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2020年04月22日

目黒駅  その一

久米美術館は目黒駅前にある。では、この目黒駅はいつごろ出来たのか。
 この説明には山手線の歴史から語らねばならない。
 山手線は環状になっているので、端から端までを行ったり来たりする多くの路線とは異なり、ずっと乗ってぐるぐると回り続け、1週は34.5kmで、1週するのに約1時間。
 駅の数は令和2年(2020)開業の「高輪ゲートウェイ駅」を加え30駅。
山手線はJR東日本の路線の中で、平均駅間距離が最も短い路線で、駅間の距離が一番長いのは、品川~田町の約2.2kmだったが、高輪ゲートウェイ駅が出来たので、最長駅間は五反田~大崎の約2.0kmとなって、反対に駅間最短距離は西日暮里~日暮里の約0.5km。
山手線は、明治18年(1885)に品川~赤羽間(渋谷・新宿経由)が「品川線」として開業されたところから始まった。既に開業していた新橋・品川以南の現東海道線と、上野以北の東北本線を繋げる為の路線として。

山手線1.jpg

人口が多い下町の東側をさけて、当時は人の少なかった西側に線路が作られたわけ。この品川線に併せて開業したのが、渋谷・新宿・目黒・目白駅。つまり、目黒駅は明治18年に設置されたわけである。新橋・品川・上野はそれ以前に開業していた。
 その後明治36年(1903)には豊島線という名前で、田端~池袋間が開通。この時、田端方向と赤羽方向へ分岐する駅として池袋駅ができ、明治42年(1909)には赤羽~品川間、池袋~田端間、大崎~大井連絡所(貨物支線)間の路線が、正式に「山手線」と名付けられた。
1909年はまだ国鉄ですらない時代で。駅も増えたし名前も「山手線」になったが、この時点ではまだ現在の環状線ではなく「C」字形。
 その後、大正8年(1919)、東京まで開通した中央線と合わせて、中野(中央線)東京・品川・新宿・池袋・田端・上野の駅で、「の」字形での運転がされるようになった。
 大正14年(1925)になると秋葉原まで伸びていた東北本線と神田駅が結ばれ、東京~上野間の高架が完成したこともあり、ついに山手線が一つの円になり環状運転が開始された。

山手線2.jpg

投稿者 Master : 2020年04月22日 10:08

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