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2011年04月21日

2011年4月20日 日本のイメージをどうするか

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2011年4月20日 日本のイメージをどうするか

今から143年前の江戸市中

今回の東日本大震災と福島第一原子力発電所(福島原発)事故、被害と問題内容は異なりますが、大事件という意味では143年前の江戸市民も同様でした。今まで将軍様より偉い人は知らなかった江戸っ子にとって、京に天子様がいるなぞということは、ずっと長い間意味のない存在だった。その身近で最も偉い将軍様であった十五代将軍徳川慶喜が、突然大坂から戻ってきて、江戸城で喧喧諤諤の大評定をしていると思っていたら、突然上野の山に隠れてしまって、代わりに京の天子様の命令で、薩長の輩が官軍という名聞で江戸城に攻めてくるという。攻撃されると江戸市中は火の海になって、壊滅するかもしれない。店や住まいが燃えてしまう。これは大変だ。どうしたらよいのか。町中大騒ぎになって、ただ右往左往しているだけだった。今まで考えたこともなかった事態が突如発生し混乱の極に陥りました。

山岡鉄舟が江戸市民に諭した事

この時に山岡鉄舟が登場し、そのことを歌舞伎役者の八代目坂東三津五郎(1906~75)が次のように、鉄舟研究家として著名な故大森曹玄氏との対談で述べています。

「山岡鉄舟先生は、江戸城総攻めの始末がついてからのち、それでなくとも忙しいからだを、つとめて人に会うようになすった。それも庶民階級、まあ、出入りの植木屋さんから大工さん、畳屋さんから相撲取りから、話し家、役者、あらゆる階級の人たちに会って、鉄舟さんのおっしゃった言葉は『おまえたちが今、右往左往したってどうにもならない。たいへんな時なんだけれども、いちばん肝心なことは、おまえたちが自分の稼業に励み、役者は舞台を努め、左官屋は壁を塗っていればよいのだ。あわてることはない。自分の稼業に励めばまちがいないんだ』と言うのです。このいちばん何でもないことを言ってくださったのが、山岡鉄舟先生で、これはたいへんなことだと思うんです。

今度の戦争が済んだ終戦後に、われわれ芝居をやっている者は、進駐軍がやってきて、これから歌舞伎がどうなるかわからなかった。そのような時に、私たちに山岡鉄舟先生のようにそういうことを言ってくれる人は一人もおりませんでしたね」(『日本史探訪・第十巻』角川書店)

さすがに歌舞伎界の故事、先達の芸風に詳しく、生き字引と言われ、随筆集「戯場戯語」でエッセイストクラブ賞を受賞した八代目坂東三津五郎です。鉄舟にも詳しいのです。

福島原発事故で諭せる人物はいるのか

三津五郎が指摘した鉄舟の諭しと同様な事を、福島原発事故で、国民が納得するように諭せる人物はいるのでしょうか。

多分、どこかにいると思いますが、仮に鉄舟と同様のことを述べたとしても、鉄舟とは人物の器が違っているので、影響力が比較にならず、国民に対して大きな感化力を持てないので、誰も気づかずに毎日をすごしているのではないでしょうか。

それより、返って諭すということでなく、東京電力の対応を責め、政府の対策を問題点とし、菅首相の辞任にまで公然と国会やマスコミで論じるのが今の実態です。政府や首相は、確かにまずい対応が重なった事も事実ですが。

だが、まずくても、原発の成りゆきを世界中が息をひそめて見つめているのですから、与野党の権力争いとして原発問題を対象とするのはもっての外です。

それより今最も必要で大事な事は、原発事故内容の事実を正確に把握する事です。事実が分からないから、東電や原子力関係者が困難を来たし、国民も分からないからハラハラドキドキの毎日なのです。事実確認に全精力を投入する事が、早い解決への道であり、先決事項で重要です。鉄舟は駿府で官軍実質総司令官である西郷隆盛と直に会い談判し、江戸無血開城を決めてきたという事実確認を持ち得ていたからこそ、江戸市民を諭す事が出来たのです。

