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2006年12月26日

2007年1月例会のご案内

1月の例会は、1月15日(月)に開催いたします。
1月は経営ゼミナール代表の山本紀久雄が、年の初めのご挨拶と発表をいたします。

今年の小泉首相から安部首相へ政権が変わりました。安部首相は、小泉首相の方向性を受けて、しっかりした経済への復活正常化と、教育・年金問題など社会システムの諸問題解決を行うため、これからも様々な変化が行われると予測されます。

これらを受けて、平成19年は確実に企業経営が質的変化を求められていくことになると思います。
このような来年度の変化の時代模様と経済の予測を発表いたします。

07年度の経営のお役に立つ内容でございますので、1月も皆様のご出席をお待ち申し上げます。
1月15日(月)開催の例会に、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。


1.日時 平成19年1月15日(月)
  6時集合(食事を用意しています)
  6時15分より村松喜平氏の講話 
  *村松氏は代表世話人のお一人で、当ゼミナール第一回目からのメンバー
  経営ゼミナ-ルは6時半開始8時半終了予定
   
2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
     千代田区丸の内1-3-1 Tel:03-5252-3791
     東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)

3.テーマと講師
  「今年の時流と経済予測」
     経営ゼミナール代表 
      山本紀久雄氏

* 会費  オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。
* お申し込み 
  申込フォームよりお申し込みください。
  http://www.keiei-semi.jp/zemi_reikai.htm

投稿者 lefthand : 08:34 | コメント (0)

2007年2月例会の予定

2月の例会は、現地開催になり、2月18日(日)~19日(月)に開催をいたします。
会場は、静岡県南伊豆下賀茂温泉の「伊古奈」にて、開催いたします。

「伊古奈」さんは創業70周年の旅館ですが、昨年出版された「The World's Finest Spas 世界の素晴らしいスパ」、この本は世界の著名56ヶ所、中にはフランスでサミットが開催されたエビアンも掲載されていますが、日本では唯一「伊古奈」さんだけが選ばれました。
日本代表になったのは、環境・設備・温泉の素晴らしさもありますが、日頃から世界の優良顧客を獲得するために、世界に向って積極的なアプローチをされている 活動の一貫が認められたものです。
少子高齢化社会の客減少対策として、日本企業が目指すべき方向を先取りしている事例実態を、現場で学びたいと思います。
ゼミナールの前後には、南伊豆~下田の観光も予定しております。

尚、参加費につきましては、伊古奈様のご好意によりまして、正会員の方は5000円、又、オブザーバーの方は、15000円の特別価格となります。
ぜひ、多くのご参加をお待ちいたします。

投稿者 lefthand : 08:18 | コメント (0)

2006年12月21日

2006年12月18日 株式会社桜ゴルフ代表取締役 佐川八重子氏

2006年12月18日 株式会社桜ゴルフ代表取締役 佐川八重子氏

佐川社長のお顔は、ご存知の方が多いと思います。ゴルフ業界では著名人ですし、ご趣味も広く深く、多方面でご活躍されておられます。

今回は「ゴルフ会員権の道ひとすじに・・・三ゴの趣味(ゴルフ・囲碁・小唄)に憩う・・・」のタイトルでご発表いただき、最後には「日欧青少年囲碁親善大会」開催意図について、また、佐川師匠から小唄「主さんと」のお稽古があり、大変明るい楽しい雰囲気のゼミナールでした。

この明るい楽しい雰囲気は、佐川社長がお持ちのキャラクターから生れたと判断いたします。佐川社長は21歳でゴルフ業界に入り、26歳で桜ゴルフを創業され、創業当時から10年は女性だけの会社で、女性ならではのキメ細かく親切丁寧な対応によって、順調な経営実績をあげられてきました。しかし、その後に訪れたオイルショックとバブル崩壊、これはゴルフ業界に最も大きな打撃を与えましたことは、よく知られている通りです。
実は、今回特に、佐川社長からお聞きしたかったことは、この経済環境激変にどのように対処され、素晴らしい今日の企業をつくられたか、ということでした。

率直に実態を語られる内容をお聞きしているうちに、やはり佐川社長は経営セオリーを踏んでおられると判断いたしました。
経営には多くのセオリーがあり、そのセオリーを駆使されることが重要ですが、セオリー駆使には二通りあると思います。
一つは多くのセオリーを集積化し多面的に駆使することです。二つ目は絞り込んだ一つのセオリーを駆使することです。どちらも有効ですが、佐川社長のケースは二つ目の「絞り込みセオリー駆使」と思います。

