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2009年12月25日

2010年1月例会のご案内

経営ゼミナール2010年1月定例会(358回)ご案内

開催日時:2010年1月18日(月) 18:30〜20:30
テーマ「2010年、日本経済は二番底に陥るのか、それとも順調な経済状態となるか」
発表者:経営ゼミナール代表  山本紀久雄

1月の例会は、1月18日(月)に行います。
2010年最初の経営ゼミナール例会の発表は、代表の山本紀久雄が行います。

テーマは「2010年、日本経済は二番底に陥るのか、それとも順調な経済状態となるか」です。
昨年11月20日、政府は月例報告で「物価の動向を総合してみると、緩やかなデフレ状況にある」という「デフレ宣言」を発しました。
日本経済はこの発表の緩やかとは異なる、激しいデフレで低価格競争に入っており、結果として企業物価も下がり続け、売り上げが増えず、収益が圧迫され、賃金・賞与の支給が減り、一段と国内消費は冷え込んでいる、という状況から多くの識者から「景気の二番底」懸念が発せられています。
例えば、高橋乗宣氏(相愛大学学長・大阪)の「どんなに財政出動しても、大恐慌は乗り切れない」、また、浜 矩子氏(同志社大教授)の「凄まじいデフレの嵐が、企業経営、雇用を直撃する」という見解などに示されるように、日本経済は「二番底」不況に突入するという主張が主流となっています。
ということは、来年の「日本経済はさらに厳しく暗い」という一言になりますが、果たして、このような実態に陥るのでしょうか。

この多くの識者見解に対し、山本紀久雄代表は「来年は順調な経済回復を達する」という楽観論の異論を呈したいと思います。
この主張の根拠として、様々な国内経済データ分析と、世界各国を訪問し実際に見聞きした実態結果から、日本の多くの識者多数見解に反論し、経済回復への根拠を展開したします。
皆様と来年早々、日本経済についてディスカッションいたしたく、その材料データを数多く提供申し上げますので、多くの方のご参加をお待ちしております。

開催日時:2010年1月18日(月)18:30〜20:30

      18:00 集合(食事を用意しています)
      18:15 山本紀久雄発表
      20:00 質疑応答
      20:30 終了 (終了後、1時間程度の懇親会を予定)

テーマ「2010年、日本経済は二番底に陥るのか、それとも順調な経済状態となるか」
発表者:経営ゼミナール代表  山本紀久雄

場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
   千代田区丸の内1-3-1 Tel:03-5252-3791
   東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)
   アクセス:http://www.kaikan.co.jp/bankersclub/access/access.htm

会費:オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意ください。
お問い合わせ 
 出欠ご連絡先:事務局・田中達也 
 電 話:03−6806−6510/090−4899−5973
 FAX:03−5811-7357

お申し込みはこちら


投稿者 lefthand : 10:02 | コメント (0)

2010年2月例会のご案内

2010年2月の例会は2月15(月)に開催いたします。

ご発表者は「中央総合事務所 所長 清水 洋氏」です。
清水氏は「事業再生研究会長、経済評論家」であり、使命感として「私はコンサルタントの仕事を、多くの中小企業経営者の事業やサラリーマンの家計の再生のために行っています」と語られるように、今の時代に最も大事で必要な資産戦略について、日本における著名な第一人者でございます。

2月の経営ゼミナールにもご期待いただき、2月のご都合をご調整賜りますようお願いいたします。

投稿者 lefthand : 09:59 | コメント (0)

2009年12月24日

2009年12月例会ご報告

経営ゼミナール
『ミシュランガイドに日本の優れた温泉を紹介するための戦略研究会』
実施報告

開催概要
【日 時】2009年12月20日(日)〜21日(月)
【内 容】外国人向けの日本観光ガイドに温泉を紹介するための方策研究
【宿泊・研究会】 伊豆天城湯ヶ島温泉「白壁荘」

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経営ゼミナールでは、清話会様のご協力を得まして、ミシュラン戦略研究会を伊豆天城湯ヶ島温泉・白壁荘にて行い、日本の温泉を世界に情報発信するための方策を研究しました。その結果をご報告いたします。