どうして権力闘争に走るのか

政治家は、口では「与野党協力」と言いながら「行動は醜い権力闘争」をしているのが実態ですが、では何故にこのような国民の期待を裏切る行動をしているのでしょうか。

実は、その理由は我々国民に存在しています。福島原発事故が起きて、我々に何を一番もたらしたのでしょうか。勿論、マスコミから流される東日本大震災の状況に涙し、義援金を届け、ボランティアに参加しています。この事ではなく我々の精神面に3月11日以降、何が生じているかです。3月11日以前とは全く違う気持ちが生まれています。

それは「緊張感」です。原発問題が我々の生活に「恐怖感」をもたらしています。外国人が一斉に帰国したのが、この気持ちを表した実態姿です。外国人は帰るところがある。しかし、日本人は今住んでいるところから動けない。そこに毎日報道される放射能汚染の危険性、食べ物に対する注意事項、それらが我々に強い緊張感を生じさせているのです。

これが以前と異なる日本社会の実態で、それが政治家の権力闘争の要因なのです。

いじめと同じ構造

あるグループに緊張感という欲求不満、フラストレーションが溜まると、そのグループ内にどのような行動が発生するのか。実は、グループ内の人々は、欲求不満が講じてくると、必ずといってもよいあるパターン行動に移ります。

それは、欲求不満を解消しようとして攻撃する対象を定めるのです。そして、定められる対象は「弱き人」です。弱いものを見つけ出し、それに向かって集団で「いじめ」行動を取り、いじめられる側がいじめに従うと欲求不満が一応おさまるのです。

いじめられる側は大変ですが、これが差別とかいじめの背景にあるという実態を認識すべきです。今回の原発問題で、強く危機感と緊張感を持った我々の気持ち、それを政治家が察し、その解消行動として政府・首相を激しく攻撃しだしたのです。

だが、通常のいじめ対象と政府・首相は異なります。正面から受け立っていますから、攻撃側は激昂し一段と菅内閣打倒に走るでしょうし、これからも激しく醜い闘いが続くと思いますが、一日も早く攻撃する政治家連中が、自分が低レベルのいじめ構造で動いている事を認識して、権力闘争はやめるべきです。
今は一致団結して原発問題の事実確認を急ぎ解決する事です。そうすれば国民の強度の緊張感が消えますから、それからゆっくりと激しく権力闘争すればよいのです。

日本のイメージをどのようにつくり直すか

日本が観光立国・観光大国化政策を掲げた事に賛成し、フランスのアシェット社に協力を得て「温泉ガイドブック」を世界50カ国の書店に配架する計画を、観光庁と経産省のクールジャパン室に提案した事は既にお伝えしました。

しかし、この提案は藻屑と化しました。放射能の危険がある国に観光に来たいと思う人はいません。今後長期間、日本は観光客で低迷する事を覚悟しなければなりません。観光地は日本人のみでしょう。仕方ない事です。日本は安全で清潔だというイメージは崩壊しました。

原発問題はかなりの時間がかかるでしょうが、いずれは解決するでしょう。しかし、解決した後の傷ついた日本のイメージをどのような姿に再構築すべきなのでしょうか。

今はこのイメージ構築を議論すべき時です。既に、政治家の中で考えている人物はいると思いますが、鉄舟レベルの人物が存在しない実態ですから、政治家に任せるのでなく、我々一人ひとりが考えなければいけません。

鉄舟が「おまえたちは、自分の稼業に励めばまちがいないんだ」と言った事に加えて、もうひとつ「原発後の日本イメージ」をどうするのかという事を、自分の稼業に励む以外に、それぞれ考えなければいけないと思います。

援助受け取り世界一

東日本大震災で、日本が2011年に世界から援助を受ける額は864億円になる見込みで世界一になります。それまではスーダンが一番で638億円、アフガニスタン350億円、ハイチは280億円です。今までは援助する国の代表的存在だった日本は、世界中から助けられる立場に激変しているという事実を、世界中の人々が示してくれた「愛・同情」に感謝しつつ、我々は深く認識すべきでしょう。

ところで、日本は武士道の国です。武士道では「愛・同情」を「仁」と位置付けています。この「仁」を受けた日本は、世界中に「義理」を負ったわけで、「義理」に対する「お返し」をするのが「道理であり、条理であり、人間の行うべき道」でしょう。では、我々はどうやって「お返し」すべきなのでしょうか。

観光立国が非現実化した日本、変わるべき「イメージ戦略」の構築と、世界への「お返し」を具体的にどのようにすべきか、それを課題として一人ひとりが考えたいと思います。以上。

