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2007年12月25日

08年2月例会「観光立国の鍵は海から!」

観光立国の鍵は海から!~保田漁港で新しいバカンスの可能性を探る~

*写真:ハンブルグヨットハーバーにて07年11月撮影
政府は、外国人客1000万人の観光立国を目指して、「観光庁」の新設を決めました。
これは、海外における日本人気のすごさ、従来から認められている茶道や能・歌舞伎などの日本文化に、和食、マンガ、アニメ、武道、温泉、建築などの人気が加わって、海外において日本ブームが展開されていることに着眼した結果です。

海外から多くのお客様を迎えるための新しい開発資源があります。日本に昔から存在しながら、いまだ手付かず、未開拓の観光資源、すなわち海の活用です。日本は海に囲まれています。それなのに海岸は漁港としてしか活用されていません。

しかし、眼をヨーロッパに転じれば、海岸は漁港とヨットマリーナの両者で活用しあっています。海からの産物としての魚介類産業と、スポーツとバカンスを兼ねたマリン産業が発達し、定着し、港から港を巡って旅をつづけています。

現在、日本には3000ヶ所もの港があります。その日本全国の港を、ヨットやボートで移動し、停泊し、気に入ったところで上陸し、その地の名所を訪ねまわるというヨーロッパ形の観光スタイルが定着することになると、外国人客1000万人というレベルではなくなります。
フランスのように自国の人口を超える観光客でにぎわうことになり、その結果、日本は新しい観光立国、付加価値国家として生まれ変わることができるのです。

しかし、この実現には多くの理解者が必要です。
経営ゼミナールでは、この「欧米型港活用ヨットハーバー」の実現に向けて研究会を開催いたします。
その夢の実現モデルケースは、千葉県鋸南町の保田漁港です。保田漁港にはゲストも使用できるゲストバースがあるため、多くのヨットやボートがクルージングで訪れ賑わい、漁協が運営するレストランも賑わう成功モデルであります。

講師は、「海洋観光立国のすすめ」(共著)を昨年出版し、この新しい日本の魅力を実現しようと奮闘している若き女性の明戸真弓美さんです。
経歴:1970年生まれ。大阪市、青森県十和田湖育ち。岩手大学人文社会学部人文社会科学科卒業、東京大学大学院綜合文化研究科修士課程言語情報科学専攻終了。國學院大學大学院経済学研究科博士課程後期経済学専攻2007年3月満期終了。NPO法人地域交流センターにて「日本ぐるっと一周・海交流」など事務局担当。

新しい日本の魅力・価値をつくりあげようとする、明戸さんの夢提案を保田の海で聞き、その実現に皆様の知恵をお借りしたいのです。
加えて、保田漁業協同組合からも、保田漁港の未来構築について熱い想いを発表していただきます。
2008年の経営ゼミナールは、現地、現場、現認をモットーとし、保田漁港へのバスツアーを開催いたします。

2月18日(月)の開催の新しい日本の夢づくり研究ゼミナールに、是非ご参加されますことを期待しております。

開催要領
開催日時:平成20年2月18日(月)9:00~17:00
参加費: 10,000円 (全行程バス利用で、バス代・昼食代込み)コース: 東京駅 ~ アクアライン・館山道~保田港~保田にて例会
     11:00~11:30 保田漁協発表 
     11:30~13:00 明戸氏発表と質疑応答
     13:00~14:30 昼食・休憩
     ~館山道・アクアライン ~ 海ほたるにて休憩 ~東京駅

会 場: 鋸南町の保田漁業協同組合会議室 
千葉県安房郡鋸南町吉浜99-5  電話:0470-55-0528
昼 食: 保田漁協直営のレストラン「ばんや」にて、新鮮な地魚を使った漁師料理をたっぷり味わいます。あまりの新鮮さ、量の多さに驚かないようにしてください。
「ばんや」電話:0470-55-4844
URL:http://www.awa.or.jp/home/hota-gk/menu.htm

お申し込み:平成20年2月12日(火)まで
経営ゼミナール事務局宛て、下記参加申込書又は経営ゼミナールの例会参加申し込みページからお申し込み願います。
定員30名を予定しておりますので、お早めにお申し込みいただきますよう願いいたします。

投稿者 Master : 14:20 | コメント (0)

2007年12月24日

2008年1月の例会のご案内

 1月の例会は、1月21日(月)に開催いたします。講師は、経営ゼミナール代表
山本紀久雄が年頭のご挨拶と「BRICsとVISTAから見る世界経済」を発表いたします。