会場となりました白壁荘は、伊豆半島の真ん中、天城山の麓にある小さな温泉郷・湯ヶ島温泉にあります。
湯ヶ島温泉は、昭和の文豪・川端康成が愛し、第二の故郷と呼んだほどの文学ゆかりの地です。川端康成を慕って多くの文人がこの地に集い、またこの地で育った井上靖は故郷を慕い、優れた文学作品を生み出しました。
白壁荘の創業者、先代の宇田博司氏はこれらの文学を志す人を迎え入れる空間を用意しようと、白壁荘を創業しました。現社長と女将は、先代の志を受け継ぎ、旅館を経営されています。その情熱が脈々と生きている旅館でした。
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このような素晴らしい温泉地がなぜミシュランなど外国の旅行ガイドに紹介されないのか。そのヒントは、10月におこなった別府・ひょうたん温泉(ミシュラン三つ星獲得)への視察で明らかになりました。
日本の温泉が正しく評価されていない実態が、共同風呂のみが高評価を受けている状況から推測されました。その後当会代表・山本紀久雄はパリへ赴き、日本の旅行ガイド編集を担当しているリオネル氏に直接会い、その実情を確認しました。

そこで山本代表は、リオネル氏に日本の温泉実態を正しく伝え、かつその魅力を知ってもらうことが、日本を訪れる外国人観光客のために重要なのではないかと提案しました。リオネル氏は納得し、日本に来て日本人が推薦する温泉を見てみよう、と発言されたのです。
来春、リオネル氏は来日し、白壁荘を取材に訪れます。
そのときこそ、日本の温泉を正しくかつ魅力的に伝える戦術が重要になります。

リオネル氏を納得させたポイントは、世界から日本を見ること、つまりガイド編集者の立場から日本の温泉を見て、次善策を提案したことです。世界から見れば特殊な日本の温泉形態が、日本を訪れる外国人観光客から見れば魅力であることを正しく伝えること。これが日本を外国に紹介するためのキーポイントであり、リオネル氏が納得した要因なのです。
このことは、日本の観光立国化への方策事例のひとつであるばかりでなく、外国に向けてグローバルに事業を展開しようとお考えの方々にとっても役立つ具体的戦術事例であると確信します。

本研究会は今後も継続し、都度皆様にもご参加をお誘い申し上げます。
今後の展開をご期待ください。
以上

投稿者 lefthand : 08:45 | コメント (0)

2009年12月21日

2009年12月20日 山岡鉄舟に学ぶ

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2009年12月20日 山岡鉄舟に学ぶ

今年最後のレターとなりました。
日本経済は一段とデフレ色が鮮明化、景気は上向かわず、政治も日米関係にきしみが見えはじめたような気配、それに合わせて世間が何となく落ちつかず、はっきりはしないが、将来への心配の種がいっぱいあるような気がする、という年末ではないでしょうか。

だが、このような時であるからこそ、時代に惑わされず、時代に迎合せず、しかも時代の流れを取り入れ、且つ、自分の特長に適する妥当な生き方を追求し続けること、それが今の混迷時代でありながら「ブレない生き様」につながるのではないでしょうか。
実は、この「ブレない生き様」を、激動の幕末・維新時に貫いたのが山岡鉄舟です。今回のレターは、皆様に、先日、山岡鉄舟研究会例会で発表した内容をお伝えいたします。

鉄舟の大悟

鉄舟が大悟したのは、明治十三年(1880)三月三十日、四十五歳。この時に小野派一刀流十二代浅利又七郎から、一刀流祖伊藤一刀斎から伝授された、いわゆる「夢想(無想)剣」の極意を伝えられ、同年四月、鉄舟は新たに無刀流を開きました。
その後、明治十八年(1885)三月に、一刀流小野家九代小野業雄忠政から「一刀流の相伝」と、小野家伝来の重宝「瓶(かめ)割(わり)刀」を授けられ、それ以来「一刀正伝無刀流」を称することになり、これで、ようやく二つの流派に分かれていた一刀流が、鉄舟によって再び統括されたのです。

