種も外需を獲得するための創意工夫を考えることが、今後の業績回復に欠かせない要素なのではないかと感じます。その工夫とは、世界から見た異文化としての日本の魅力、また、日本の技術が持つ信頼性、こういった日本の特徴を外国にアピールすることではないでしょうか。

その一例として、ミシュランガイドに日本の個性的な観光地・温泉を紹介してもらう戦略プロジェクトを進めております。それは、内需型産業が外需を獲得するための新しい仕組みづくりを研究することに他なりません。是非皆様もこのプロジェクトを例に、ご自身のご商売に外需獲得型の流れを取り入れるきっかけとしてご参加くださればと願っております。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 11:49 | コメント (0)

2009年12月24日

2009年12月例会ご報告

経営ゼミナール
『ミシュランガイドに日本の優れた温泉を紹介するための戦略研究会』
実施報告

開催概要
【日 時】2009年12月20日(日)〜21日(月)
【内 容】外国人向けの日本観光ガイドに温泉を紹介するための方策研究
【宿泊・研究会】 伊豆天城湯ヶ島温泉「白壁荘」

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経営ゼミナールでは、清話会様のご協力を得まして、ミシュラン戦略研究会を伊豆天城湯ヶ島温泉・白壁荘にて行い、日本の温泉を世界に情報発信するための方策を研究しました。その結果をご報告いたします。


会場となりました白壁荘は、伊豆半島の真ん中、天城山の麓にある小さな温泉郷・湯ヶ島温泉にあります。
湯ヶ島温泉は、昭和の文豪・川端康成が愛し、第二の故郷と呼んだほどの文学ゆかりの地です。川端康成を慕って多くの文人がこの地に集い、またこの地で育った井上靖は故郷を慕い、優れた文学作品を生み出しました。
白壁荘の創業者、先代の宇田博司氏はこれらの文学を志す人を迎え入れる空間を用意しようと、白壁荘を創業しました。現社長と女将は、先代の志を受け継ぎ、旅館を経営されています。その情熱が脈々と生きている旅館でした。
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このような素晴らしい温泉地がなぜミシュランなど外国の旅行ガイドに紹介されないのか。そのヒントは、10月におこなった別府・ひょうたん温泉(ミシュラン三つ星獲得)への視察で明らかになりました。
日本の温泉が正しく評価されていない実態が、共同風呂のみが高評価を受けている状況から推測されました。その後当会代表・山本紀久雄はパリへ赴き、日本の旅行ガイド編集を担当しているリオネル氏に直接会い、その実情を確認しました。

そこで山本代表は、リオネル氏に日本の温泉実態を正しく伝え、かつその魅力を知ってもらうことが、日本を訪れる外国人観光客のために重要なのではないかと提案しました。リオネル氏は納得し、日本に来て日本人が推薦する温泉を見てみよう、と発言されたのです。
来春、リオネル氏は来日し、白壁荘を取材に訪れます。
そのときこそ、日本の温泉を正しくかつ魅力的に伝える戦術が重要になります。

リオネル氏を納得させたポイントは、世界から日本を見ること、つまりガイド編集者の立場から日本の温泉を見て、次善策を提案したことです。世界から見れば特殊な日本の温泉形態が、日本を訪れる外国人観光客から見れば魅力であることを正しく伝えること。これが日本を外国に紹介するためのキーポイントであり、リオネル氏が納得した要因なのです。
このことは、日本の観光立国化への方策事例のひとつであるばかりでなく、外国に向けてグローバルに事業を展開しようとお考えの方々にとっても役立つ具体的戦術事例であると確信します。

本研究会は今後も継続し、都度皆様にもご参加をお誘い申し上げます。
今後の展開をご期待ください。
以上

投稿者 lefthand : 08:45 | コメント (0)

2009年12月02日

2009年11月例会ご報告

経営ゼミナール11月例会報告
『「COEDO」ブランドの世界戦略とさつまいもビール開発秘話』

11月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
今回は埼玉県・川越に、地方発・世界ブランドを目指すビールメーカーを訪ね、ブランド戦略とそれに至った経緯を現場視察してまいりました。
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朝霧重治社長(左)/数々の賞状を前にお話を聞く(右)

*****

お話を伺ったのは、株式会社協同商事・代表取締役社長、朝霧重治氏。
とてもお若く、エネルギッシュな社長です。
ビール市場はここ数年、縮小の一途を辿っています。その中で、「地ビール」の分野は毎年10%の伸びを続けているそうです。その一翼を担うのが、「COEDOビール」です。

COEDOビールの成長は、他社と競合しない、すなわち、従来の「ビール」の範疇で販売しない戦略をとられたことにあります。
日本においてビールは、「とりあえず、生」と注文されることに象徴されるように、嗜好品でありながら日用品のように扱われています。大手のビールメーカーもまた、税制上のメリットを追求し、発泡酒や第三のビールを開発するなど、ビールのコモディティ化、低価格化に拍車をかける様相を呈しています。
その中でCOEDOビールは、そのような日本のビール業界の趨勢とは異なる戦略をとられたのです。ビールとは本来どのような飲み物なのか、このことを世界のビールマーケットから学ばれたのです。それは、日本の特殊なビールマーケット形態に合わせるのではなく、ヨーロッパの、ビールが長い歴史を持ち愛されている、奥深い文化に着目されたのです。朝霧社長はCOEDOビールを、日本の川越から発信する世界に通じるブランドとして育てることを目標とされました。
スローガンは「Beer Beautiful Project」。
ドイツやベルギー、イギリスなどの国を見ると、ビールはワインと同じように歴史のある飲み物であり、その歴史が文化を育んでもいるのです。ビールの持つ文化、すなわち、ビールの持つ豊かな味わいと幅広い楽しみ方を提案するビールメーカーにしたい。それが、朝霧社長の「COEDOビール」にかける思いなのです。

COEDOビールの品質には自信がある、と朝霧社長は語ります。COEDOビールは、「小江戸ブルワリー川越」として発売した1996年当時から、ドイツのビール職人(ブラウマイスター)を招聘し、彼を親方として日本のビール作りを知らない職人たちが徹底的に学ぶことで、ビール作りに切磋琢磨してこられました。そのおかげでCOEDOビールは品質の面で高い評価を受けていました。
ひとつは、ドイツ大使館のパーティに供される指定銘柄となっていること。もうひとつは、モンドセレクションやITQIといったヨーロッパの食品コンテストの特別金賞他を受賞したことです。このことは、ビールの文化が根付いている本場ヨーロッパの人々から、COEDOビールが高い品質であることを認められたことに他なりません。

COEDOビールは、日本人が本来得意とする品質の高いものづくりと、それを世界の基準からブランド再構築を行い、世界から評価を受けることによって、こんにちの成長が築き上げられたのです。朝霧社長の輝いた瞳とお話の中から垣間見る情熱に、COEDOビールのさらなる成長を確信した、今回の例会でした。

朝霧社長、大変お忙しく世界を飛び回っておられる中、当会の訪問を快くお受けくださいまして、本当にありがとうございました。
COEDOビールが世界へ向けて羽ばたいていくことをご期待申し上げます。

*****

COEDOブルワリー三芳工場を後にした参加者は、川越「蔵づくり通り」を散策し、時の鐘や築100年を越す歴史ある建物を見学しました。その後、COEDOブルワリー直営のイタリアンレストラン「小麦市場」に行き、世界基準の川越ビール「COEDOビール」を味わいながら、ビールの奥深さを楽しみました。
ご参加の皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:34 | コメント (0)

2009年10月26日

2009年10月例会ご報告

「ミシュラン三つ星・二つ星温泉を訪ねる研究会」ご報告

私ども経営ゼミナールでは、清話会様のご協力を得、今年フランスで発行された「ミシュラン観光ガイド日本版」(以下ミシュラン)で高い評価を受けた温泉を視察し、その評価理由を研究する会を開催しました。

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目的地は九州大分県・別府温泉。
別府にはいくつかの温泉街が存在します。その中のひとつ、鉄輪(かんなわ)温泉にある日帰り入浴施設「ひょうたん温泉」が、ミシュランで三つ星★★★の評価を受けました。国内に温泉地は3,000以上ありますが、高い評価を受けたところはごくわずかです。日本が世界に誇る文化だと私たちが自負する温泉は、何故にこれほど評価されていないのでしょうか。一方、評価を受けた数少ない温泉は、なぜ高い評価を受けたのでしょうか。このことを探求し、今回選考から外れたその他の素晴らしい温泉を世界に紹介する方策を探ろうというのが、今回の企画の目的です。

羽田からJAL1787便で一路別府へ。
天気は快晴。眼下に無数の雲が羊の群れのように悠々と流れていきます。雲の切れ間からは日本のどこかの山々と、それらを縫うように集落が点在します。
大分県へはわずか1時間40分のフライトで到着します。このあっという間の空の旅は、日本が小さな島国であることを気づかせます。同時に、この空は世界と繋がっているのだと感じます。外国人はみんなこうやって広い空を渡り、はるばる日本にやってくるのです。

大分空港からバスで別府温泉に到着。さっそく今回の目的地、ひょうたん温泉へと向かいます。
タクシーの運転手によれば、ミシュラン発刊以来、欧州からの観光客が増えたとのこと。特徴的なのは、欧州の観光客はみんな路線バスか、徒歩で目的地に向かう人が多いそうです。そして、彼らの手には緑や青のガイドブックが。ミシュランガイドやブルーガイド(アシェット社発行の旅行ガイド)の影響力の大きさを感じます。

入口からゆるやかにのぼる駐車場の奥に、ひょうたん温泉はあります。入口の向かいは葬祭場、その隣は食品スーパー。その周りは住宅街。ひょうたん温泉は鉄輪温泉のはずれの、何でもない市街地の片隅に建っています。全国各地にあるスーパー銭湯と何ら変わりはありません。
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この日(日曜日)は「鉄輪温泉夕暮れ散歩」というガイドツアーが開催されていました。さっそく参加。案内してくださったのは、この日がガイドデビューという女性でした。初めてとて侮るなかれ。彼女は鉄輪温泉に生まれ育ち、実家は明治創業の老舗旅館(現在は廃業してギャラリーを営んでいる)という、地元を知り尽くした女性です。彼女にいざなわれ、鉄輪温泉街を散策しました。鉄輪温泉には、いくつもの泉源と無料の共同浴場があります。泉源からは高温(96度)の源泉が激しい蒸気を伴って自噴しています。泉源が至る所に点在し、近隣の旅館や入浴施設に配管されています。あちこちから噴き出す蒸気は、温泉街の雰囲気を演出しています。また、無料の共同浴場は、その二階が必ず集会場になっていて、この施設が地元の住民のためにつくられているものだということに気づきます。もちろん観光客も入浴できます。
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60分の有意義なツアーを終え、あらためてひょうたん温泉に入ります。
ここで、ミシュランガイドの中の、ひょうたん温泉が記述されている部分(和訳)を紹介します。