BRICsとはブラジル・ロシア・インド・中国の4か国、VISTAとはベトナム・インドネシア・南アフリカ・トルコ・アルゼンチンの5か国です。これが世界の有力新興国と言われている国々です。
ところで、2007年の世界経済はサブプライムローンで大きく揺れ、そこに原油高が加わり、さらに日本経済は、建築基準法改正による住宅着工数減の影響で、年末の日本経済は一気に低迷しました。

新しい2008年、世界と日本の経済はどのように展開するでしょうか?
昨年1月の経営ゼミナールで発表いたしました「2007年の経済予測」は見事に外れました。理由はサブプライムローンと建築基準法改正について妥当な予測をできなかったことで、深く反省しております。

今年はどう展開するか。そのキーワードは「新興国の台頭」をどのように見るか、これにかかっていると予測いたします。
今や、日本から世界を見て判断することは危険です。世界から日本経済を見なければ誤ります。それが2007年のサブプライムローンと原油高でハッキリしました。
2008年もサブプライムローンと原油高は続きます。それに加えて、年毎に増してくる有力新興国の影響、それを探るべく2007年に該当国を訪れ足で調べた実態を整理し、企業経営と日常家庭生活の両者の視点から予測いたします。

1月の経営ゼミナールは、2008年予測を、皆様方がご関心深い身近な角度から展開いたしますので、多くの方にご参加賜り、ディスカッションをお願いしたいと思っております。


1.日時 平成20年1月21日(月)
6時集合(食事を用意しています)
今月は6時15分より経営ゼミナールを開始 
8時半終了予定です。
   

2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
      千代田区丸の内1-3-1 Tel:03-5252-3791
      東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)
      アクセス:http://www.kaikan.co.jp/bankersclub/access/access.htm

3.テーマと講師
   「BRICsとVISTAから見る世界経済」
経営ゼミナール代表 山本紀久雄


1月21日(月)開催の例会に、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。

投稿者 staff : 16:44 | コメント (0)

2008年2月例会の予定

 2月の例会は、2月18日(月)に開催いたします。


 政府は、外国人客1000万人の観光立国を目指して、「観光庁」の新設を決めました。
多くの外国からのお客様を迎える一つの方法があります。日本には昔から存在しながら、いまだ手付かず、未開拓の観光資源、すなわち海の活用です。
その海を活用した「欧米型港活用ヨットハーバー」の実現に向けて研究会を、その夢の実現モデルケースとしての千葉県鋸南町の保田漁港で開催することにいたしました。バスツアーにて開催いたしますので、終日の例会となります。

講師は、「海洋観光立国のすすめ」(共著)を昨年出版し、この新しい日本の魅力を実現しようと奮闘している若き女性の明戸真弓美さんです。

別途2月例会のご案内チラシを同封しておりますので、ご参照いただきまして、
2月18日開催の新しい日本の夢づくり研究ゼミナールに参加のご予定をよろしくお願いいたします。

投稿者 staff : 16:42 | コメント (0)

2007年12月23日

経営ゼミナール12月例会報告

新装になった山形県銀山温泉旅館藤屋にて開催、講師は女将の藤ジニー氏。前日までなかった雪でしたが、当日一面の銀世界が出迎えてくれました。

銀山温泉の女将の会会長であり、数々の政府の委員会のメンバーである藤ジニー氏の発表を聞く。


翌日旅館前で藤ジニー氏を囲んで。
旅館藤屋は、隈研吾氏の設計により、日本の伝統的素材の竹、和紙、ガラスを生かして、外国の方にもも受け入れられるシンプルモダンな和風建築の高級旅館に生まれ変わりました。
「日本人には日本がたりない」という意見も持つ女将、ご自分の体験、経験を生かして「日本」を旅館経営の中に生かしています。

投稿者 Master : 16:35 | コメント (0)

「旅館藤屋の新旅館の方向性と考え方」

経営ゼミナール ワンポイントレッスン 2007年12月16日
「旅館藤屋の新旅館の方向性と考え方」
銀山温泉・藤屋旅館女将・藤ジニー氏

山形新幹線の大石田駅を降りると、金髪の着物美人が満面の笑顔でホームにいる。東京から同じ列車で戻ってきた藤屋旅館女将・藤ジニーさんである。正月二日のテレビ出演の収録を終え、経営ゼミナールの例会のために帰ってきたという。翌日は、再び東京へ出かけるという人気である。雑誌や新聞で見るより、実物の方が一段と素敵な女性だ。