大悟とは

では、大悟とは何か。これをある程度明確化しておかないと、抽象的な理解で終わってしまいます。
広辞苑を繙(ひもと)きますと、大悟とは完全な悟りといい、迷いを去って真理を悟ることとあります。では、悟りとは何か。同じく広辞苑に、理解すること、知ること、気づくこと、感ずることとあり、仏教でいう迷いが解けて真理を会得することとあります。
また、認知科学では、人間の知覚というのは、徐々に潜在意識に深く入って行き、知覚→意味付け→納得→悟りになると考えているようです。
しかし、この悟りや悟った状態を、言葉で完全に表現することは不可能であるともいわれています。確かに、我々一般人が悟りということを、いくら論理的に検討しても、悟りの状態を体験的に完全に理解することはできません。
そこで、先日、北京オリンピック開催時に、金メダルの北島選手を含む水泳日本選手団を指導した林成之氏(日大医学部付属板橋病院救命救急センター部長)からお話を聞いた際に、冒頭「私は、人間が能力を最大限に発揮するための方法論を述べる」と語りました。
これをヒントにすれば、自分自身が持つ能力、それが余すことなく、最大限に発揮されれば、誰でも素晴らしい人生を送れるはずです。能力を最大限に発揮していないから、多くの人は課題・問題をもって、不十分な環境下におかれているのではないか。また、他人に対する影響力も少なく、結果として思い通りの人生になっていないのではないか。
 つまり、大悟するとは、自分が持つ能力全てが発揮できる状態になった時を言うのではないかと思われ、鉄舟はこの境地に達していたと思います。

「一刀正伝無刀流」を開く

鉄舟は、二派に分かれていた一刀流を「一刀正伝無刀流」と統括しましたが、何故に、これに取り組んだかです。これについては、鉄舟長女の山岡松子刀(と)自(じ)が、牛山栄治氏に次のように語ったと「定本 山岡鉄舟」(牛山栄治著)にあります。
「父は思うところがあって大悟した後、無刀流の一派を開きましたが、浅利先生の剣もまだ本当ではないところがあると、たえず工夫をこらしていました。晩年(明治十七年)のことですが、一刀流六代の次に中西派とわかれ、小野派の正統をついだという業雄という人が上総にいることを探し出し、自宅におつれして、その剣技を研究していましたが、これが正しいのだとさとる箇所があり、自分の研究と照らして満足したようでした」

極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」

このような経過で、「伊藤一刀斎」が編み出した一刀流が、鉄舟によって再度統括されたのですが、その際、流祖伊藤一刀斎から伝わる極意を「一刀正伝無刀流十二箇条目録」として改めて書き示し、門下に目録として授与しました。
では、この極意の目録にはどのような剣技が記されているのか、これをお話する前に、伊藤一刀斎について、少しお伝えした方がよいと思います。

伊藤一刀斎とは

 伊藤一刀斎は戦国時代から江戸初期にかけての剣客ですが、一刀斎の経歴は異説が多く、どれが正しいか拠り所がありませんので、「剣と禅」(大森曹玄著)から引用いたします。
「一刀斎は、通称を弥五郎と呼び、伊豆の人とも関西の生まれともいわれ、生国も死処も明らかでないが、身の丈は群を抜き、眼光は炯炯(けいけい)として、いつもふさふさした惣(そう)髪(はつ)をなでつけ、ちょっと見ると山伏かなにかのような風態で、実に堂々とした偉丈夫だったという。はじめ鐘捲(かねまき)自斎について中条流の小太刀と、自斎が発明した鐘捲流の中太刀を学び、両方ともその奥儀を極めたうえ、さらに、諸国を遍歴修行して諸流の極意をさぐり、また、有名な剣客と仕合をすること三十三度、そのうち真剣での勝負が七回で、一回も敗れたことがなかったという。それらの体験から一刀流を創始したが、老年になってから秘訣を神子上(みこがみ)典膳に授け、自身は仏道に帰依して行方を晦(くら)ましたので、一層その人物像が神秘化されている」