投稿者 Master : 08:50 | コメント (0)

2011年04月06日

懐かしい生き方へ・・・その二

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2011年4月5日 懐かしい生き方へ・・・その二

東日本大震災と危機管理

前号で「武士道」を考察するとお伝えしましたが、変更して、少し今回の東日本大震災から学ぶべき危機管理項目を取り上げたいと思います。
まず、大前提として大事な事は、日本列島は新たな地震活動期に入っているという事実を再確認すべき事です。また、現在の危機管理体制は、大正12年9月(1923)の関東大震災による88年前の体験からつくられたものが中心になっているので、それらを見直さなければいけないという事です。

関東大震災による88年前の体験からつくられたものが中心になっているので、それらを見直さなければいけないという事です。

具体的に言えば、当時と今では「オフィス・住環境」が著しく変化しています。今の都市では超高層ビルが乱立しています。88年前は存在していませんでした。今回の地震、高層ビルの上層階ほど揺れました。地震発生後、エレベーターが停まった高層マンションから階段を歩いて降りて、上を見ながら道路際に佇む人々をたくさん見ました。地震の揺れがさぞかし怖かったのでしょう。専門家に言わせれば、室内の家具転倒防止具のL字型金具で留めてあっても、その効果が効くのは6階までとの見解です。

近く予測されている「東京湾北部地震M7.3」が発生したら、家具類は凶器に変化するでしょう。冷蔵庫は90kg、洗濯機は60kgもありますから。さらに、オフィスに常備している自販機は350kgから800kgあります。これが凶器になって、人に襲いかかります。
人間は自分の体重の4倍以上の加重が、胸部を強く圧迫した場合70%以上の人が   10分以内に死ぬといわれています。

つまり、自分が関係する建物の耐震構造度合いによって、危機への事前準備と、実際の地震時の行動が違ってくるのです。「地震発生時に外に出ないこと」とか「机の下に入る」というような言い古された教訓は、自らの環境を判断して見直すべきでしょう。

3月11日の体験

東日本大震災発生時、私は浜松町駅ホームで電車を待っていました。突然、頭上の蛍光灯が大きく揺れ出し、目の前の広告看板が動きましたが、ちょうどその時、京浜東北線が到着しドアが開きました。

頭上からモノが落下する可能性もあるので、いち早く電車内に入りましたが、揺れは何回も続き、当然ですが電車は動かず、しばらくすると構内マイクで「この地区は芝公園が避難地区なので、そちらへ避難してください」とあり、駅が閉鎖されました。

この時、考えたことは「土地勘があるところに行こう」ということでした。知らない場所ではかえって危ないと思ったのです。土地勘があるところとは、長く勤め人をしていた銀座地区であり、今の仕事でよく行く東京駅近辺ですので、浜松町から歩きだし、最初は銀座の松坂屋に行きました。何故かというと、松坂屋の一階から地下に降りる角に固定電話があることを知っていたからです。

携帯電話は全く機能しませんでした。家族と、当日の会合責任者に連絡を取らねばいけないので、固定電話を探しましたが、公衆電話ボックスの前は長蛇の列。そこで思いだしたのが松坂屋なのです。次に、携帯電話は消耗して赤印となっていたので、松坂屋前のドコモショップ地下で充電しました。その間に、そこにいる人々と情報交換しましたが、皆さん、これからどうするか困っているだけでした。

一時間半程度で充電でき、東京駅の地下街に向かいました。もう夕刻でしたので、地下街なら何か食べられるだろうと思ったわけですが、行ってみるとどの店も既に完売で閉まっています。また、既に段ボールを敷いて夜を過ごす準備の人が大勢いました。

一瞬、一緒に地下街で過ごそうと思いましたが、何も食べていないので、八重洲口地上に出て食事場所を探しましたが、どこも満員。ようやく一軒の居酒屋に入り、カウンターに座ることができましたが、私の後から来た人は全店断られていました。

カラオケボックスに泊る

食事しながら回りの人々の会話を注目していましたら、若い男性の「今日はカラオケボックスだ」という発言が耳に入りました。そうかホテルがダメだからカラオケボックスにしようと、直ぐに居酒屋の女将にお握りをつくってもらい、カラオケボックスに行きましたら、既に大勢の人が受付に並んでいます。ようやく受付が終りましたが、私の次の人は「満室です」と断られました。