昨年7月に新築オープンした藤屋旅館の広いロビー、その一画フロアを区切って、
ジニーさんに「旅館藤屋の新旅館の方向性と考え方」について発表していただいた。
改革は大成功で、その要因として以下の三点が挙げられる。

1.環境面・・・立地条件の活用
400年の歴史を持つ銀山温泉は、中央に川が流れ、それを挟んで14件が軒を並べている。藤屋旅館はその中心部に位置しているが、背後は山の崖であり、敷地は狭い。そこに昭和5年建築の25部屋旅館で経営を続けてきた。
しかし、お客の満足を得るには、今までの設備環境では無理と判断し、改革に踏み切った。狭い土地であるから、大きな建物は造れないという条件を活用し、隈研吾氏設計による「時間と空間を重ね合わせる」コンセプトで、客室8室という少数部屋の贅沢空間を創りあげ、料金も3.5万円を最低価格にした。
不利な狭い土地という環境条件面を、逆活用したことが第一成功要因である。

2.時流・・・世界の日本ブーム
世界は日本ブームである。昔から認識されていた茶道や能・歌舞伎などの日本文化に加え、最近の人気は和食、マンガ、アニメ、武道、建築などが展開され、この中に温泉も含まれている。また、その日本ファンもマニアックになり、普通程度の日本理解では満足しない人たちが、日本の温泉研究を様々な角度から行って、日本の温泉に来ている。
その証明が藤屋旅館で、世界各地、アジアは当然としても、欧米・オセアニアや遠くアフリカからも藤屋旅館に宿泊し、客数の四分の一が外国人という実態である。
このように、外国人に受け入れられる新築日本式旅館にし、今の時流であるグローバル化を採り入れたこと、これが成功の第二要因である。

3.キャラクター・・・女将の魅力
 藤ジニーさんの魅力がお客を呼んでいる。ジニーさんは2002年の公共広告機構・国際化キャンペーンCMにも登場し、知名度抜群であり、農林水産省、文化庁、国土交通省、文部省、内閣官房の各委員会メンバーである上に、銀山温泉の女将会の会長も勤めている。正に八面六臂の活躍で、このジニーさんに会いたいというお客も多数訪れる。つまり、女将の魅力付けというセオリーも兼ね備えていること、これが第三成功要因である。以上。

投稿者 staff : 12:38 | コメント (0)

2007年12月21日

2007年12月20日 何を成功基準とするか

環境×文化×経済 山本紀久雄
2007年12月20日 何を成功基準とするか

NYに来た香港人
前号で、ドイツ人の日本好きをお伝えしましたが、香港にも「東洋迷」と呼ばれる、熱心な日本ファンが増えているようです。「東洋」は日本を意味し、「迷」とはマニアを意味し、普通程度の日本理解では満足しない人たちが、日本研究を様々な角度から行ってから、日本に来ているらしいのです。


その影響は「ぬりえ美術館」にも現れています。昨年、掲載された香港の雑誌を手に、都電巡りしながら荒川区の「ぬりえ美術館」を、何人もの香港女性が訪ねてくることを確認できることから、「東洋迷」は事実であると判断します。
しかし、今年の6月、NY元パンナムビルの近くの、弁護士事務所勤務の香港人女性は、意外な事実を語ってくれました。現在40歳。7歳のときにNYに来ましたが、それまでは香港の小さな一室に6人で住む困窮家庭であり、自宅の回りも同様の貧しい家庭だらけで、玩具など買ってもらえる環境ではなかったといいます。
この女性が香港にいたのは、今から33年前の1974年、昭和49年ですが、その頃の香港は貧しかったのでしょうか?。
当時、仕事の関係で何回か香港に行きましたが、街中は活気に溢れていましたし、あの頃は多くの日本人が、世界の一流ブランド品を買いに香港に行ったと思います。ですから、景気は悪くなかったと思っていましたが、この女性から聞いた内容は、こちらの理解とは大きく異なっていました。