極意を好村兼一氏から教えていただく

 剣については全く素人の身ですから、この極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」を解説する立場になっても、一切分からないのです。鉄舟研究者として「何とかしなければならない」という困った事態に陥りました。
その時、「伊藤一刀斎」(廣済堂出版)が、著者謹呈という手紙とともに手許に届いたのです。2009年9月に好村兼一氏が、伊藤一刀斎を主人公にした小説上下二巻の大作を出版したのです。天の助けです。早速、熟読し、伊藤一刀斎をようやく理解できました。
著者の好村氏は1949年生まれ、パリ在住の剣道最高位の八段です。2007年に「侍の翼」で小説家としてデビューした際、縁あってパリでお会いしたことから親しくなりました。そこで、今回もパリでお会いし、いろいろ極意について、親切にご教示いただくことができました。大変ありがたいことです。幸運が舞い込んできた気持ちでした。

極意「切落し」

 極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」には「二之目付之事(にのめつけのこと)、切落之事(きりおとしのこと)、遠近之事(えんきんのこと)」など十二箇条が取り上げられています。
 これらについて好村氏から身振り手振りで解説いただきましたが、ここで十二箇条すべてを解説することはページ数の関係でできません。
 ですから、この中で今の時代に最も大事で、鉄舟が成し遂げた偉業「江戸無血開城」の原点をなすものであり、好村氏が「一刀斎が築いた一刀流剣術は現代剣道の根幹を成しており、極意『切落し』は今なおそこに生き続けている」と高く評価する「切落之事」のみ触れたいと思います。この詳しい内容は好村氏の小説の中で、鐘捲自斎と弥五郎(一刀斎)の手合せ場面に詳しいので、できればそれをご参考にされることをお薦めしますが、
「自斎の二の太刀が頭上目がけてきた瞬間、今だーと弥五郎は怯(ひる)まず、よける代わりに上から鋭く切落す・・・・。弾かれたのは、今度は自斎の竹刀であった。」
 とあるように、「切落し」とは、相手が剣を打ち込んでくる瞬間、逃げずに、間髪を容れず、真っ向から剣を振り下ろすことなのです。

時代から逃げない

 剣の道は「人と人との闘い」、つまり、それは闘いという「人間関係論」とも言え、それを剣から説き起こしているのだ、と考え気づいた時、極意「切落し」は、今の時代の生き方を我々に提示しているのではないか。強いデフレという苦しい状況下でも、現実から逃げず、一人ひとりが必死に工夫と努力を重ねること。そのことを極意「切落し」が語り、鉄舟が目録として伝えたのです。本年の愛読を感謝。よいお年をお迎え願います。以上。

【2010年1月のプログラム】

1月 8日(金)16:00 渋谷山本時流塾(会場)東邦地形社ビル会議室
1月18日(月)18:00 経営ゼミナール(会場)皇居和田蔵門前銀行会館
1月20日(水)18:30 山岡鉄舟研究会(会場)上野・東京文化会館

投稿者 lefthand : 20:37 | コメント (0)

2009年12月07日

2009年12月5日 デフレ経済から脱却できるか

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2009年12月5日 デフレ経済から脱却できるか

ミシュラン日本観光ガイド編集者と会う

11月17日からのパリ出張は様々な人と会いました。まず、世界で著名な香水ボトル瓶デザイナーの女性、この人物とは9月にも会いましたが、彼女の業界デビュー出世作品が、友人と接点があったことがわかり、なるほど、世の中はどこかでつながっているなぁと、改めて感じた次第です。

次に、以前から考え続けている日本の観光大国化への道、それは多くの欧米人が日本を訪れるための方策検討ですが、その有効な手段としてミシュラン社・グリーンガイド、アシェット社・ブルーガイドをうまく活用できないかとの視点から、パリで両ガイドの編集に携わったジャーナリスト男性と会いました。
シャンゼリゼ大通りのお菓子屋の奥、そこで新しい展開を始めたアールヌーボースタイルのカフェで、ディスカッションしましたが、結果的に彼は日本ファンですから、当方が提案した内容について「それはグッドアイディアだ」と、かえってこちらに今後の協力を求められる素晴らしい出会いでした。この内容については、12月20日(日)・21日(月)に開催される経営ゼミナール伊豆湯ヶ島温泉「白壁荘」特別例会で、皆さんにご検討いただくことになっています。ご参加ご希望の方は「経営ゼミナール」のサイトからお願いいたします。観光客を増やし内需拡大への一方策と位置付けています。