■Hyotan Onsen★★★ ひょうたん温泉
「鉄輪にあり、駅よりバス33番または34番で地獄原下車、営業時間9時〜1時、料金700¥。
鉄輪バス主要停留所から東に700メートルにある。
この施設は大変心地よい緑に囲まれている。砂場、露天風呂、館内にはひょうたん形の風呂、サウナ、肩のマッサージ用の滝湯、またレストランもある。家族だけで使用できる露天風呂を予約することも可能」

ひょうたん温泉について書かれていることは、これですべてです。ミシュランはこの情報のみを提供し、星を三つ与えているのです。このことを考えつつ、実際に温泉に入ってみました。

入口で料金を払い、奥に進むと、下駄で中庭に出ます。カランコロンと心地良い音色がします。中庭にはテーブルと椅子が配置されており、ここで待ち合わせやちょっとした軽食をとることができます。休憩所を兼ねたレストランも併設されています。
男女別に分かれている入口をくぐると脱衣所があります。ここで衣服を脱いで温泉への階段を下ります。館内はとても広々としていて、高い天井に張り巡らされている板は少し隙間が空いていて、柔らかな日差しが差し込みます。中央には大きな木がそびえ立っており、自然の中で入浴しているかのようです。その周りに数種類のお風呂があり様々な入り方を楽しめます。隣には身体をマッサージする滝湯の部屋があり、階段を下ってたどり着きます。滝湯は10メートルもあろうかという高さから注がれており、強い刺激を得ることができます。外には大きな空と緑の広がる露天風呂があり、とても開放的な気分で入浴できます。奥には低温、高温二種類のサウナ室があり、体調に合わせて利用できます。別室に砂風呂があり、浴衣を着て熱い砂に入って身体を温めることもできます。
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ひょうたん温泉は、本格的な温泉施設を備え、かつ、訪れる方のためのガイドツアーを催すなど、温泉を愛し、大事にしている様子がひしひしと伝わる心温まる温泉でした。ミシュラン三つ星に選ばれたことを店主に持ちかけると、「恐れ多いことです」とお答えになったそうです。そこに、ひょうたん温泉の評価理由の一端を垣間見るような気がしました。

*****

別府のホテルで一泊し、翌日、第二の目的地、ミシュラン観光ガイド日本版(以下ミシュラン)二つ星の「竹瓦温泉」に向かいました。

竹瓦温泉は、別府の海岸近く、北浜海岸付近にあります。
竹瓦温泉は、歓楽街の真っ直中にあります。大きなネオン管がビルの至る所に取り付けてあり、夜であれば極彩色の派手なイルミネーションが通りを賑やかすであろう場所に忽然とその歴史あるたたずまいを横たえています。その風格たるや、決して周りの移り変わる景色に左右されることなく、超然と建つ威風堂々さを感じます。
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竹瓦温泉のミシュラン評も、和訳をご紹介します。

■Takekgawara Onsen★★ 竹瓦温泉
「駅より南西に徒歩10分、営業時間8時〜21時30分、第三水曜定休、料金1000円。
この本物の温泉施設は1879年明治時代に開設。素晴らしい木造建築に入った瞬間、一昔前の時代に引き込まれた感じがします。施設の館内は大変古くやわらかい微光に包まれ、テクノロジーを利用したアイデア商品や雅やかに飾られた他の近代施設に影響されることなく続いています。まず火傷しそうな熱い黒砂風呂に首まで埋まり、その後砂を洗い流し、鉄分を多く含む大変熱い温泉に浸かります」

砂風呂に入るには1000円必要ですが、浴場のみなら100円にて入湯できます。
共通の待合室は、天井が高くゆったりとしています。歴史ある建物の造作とあいまって、とても落ち着いた気持ちになります。男女別の浴場に入ると脱衣所があり、湯船ははるか下方にあります。一階分はあろうかという高低差の階段を下りると、湯船のみが中央に温泉をたたえ、シャワーなどの設備は一切ありません。洗面器で湯船からかけ湯をすると、その熱さに大変驚きます。源泉が直接流れ込んでおり、傍らの水道で水を出し湯加減を調整するようになっています。かけ湯で身体を慣らし、熱い湯船に浸かります。他にすることはありません。

ひょうたん温泉と竹瓦温泉。ミシュランの高評価を得たこの二つの温泉は、ミシュランの評価に違わぬ素晴らしい温泉でした。


ところで、ミシュランで三つ星に選ばれた日本の観光地のうち、温泉地は二カ所しかありません。ひょうたん温泉と愛媛県・道後温泉です。
道後温泉は、日本では説明の必要もないほど名の知れた温泉です。竹瓦温泉と同じく、明治の創建になる荘厳で巨大な、複雑な形をした歴史ある建物です。入浴料360円〜の共同浴場で、観光客はもとより地元の方にも親しまれ利用されています。
また、二つ星に選ばれた温泉のひとつに、岐阜県高山市・奥飛騨温泉があります。
奥飛騨温泉は、川のほとりの野天風呂です。ごうごうと音を立てて流れる蒲田川のすぐ脇に、岩で囲ってつくられています。入浴は寸志で、傍らに脱衣所があるだけの野趣あふれる混浴野天の温泉です。

上記の二つの温泉も含め、ミシュランで高評価を得たこれらの温泉に共通することはどんなことでしょう。
それは、これらはみな共同浴場だということです。

*****

初日にひょうたん温泉、二日目に竹瓦温泉を入浴体験したあと、研究会を開催しました。

ひょうたん温泉と竹瓦温泉、なぜこの二つの温泉だけが、ミシュランの三つ星、二つ星に選ばれたのでしょうか。これら二つの温泉に共通していることはどんなことでしょう。また、これらが他の選考されなかった温泉と異なる点は何でしょうか。そして、まだまだたくさんある日本の素晴らしい温泉をミシュランに評価してもらうには、どんなことが必要なのか。これらのことをディスカッションしました。


この二つの温泉の共通点は、共同浴場だということです。

共同浴場と聞くと、私たち日本人は銭湯のような施設をイメージします。どうして銭湯がミシュランの高評価を受けるのだろう…。温泉関係者の研究会でこのことをお話ししたとき、こんな疑問が噴出しました。ここに、日本人の温泉観が内包されているように思います。
日本では、温泉は旅館の内湯として存在することが普通で、温泉もさることながら、温泉を設けている旅館の評価が、温泉の評価となっているのではないでしょうか。ですから、共同風呂がミシュランの高評価を得たことは、日本人から見れば意外で、ともすれば的外れのような印象を持ってしまうように感じるのです。

しかし、ここで見誤ってはならない重要なことがあります。
それは、ミシュランを編集するのはフランス人だということです。そして、それを見て日本を訪れるのも、またフランス人なのです。すなわち、ミシュランはフランス人の感覚で観光地を評価し、格付けをしているということを、ミシュランの選考基準を考える基礎として、念頭に置いておかなければならないのです。
フランスをはじめとしたヨーロッパの温泉は、宿泊施設と切り離された別個の施設として存在しています。そして、温泉は病気療養のためのプログラムの一環として利用されるという側面も持っています。ここが日本とヨーロッパの温泉の大きな相違点です。ですから、ヨーロッパの温泉利用習慣から見ると、ヨーロッパの人々にとっては共同浴場に行くことの方が自然なのです。ミシュランで高い評価を受ける温泉が、共同浴場に集中していることは、このような事情があるからです。
つまり、日本人が常識と認識している温泉の形態、すなわち旅館の内湯として存在する温泉の形式は欧米には存在しないのです。ですから、フランス人が評価し、フランスおよびヨーロッパの人々向けに発行されるミシュランは、ヨーロッパの人々が見慣れた共同浴場が評価の前提条件になるということなのです。

ヨーロッパの人々の立場で温泉を評価すると、共同浴場が評価されることになる。このことが、ミシュランの評価の結果に反映しているのであれば、日本のほとんどの温泉は評価されることがむずかしいということになります。
しかし、そのように断じてしまうと身も蓋もありません。日本には世界に紹介したいと感じる素晴らしい温泉がまだまだたくさんあります。これらをもっと世界に紹介すべきではないでしょうか。
そのためには、前述のようにヨーロッパでは内湯温泉は特殊なものであることを前提に、これらの日本の温泉形態をミシュランが理解出来るような工夫をすることがポイントとなります。さらに、このポイントを考えるにおいて重要なことは、「世界から日本を見る」、すなわち、外国人の立場から日本を見た情報発信を行うことなのです。
日本の常識は世界の非常識などと揶揄される言葉がありますが、日本の常識が、世界から見ればワンダフルな体験であるという、情報発信の工夫が必要なのです。

「世界から日本を見る」温泉の情報発信とは、どのようなものであるか。
このことを今後の研究課題とし、引き続き検討していくことを結びとし、今回の研究会を締めくくりました。

この研究会で課題としましたミシュラン情報発信検討会を、経営ゼミナールで、伊豆・天城湯ヶ島温泉をモデルに行おうと考えています。時は12月20日(日)〜21日(月)の一泊研究会です。ご期待ください。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 13:28 | コメント (0)

2009年09月09日

2009年9月例会ご報告

経営ゼミナール9月例会報告
『日本の基底流に対する戦略・戦術』
経営ゼミナール代表 山本 紀久雄

9月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
例会直前、バロン氏が急病で入院されたため、急遽山本代表が講師を務めさせていただきました。
衆院選の結果から日本の経済状況、そこから見えてくるこれからの日本経済のあり方についてお話しさせていただきました。

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*****

去る8月30日の衆議院議員選挙は、下馬評の通り民主党の圧勝という結果となりました。
このことについての分析については、『YAMAMOTOレター』9月5日号に詳述されています。

『YAMAMOTOレター』9月5日号へのリンク

ここで重要なのは、自民党が「日本の政治トレンド」を意識していたか、ということです。短期トレンドから見ると、自民党の大敗は必然であった、と山本氏は語ります。問題は、自民党自身がそれをきちんと掴んでいたか、ということです。世の中の流れ・時流を掴むことがとても重要であることを、今回の衆院選は語っているように思います。

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日本の経済は、相変わらず世界的な不況の影響を受け、低迷を続けているといわれ続けています。
これをどう捉え、これからに活かすべきなのでしょうか。
日本の経済成長率「実質GDP」の推移グラフがあります。


(図をクリックすると拡大します)

これを見ますと、2002年以降回復した成長率は、2008年に急激に落ち込んでいることがわかります。このことを指摘し、日本は突如として不景気に見舞われたかのように語られています。
いまひとつ、日本の「名目GDP」の推移グラフがあります。


(図をクリックすると拡大します)