佐川社長は、自ら先頭に立った経営実践の中で体得された事例を、分析し、集積しているうちに、最も大事と思われるもの、それは「企業理念」と思いますが、ここに辿り着かれたのだと思います。佐川社長は「ゴルフ屋からの脱皮」ということを「創業36年を迎えて」で強調されています。
若くして飛び込んだゴルフ業界で、いろいろご苦労があり、様々な問題がある中で行動しているうちに、「ゴルフ屋からの脱皮」という使命感、これは理念の構築という分野になり、セオリーになると思いますが、それをつかみ、そこから桜ゴルフという企業を常に見つめなおすという経営手法、この展開と継続が多方面から支持され、激烈競争のゴルフ業界で持続的成長をしている最大要因ではないかと思います。以上。   

投稿者 Master : 17:34 | コメント (0)

2006年12月20日 仕組みづくり

環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年12月20日 仕組みづくり

ノロウイルス

「ノロウイスによる感染性胃腸炎の流行が『食』に影を落としている。過去最悪のペースで患者数が増え、もちつきなど学校や地域での行事が中止やメニュー変更に追い込まれている。『十分加熱すれば心配ない』という呼び掛けにもかかわらず、旬を迎えた冬の味覚カキは価格が急落。風評被害を懸念する生産業者らは、

すっかりノロウイルスは有名になりました。そこで、ブリタニカ国際大百科事典に当然掲載されていると思い引いてみると、掲載されていません。次に家庭医学大百科事典で引いてみると、ウイルスの項目の中の一つの説明としてノロウイルスがようやく出てきます。国立感染症研究所の集計によると、全国約三千の小児科の医療機関から報告
(11/27~12/3の一週間)患者は65,000人にのぼり、1981年調査開始以来、過去最悪の水準だという事態ですから、百科事典や医学事典に掲載されていてもよさそうなものです。
掲載されていない理由は二つあると推測します。一つはノロウイルスは米オハイオ州のノーウォークが語源で、2002年に学会で命名されたこと、つまり、つい最近に分かったウイルスだということです。もう一つの理由は、これは日本だけで有名なウイルスだということです。国際的には知られていないのです。
2003年に出版した「フランスを救った日本の牡蠣」の取材でフランスの牡蠣養殖場を訪問した際、養殖業やレストランの関係者にノロウイルスの対処法について尋ねてみましたが、誰も「何を質問しているのか」という顔で「ノロウイルスなど全く知らない」と一様に答えます。これにはビックリした記憶が鮮明に残っています。質問にならないのです。
「森は海の恋人」運動提唱者の畠山重篤さんが、この度「牡蠣礼讃」を出版されました。この中で「ちなみにウイルスで規制をしている国は日本だけである。欧米では生牡蠣を食べるということは自己責任が伴うという伝統的な考え方が強い」と述べています。
外国でも冬に吐き気や下痢を伴う症状が発生しますが、ノロウイルスを問題にしていなく、日本では大問題化しています。この不思議な実態を考えると、お互いどこかの何か社会の仕組みが違うのではないか、という素朴な疑問が浮かびます。ちなみに、ここ二週間で生を含め牡蠣を100個は食べましたが、何ら問題は生じておりません。

宮城県唐桑湾の牡蠣名人を訪ねる

12月10日(日)の「山岡鉄舟全国フォーラム」が盛況で終わり、翌日に気仙沼に向いました。暖冬とは言え宮城県気仙沼は関東地区よりはずっと寒い気候です。JR気仙沼駅を出ると風が冷たく感じる中、唐桑湾の牡蠣名人を訪ねました。畠山政則さんです。唐桑湾で牡蠣養殖一筋に研究している専門家がいるとお聞きし、今回の訪問になったわけです。
畠山さんにお会いすると、早速に船を出してくれ、牡蠣養殖の筏に案内してくれました。筏に着きますと、海中から「一年半」もの牡蠣を引き揚げ、無造作に殻剥きし、こちらに差し出してくれます。生きている牡蠣が冷たい塩水と共に口の中に広がって、静かな深い海の豊かな味わいがします。
船が次に向ったのは、延べ縄式に吊るされている「二年もの」牡蠣で、これも引き揚げてくれ、殻剥きしてくれます。美味しい。明らかに「一年半」とは熟成度が異なることが分かります。更に船が向ったのは「三年もの」。特別の網に入れて海に吊るした、
畠山さん自慢の特選牡蠣で、引き揚げた牡蠣を見ると殻の形が違います。マガキの特長は細長いのに、これは形状が丸みを帯びているのです。びっくりして畠山さんを振り返りますと「丸みに育てているのですよ」と笑います。
これはフランス感覚に通じます。牡蠣はフランス料理を代表し、フランス料理は文化だと自負していますから、フランス人は牡蠣殻の外観にこだわるのです。確かに形状のよい牡蠣は、美的感覚によって食感に影響し、オシャレ感覚を醸成してくれます。
それと同じセンスの、外観が美しい「三年もの」を口に入れると、芳醇さが舌に広がっていきます。波が静かで深い海という唐桑湾の特長を活かし、フランス感覚を取り入れたオンリーワンの牡蠣養殖、その仕組みをつくり上げた畠山さんに感動いたしました。