今の香港
香港郊外に住む19歳の女性、ファストフード店勤務で月収6万円、35平方メートルのアパートの4人暮らし、お金がないので高校にも行けない。
このような貧しい人たちが増えて、所得格差が広がっていると、日経新聞「民力アジア」連載(2007.11.26)の中で報道されました。
さらに、同記事は続けます。香港で貧しい人が増えていることに加えて、会社員は「仕事が楽しくない」という人が全体の89%もいて、これは前年より14%も増え、その要因として「香港ドリーム」が見えないことだと結論化しています。
また、その延長として、起業家が減少し、起業家の割合は調査対象35カ国の下から3番目であり、挑戦を恐れる機運が広がっているとも伝えています。
しかし、最後に、有機野菜レストランで成功した経営者が語った言葉、「自分の足で成功の機会を探さない限り問題は乗り越えられない」という記事で終着させています。

ストーリーの筋書き
この記事を読み終えて、なるほどと思いつつも、NYで香港女性の話を聞いている立場としては、今も33年前も、いつでも貧しい家庭は存在するという、世の中のセオリー通りである事実確認情報として、まず受け止めました。
次に、記事のストーリー展開が、最初に貧しい人の事例を挙げ、次に、その要因は所得格差の拡大であり、その背景には「香港ドリーム」が見当たらないからであり、事業意欲も低下しているが、しかし、個々に見れば成功している人もいる。
だから、「自分の足で成功の機会を探すべき」という「べき論」、つまり、成功者になれという主張で、その成功とは「お金」を得ることにおいています。

成功基準
成功というものを、お金を基準として判断すれば、必ず持ち高で序列がつきます。また、金額という数字は明確ですから、必ず所得格差として表現できます。
つまり、格差が確実に発生するものを成功基準として、今の実態を論じるのですから、当然に生じるであろう格差へのからくり、それをわかっていながら、次に、今度は、その生じた格差を問題として指摘する、というストーリーの展開です。
このような書き方が、日経新聞の一面紙上でなされ、読者はそれを疑問を持たず読んでいる人が多いと推察いたします。

時代は変わっている
第二次世界大戦が終わったとき、日本人の殆どは食べられない生活でした。その当時を体験している者として、お腹を空かして、食べ物探しに歩き回ったことを鮮明に記憶しています。ところが、今はどうでしょうか。食べられない家庭という存在、皆無とはいえないと思いますが、周りを見渡すと「ほどほどの生活レベル」の人たちが普通です。
つまり、普通の生活ができているという前提に立った上で、お金を基準にして格差を論じているのです。NYで会った女性、香港にいては一家が食べられないので、手づるを探して、アメリカへ脱出し、NYの叔母さんから人形を貰って、生まれて始めて人形を抱きしめたという、哀しくも嬉しかった思い出を語ってくれました。
しかし、今の日本も香港も、一般的に「食べられない」「人形を持てない」というレベルではありません。日本の戦後や、33年前の香港とは比較出来ない豊かさなのです。

良い仕事を続ける
ロボットデザイナーの松井龍也さん、ロボットデザインの草分けで、1969年生まれの38歳が、次のように語っています。(日経07.11.25)
「研究者やマニヤのものだったパソコンは、アップルのようなベンチャー企業が一般の人にどのように使ってもらうか考えて、工業製品としてデザインしたから、産業になった。ロボットでもそれができないかと思って、2001年にロボットのデザイン会社を設立しました」と語っています。
ロボットに眼をつけたのはパソコンの事例からであり、それまでの都市計画分野から転じた結果、今や世界的評価の高い人物になって、さらに、次のように語ります。
「僕たちの世代にはマネーゲームに懸命な者もいますが、少人数で質の高いものを創出したいという者が多い。生意気なようだけれど、物質的な豊かさを知っている世代ですから。良い仕事を続けるには、会社も家計も赤字を出さないことが大切だけど、お金持ちになる必要はないのです」
つまり、成功基準は「お金」ではなく「良い仕事を続ける」ことにおいているのです。

中田英寿
元サッカー選手の中田英寿さんが、責任監修したというクーリエジャポン2007年
12月号が、発売直後完売し、増刷したと編集長が1月号で語っています。これで中田さんの人気のほどが分かります。その中田英寿さんが国際サッカー連盟(FIFA)の親善大使になりましたが、クーリエジャポン1月号で、30代女性読者からの質問「世界のために自分は何ができるのだろうか」に、「自分が“良い”と思うことを少しでもこつこつ積み重ねてやること」だと答えています。