ボージョレ・ヌーボー

シャンゼリゼ大通りからホテルに戻って、近くのスーパーに行きましたら、入口を入ってすぐのところで、粋なハットの男性が小さいカップを差し出します。
そうか、今日は第三木曜日の11月19日のボージョレ・ヌーボー解禁日かと思い、注がれるままに三種3杯試飲しました。
たまにはヌーヴォー(新酒)仕様で軽い仕上がり赤ワインもよいだろうし、今年のワインは、日照時間が多く、50年に1度の出来と報道されているので、ボジョレー・ヴィラージュ、ブルゴーニュ地方ボージョレー地区とボトルに貼られているものを一本買いました。しかし、実は、価格に釣られて買ったのです。
一本3.9ユーロ、4.9ユーロ、それと5.9ユーロの三種類、5.9ユーロ物を買いましたが、1ユーロ=138円換算で約800円です。安いと感じ、大型バックに重梱包して大事に持ち帰りました。
ところが、日本に戻って新聞を整理していると、スーパーイオンで一本750円、ビックカメラでは930円で発売とあるではありませんか。
パリのスーパー価格が安いと思って持ち帰ったら、輸入運賃を掛けた日本の方が安値とは、この事実に驚きました。ただし、実際にイオンのボージョレ・ヌーボーを飲んでいませんので、味わいは分かりませんが、それでもサントリーやメルシャンは2,000円以上、通販サイトで安い順序から価格を検索してみましたら、最低価格のものが1,785円ですから、イオンは安すぎでしょう。

政府がデフレ宣言

11月20日の政府月例報告で、日本経済は物価が持続的に下落する「緩やかなデフレ状態にある」と正式に表明しました。
そのデフレと判断した理由として
(1)、消費者物価指数(CPI)の下落が続いている
(2)、名目成長率が2四半期連続で実質を下回った
(3)、需要から潜在的な供給力を差し引いた「需給ギャップ」のマイナスが拡大し、年
40兆円規模の大幅な需要不足に陥っている
と述べています。今まで、政府は2001年3月に戦後初めて「デフレ」と認定しましたが、2002年以降に景気回復局面に入り、2006年7月の月例報告から「デフレ」の文言を削除した経緯があります。だが、昨年のリーマン・ショック後、日本経済は深刻な需要不足に陥り、CPI下落が今年8月に最大の2.4%になるなど物価の下落が目立ち、今回の表明となりました。実態から判断すれば当然と尤もな表明でしょう。

ユニクロの好調

ご存じのとおりユニクロは快調で、業界独り勝ちという勢いです。パリにも10月出店しました。オペラ座の隣のデパートが並び立つ繁華街です。
一か月と少し経過してどうなのか、11月18日午後2時頃に店内に入ってみると、明るくリズム感があり、活気に溢れ、大勢の客で、レジ待ちの人もたくさんいます。話題のヒートテックを大きく訴求していますが、いくつか手に取ってみた感じで、価格は高いと感じました。ジーンズは39.90ユーロ(約5,500円)、カシミヤのセーターは69.90ユーロ(約9,600円)ですから、これは円高を見込んで1ユーロ100円感覚で値段設定しているのではないかとも思いました。
ユニクロと他店と比較してみようと、翌日19日は周りに展開しているライバル店にも入ってみました。訪れた12時過ぎ、ユニクロは一階レジが10台で客13人、GAPはレジ4台で客2人、H&Mは1階が8台で3人、地下が7台で12人、ここは活気がありましたが、ZARAは3台で5人という状況でした。
一日だけでは状況が分かりませんので、20日も回ってみました。やはり12時過ぎ、ZARAは客3人、H&Mは1階に12人、地下に1人、ユニクロは1階3人、地下7人、GAPは1人。こうみてくるとH&Mが強く、次にユニクロかなという感です。H&Mはファッション性、ユニクロはしっかりした品質とテクノロジー性、どちらが世界市場で勝利を得るか、それが見ものですが、これから海外に出店数を無限に伸ばせるユニクロの未来は明るいと感じたパリでした。