気仙沼の街

畠山さんへ訪問した日の夜は気仙沼に泊まりました。ウォッチングと食事を兼ねて街を歩くと、すぐに中心街に着きます。昔は遠洋漁業の船によって街は大賑わいだった、その面影が残している一軒の魚介類専門店で食事しました。
お店の方と話していると昔話が出てきます。かつてこのあたりは人で溢れ、車で来ても駐車場がなく、大変不便だった。そこで郊外にショッピングセンターがつくられて、そちらに人の流れが動き、そこに今の漁業構造不況が重なって、この地区は地盤沈下し、商店の閉鎖が続き、その閉鎖した店の跡地活用工夫がないので、軒並み有料駐車場になっている。しかし、今頃、駐車場が軒並みにできても、利用する人がいない。これが今の気仙沼の中心街の実態だ、という説明に「なるほど」と頷くばかりです。
食事の後は寒いのでホテルまでタクシー手配をお願いしました。一般的に食事場所でタクシーをお願いすると、少しは時間がかかります。
ところが、ここ気仙沼では「タクシーお願いします」と言うと、驚くほどの速さで瞬く間に、入り口に車が到着しました。ビックリしました。慌てて支払をしてタクシーに乗って「随分速いですね」と運転手さんに語りかけると「実はこの街はタクシーが多すぎるのです」と、ここでも昔話が出てきます。
かつては気仙沼港に船が着くと、船員さんが自宅に帰るのにJRやバスを使わず、遠く青森や秋田、福島辺りまで長距離タクシー利用が当たり前、当然一日や半日は走り通しで、気仙沼に残るタクシーが少なく、市民には不便だった。
その状態時のタクシー台数が今でも維持されていて、時代が変わって超過剰、ゴロゴロ余っているから、どこでもすぐに手配可能なのですという説明に、これまた「なるほど」と頷くばかりです。背景事情は巧みな会話説明で教えてもらい、納得し頷きましたが、その解決は社会の仕組みを変えていかないと、解決は出来ません。

夕張市よりもっと悪い市町村

今年、北海道の夕張市が財政破綻し、市民は塗炭の苦しみを、これから味わおうとしています。また、夕張市に残っていると様々な「痛み」が大きくなるので、近郊の岩見沢市や札幌市に転居した人が少なくありません。計画では七校ある小学校と、四校ある中学校をそれぞれ一校に統廃合し、図書館や養護老人ホーム、集会施設や体育施設など、多くの公共施設廃止が行われる予定です。地方自治体が破綻すると「痛み」は、このように直接に住民に降りかかってくるのです。これは夕張市だけの減少でしょうか。
実は夕張市よりも、更に悪い財政状態の市町村があります。北海道の歌志内市、上砂川町、長野県の王滝村、沖縄県の座間味村、福島県の泉崎村、山形県の新庄市、兵庫県の香美町の七つの市町村の実質公債費比率は、夕張市の28.6%よりも悪いのです。歌志内市などは40.6%もあるのですから、いつ夕張市同様になってもおかしくありません。予備軍です。この現象は、一般企業が倒産で消えていくと同じく、地方自治体にも「終わり」という時期があることを意味させます。今まで放っておいたわけではなく、いろいろ方法を講じた結果だと思いますが、結果的に現場のリアルな実態に適合していない行政が行われてきたのです。市町村経営の仕組みが問題なのです。