名目GDPは、実際の私たちの経済活動を反映したものであり、企業で言えば売上高にあたるものです。そう前置きした上でこのグラフを見ますと、日本は1990年あたりからほど横ばいの状態であることがわかります。すなわち、バブル崩壊から約20年間、ほとんど成長していないのです。これが日本経済の姿であり、日本企業の売り上げの姿なのです。これが日本経済のトレンドであることを認識することが重要であるのです。

名目GDPのグラフは、どのようなトレンドを私たちに示唆しているのでしょうか。
それは、約20年間横ばいであったものが、急に成長に転じることは非常に難しいことを物語っているのではないでしょうか。残念ながら、これが日本経済のトレンドであると認識することが、まずは重要なことのように思います。

では、私たちはこれからの経営をどのように考えればよいのでしょうか。
このことについて、山本氏は次のような提案を示しました。


(図をクリックすると拡大します)

上の図をご覧ください。
20世紀後半、日本は高度経済成長のまっただ中でした。
大量生産、規格スタンダード、ネットワーク、金融革命、IT革命など、いわゆる「20世紀型」の技術が経済成長を支えていたのです。しかし今、この20年間の成長ストップが物語っているのは、今までの技術では21世紀は通用しないということなのです。山本氏はこの状態を「21世紀型への変換ひずみ」と表現しています。これからは、21世紀型の新しい姿を創造しなければならないのです。


(図をクリックすると拡大します)

いまひとつ、上の図をご覧ください。
21世紀型の新しい姿とはどんな姿なのでしょう。
それを山本氏は、上図のように解説しています。
20世紀型から21世紀型への変換ひずみにいる現在、私たちが目指すべきは、「今をどう生きるか」ということと、「次世代をどう闘うか」、この2つのことを分けて、並行して行うことを考える必要があるのです。現状の業態をどうよくしていくかよりも、現状で利益の出る体質を創り出しておき、プラス、次世代のビジネス構築を考えていくべきではないか、山本氏はそう語ります。そしてそれは、今までのリソースを活かし、今のトレンドを見極め、新しいサービスとして再構築することなのです。

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私たちは今、歴史の転換点にいるのです。
そのひずみの中で、次のビジネスをどのように構築していくかが問われているのだと感じた、今回の例会でした。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 20:46 | コメント (0)

2009年08月10日

2009年7月例会ご報告

経営ゼミナール例会
2009年7月27日
『ベトナムの交通事情と課題』
 TRS研究所 主席研究員 齋藤 威 氏

第353回例会が執り行われましたので、報告いたします。
今月は、ベトナムの交通事情がテーマでした。
お話しくださったのは、元警察庁科学警察研究所交通部長で、現在はTRS研究所の主席研究員をされておられます、齋藤 威(たけし)氏です。
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*****

齋藤氏は、警察庁科学警察研究所時代から長年、交通に関する調査研究に携わってこられました。そのご経験を活かして現在、ベトナムの交通安全に関わる様々な調査研究を行っておられます。
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齋藤 威氏

齋藤氏は開口一番、国が違えば交通安全に対する「基準」が大きく異なることを痛感している、と語られました。齋藤氏がベトナムの交通安全施策に関わる前は、日本で実施されている交通安全のさまざまなルールは世界共通で、ベトナムの交通安全を考える場合当然それが活かされると考えておられたそうです。
齋藤氏は一年の半分をベトナムで過ごし、ベトナムの交通事情を調査し、さまざまな施策を提案実施されておられますが、そこでいつもぶち当たるのは、前述の「安全に関する基準の違い」なのだそうです。

*****

齋藤氏は、ベトナムの交通安全に関する国家プロジェクトに参画されています。
その概要を、齋藤氏の資料から抜粋します。

(1)ベトナム国交通安全強化事業にかかる案件形成促進調査
(2006.4〜2006.8)JBIC
ベトナムにおける交通事故が大きな社会問題となってきているが、この問題への対応の契機を得るための案件を形成するためのプロジェクト。
・交通安全に対する施設整備(Engineering)
・交通安全教育・啓蒙活動(Education)
・交通指導・取締り活動(Enforcement)
 (3E対策)
(成果)
ベトナム「北部国道交通安全強化事業を2009年秋からスタートの予定
ベトナムの交通事故による死亡者は、年間11,000人を超え、大きな社会問題となっている。原因としては、道路標識やガードレール、中央分離帯などの交通安全施設の不足に加え、道路利用者の知識・意識不足、交通安全指導能力・教材の不足、交通安全取締りの実施能力・機材の不足があげられている。
本事業では、これらの課題を解消すべく、ベトナム北部の4国道を対象として、交通安全のための施設整備、教育・啓蒙活動の強化、取締りの強化を行う。

(2)ベトナム国ハノイ市交通安全人材育成プロジェクト
(2006.7〜2009.3)JICA
目的…ハノイ市の交通安全に関係する職員の能力向上
対象…ハノイ市交通局、交通警察、教育担当機関等
内容…日常活動の問題点の抽出、対応策の検討、モデル事業の展開、トレーニング、セミナーの開催
(成果)
人材育成…交通局、交通警察、教育担当機関職員の日常活動と実施対策に変化
・日常街頭活動の活発化
・交差点の渋滞対策の自主的実施
・信号制御内容の自主的調整
プロジェクトの延長…1年間の延長による安全計画の策定
新プロジェクトの必要性の示唆
・交通局職員の人材育成
・交通警察職員の人材育成

(3)ベトナム国道路交通安全マスタープラン策定計画調査
(2007.8〜2008.3)JICA
目的…ベトナムの交通安全計画の策定
対象…ベトナム全地域の道路交通の安全
内容
・交通安全施設(Engineering)
・交通安全教育(Education)
・交通取締り(Enforcement)
・救急医療(Emergency)
 (4Eによる計画策定)
(成果)
基本計画策定…4Eからなる交通安全基本計画(マスタープラン)を策定
・交通施設整備基本計画
・交通安全教育基本計画
・交通指導取締り基本計画
・緊急医療整備基本計画
アクションプランの策定…4Eのそれぞれの初年度の実行計画を策定

(4)ベトナム国ハノイ市交通安全人材育成プロジェクト
(2009.5〜2010.3)JICA 実施中
目的…ハノイ市の交通安全に関係する職員の交通安全計画の策定に関する能力の向上
対象…ハノイ市交通局、交通警察、教育担当機関等
内容(予定)…日常活動の問題点抽出、対応策の検討、実現可能な対策の優先順位の検討、実施計画の策定

*****

これらのプロジェクトを通じて、齋藤氏はベトナムの交通事情をつぶさに観察してこられました。
その状況をビデオで見せていただくことができました。
これが、とてもすさまじい。
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日本の私たちからみると、ほとんど無法地帯のように見えます。
信号無視、信号のない場所での横断、交差点への進入、とにかくみんな、止まらずにどんどん進んでいきます。直進車や対向車などお構いなしです。私たちでは、とても恐ろしくて車の運転などできそうにありません。実際、齋藤氏もベトナムでは車の運転は決してなさらないそうです。
例えば、交差点での左折(ベトナムは右側通行ですので、左折は日本での右折を意味します)。日本なら、直進の対向車がいなくなるのを待ってから曲がりますが、ベトナムでは、止まることなくするすると対向車線に出て行きます。そして、車、バイク、さらには人までもが左折車、直進対向車ともお互いをかわしながらのろのろと進んでいくのです。
しかし、ベトナムではこれを特別危険な状況とは考えておられないのだそうです。みんなが互いに気をつけて渡っているから、これでいい、十分安全だ、と考えているのです。
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これが、先に申しました安全の「基準」の違いなのです。
私たちでは目を覆うような危険な状態も、ベトナムの人びとには普通の光景なのです。このことを危険なことだと認識させるのに、齋藤氏は大変な苦労をしていらっしゃいます。習慣を変えさせるのはとても大変なことだ、とは齋藤氏の弁です。しかし、それを粘り強く話していくことで、少しずつ理解してもらう努力を、齋藤氏はされておられるのです。

さまざまなプロジェクトの中で行われた社会実験を通じて、齋藤氏は、その国の交通安全のあり方は、その国に合ったやり方で行わなければならないことが分かったそうです。そして、それにはともかく実際にやってみなければ分からないことも痛感されたそうです。特にベトナムは、交通の大半を二輪車が占めることもあり、四輪車が中心の日本とは異なった考え方をしなければならない場面もあるそうです。

*****

これらのプロジェクトを通して、齋藤氏が観察したベトナムの道路交通事情は次のようなものです。

・二輪車が中心の交通
・車線が機能しない(不要?)
・歩道はみんなの共有場所(食事、井戸端会議など)
・車道もみんなの共有の場所(歩いても平気)
・「安全」の基準が全く異なる
・交通の円滑化の基準も全く異なる
・交差点の交通制御の哲学が異なる

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例えば、交差点の考え方。
日本では、交差点はできるだけ小さい方がいいという考え方のもとに設計を行うそうです。
よい交差点の基準は「損失時間」がいかに短いかで測るそうです。損失時間とは、例えば自分の走行側の信号が赤になり、交差側の信号が青になるまでの時間のことです。損失時間は、規模の大きい交差点ほど長くなります。つまり、交差する両方の流れが止まっている状態が長くなってしまうということで、これを極力抑えるには、交差点をコンパクトに設計する方がよいということなのです。しかし、ベトナムのように、二輪車中心の交通社会では、車線をできるだけ広げて、青と同時に発車する台数が多い方が効率がよいのだそうです。
このように、その国のさまざまな事情が絡むため、日本の基準をそのまま他国に持ち込んでも、安全や効率が向上するとは限らない、ということなのです。

このことは、交通安全の分野だけでなく、さまざまな局面においていえるのではないでしょうか。文化や歴史、風習の異なる他国の人々と接するとき、私たちの基準で相手を見ることは、ともすれば正しい判断を謝ってしまうことにもなりかねません。齋藤氏から、交通を通じてこのことを教えていただいた、今回の例会でした。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 13:44 | コメント (0)

2009年06月24日

2009年6月例会報告

経営ゼミナール例会
2009年6月15日
『これからの「日本経済」はどうなるのか』
 株式会社イムラ封筒監査役/経済アナリスト 北川宏廸氏

第352回例会が執り行われましたので、報告いたします。
今回は、日本経済の「外需」と「内需」の関係に注目し、そこから日本経済はどのような方向に向かうべきなのか、を学びました。
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**********

ご発表くださったのは、当ゼミナールで毎年経済のお話を賜っております、株式会社イムラ封筒監査役で、経済アナリストの北川宏廸氏でした。
今回は、日本経済の現状を、外需と内需の関係から考察し、そこから見えてくる方向性についてお話くださいました。