ユニクロの成功は時代感覚への読み

10月開催された第11回日経フォーラム「世界経営者会議」で、ユニクロの柳井正会長兼社長は次のように発言しました。
「世の中には価格が高くて良い服と、安くて悪い服しかないという常識を破り、安くて良い服を作ろうと思った。そのために企画、生産、物流、販売をすべて自社でコントロールし、お客様に満足してもらえる服をと考えてやってきた。我々ほどまじめに服を作り、販売しているところはないと自負している」
この言葉、ユニクロ独り勝ちの実態からみれば、その通りとうなずかざるを得ませんが、もっと背景的で根本的な成功要因は「時流に適合した」ということでしょう。
つまり、デフレ時代という時流を先取りしたのです。創業は60年前の駅前商店、その後1984年に広島にユニクロ1号店を開業し、今日に至っていますが、その間、柳井会長は時代を分析し、今訪れている激しいデフレ時代が来るだろうと予測し、今日の業態をつくりあげたのでしょう。見事な時代の読みと感服します。

デフレは簡単には解決しない

完全なデフレ状態では、物価が下がり続けますから、企業の売上高は増えず、結果として賃金も増えなく、景気は好転しないことになります。従って名目GDP、これは物価動向に反映し、景気の実感により近いとされますが、その金額は479兆円となってしまい、これは1992年並みの水準になりました。
ということは、日本経済が約20年間に渡って成長していない事実を証明しているわけで、この実態を考えれば今の経済実体を、とても一時的な局面とは考えられません。
デフレは貨幣的現象というのが、多くの経済学者が主張する見解であり、伝統的な経済理論によって、現在のデフレ実態を解決しようとする立場から、日銀に対し超金利政策の維持や、更なる量的金融緩和の実施を求める声と、それに対応する日銀という姿が今の日本経済です。しかし、この日銀の政策を超える、もっと基本的・根本的な時代潮流としての何か大きな「歴史の峠」的な現象が背後にあって、それが轟音となって流れ、その表出現象の象徴がデフレ実態として表現化されていると思われるのです。
その背後に存在するであろう「歴史の峠」的な現象は、経済学者ではない歴史家・哲学者・作家などが主張する「時代は大転換期に位置している」というものではないかと思いますが、この指摘を真剣に考え論じ、時代の動向分析を本格的に行い、長期スパンでの未来洞察を行わないと、日本はデフレ実態からは脱却できないと考えます。以上。

【12月のプログラム】

12月11日(金)16:00 渋谷山本時流塾(会場)東邦地形社ビル会議室
12月14日(水)18:30 山岡鉄舟研究会(会場)上野・東京文化会館
12月20日(日)18:00 経営ゼミナール 伊豆ミシュラン戦略研究会

投稿者 lefthand : 09:49 | コメント (0)

2009年12月02日

【号外】ミシュラン掲載への方策を見つけた!!

ミシュラン掲載への方策を見つけた!!

12月20日・21日開催
「ミシュランガイドに日本の優れた温泉を紹介するための戦略研究会」

10月、別府・鉄輪温泉の、ミシュラングリーンガイド日本版で三つ星を獲得したひょうたん温泉に視察に行ったことは既報しましたが、そこで分かったことは、ミシュランが三つ星に選んだ日本の温泉は、すべて共同浴場だということでした。

ここに、欧米人と日本人の温泉利用の根本的な相違があったのです。習慣の違いが見解の相違に繋がっているのです。ということは、日本の温泉のほとんどを占める、旅館の施設としての内湯温泉は評価されるのが難しいということになります。このことは大変残念なことです。そこで、3,000余りある日本の温泉をミシュランに評価してもらう方策を立てることが必要になるのです。

先日、経営ゼミナール代表・山本紀久雄がパリで、ミシュラングリーンガイドと、アシェット社のブルーガイドを編集したリオネル氏に会う機会を得ました。
そこで山本代表がひとつの方策を提案したところ、「それはグッドアイディアだ」と評価されました。リオネル氏は「さっそくミシュラン社とアシェット社に話してみよう」とも発言されたそうです。
この方策について、伊豆天城湯ヶ島温泉・白壁荘を題材に検討してみたいと思います。

この研究会は、温泉に携わる方々はもちろん、欧米人に日本へ観光に来てもらいたいと希望されている企業とその関係者、また、欧米と取引のある企業の皆様にとっても、グローバル化への道筋を検討するよい機会です。皆さんで、山本代表がリオネル氏からお墨付きを得た方策について、伊豆天城湯ヶ島温泉で一泊しながら検討してみませんか。