カラオケの部屋に入って携帯で家族に連絡しようとしましたが、まだつながらず、あきらめてソファに寝たわけです。飛行機の座席で寝るよりはずっと快適でしたが、朝五時には閉店で、東京駅に行きましたが、まだ電車は動いていません。

東京駅構内と地下街は人で溢れていましたが、驚いたことにゴミが無いのです。大きなビニール袋を持つ係りが廻り歩いてゴミを回収し清潔で、大勢の人々も山奥にいるような静けさで、誰も慌てていません。ただ、ジッとテレビに見入っていました。

自宅方面への始発電車がある上野駅まで歩こうと、日本橋の高島屋前を通りますと、店内一階売り場に大勢の人が椅子に座っているではありませんか。そこで正面入り口に行きますと、社員が「どうぞ、お休みください」とドアを開けてくれます。中には買い物にきたまま一晩過ごした着物姿の女性やベビーカーの若夫婦もいます。高島屋の社員が水や朝食代わりにお菓子を提供してくれ、暖房の快適さと、社員の親切さにホッとし感激しました。

ようやく電車が動きましたという店内放送で、地下鉄で上野駅まで行きましたが、始発電車は直ぐには出ず、かなり待ちようやく動き出しました。当然ですが電車内は超満員鮨詰めで、空調が利かず熱く汗だくですが、コートと上着も脱げないほどでした。しかし、誰一人文句は言いません。通常は20分で到着する区間を、線路の安全確認をしながら動くので1時間40分かかりましたが、乗客は静かに耐えていました。浦和駅に到着し降りる時「気をつけて」という声が車内からかかりました。ビックリすると同時に感激しました。日本人は何と素晴らしい助け合いの気持ちを持っているのだろうか。すごい民族だと再確認したわけです。

世界の報道

アメリカCNNテレビ3月12日夜のニュース番組が、被災地の状況を「略奪のような行為は皆無で、住民たちは冷静で、自助努力と他者との調和を保ちながら、礼儀さえも守っています」と報道し、これが全世界に流れました。

また、私が体験した東京の地震発生時の状況も、各国の新聞が「いつもと変わらず人々は冷静に対処し行動していた」と報道しました。その報道内容をNYタイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、UKデイリー・テレグラフ、仏ル・モンド、韓国・中央日報、イスラエル・ハアレツ、ロシア・イズベスチヤ、伊コリエレ・デラ・セラ等で後日確認しましたので、間違いなく全世界の新聞は、東京における日本人の行動も共通認識で報道しています。

加えて、その行動が外国人には信じられないものである事を認めつつ、だが、どうして日本人はそのような行動をとれるのか、という背景要因を探ろうとしています。その分析が本質的で的確であるかどうかは別として、何かが日本人にあるのだという論理組み立てです。

例えば、ル・モンドは「驚くべき自制心は仏教の教えが心情にしみ込んでいるからだ」と分析し、イズベスチヤは「日本人は自分たちを一つの大きな家族と捉えている。そこには宗教や道徳観、強い民族的自覚が影響している」と書き、デイリー・テレグラフは「何をするときでも正しい作法に則ってやりなさい、というのが日本の暮らしの大原則だ。茶道がいい例だ」というように解説しています。

東日本大震災時の日本人の行動は、世界中の国とは価値観が異なる民族である事を認め、そこに日本の何かが存在しているのだと、日本人を精一杯研究し推考しているのです。

日本の報道

では、日本の新聞報道は被災地の人々の行動に対し、どのような報道だったでしょうか。著名な作家・建築家・経営者の新聞掲載内容を読みますと、外国人の反応を誇らしげに受けとめ、日本人は「やさしさ・愛等の人間の本質的なものを持っている」という事を再確認する内容で共通しています。

しかし、どうして日本人は外国人が信じられない行動を、システム崩壊時に発揮できるのかという事への言及と、背景分析が今一歩踏み込み不十分である事も共通し、日本人のDNAに存在するというレベルに止まっています。

日本人には世界の人々と違う何かがあり、それはどこでどのようにいつから身についたのか。その本質面からの日本人分析が甘いと思います。実は、この分析力の甘さが、今回の福島原発事故をもたらした根本要因ではないか。それを次号で検討したいと思います。以上。

投稿者 Master : 10:41 | コメント (0)