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北川宏廸氏(左)/北川氏と山本代表

* * * * *
今回の北川氏の発表は、分かりやすく詳しいレジュメをご用意くださいましたので、詳細はこのレジュメをご覧くださいますようお願いします。
>>>北川宏廸氏のレジュメのダウンロード
* * * * *

内閣府が5月20日に発表した、09年1~3月期のGDP速報値は、前期比4%減、年率換算で15.2%減という、戦後最悪の落ち込みを記録しました。
この状況下、日本経済をどのように立て直していけばよいのでしょうか。
この問題について北川氏は、数値データから読み取れる分析によって、一つの明確な方向性をわれわれに示してくださいました。

実質GDP(内需/外需)の内訳

まず、【図表1】をご覧ください。


(クリックで拡大できます)

これは、2001年以降の各期(年、四半期)の実質GDP(内需・外需)の内訳を、実質季節調整後の年換算の実数値でグラフにしたものです。
2008年以降、グラフが急に短くなっていることは一目瞭然ですが、それがグラフの〔赤い部分〕の変動によるものであることも、よくわかります。
この〔赤い部分〕が「外需」です。日本の現在の不況は、外需の落ち込みによるものであることが理解できます。このことは、山本紀久雄代表が「YAMAMOTOレター」等で指摘しておりますこととも一致します。

外需の伸びは「小泉構造改革」から

また、時間軸を遡り、この〔赤い部分〕が伸びていく時期に注目しますと、2002年以降ぐいぐいと伸びていることも見てとれます。この時期に何があったのでしょうか。
この時期に政権を握っていたのは、小泉内閣です。
実は、「小泉構造改革」が、外需の急速な伸びを生んだのです。

「小泉構造改革」とは何であったのか

小泉構造改革には二つの柱がありました。一つは、銀行の不良債権処理であり、もう一つが、財政構造改革でした。
銀行の不良債権処理は、「金融再生プログラム(竹中プラン)」によって2005年3月末までに完全なかたちで終息しました。この不良債権処理が、今回のアメリカの金融危機対応の貴重なお手本になっているそうです。

もう一つの財政構造改革は、財政資金の「入口改革」と「出口改革」、それを繋ぐ「パイプの改革」から成っていました。
「入口改革」は、ご案内の通り、《郵政民営化》でした。
「出口改革」は、(1)道路公団改革、(2)政府系金融機関改革、(3)年金制度改革、(4)医療制度改革の4つ。
そして、「パイプの改革」が、(1)公務員制度改革、(2)特別会計改革、(3)国と地方の三位一体改革でした。
また、小泉改革を金融面から支えたのが、日銀の「ゼロ金利政策」と「量的緩和政策」です。

小泉改革で注意すべき点

第一点は、国と地方の財政資金総残高1,150兆円(04年3月末)の資金繰りが、郵貯資金・簡保資金のストック残高320兆円によって、国民の目に触れないところで「官僚たちの裁量」によってつけられてきた、ということ。  
実は、財政資金のファイナンスは、日銀の一番大切な仕事なのです。郵政民営化により、運転資金である郵貯・簡保資金の320兆円が凍結され、郵政民営化以降、日銀がこの1,150兆円の財政資金のファイナンスを怠ってきたために、民間部門はずっと運転資金枯渇の状態におかれてきた、のです。

第二点は、日銀の《ゼロ金利・量的緩和政策》が日本経済に「円安バブル」を引き起こす原因となった可能性があるということです。
この円安バブルが、実は、2002年以降の外需依存型の経済による景気回復を支え続けてきたのです。日銀にこの《光と影》の認識があったでしょうか。

世界経済の「巨大なバブルの循環」

2002年以降、世界経済では「巨大なバブルの循環」が起きていたのです。
アメリカの「個人消費」は、長い間GDPの60%程度でしたが、2002年頃から70%程度に上昇し、家計貯蓄率がほぼゼロの水準まで低下しました。これがサブプライムローンなどの高利の証券化商品への運用(投機)と密接に絡んでいたことは周知の通りです。
留意すべきことは、アメリカの住宅バブルはアメリカだけで引き起こせたものではないということです。アメリカの消費支出の拡大は、アメリカへの輸出国(日本や中国など)の輸出を増大させ、日本や中国も、アメリカのサブプライムローン・バブルの恩恵を受けており、実は、《共犯者》だった、のです。

日本の「経済構造」はどう変化したか

この間、日本の経済構造は大きく変化した、と北川氏は述べます。
それを端的にあらわしているのが、【図表1】のグラフの〔青い部分〕です。
実質輸入比率が、原油価格高騰の中で、2004年以降、10~12%という極めて安定したレベルで推移していることです。
これは、資源の乏しいなかで、戦後一貫して内需中心の自立した「国民経済」の実現をめざした日本経済の「足かせ」となってきた、いわゆる《国際収支の天井》――─すなわち「資源の輸入制約」――─から、完全に脱却したことを意味する、と北川氏は解説します。
加えて、もう一つ、大きな変化が起きています。それは、《中国の工業化による日本の輸出構造の変化》です。
日本からの中国輸出は、最終消費財ではなく、中間財(素材・部品)や資本財(機械等の生産財)で、中国はこれらを用いて最終消費財(製品)を生産し、これを中国は、中国の内需向けではなくて、アメリカや日本に輸出するという構造になっています。
つまり、日本は製品を製造して輸出するのではなく、製品をつくるための素材や機械設備などを輸出し、それを中国が製品に組み立て・加工して、日本はその加工した製品を輸入するという輸出入の構造に変化しているのです。

日本経済の「構造転換」という課題

このことは、戦後の日本が築き上げてきた「輸出立国型」産業構造からの構造転換という課題をわが国に突きつけている、と北川氏は指摘します。
なぜなら、日本経済は「輸出で外貨を稼ぐ」必要がなくなったからだということなのです。
日本の貿易収支は、2008年10~12月から赤字に転じました。しかし、経常収支を見ますと、2008年は16.4兆円の黒字で、このうち、貿易収支が1.9兆円の黒字、所得収支が15.8兆円の黒字でした。圧倒的に所得収支の比重が大きくなっていることが分かります。対外純資産は225兆円(08年3月末)もある。
北川氏は、こう述べます。
「要するに、日本は『成熟した債権国』になったのだ。成熟した債権国となった国がとるべき経済政策は、『外貨を稼ぐ』ことではなくて、対外資産が生み出す所得で輸入代金を賄う方向に経済を誘導していくことなのだ。」と。
北川氏の結論を一言でいうと、「この今こそ、内需志向型の産業構造への構造転換を急ぐ必要がある。内需拡大とは、国内の経済構造改革そのものなのだ。」ということです。
以上が、今回北川氏からの提言の骨子です。

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なお、内需志向型の産業構造を推し進めるための具体的な処方箋については、添付しました北川氏のレジュメをご覧ください。

われわれが認識しなければならないことは、日本経済は、いま百年に一度の経済構造の転換を迫られているということ、そして、いま行わなければならないことは、小泉経済構造改革が遣り残した、公的部門の経済構造改革―――すなわち、「財政構造改革」―――を強力に進めること、のようです。
それが日本経済を「内需志向型の産業構造」へと構造転換させることにつながり、これを強力、かつ早急に推し進めるのは、これはもう、経済政策の問題ではなくて、わが国の政治システム、行政システムの問題だ、ということを学んだのが、今回の例会でした。
 
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北川様、分かりやすい経済解説を賜り、ありがとうございました。
また、質疑応答で活発な意見交換をくださった参加者の皆様にも深く感謝申し上げます。
質疑応答では、固有名詞を挙げて実名で、日本経済の問題に具体的に生々しく言及してくださいました。
記録への掲載は控えさせていただきますが、なるほどと得心の行くことがあり、大変勉強になりました。あらためましてお礼申し上げます。

(事務局 田中達也・記)

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2009年05月26日

2009年5月例会報告

経営ゼミナール例会
2009年5月18日
『丸の内再開発から見る大都市街づくりの方向性』
 三菱地所 都市計画事業室 副室長 遊佐謙太郎氏
 大國道夫・都市・建築総合研究所 代表取締役 大國道夫氏

5月18日(月)、第351回例会が執り行われましたので、報告いたします。
今回は、東京駅を中心とする大手町・丸の内・有楽町地区の再開発の事例を聞き、大都市のまちづくりを学びました。

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ご発表くださったのは、三菱地所株式会社 都市計画事業室副室長の遊佐謙太郎氏と、大國道夫・都市・建築総合研究所 代表取締役の大國道夫氏。
遊佐氏は、大手町・丸の内・有楽町地区、略して大丸有地区(以下、大丸有地区と表記します)の再開発を官民一体となってデザインすることに奔走されておられ、大國氏は大丸有地区の再開発のグランドデザインを描いたご経験を生かして、世界各国の都市開発の事例を調査しておられます。
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遊佐謙太郎氏(右)と大國道夫氏(左)

今回は、大丸有地区の再開発の現状と、世界の都市開発の事例をご紹介いただきながら、東京駅周辺の再開発の方向性を考える会となりました。

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遊佐謙太郎氏

大丸有地区のまちづくりシステム
大丸有地区は、明治時代から今まで大きく分けて3回の開発が行われてきました。
・第1次開発…明治〜昭和戦前(赤煉瓦、旧丸ビル)
・第2次開発…昭和30〜40年代(31mビル)
・第3次開発…1995〜現在(高層ビル)
その中で、今回行われております第3次開発は、前の2回の開発と大きく異なるところがあります。それは、前の2回が民間中心の開発であったのに対し、今回は地権者からなる協議会、行政、民間企業などが協調して地区全体の方向性を話し合い、足並みを揃えて開発を行っているということです。

大丸有エリアの概要
大丸有エリアの概要を列挙します。
・面積…約120ha(南北に約1.7km、東西に約400〜800m)
・約100棟の建物、床面積690ha
・就業人口…約24万人、約4,000社
・総売上高…約120兆円(日本のGDPの約24%を占める)
・鉄道利用者…約93万人/日(20路線・13駅)

まちづくりガイドライン
大丸有地区の再開発は、公民協調組織「大丸有地区再開発推進協議会」が主体となって運営されています。
大丸有地区再開発推進協議会は、1988年に設立され、現在は96の地権者などからなる会員によって組織されています。
協議会によって1994年、「まちづくり基本協定」が策定されました。
1)新たな都心景観の形成
2)国際業務センターの形成
3)快適な都心空間の形成
4)総合的・一体的まちづくり
5)社会的貢献
6)公民協調のまちづくり
7)まちづくり推進システムの構築