会場となる白壁荘についてご紹介します。
白壁荘は、昭和29年創業の温泉旅館です。宿名の由来ともなった白い壁と赤い屋根瓦の落ち着いた佇まいは、訪れた人をほっとさせます。
白壁荘は民話と民芸をテーマに、旅館全体がデザインされています。館内のあちこちに民芸の飾り付けがなされています。それらが日本人の心の中にある古里を感じさせてくれます。お部屋も、あまんじゃく、石楠花屋、藤六など、部屋ごとに異なるテーマでデザインされています。まるでなつかしい古里に帰ってきたかのようです。
温泉は、2つの露天風呂が特徴的です。ひとつは、巨石風呂。大きな一枚岩をくりぬいて浴槽にするというユニークなお風呂です。脱衣所を抜けて巨石風呂に向かうと、見上げるような巨大な石に圧倒されます。階段をのぼって頂上の浴槽へ入ります。ふたつ目は、巨木風呂。樹齢1200年の大きな木の浴槽です。浴槽の中が木の丸さに沿ってくりぬかれているので、少し寝そべるような格好で入ります。
食事は、郷土料理を中心に海の幸山の幸と、名物いのしし鍋に舌鼓を打ちます。天城の名産、わさびも絶品です。
白壁荘は、昭和の文豪が定宿にした旅館でもあります。井上靖、木下順二、曽野綾子、三浦朱門など名だたる作家が白壁荘に逗留し、作品を執筆しました。白壁荘から紡ぎ出された作品は何と400冊以上。文人が愛し、数々の名作を生みだすための空間が、ここにはあるのです。

日本を欧米にアピールする端緒となる今回のミシュラン戦略研究会に、たくさんのご参加お待ち申し上げます。

>>>開催要項はこちら

>>>お申し込みはこちら

投稿者 lefthand : 23:01 | コメント (0)

2010年度経営ゼミナール正会員ご入会のお願い

2010年度経営ゼミナール正会員ご入会のお願い

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2010年度の正会員を募集いたします。

経営ゼミナールは、故城野宏先生が唱導した「脳力開発」を企業経営に実践すべく、上田正臣が創設いたしました。
この度、城野先生の最後の著作『諸葛孔明の戦略と戦術…三国志にみる、人の読み方・使い方』が、城野夫人のご厚意で再編集復刊されました。

早速、熟読しましたが、城野先生が常に指摘しておられ、よく指導を受けました「戦略に基づき、戦術を縦横無尽に展開する」ことの重要さが、随所に語られており、戦略に基づかない行動は、ロスばかり多く、今の大変化の時代には、時間経過とともに、問題を傷深くさせていくこと指摘しています。改めて、現在の環境下での戦略・戦術の使い分けを考えさせられました。
本をご希望の方にはお貸しいたします。

今の日本の最大の問題点は、過去20年間、日本経済がゼロ成長ということです。我々が毎日汗水流して動き回った結果が「成果なし」という診断を時間軸が示しているのです。
考えてみれば恐ろしいことです。「こうすればよくなる」と考え実行したことの成果が表れない。どこかが、何かが、大きく外れているとしか思えません。加えて、デフレが再び激しくなってきて、経営環境は一段と厳しくなっています。
政府のマクロ経済対策や、日銀の金融政策だけで、このゼロ成長とデフレ実態解決は難しいでしょう。なぜなら、経済実体が示す背後には、歴史的な峠ともいうべき根本的な大変化が横たわっていると思われるからです。つまり、今の日本と世界は、大きな歴史的転換期にあたっているのですから、従来路線の延長・継続では、この大難局を乗り越えることはできないと考えます。
今こそ、城野先生が指摘した「国家戦略の構築」と、企業の「新時代に対応した戦略構築」が喫緊の課題であり、戦略を明確化したうえで、それを達成するための戦術展開を計画化する、ということが本当に求められています。

一方、世の中には素晴らしい企業が存在しています。この苦しい経済環境下にあっても、着実に成長している経営体が各地に存在しています。昨年も、そのすぐれた企業をいくつか訪問し、実態をお聞きしまして、これらの企業に共通していたことは、明確な戦略のもとに、それに従った緻密な計画と実践行動が進められていることでした。