DIY大賞

今年の最後に嬉しい知らせが届きました。近くの日曜大工(DO IT YOURSELF)の店から大賞をいただきました。四月に事務所を自宅に移転させるための二年間の改修結果、それをこの店のコンテストに応募したところ大賞となったのです。多くの人から「よく日曜大工する暇ありますね」と言われますが、事務所移転目的の改修ですから、暇というレベル感覚ではありません。必要なことですので、日常生活の中に無理なく計画的に入れ、日程に基づいて身体を動かし、汗を掻いただけです。生活環境整備への仕組みづくりの一貫です。来年も多くの問題が発生します。それへの対処は仕組みつくりに尽きると感じています。ご愛読を感謝し本年のレターを終わります。以上。

投稿者 Master : 10:17 | コメント (0)

2006年12月06日

2006年12月5日 情緒と形

環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年12月5日 情緒と形

戦艦大和

広島県呉市の「大和ミュージアム」を訪れました。JR呉駅を出て、多勢が歩いていく方向について行くと自然に着きます。人気があるので訪問客が多いのです。入館すると眼前に「戦艦大和」が突如として現れます。この突如という言い方は少しおかしいと思いますが、こういう表現が適切と思えるほど、始めて見る「戦艦大和」は偉容に溢れています。

実は「戦艦大和」の全形を捉えた写真は少なく、その少ない中で公試運転中、全速で大時化の中を走っている姿が写され残っています。この写真が素晴らしく、これが残っていなかったら、「戦艦大和」人気は今ほど沸騰しなかったのではないか、と言われるほどの名写真で見慣れた姿が眼前にあるのです。イメージと実物とが一体化しました。実物の10分の1の大きさであっても、日本刀のような繊細なバランスと、日本人の緻密丁寧感覚でつくった造形美が横たわっています。
昨年公開された「男たちの大和」という映画、出演者の少年達を募集しましたら、オーディションに約2000人が集まり、何度かの選抜を重ね絞っていくうちに、少年達の様子が変わっていき「同年代であつた少年が、このように戦って、みんな死んでいったかと思うと、仇やおろそかに演技ができない」という心境をもらすようになったのですが、これは「戦艦大和」で亡くなった3300人の気持が伝わったものと思います。
確かに、館内で遺された遺書を読み、テープの声を聞くと、出演者の気持ち同様、私もあの時代に生きていれば、敵艦に体当たりすることに疑問を持たなかったのではないかと思います。何故なら、日本全体が「その時代の雰囲気」になっていたのですから、死に臨む気持ちと、死に対する疑問感、それが今とは全然異なっているので、現在の感覚で評論しても意味がないのです。これは戦争賛美ではありません。その状況下では「その時に生きている感覚しかない」のです。
この日本人が持つ全体的な「情緒感」と、そのような情緒感覚になっていく「形」、これは日本人特有のものではないかと感じます。

六義園

寒い日でしたが、始めて「六義園」を訪れました。JR駒込駅近くの27,000坪もある広い日本庭園です。柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園したものですが、明治時代は三菱財閥の岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年(1903)に東京都に寄付されたものです。今まで多くの人から素晴らしいとお聞きしていましたが、まだ訪れたことがなかったのです。
庭園の中心には池が配置され、そこに趣のある島と石が配置されています。池の周りを歩き、池越しに紅葉が映えている景色を見ますと、これが日本の美しさであると改めて感じ、10月に歩いたニューヨークの「セントラルパーク」との違いを感じます。「セントラルパーク」の面積は「六義園」の約35倍ありますので、規模は比較になりません。大きな樹木が並び立ち、芝生が広がり、池ではボート遊びが出来るほど、テニスコートもあり、動物園も劇場もあります。当然立派なレストランもあります。また、サイクリングで走れる道路も整備され、スピード出して走っているので危険を感じるほどです。更に、広大な貯水池もあって、この周りを亡くなったジャクリーン・ケネディ・オナシスがよく走っていたというので、彼女の名前がつけられています。
二つの庭は発想が全く異なります。「セントラルパーク」はゴミ捨て場だったところを、世界初の都市公園として造りました。「六義園」は昔の中国の詩の分類法である六義、それにならった古今集の和歌分類「かぞえ歌、なぞらえ歌など」に由来したものですから、同一基準で比較することが間違いです。
しかし、園内を人が歩いて回るという行動については同じですから、短い訪問タイミングで両方を体験しますと、独りでに比較してしまい、その結果で感じるのは日本とアメリカの差であり、その意識差を2001年9月11日以後、しばらく行かなかったニューヨークを今年訪れ、改めて感じました。
ニューヨークは異なった人種がかき混じりあって住んでいるのに、一体化していなく、多様な文化は残ったまま、つまり、「サラダボウル」という感覚で、その中で生き抜いていくには「競争に勝つ」ことしかない、と会った人たちが一様に語ります。だが、その語り口の肩越しに、勝者になれないことを予測している「孤独」さが漂い、結果として発生する超格差社会を受け入れる、ひやりとした割り切り感覚があります。
つまり、論理中心に勝ち生きる社会の現実の厳しさがアメリカにあり、そういう感覚を根底に持って造った機能美が「セントラルパーク」だと思います。ところが、「六義園」は違います。園内を歩くと内省的にならざるを得ない感傷感覚が伝わってきます。和歌の世界の「情緒感」と「形」が伝わってくるのです。