協議会の基本協定に基づき、地区の再開発をする際のガイドラインがつくられました。
再開発推進協議会に、千代田区、東京都、JR東日本も加わり、「まちづくり懇談会」が設けられ、再開発を行う際のルールが決められたのです。それが、「まちづくりガイドライン」です。
ガイドラインは主に次の項目から成っています。
1)ガイドラインの位置づけ
2)大丸有地区の将来像
3)まちづくりのルール
4)まちづくりの手法
5)推進方策
民間の再開発や公的な空間整備は、このガイドラインに沿ったものである必要があり、これに沿っていないと建て替えはできない、というくらいのものです。

では、このガイドラインの内容についていくつかの具体例を見てみましょう。

全体の街並形成
ガイドラインでは、大丸有地区を「ゾーン」「軸」「拠点」に分け、それぞれの景観整備を行っておられます。
・4つのゾーン…大手町、丸の内、有楽町、八重洲
・7つの軸…東西南北に走る通り
・4つの拠点…鉄道駅を中心として

スカイライン(高さ景観)の形成
1)東西方向
皇居からすり鉢状のラインを描くようにビルの高さを形成する。
皇居の低いラインから、だんだん高くなっていく緩やかなカーブを描くようなビルの配置。
2)南北方向
拠点とその他でひな壇状にビルの高さを形成する。
拠点は200m程度、その他は150m程度に高さを揃える。

遊佐氏資料より(クリックで拡大します)

街並〜人の動線形成
1)丸の内、有楽町地区
低層部の上に高層棟を乗せ、低層の街並が連続するように形成する。
2)大手町地区
高層棟と敷地内の外部空地が連続するように形成する。

遊佐氏資料より(クリックで拡大します)

サイン
地下通路などの標識を、一般来街者にもわかりやすいように統一性をもたせる。

ライティング
ビル上部のライティングの色調に地区全体としての共通性や一体性を持たせる。
色、明るさなど細かく規定されている。景観としての統一感や品格が保たれるよう工夫されている。また、拠点となるビルと周りのビルとの色識別など、アクセントをつける配慮も行われている。

ビルの復元
大丸有地区の再開発には、歴史あるビルの復元事業も含まれています。
1)旧三菱一号館
有楽町地区。三菱一号美術館として復元。オリジナルはジョサイア・コンドル設計。1894年竣工。

遊佐氏資料より(クリックで拡大します)

2)東京駅丸の内側
丸の内地区。2012年春竣工予定。
今回のお話をお聞きして、最も心躍ったのがこの東京駅丸の内側の再開発でした。
赤煉瓦の駅舎が復活し、現在道路になっている駅前はすべて広場になるそうです。そこから行幸通りにかけ、緑豊かな直線の歩道が広がり、皇居へと続いていきます。その姿はとても美しく、まさに「日本の顔」と呼ぶに相応しい景観になるのではないかと期待しています。

遊佐氏資料より(クリックで拡大します)

その他の取り組み
1)地域冷暖房…個別熱源方式に比べ約20%のCO2削減。
2)風の道…東京湾からの海風と、皇居からの滲み出し冷風の通り道を形成。
晴海通り、行幸通り、日本橋川沿いの3カ所で、2度程度低い風が通る。
3)ヒートアイランド対策…行幸通りでの緑化、散水、噴霧など。
4)緑のネットワーク…緑化。
5)イベントの運営。
6)丸の内シャトルの運営。
7)野球大会の運営。
8)丸の内ウォークガイド…大丸有地区のOB/OGによる、歴史文化などをテーマとした一般向けガイドツアー。
9)東京ミレナリオの運営…東京駅再開発竣工後、復活の予定。
10)東京駅周辺防災管理。

まとめ
大丸有地区の再開発は、地権者全体の参加+公民協調+NPOなどによる運営という、バラバラに行われていたものを一体としたまちづくりを行っておられるところに、最大の特長があるといえます。
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これらは従来とても難しいものであったように思います。利害が異なるさまざまな立場の方々を、主導的に引っぱっておられる遊佐氏のご努力に感服すると同時に、遊佐氏をはじめとする協議会の熱意あるリーダーシップのおかげで東京駅が美しく生まれ変わることを、とても嬉しく感じることができました。

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大國道夫氏

続いて、大國氏のご発表です。
大國氏は、大丸有地区の再開発事業にあたり、世界各国の都市開発の現状を調査し、それらのさまざまな事例をもとに、当地区の再開発の方向性を決める役割を担ってこられました。
大國氏は、大丸有地区再開発の特長は、建築上の諸問題(容積率、高さ規制など)を、それぞれの異なる立場の人間が力を合わせて協議し、まちづくりを行っていることだと語っておられます。そして、これは現在も、そしてこれからも続くダイナミックなものであると述べておられます。

大國氏が目指す都市開発の姿は、「持続可能な都市への改造」という言葉に象徴されているように思います。
先進諸国、特にヨーロッパでは、都市間の開発競争が激化しているのだそうです。その中で、これからは「環境」「高齢化」への対応が必要とされています。それが、持続可能な都市ということなのです。そのために、各国の都市ではさまざまな特長を持った開発が行われています。


それでは、大國氏が調査してこられた、世界の都市開発の現状を、資料に基づいてご紹介していきます。

イギリス・ロンドン
■ドックランズ
新市街地ドックランズの再開発では、シーザーペリー氏の設計によるアメリカ型の超高層オフィスビルなどの集積が進み、シティーと結ぶ鉄道も完成し街が成熟期に入っている。
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ドックランズ

■パタノスター地区
旧市街地のセントポール寺院に隣接したパタノスター地区では、長年かけて低層の伝統的デザインによる開発が完了した。
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パタノスター地区

■シティー
金融街シティーでは、これまでとまったく違った新しい超高層オフィスビル・ガーキンビルが建設された。さらに、ピラミッド型の超高層型のオフィスビルや、伝統的デザインをモチーフにしたオフィスビルが建設中である。
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シティー

フランス・パリ
■ラ・デファンス
フランス政府は1958年に計画に着手した。地区の開発を実施したのは国と地方自治体によるラ・デファンス地区整備公社(E.P.A.D.)である。
ラ・デファンス地区は、ルーブル宮殿から発し、コンコルド広場、凱旋門を通り郊外へ延びていくパリの歴史軸の延長線上に位置する。
パリ市内ではあまり見られない大型施設や超高層ビルが集積している。
パリ市内では景観保護や伝統的な建築物の保護のため、そのような施設を建設することが難しい。
※しかし、旧市街地にも新しいビルが建設され始めている。
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ラ・デファンス

イタリア・ナポリ
■ナポリ新都心
ナポリ市の中心に位置する歴史地区は、深刻な交通渋滞、大気汚染問題を抱えている。
その問題から少しでも解放され、歴史地区の本来の都市機能である、住居・文化・観光に適した地区に回復するために、ナポリ中央駅に隣接した110haの敷地に、官公庁や大企業のオフィスビルを移転させ、居住空間をも含んだ新都心を計画・建設させることになった。
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ナポリ新都心

ドイツ・ベルリン
■ポツダム広場
1989年にベルリンの壁が崩壊した。
ベルリン市はこの地域を四分割し、それぞれを開発するデベロッパーに売却した。
4つの地区のうち最大のものは、ダイムラー・ベンツが担当した(ダイムラー・クライスラー・アレアール、もしくはダイムラー・シティ)。
レンゾ・ピアノによって基本計画が立てられ、個々のビルはこの基本計画に沿って、それぞれさまざまな建築家の設計で建てられた。
二番目に広い地区はソニーが担当し、ヨーロッパ本社を建設した。ヘルムート・ヤーンによる、印象的でガラスと鉄からできた軽快な一枚岩のソニーセンターは、ベルリンにおける近代建築の最高峰のひとつだとみなされている。
※レンゾ・ピアノの基本計画は、大丸有地区再開発の参考にされたそうです。
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ポツダム広場 ソニーセンター

スペイン
■ビルバオ
ビルバオ・メトロポリー30によるビルバオ地区の再生戦略プランの立案・推進機構と、Ria2000(住宅公団のような組織)によるアバンドイラ地区、アメソラ地区再開発。
アバンドイラ地区にはグッゲンハイム美術館が建設され、現在シーザーペリー設計の超高層オフィスビルが建設中である。
アメソラ地区では、地下ネットワークと地上の活用が進められた。
※ アメソラ駅にフタをするような格好で地下化し、その上に公園と住宅を造り、その売却益でさらに開発を進めるという手法がとられています。
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アメソラ駅

■マドリッド
マドリッドM30環状高速道路改造と、マンサナレス川の水辺空間整備。
マドリッド市内を走る、延長約35kmの環状道路M30は、交通量の増加に伴い渋滞の慢性化、騒音、排気ガスによる周辺環境の悪化、市街地の分断などが問題となった。
その解決に向けて、マドリッド市および民間の共同出資の事業体である「Madrid Calle 30」が設立された。
また、マドリッド市街地を貫流する唯一の河川であるマンサナレス川は、M30路線で囲まれており、高速の地下化を契機に、親水、景観、自然環境に配慮されたマンサナレス川の水辺空間整備のための取り組みが「Projecto Pio」として計画された。
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マンサナレス川


以上、大國氏の資料より引用させていただきました。

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まちづくりの経緯を、大丸有地区、また、世界の都市開発の現状から眺めてみますと、いかに全体のグランドデザインがしっかり策定されていなければならないかが分かるように思います。そして、それには、異なる立場の人びとが力を合わせ、方向性をすり合わせていくことがとても重要なのです。
その意味で、大丸有地区の、公民協調の組織作りがいかに大事なことであったかをあらためて思い知ることができました。そして、皆が一致協力して当地区のガイドラインを作成されたおかげで、2012年の東京駅丸の内側の素晴らしい景観ができつつあるのだと感じた、今回の例会でした。

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遊佐様、大國様、大変お忙しい中のご講演、誠にありがとうございました。
また、活発な質疑で交流を深められた参加者の皆様、ありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 21:03 | コメント (0)

2009年04月27日

2009年4月例会報告

経営ゼミナール例会
2009年4月20日
『山梨県「増富の湯」で温泉を利用した健康増進プログラム実践の事例から経営の実態と時代の動きをつかむ日帰り見学会』

去る4月20日(月)、第350回例会として、「増富の湯」に出かけましたので、報告いたします。
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今回は、山梨県北杜市「増富の湯」にて源泉かけ流しのラジウム温泉を実際に体験し、健康に配慮した昼食をいただきながらディスカッションを行いました。

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午前10時。JR中央本線・韮崎駅に集合した参加者は、一路お迎えの車で増富ラジウム温泉郷へ。
韮崎駅へは新宿から特急あずさで約1時間30分。ここから約40分ほど山の中に入ると、増富ラジウム温泉郷があります。

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JR韮崎駅(左)/駅前のサッカー像(右・韮崎は中田英寿選手の出身地)