野村ホールディング
米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)関連で、1400億円超の損失を計上した野村ホールディング、米国の関連事業から完全撤退を決め、来年に向け、次の戦略を古賀信行社長が次のように語りました。(日経2007.12.15)
「米国では、自分の得意な分野以外にも中途半端に事業を漫然と広げすぎていた。これまではグローバル化を進めることが自己目的化していた。しかし、本来はまず顧客がいて、顧客ニーズがある分野に事業を特化すべきだ」と。
なるほどと思います。あの優れた野村集団でも、自社にとって「良い仕事を選ぶ」という基準ではなく、事業を漫然と展開していたのです。

何を成功基準とするか
サブプライムローン問題で、一斉に日本経済も世界経済も成長率を下方修正という事態となりました。時代の変化は常に続き、予測できない大問題が発生します。このような社会で生きていく、企業経営を続けていく、そのためには判断基準を変化させる必要があるようです。つまり、成功基準として何を選定するか。それが問われる2007年の年末ではないでしょうか。今年一年間の愛読を感謝します。良いお年をお迎え願います。以上。

投稿者 staff : 10:20 | コメント (0)

2007年12月06日

2007年12月5日 ドイツの日本

環境×文化×経済 山本紀久雄
2007年12月5日 ドイツの日本

中田英寿さん

サッカー界から引退した中田英寿さんが旅を続けています。その中田さんが旅の中で感じた日本について、次のように述べています。(クーリエ・ジャポン12号)

「悪い印象はないでしょうね。日本人って非常にいろんな国で受け入れられていると思うんですよ。もちろん戦争で戦った国なんかは別かもしれないですけど、特にヨーロッパでは日本のイメージは良くて。まずは経済、あとはテクノロジーとかで日本はすごいというイメージがありますし、他には禅のイメージも強くて、日本人は他の人種に比べて怒らないし、すごくいい人たちが多いと思われている。ビザや国境での手続きでも、日本人は信用されているし、これは大きなメリットだと思いますね」

 これに全く同感です。

カールスルーエの街

カールスルーエはドイツ南西部、バーデンウェルテンベルク州、街の中心に城があり、そこから放射線状に道路が広がっている、バロック時代の典型的な計画都市です。第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、歴史的建造物の大部分を元通りに修復しました。ドイツでは戦災の被害から、街を元通りにすることが多く行われていますが、どうもその発想の根源に、「街は記憶装置」(池内紀氏)という考え方があって、街並みをがらりと変えてしまったら、過去の歴史が消えてしまう、という意識が強いように感じます。

その代表例がカールスルーエで、ドイツで始めての名門工科大学もあり、石油精製、電機、機械、鉄鋼、建築資材、医薬品などの企業も多く、人口は約30万人の街です。


カールスルーエの独日協会との縁

カールスルーエを知ったのは一人の建築家からでした。温泉で有名なバーデン・バーデンで、かの美人女優マレーネ・ディートリッヒが「世界で最も美しいカジノ」と称した建物を見学し、これがフリードリヒ・ワインブレナー(Friedrich Weinbrenner)の建築であって、カールスルーエで市庁舎他有名建築物を遺していることを聞き、それを見に行ったことからでした。

その後何かとこの街には縁があり、何回か訪ねるうちに、ここの独日協会という組織の存在を知ったのです。独日協会とは、日本に関心ある人々が集う会です。


ドイツのクラブ活動

ここで少し補足したいと思いますが、ドイツ人の余暇の過ごし方は、日本人に比べ個性的で、多くの人は「クラブ」を拠点として余暇活動をします。

この「クラブ」とは、同好の士が集まってつくるもので、いわゆる何々同好会とかの名称をもち、おもに公益法人としてNGO・NPO のような性質と、学校のクラブ活動の性質を兼ね備えたものです。合唱会、切手収集、つり同好会、コーラス、まんがアニメ同好会、ありとあらゆるスポーツ団体もあり、その中には黒い森同好会(活動はおもにクロスカントリー)などなど多彩で、この一つとして独日協会があり、この他に日本語学校も同好会として組織化されています。


独日協会の日本好きな人

現在、カールスルーエの独日協会は、会員200名、内日本人は12名、年齢は高校生から高齢者まで幅広く、毎月定例会が開催され、平均して30名から40名が参加し、日本食レストランで食事しながら熱心に活動しています。

活動内容は、勿論日本の研究ですが、今回、その会員のお宅にお伺いする機会がありましたのでご紹介いたします。

(横浜に4年住んで好きになった)