皇居

次に行ったのは皇居です。いつも皇居前広場とお堀端から皇居を眺めるだけでした。
今回は一般参観として、多くの人と一緒に桔梗門の前に整列し、それも四列に整然と
30分前から並び、外国人も同じく整列に入れられ、皇宮警察官に引率され一般参観コースを歩きましたが、少しでも列が乱れると指摘され、元の四列に直されます。誠に厳しいもので、外国人はビックリでしょう。
富士見櫓を右手に見て、上り坂を左に曲がると宮内庁があって、その奥が「宮殿」です、という案内皇宮警察官の説明に違和感を持ちました。「宮殿」というにはあまりにも質素なのです。今まで多くの国でパレス・宮殿を見てきました。ロンドンのバッキンガム宮殿が代表するように、いずれも石造りの威圧感を与える構造となっています。
それに対して皇居は平屋建ての「宮殿」で、静かにそこに佇んでいる、という感じがします。また、毎年、新年と天皇誕生日に、宮殿の長和殿東庭に面したバルコニーで両陛下が祝賀を受けられるところ、参賀する人たちからあまりにも近い距離に位置していることにもビックリし、加えて緑の多さにも驚き、最後まで四列縦列で歩いて、皇居には典型的な日本の「情緒感」と「形」が表現されていると感じました。

秩父夜祭

最後は12月3日夜の「秩父夜祭」です。秩父市は埼玉県内にありますが、そこで開かれる三百数十年の歴史を誇る「秩父夜祭」に、ようやく今回行くことができました。
今まで行かなかったのは、とにかく秩父盆地は寒く、その寒い夜中に開催され、見物客が多すぎるという評判を聞いていましたので、長いこと逡巡していたのです。
実際に「秩父夜祭」の現場に立ってみると、熱燗を何度も手にしてしまう寒さと、息が詰まるほどの人ごみ、これは前評判通りでしたが、しかし、秩父神社からお旅所といわれる場所まで、元気な若衆によって掛け声と共に、豪壮に街の中を曳きまわされる六基の屋台と笠鉾は誠に見事です。素晴らしいの一言です。よくぞこういう伝統が何百年も残っていたと感動します。また、その曳きまわしの背景に、夜空の連発スターマイン花火が彩ります。更に、昼間は街の各地で屋台芝居の歌舞伎と、屋台囃子が演奏され一日中楽しめますが、問題は祭りの終わりが深夜になりますので、戻りが明け方になるということだけです。始めて見物した「秩父夜祭」にも、日本の「情緒感」と「形」が表現されていることを確認しました。

情緒と形

今年の流行語大賞は、トリノオリンピック金メダル荒川選手の「イナバウアー」と、「品格」です。「品格」は藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮新書)がベストセラーになったことかからですが、この本は「論理より情緒」「英語より国語」「民主主義より武士道精神」「経済大国より文化大国」「普通な国より異常な国」・・・それらが「日本が品格を取り戻す」ためのキーワードだと主張し、これが多くの人から共感を得ました。
この流行語大賞を機会に改めて「国家の品格」読み直しますと、「数年間はアメリカかぶれだったのですが、次第に論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになりました。数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。そして、『情緒』とか『形』というものの意義を考えるようになりました」(はじめに)と述べているところに強く共感いたしました。
そこで10月と11月は海外出張がないので、今まで訪れていない国内各地を回り、この「情緒」と「形」が、日本に確かに存在する事実を再確認してみたわけです。以上。

投稿者 Master : 09:49 | コメント (0)