当日は新緑の季節。山々が若い力にみなぎり、そのパワーを受けているような感じがし、その風を受けているだけで何か力を授かるような心持ちがしました。

「増富の湯」は、増富ラジウム温泉郷の中にある日帰り温浴施設です。
周りには9軒の温泉旅館がひっそりと点在し、鳥のさえずりがBGMという自然に囲まれた山間の温泉地です。

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増富ラジウム温泉郷

増富の湯に到着し、セミナー室でひと休みした後、総支配人の小山芳久氏より、増富の湯の説明と、同館が実施されている「健康増進プログラム」についてのお話を伺いました。

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増富の湯

増富の湯とは

ここ増富の湯は、ラジウムを含む源泉を湧出しています。温泉内に掲げられている表記をみますと「含二酸化炭素─ナトリウム─塩化物・炭酸水素塩泉」とあります。
ちなみに、効能は次のように示されています。
神経痛、筋肉痛、五十肩、運動麻痺、筋肉のこわばり、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、うちみ、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病、高血圧症、動脈硬化症。
効果効能等の詳細については、専門の書籍をご一読されることをお勧めします。

 →ご参考:『温泉と健康』阿岸祐幸、岩波新書

増富の湯には、3種類の温度の浴槽があります。
まずは源泉そのままを浴槽に流している25度の温泉、次にそれを熱交換機で30度に加熱したもの。さらに35度に加熱したもの。
温泉に限らず、一般的なお風呂の温度は40度〜42度ですので、かなり低い温度です。しかし、これが増富の湯のこだわりでもあります。

さっそく入浴

まずは入浴し、体験してみようということでさっそく温泉に向かうことに。
その前に、増富の湯の入浴作法について教えていただきました。

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増富の湯総支配人・小山芳久氏

「自分の気持ちに逆らわないで入ること」
小山支配人からの入浴指南は、これだけでした。
前述のように、増富の湯は3種類の温度の浴槽があります。
まずはそれぞれに手をつけてみて、心地良いと感じる温度の温泉に入ることが大事なのです。また、入っていて、寒いと感じたならば、すぐに出て温かいお湯(沸かし湯もあります)に入ること。決して我慢や無理をしないことが、小山氏からの入浴の心得でした。
一番いけないのは、我慢をすることなのです。我慢して温泉につかっていると、それがストレスになり、よい効果効能は得られないのです。ぬるくても熱くても、○○分入っていなければ…と、じっと耐えている方、いらっしゃいませんか。温泉にはリラックスして入ること、このことが一番大事なことなのです。
そして、体の力を抜き、他の人が湯船を移動するときの波に身体を任せるくらいにすること。そのようなことを教えていただきました。

25〜35度の温泉への入浴は、とても新鮮なものでした。特に、35度のお湯はいわゆる「不感温度」に近く、いつまででも入っていられます。30度のお湯に入っていると、最初はぬるいというより少々冷たい感覚でしたが、入っているとしだいに体がポカポカしてくるから不思議です。30分以上も入っており、湯船の中でうとうとするほどに気持ちがよかったです。
たっぷり1時間ちょっとの入浴を経て、一同セミナー室に戻り、地元の幸をふんだんに使った、その日の朝スタッフが摘んでこられたという山菜たっぷりの「摘み草定食」をいただきながら、あれこれディスカッションいたしました。この山菜はとても美味しかったです。

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摘み草定食(この他におそばがつきます)

増富の湯の経営

増富の湯は、山梨県北杜市が運営されています。
実際の運営は、小山氏が総支配人を務められる「財団法人みずがき山ふるさと振興財団」です。
小山氏が着任して10年以上が経つそうですが、その間、それまで赤字経営だった増富の湯は見事に黒字経営に転じました。途中から赴任してきたよそ者であることを払拭すること、コスト管理や経営というものにあまり関心がなかった従業員の意識を少しずつ変えていくことなど、様々な努力が実を結んだのです。
さらに小山氏は、地元の旅館との連携を模索し、増富温泉郷全体でよくなることをあれこれ考えることにチャレンジしておられます。
そのひとつが、現在取り組まれている「健康増進プログラム」です。
日帰り〜1泊、2泊と、様々な入浴+レクリエーションコースを設け、訪問客の都合に合わせた楽しみ方や健康増進などができるよう考慮されています。
これは、日本の温泉文化の源流である「湯治」を、現代流にアレンジしたものではないでしょうか。「現代版湯治」ともいうべきひとつの形を構築しようとされているように感じました。

 日本の温泉文化の源流である「湯治」について
 →「温泉の心理:第4話『江戸時代から今を見ると』」
  (NPO法人健康と温泉フォーラム・温泉保養文化研究会ブログより)

増富の湯の訪問客の車は、県外ナンバーが多いそうです。
マーケティング的には、片道2時間程度が日帰り旅行の行き先としての限界距離なのだそうですが、増富の湯にはそれを越える場所からの訪問客も多いのです。
このことは、現代版湯治が訪問客に認知されているということなのではないでしょうか。
もちろん、増富の湯が私たちになんらかの効果効能をもたらすであろう素晴らしい泉質であるということも忘れてはなりません。温泉郷のある旅館の女将の話では、1週間程度逗留する宿泊客も多いそうです。健康増進のためここを訪れる方々がたくさんいらっしゃるという事実に、小山氏の経営努力と、増富の湯の源泉の力を感じずにはいられませんでした。

増富の湯のこれから

このようにリピーターも多い増富の湯ですが、驚いたことに一般に知られていないのです。今回ご参加の皆様も、全員が今回の企画を見るまでは知らなかったということでした。知られていないという事実が問題であり、知らせるということが、増富の湯の大きな課題であろうと思います。
もちろん、PRを何もされておられないわけではありません。
ポイントは、誰に、どのように伝えるか、ではないでしょうか。
NPO法人健康と温泉フォーラムにて行われました、東京医科大学・国際医学情報センター教授のJ.P バロン氏の講演に、そのヒントがあるように思います。

 J.P バロン氏の講演
 →「第5回研究会の報告」
  (NPO法人健康と温泉フォーラム・温泉保養文化研究会ブログより)

命の径

食事の後、増富の湯山中でのヒーリング体験をすることができました。
増富の湯の裏山「命の径」は、じゅうたんのように厚く積もった落ち葉の道です。ここを散策し、少し山の中に入ったところで、事前に渡されたシートを敷き、その上に寝っ転がりました。
小山氏がゆったりとしたペースのリードにしたがって、深呼吸をし、風の音、鳥の声に耳を澄ませ、自然の息吹を感じるよう集中していると、頭の中が真っ白になり、とてもリラックスできるのです。これはとても心地良い体験でした。いつの間にやら寝入ってしまいました。

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命の径でヒーリング体験中

一番の保養は心身のリラックスであり、増富の湯の素晴らしい泉質と健康増進プログラムが相まってこの上ない快適な時間を提供されていることを体験した、今回の見学会でした。
小山様、お忙しい中ずっと我々に付き添ってくださり、ありがとうございました。
また、ご参加の皆様も遠方に足をお運びくださり、ありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

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2009年03月26日

2009年3月例会報告

経営ゼミナール例会
2009年3月16日
『EUと日本との関係─ギリシャが日本に期待するものとは─』
 駐日ギリシャ大使館公式通訳、早稲田大学法学部助手
 カライスコス・アントニオス氏

去る3月16日(月)、第349回例会が行われましたので報告いたします。

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今回は、ギリシャ人のカライスコス・アントニオス氏に、ギリシャの現地事情や日本、EUとの関係についてお話を伺いました。

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カライスコス氏は法律家であり、また早稲田大学の助手を務められる傍ら、日本においてはギリシャ大使館の通訳を、ギリシャにおいては日本大使館の通訳をされておられます。通訳を通して、様々な経営のトップの会談に立ち会われたご経験から、ギリシャの実態について様々な情報をいただくことができました。

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ギリシャについて

ギリシャはEU加盟国です。
1981年に10番目の国家としてEUの仲間入りを果たしました。
その後、2001年にユーロを導入することになるのですが、これを機にギリシャは急激な物価高に見舞われました。例えば、ユーロ導入前のギリシャの通貨はドラクマでしたが、その頃はギリシャの朝市などでは「たったの100ドラクマ」という謳い文句があったそうです。しかし、ユーロ導入とともにそれが「たったの1ユーロ(=340ドラクマ)」に変更されたそうです。通貨切り替えの際の便乗値上げが横行したということです。その後も物価は上昇し、現在では日本とそう変わらない物価水準となっているそうです。
一方、労働賃金はどうかと申しますと、物価上昇に合わせて賃上げされたということではないようです。ギリシャの2005年の最低賃金は668ユーロ(約87,000万円)で、EU加盟国の中で7番目の水準です。

占領時代

ギリシャは、第二次大戦後独立を果たすまでの約400年間、他国に占領されていました。トルコ、イタリア、ドイツなどが主な占領国でした。この過去が、ギリシャ国民に大きな影響を及ぼしています。
ギリシャ国民の基本的思考法として、「今を楽しく過ごす。今得られるものは今得る」という考え方、すなわち「将来のことよりも、今のことが大事」と考える国民性があるのだといいます。
それは、長い占領時代を経験し、「どんなにがんばっても、明日殺されてしまうかもしれない、どんなに蓄財しても、すぐに取り上げられてしまうかもしれない」と考えてしまうことが長く続いたせいではないかと、カライスコス氏は分析します。
このことは、ギリシャの経済や会社経営のあり方に大きな影響を与えています。

モザイク

ここで、ギリシャ人について触れます。
「ギリシャ人はモザイクである」と、カライスコス氏は語ります。
現在のギリシャ人の髪や目の色は栗色から金髪まで様々であり、また、肌の色も白から褐色までいるそうです。占領時代を経験したため、混血が進んだとの見方もあります。ヨーロッパとアラブのモザイクであると、カライスコス氏は表現されました。

この「モザイク」は、国民性に対しても言えそうです。
ギリシャ人は、将来のことより今のことを重視して考える傾向があると話しましたが、そのために、自分の意見を押し通す傾向も見られるようです。今そこにある自分の利益のために意見を曲げないため、話がまとまらないのだそうです。外見、考え方、様々な面で「モザイク」である、ということなのです。

ギリシャの経済

ギリシャの経済は、他のEU加盟先進国と比較して、競争に参加しうるだけの力を有しているとはいえないというのが現状のようです。
ギリシャの主要貿易相手国は、1位がドイツ、2位がイタリアです(輸出/輸入とも)。経済的にはドイツの影響が大きいということです。日本は残念ながら、貿易においては主要な相手国ではないようです。しかし、ギリシャ国内の自動車のシェアは圧倒的に日本車だそうです。80%ぐらいは日本車なのではないかという感触を、カライスコス氏は持っておられます。