カールスルーエの目抜き通りを走る路面電車で終点まで行き、森を開発した住宅街の地下一階と地上三階の棟続きの家、そこの46歳の専業主婦を訪問しました。

ご主人は電機関係の仕事で日本に転勤し、昨年まで4年間横浜に住んでいました。

玄関に入るとコート掛けの隣に、見慣れた日本語がかかっています。何と相田みつをの掛け軸です。日本にいた時に三回も「相田みつを美術館」行ったと、日本語で語ってくれます。上手な日本語ですので、日本で一人旅ができたでしょうと伝えますと、頷き、一番の思い出は、夫と子供が先にドイツへ帰った2006年の夏、一人で京都と紀伊半島を廻ったことだ、とうっとりした表情で語ります。

さらに、日本食も大好きで、中でもすしが好きで刺身も自分で作って食べるし、てんぷらを揚げ、そば・うどんも打つというレベルです。カレンダーも日本の風景物ですが、企業名はカットするという細かい配慮が行き届いていて、二階への階段には東海道の浮世絵が飾ってあります。

玄関からキッチンと居間はワンルームで、水道水を薬缶で沸かし、急須に煎茶を入れて出してくれます。水道水はそのまま飲めます。壁の食器棚の上には、ヤマサ風味出しの缶、柿の種の大きな缶、だるまが三個など飾られ、家の中は日本が一杯です。

趣味はスポーツで、サイクリング、ハイキング・ワンダーフォーゲルですので、日本でもよく鎌倉界隈と東京周辺、加えて北海道から伊豆、京都、紀伊半島、岡山、広島、九州を廻り、温泉も各地に行ったが草津の露天風呂が一番よかったといい、日本のよさは伝統文化と自然だと言い切りますが、地元の温泉バーデン・バーデンには行ったことはないと笑い、日本人より日本が詳しいと、再び爽やか笑顔を見せます。


(すし教室参加から日本好きに)

教会前に建つアパートメントの二階。入ると天井が高く、廊下の壁には現代絵画デザイン、居間には大きな現代画が立てかけてあり、機能性と知的感と創造性がミックスされた、180㎡の夫婦二人住まいの高級住宅です。

その中の一部屋は日本部屋で、奥さんの名前であるルボム「留慕夢」の掛け軸から始まって、日本に関する本や資料・物品が部屋に溢れています。

日本とのきっかけは、すしです。奥さんがご主人に、市民大学「すし教室」のチケットをプレゼントし参加し、独日協会を知り入会して、カールスルーエ合唱クラブの日本公演に随行し、日本各地を廻って、今や大の日本ファンになったのです。

この合唱クラブは、カールスルーエ音楽大学教授が指導し、アマチュアの域を超えていると自慢していますが、すしの魅力から日本好きになったように、今やすしの人気は、世界中に広がっていることを証明する事例です。


(日本の軍人に出会ったことから)

カールスルーエの郊外駅を降り、小高い丘の坂道を歩き、道路からのアプローチが長い一軒家のドアを開けると、赤いセーターにジーンズの76歳の長身女性がにこやかに立っています。お土産のポーチを渡すと、中から膨らませるためのビニール袋を取り出し、ここに日本の空気が入っていますね、と懐かしさに溢れる表情を示します。

この女性と日本の接点は11歳の時に遡ります。北ドイツ地方で父が軍港を造る仕事をしていた関係で、その地方に住み、よく妹と海岸の砂浜で遊んだ。

ある日のこと、向こうから他国の見慣れない軍服の人が、手を後ろに組んで歩いてきて、一つの果物をくれた。始めて見るもので、リンゴではないということは分かったが、どうやって食べるかわからなかったので、そのまま口にすると苦かった。その軍人は笑って皮を剥いて食べさせてくれた。甘いみかんで美味しかった。

次に、ポケットから一枚の写真を出して見せてくれた。家族が写っていたが、ドイツとは違う服装、中国人ではないと直感的に思い、後で知ったが着物姿であり、日本人だと分かった。そのとき以来、ずっと強く日本に興味があり、日本の本や資料で日本を研究し、庭を日本庭園にした。そう言われ庭を見ると灯篭がいくつもあります。

この庭仕事をしてくれた庭師から、独日協会の存在を知り、紹介してもらい訪ね、日本に行きたいと申し出をすると、入会しなさいといわれ、1998年に3週間、憧れの日本に行くことが出来た。実際の日本は素晴らしかった。表現できないほど夢中で旅を続けた。勉強した日本語がデパートで通じ、買い物が出来たのも嬉しかった。


中田英寿さんの発言通り、ドイツ地方都市でも日本が受け入れられています。以上。

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