ギリシャは、EU経済圏の中でどんなことを目指しているのでしょうか。
カライスコス氏が通訳を務めた中で、あるギリシャの経営者がこんなことを述べていたそうです。
「私たちはギリシャをバルカンの中心地にしたい」
バルカンとは、アルバニア、ギリシャ、クロアチア、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの9カ国のことです(『知恵蔵』朝日新聞出版より)。
このことは、ギリシャ人自らがEU中心国であるフランスやドイツなどとの競争を諦めていることを示していると、カライスコス氏は感じたそうです。ギリシャの経営者は他国の企業に、ギリシャを中心に、周辺のバルカン諸国に経営を広げていってくださいとPRするのだそうです。

もうひとつ、ギリシャ人は自国の持つ資産を上手に活用することが不得手なようです。
2004年、アテネでオリンピックが開催されました。
ギリシャでオリンピックが開催されることは、歴史的にも大変特別な意味を持つように思います。もちろんその経済効果も期待したいところです。
しかし、このオリンピックをギリシャは活かせませんでした。
これは、先で述べた国民性が大きな原因ではないかと、カライスコス氏は語ります。オリンピックをきっかけとして企業を誘致したり、産業を広げるという長期的戦略よりも、オリンピック期間中にどれだけ稼げるかに注力し、終わってしまえばもとの生活に戻ってしまったからです。
もうひとつ、政治的な事情もあったことも付記しておきます。
アテネオリンピックが開催されたのは2004年8月ですが、その4カ月前の4月に政権が交代しました。11年続いた「全ギリシャ社会主義運動(PASOK)」から「新民主主義党(ND)」に政権が交代したのです。そのため、オリンピックの経済的活用よりも政権を維持することに注意が注がれ、オリンピックは大会そのものを成功させることのみに留まったという内情もあったようです。

ギリシャの産業

ギリシャは人類史に大きな足跡を残す偉大な歴史文化を有していますが、産業面でも世界に誇るべき産物があります。
それは、オリーブオイルです。
オリーブオイルは、生産量ではイタリア、スペインに及びませんが、その品質で他を圧倒しているのだそうです。
ギリシャのオリーブオイルは、生産量の90%以上が「エキストラバージンオイル」なのだそうです。エキストラバージンオイルとは、酸度が1%以下のものについて与えられる最高級の品質の名称です。それほど品質が良いのです。
しかし、ギリシャ製のオリーブオイルはほとんど知られていません。
ギリシャは、ブランドづくりが不得手なのです。
ここに、自国の資産を上手に活用することが不得手であることが象徴的にあらわれているといえるでしょう。

もうひとつ、ギリシャが誇る産物にワインがあります。
ギリシャには、自国にしか栽培されていない種のぶどうが数種類あり、これで作ったワインは日本人の口によく合うと、カライスコス氏は絶賛されています。また、酒の神バッカスはギリシャ神話の神(ぶどう酒の神ディオニソス)です。古代ギリシャでは、飲むときに使用する杯によって味が変化することがすでに知られており、ギリシャワインの歴史は古代ギリシャにまで遡ることが明らかにされています。
しかし、残念ながらこれも知られていません。
このことも、言わずもがな、ブランドづくりが不得手であるために、他国にその座を譲ってしまった結果といえるでしょう。

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ギリシャの課題

ギリシャのこれからの課題は、まさにこのブランドづくりにあるといえるでしょう。
カライスコス氏は、ギリシャ人のブランドづくりの不得手さの原因を、次のように分析されています。

1)ギリシャ人の気質
ギリシャにはこのようなことわざがあるそうです。
「たくさんのニワトリが鳴くところでは、なかなか朝が来ない」
皆がそれぞれ自分の意見を持っていて、皆それが正しいと思っているので、ひとつにまとまらないという例えだそうです。ギリシャ人は、皆がギリシャのためではなく、自分のために行動するので、意見をまとめることが非常に困難だということなのです。

2)形よりも中身
以下の事例は、カライスコス氏が通訳として関わった日本企業との取引であった事例だそうです。
オリーブオイルを日本に輸出した際、フタが開かない、フタが空回りする、ヨゴレやラベルが曲がっているといった製品が含まれていました。日本側はそれを不良品としてクレームをつけたのですが、ギリシャではそのような製品はクレームのうちにならないという見解を示したそうです。
日本ではクレームとなって当たり前のことが、ギリシャでは通用しない。互いの主張が互いに理解できない。このことが、ギリシャとのビジネスを非常に困難なものにしている原因のひとつなのだそうです。
ギリシャのオリーブオイルは品質がいいから、他のことに気を遣う必要はない。まして宣伝などせずとも向こうから買ってくれるのだ。ギリシャではこのように考える傾向があるそうです。

せっかく世界に通用する品質を持ちながら、商取引の面で不利な立場に自ら立っているような気がしてなりません。

ギリシャの成功事例に学ぶ

少しギリシャのネガティブな要素をお話ししすぎたように思います。
このような国民性を持つギリシャにも、世界的に成功を収めている企業はもちろんあります。
そのひとつは、宝石やアクセサリーのブランド「フォリフォリ」です。
http://www.follifollie.co.jp/
フォリフォリは、世界25カ国に350以上の販売拠点を持つグローバルなブランドです。
フォリフォリは、ギリシャ人の不得手なブランド構築を見事に成功させている好例といえるでしょう。
フォリフォリの世界進出は、日本での成功がきっかけとなったのだそうです。
すなわち、海外ブランドが好きな日本で成功することは、世界に進出するためのとてもよい方法であるということなのです。
ということは、ギリシャのブランドづくりをするためには、日本にうまくプロモートするという戦略が考えられるのではないでしょうか。
ギリシャのブランドづくりは、自ら持つ高い品質をいかに受け入れられやすい市場にアピールするかということを考えることによって、実現性の高いものになるように感じました。

カライスコス氏への期待

自らの不得手を矯正するのではなく、得意な者の力を借り、受け入れられやすいマーケットでそれを伸ばしていくことが、ギリシャのブランドづくりの近道と感じるに至った、今回のゼミナールでした。
そして、その役割、すなわちギリシャと日本との架け橋にとどまらず、ギリシャの素晴らしい品質を適切にプロモートする仕掛け作りを、カライスコス氏に是非とも担ってほしい。
これが、我々がカライスコス氏に期待するものです。
日本でお生まれになり、ギリシャで少年〜青年時代を過ごされ、今また日本でご活躍のカライスコス氏に、もっともっとギリシャの良さをお伝えいただき、ギリシャの優れた製品を日本でブランドとして花開かせてほしい。そう願いつつ、今回の報告といたします。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:57 | コメント (0)

2009年02月24日

2009年2月例会報告

経営ゼミナール例会
2009年2月16日
『地域との連携が温泉業界賦活化の鍵』
NPO法人健康と温泉フォーラム常任理事 合田純人氏

経営ゼミナール第348回例会が行われましたのでご報告いたします。

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今回は、『地域との連携が温泉業界賦活化の鍵』と題して、NPO法人健康と温泉フォーラム常任理事の合田純人氏にご発表いただきました。

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合田氏は、温泉の研究に関わること20数年、温泉を医療、化学、薬理の側面から研究を重ね、ご所属のNPO法人を通じて啓蒙活動を続けてこられました。
今回は、温泉業界の現状から、温泉業界が抱える課題をいかに打開していくかの示唆をいただきました。

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合田純人氏(左)と山本紀久雄代表(右)

合田氏のご講演の前に、山本代表から時流講話をお話しいたしました。
現在、日本は世界的な金融不況のあおりを受け、不景気真っ只中であるとの報道がなされ、私たちの不安感をあおっている感があります。しかし、これは主に外需の不振によるものであることは、YAMAMOTOレター2月20日号に明らかです。
YAMAMOTOレター2月20日号
対して、内需はほとんど変わらず、むしろ微増の状態です。
内需を喚起することこそ、日本が元気になるためのひとつの方策であるのです。温泉業界はまさに内需産業です。温泉業界の活性化は、内需の喚起にこそ活路が見出せるのではないか。山本代表の投げかけに、合田氏はどのように応えられたのでしょうか。

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基本に戻る

全国の温泉地を見てこられた合田氏の見解は、日本において地域と温泉との連携は大変難しいということでした。そして、地域と温泉が連携して成功している例はほとんどない、とも付け加えられました。
では、どうすればよいのでしょうか。
基本に戻ること。
合田氏が提示された温泉業界賦活化の鍵は、この言葉でした。
温泉というものは、もともとどうであったのか。どう利用されていたのか。それが、時代時代で変わってきた原因は何であったのか。こういうことを振り返ることによって、これからあるべき温泉の姿が見えてくるのではないか。そして、経営的側面から見た温泉ばかりでなく生活の中で温泉がどう位置づけられるかを見出すことができるか。このことが、温泉業界賦活化の鍵と感じました。

温泉地について

そのためには、まず温泉地について知らねばなりません。
ますは、合田氏から、温泉地について解説いただいた事項を整理してみます。

(1)温泉地とは
日本には温泉地が3,221カ所あるそうです(2007年現在)。これは現在も年間数十カ所ずつ増加しているそうです。
最近20年で43%増加しています。

(2)温泉地の定義
日本における温泉地の定義は、温泉が湧出し、そこに宿泊施設が1カ所でも整っている場所を言います。例えば、熱海はいくつもの源泉と旅館などが立ち並んでいますが、1カ所としてカウントされます。このカウント方法で3,221カ所もあるのですから大変な数です。

(3)温泉地宿泊年間総数
1億2,000万泊。国民全員含めて、日本人は年に1回は温泉に行っていることになります。
最近20年で10%減少しています。

(4)温泉地の利用形態
温泉地の利用形態としては、大きく分けて次の3つがあります。
1.休養…疲労回復など
2.保養…健康増進、生活習慣病予防など
3.療養…相補医療、代替医療として

これらのニーズを満たす要素として、温泉地が持つものとして次のことを忘れてはなりません。
●温泉地=温泉+環境、自然、文化
これらの相補関係があって初めて、上記のニーズを満たすことができるのではないでしょうか。

温泉地の形態の変遷

温泉地の形態はどのように変化してきたのでしょうか。
湯治という言葉があります。主として療養のため温泉地に赴き、3週間程度の長い期間逗留し、温泉に浸かり怪我や病気を治し、各地から訪れてきた人々と交流し、心身の癒しを求めるのが湯治です。
日本の温泉地はその発祥から長い間、湯治場として栄えてきた歴史を持っています。
しかし、この形態は戦後激しく変化しました。
合田氏の資料から、その変遷を転載します。


(クリックして拡大します)

温泉地の形態は社会のニーズに合わせて大きく変化していきました。
そして今、温泉地に訪れる人々のニーズは変化しようとしています。
温泉地はこれからどのように変化していけばよいのでしょうか。

温泉と地域の連携は可能か

温泉と地域の連携は可能なのでしょうか。
冒頭に記しましたように、合田氏は、日本において、温泉業界と地域との連携はとても難しいとの見解を寄せられました。
その原因のひとつとして、温泉地の旅館の形態が挙げられます。
日本の温泉地は、旅館(ホテル)内にカラオケ、バー、飲食店、遊戯施設などが何でも揃っているため、宿泊客が温泉街に出る必要がないケースが多く見られます。このことが、地域との連携を難しくしている原因のひとつだと、合田氏は指摘します。
しかし一方、地域を巻き込んで、温泉地全体をひとつのブランドとして特色づくりをする試みも行われています。これらが成功事例として結論づけられるようになるのは、まだ少し時間がかかりそうです。

また、官民が協力し、温泉医療の基地としての温泉地づくりも始められようとしています。鳥取県・三朝温泉は、岡山大学付属三朝医療センターと共同で、三朝温泉を、医療を核とした温泉地と位置づけ、その整備が行われています。

その他、温泉施設の利用の現状を、合田氏の資料の中から転載します。


(クリックして拡大します)

日本の温泉地発展は実現可能か?

日本人は温泉好きです。
このことは、あまり異論を差し挟む余地はないように思います。
前述しましたが、統計上、日本人は全員、年に1泊は温泉地に赴いています。
しかし、翻って考えますと、私たちは温泉地で1泊することを当たり前と考えています。
実はこのことが、現在の温泉地利用形態の大いなる問題なのです。
なぜ1泊なのか。2泊〜3泊といった連泊をしなくなってしまったのか。
歴史的に見れば、数百年もの間連泊が基本であった温泉を、つい数十年のうちに1泊スタイルに変えてしまったのです。
「温泉地に連泊するようになれば、温泉の本当の価値がわかるようになる」
合田氏はこう語られました。
さらに、現在、温泉旅館自身が1泊のスタイルに合わせた接客を行っており、食事や部屋の豪華さを競うばかりで、温泉はあって当たり前で、温泉そのものはおろそかにされているのが現実であると、合田氏は語ります。

温泉地発展のための提言として、次のことが挙げられました。
●温泉業界…温泉を真面目に大事にし、温泉をどう活用するかを真剣に考えてほしい
●利用者側…自分の健康増進などに温泉を活用すること、そのために連泊してほしい

業界側、利用者側、両者が、温泉の失われた価値を再評価して欲しいというのが、合田氏の願いです。

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内需拡大から温泉地活性化策を考える

質疑応答も、皆さんから大変活発な意見が交わされました。
その中で、経済学の観点からあるひとつの提案がなされました。
現在、定額給付金の公布が政府によって議論されています。
このような、公的な内需活性化策をうまく利用し、温泉地の活性化に活かしたらどうかというものです。
参加された経済アナリストの方によれば、定額給付金の導入を、国民は冷ややかに見ている向きがありますが、これは、消費を喚起するという意味において絶大な効果があると予測されるのだそうです。
今回支払われる定額給付金のような少額の給付金は、貯蓄に回るよりも消費に回る公算が高く、給付金が、国民の消費を促すきっかけになりうるということなのです。
この給付金を、各自治体が地元の温泉地利用のクーポン券として発行すれば、温泉地利用に消費され、かつ、国民は温泉保養を行うことにつながるというわけです。
給付金は一人あたりは少額ですが、仮に一人2万円とすれば、4人家族であれば8万円の経費が捻出できるのですから、それに多少の出費を加算して温泉旅行が楽しめることになるのです。
このような取り組みを一例として、国民にお金を使ってもらうきっかけ作りが大変重要で、それが内需拡大につながるのだという提言をいただきました。

このような行政を巻き込む施策の提言を、適切な部署に、継続的に、行っていただきたい。それが温泉地活性化のひとつの活路であり、地域連携のきっかけにもなるのではないでしょうか。
そのために、合田氏のようなお立場の方に、是非ともこれらの提言を継続的に発し続けていただきたい。
山本代表から激励の言葉をお贈りして、閉会とさせていただきました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 08:21 | コメント (0)

2009年01月26日

2009年1月例会報告

経営ゼミナール新年最初の例会である、第347回定例会が行われましたので、その様子をご報告いたします。
今回は、当ゼミナール代表の山本紀久雄よりお話をさせていただきました。

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今回のテーマは『2009年経営への視座』です。
2009年の景気はどうなるのか。日本は大丈夫か? この答えなき問いに山本代表は、さまざまな視座から果敢に探求を試みました。

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前提認識

まず最初に明確にしておかなければならないことは、今回の金融危機と、日本のバブルを一緒に考えてはならないということです。
今回の金融危機は、金融資産によるものであり、日本のバブルは不動産であったということです。
その違いは何か。
そのひとつは、スピードです。
日本のバブルの場合、その源資となったのは不動産という実物資産でした。
実物資産の回転率は、年度会計の際の減価償却等が回転の基本となりますから、年に1回ということになります。一方、金融資産は、多くの会社が商取引の決済を当月締め翌月払いに設定しているため、60日で回転してしまうのです。ですから、回転率は2カ月になり、年6回の回転周期になる、というわけです。単純に考えれば、金融資産は実物資産の6倍のスピードで回転すると考えられるわけです。このスピードこそが、今回の金融危機が世界に波及した大きな原因のひとつであったのです。

金融グローバル化

アメリカはこれまで、さまざまな政策を行い「アメリカ金融帝国」を築き上げました。
アメリカの実物資産は、1995年=29兆5,000億ドルであったものが、2008年=60兆1,000億ドルに増加しました。それに対し、金融資産は、1995年=63兆9,000億ドルから、2008年=165兆8,000億ドルにまで膨れあがったのです。実物資産=30兆6,000億ドルの増加に対し、金融資産=101兆9,000億ドルの増加です。
この数字を見るだけでも、アメリカがいかに金融資産を中心に、世界からお金がアメリカに集まるシステムを作りあげてきたかがわかります。

アメリカと日本の金融資産の違い

日本の個人金融資産の総額は、1,500兆円あるといわれています。これは、我々が戦後60年かけてコツコツ貯めた貯金です。
これに対し、アメリカは100兆ドル(1京円)。これをわずか13年間で築き上げました。しかもこれは、他人のお金を回転させて儲けたものなのです。
金額で約6倍、期間で約5倍、掛け合わせると約30倍という急激なスピードでの金融資産の形成です。これが突如として吹き飛んだのです。そして、この中身というのが、サブプライムローンだったわけです。

アメリカのこれからの動向

アメリカの経済はいつ復調するのでしょうか。
金融危機の震源となったサブプライムローンの大もとである住宅価格、これの動向をアメリカの消費動向の目安にしてみましょう。すなわち、アメリカの住宅価格がいつ下げ止まるかが、アメリカ経済の復調の目安といえるのです。
このことを予測する資料があります。


『米国の実質住宅価格』表
(クリックすると拡大します)

この表を見ると、アメリカの実質住宅価格は従来、傾向線と呼ばれる基準値を境に緩やかに上下して推移してきています。それが、この度の住宅バブルでは急激に上昇し、最高点(2006年第4四半期)では、傾向線に対し40.2%も上昇したのです。これは明らかに異常です。
住宅価格の推移が、過去の経緯に従って正常に推移するとすれば、今回の価格下落はこの傾向線を下回るまでは止まらないだろうということが予測されます。山本代表は、傾向線比−16%程度まで下がらなければ正常値に戻らないだろうと算出されています。
あと何年かかるか。
このことが、アメリカの消費動向を見る目安になるであろう、ということなのです。

もうひとつ、アメリカの個人消費をみてみましょう。
当然のことながら現在、アメリカの個人消費は冷え込んでいます。それは、カード会社の貸出が厳しくなっているからです。日本人が自ら買い控えをするのとは様子が異なります。
近年のアメリカの個人消費は、もともと過剰消費であったことが、数字からわかります。
アメリカのGDPに対する個人消費率は、2005年の76.5%がピークでした。2007年は75.6%ですので、近年は概ね76%前後で推移しています。ちなみに日本は59%程度だそうです。
一方、1974〜1990年ごろのアメリカの個人消費率の平均は70〜73%でした。とすると、近年は3〜6%程度過剰に消費していたことになります。この上乗せ分が、ちょうど個人消費の過剰債務額に重なるのです。アメリカ人はここ数年、過度に借金してお金を使っていたということなのです。
この過剰消費分が減少し、70〜73%程度に落ち着くことが、アメリカの個人消費安定の目安になるのではないでしょうか。

オバマ政策を注視

アメリカの経済立て直しは、オバマ新大統領の政策如何に関わっていることは説明の余地がないでしょう。これからのオバマ政権の動向に要注目です。

日本の動向

では、日本の経済はこれからどうなるのでしょう。
日経平均株価(ドル建て)の2007年からの推移を見てみますと、ニューヨークの株価の推移とピッタリ一致することがわかります。


『日経平均株価(ドル建て)とNYダウ』表
(クリックすると拡大します)

日本の株価はまさにアメリカと連動しているのです。
日本は、アメリカの株価との連動から抜け出さねばならないと、山本代表はいいます。このことが実現されなければ、今後も日本の景気はアメリカの景気に左右されてしまうのです。
が、これは何も日本だけの問題ではないようです。
世界の主要な市場で、同じように株価は下がっているのです。
この状態から日本がいつ脱皮できるか。
これが、日本の景気回復のカギを握るひとつの指標ではないでしょうか。

これからの日本

日本はこれからどのようにすればよいのでしょうか。
このことについて山本代表は、次のことを提言されました。

(1)狙う地域は新興国、分野は環境対策
(2)資金の配分を適切に…育成すべき産業に重点投資
(3)新興国との関係づくり…親米・入新興国
(4)中小企業は大企業系列からなるべく独立する
(5)日本の文化性を強みにできる企業体質に変化…ドラゴンボールの世界

日本人の強みとは何でしょうか。
日本人は約束を守る、無茶をしない、嘘をつかない、真面目、誠実、善意…。
これらのことが、外国人が評価する日本人であり、日本人の財産であると山本代表は語ります。他のことを受け容れて分析し、応用ができる民族であり、外のものを吸収してコツコツと改善していく能力が、日本の文化なのです。そして、その日本文化の典型が、世界60カ国で親しまれている日本のマンガ『ドラゴンボール』なのです。ドラゴンボールの主人公のように、苦労はするが基本を外さないでコツコツ努力することが、成功を導くのだという道徳を持った私たちの文化性が、世界中で賞賛を受けているのです。このことを私たちの強みとし、企業活動に活かすことが、成功への秘訣ではないでしょうか。
山本代表からそのような示唆をいただいた、今回の例会でした。

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(事務局・田中達也・記)

投稿者 lefthand : 19:16 | コメント (0)