2010年度も、難しい時代であるからこそ、その難しさを活かして成長している企業と、新機軸へ果敢に挑戦している経営体を訪問すること、さらに、時代を読み解くヒントを示唆する人材による講演によって経営ゼミナールを展開してまいります。
皆様の2010年度の経営ゼミナール正会員へのご参加をお待ちしております。

>>>正会員募集要項はこちら

投稿者 lefthand : 22:51 | コメント (0)

2009年11月例会ご報告

経営ゼミナール11月例会報告
『「COEDO」ブランドの世界戦略とさつまいもビール開発秘話』

11月の経営ゼミナール例会が行われましたのでご報告申し上げます。
今回は埼玉県・川越に、地方発・世界ブランドを目指すビールメーカーを訪ね、ブランド戦略とそれに至った経緯を現場視察してまいりました。
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朝霧重治社長(左)/数々の賞状を前にお話を聞く(右)

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お話を伺ったのは、株式会社協同商事・代表取締役社長、朝霧重治氏。
とてもお若く、エネルギッシュな社長です。
ビール市場はここ数年、縮小の一途を辿っています。その中で、「地ビール」の分野は毎年10%の伸びを続けているそうです。その一翼を担うのが、「COEDOビール」です。

COEDOビールの成長は、他社と競合しない、すなわち、従来の「ビール」の範疇で販売しない戦略をとられたことにあります。
日本においてビールは、「とりあえず、生」と注文されることに象徴されるように、嗜好品でありながら日用品のように扱われています。大手のビールメーカーもまた、税制上のメリットを追求し、発泡酒や第三のビールを開発するなど、ビールのコモディティ化、低価格化に拍車をかける様相を呈しています。
その中でCOEDOビールは、そのような日本のビール業界の趨勢とは異なる戦略をとられたのです。ビールとは本来どのような飲み物なのか、このことを世界のビールマーケットから学ばれたのです。それは、日本の特殊なビールマーケット形態に合わせるのではなく、ヨーロッパの、ビールが長い歴史を持ち愛されている、奥深い文化に着目されたのです。朝霧社長はCOEDOビールを、日本の川越から発信する世界に通じるブランドとして育てることを目標とされました。
スローガンは「Beer Beautiful Project」。
ドイツやベルギー、イギリスなどの国を見ると、ビールはワインと同じように歴史のある飲み物であり、その歴史が文化を育んでもいるのです。ビールの持つ文化、すなわち、ビールの持つ豊かな味わいと幅広い楽しみ方を提案するビールメーカーにしたい。それが、朝霧社長の「COEDOビール」にかける思いなのです。

COEDOビールの品質には自信がある、と朝霧社長は語ります。COEDOビールは、「小江戸ブルワリー川越」として発売した1996年当時から、ドイツのビール職人(ブラウマイスター)を招聘し、彼を親方として日本のビール作りを知らない職人たちが徹底的に学ぶことで、ビール作りに切磋琢磨してこられました。そのおかげでCOEDOビールは品質の面で高い評価を受けていました。
ひとつは、ドイツ大使館のパーティに供される指定銘柄となっていること。もうひとつは、モンドセレクションやITQIといったヨーロッパの食品コンテストの特別金賞他を受賞したことです。このことは、ビールの文化が根付いている本場ヨーロッパの人々から、COEDOビールが高い品質であることを認められたことに他なりません。

COEDOビールは、日本人が本来得意とする品質の高いものづくりと、それを世界の基準からブランド再構築を行い、世界から評価を受けることによって、こんにちの成長が築き上げられたのです。朝霧社長の輝いた瞳とお話の中から垣間見る情熱に、COEDOビールのさらなる成長を確信した、今回の例会でした。

朝霧社長、大変お忙しく世界を飛び回っておられる中、当会の訪問を快くお受けくださいまして、本当にありがとうございました。
COEDOビールが世界へ向けて羽ばたいていくことをご期待申し上げます。

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COEDOブルワリー三芳工場を後にした参加者は、川越「蔵づくり通り」を散策し、時の鐘や築100年を越す歴史ある建物を見学しました。その後、COEDOブルワリー直営のイタリアンレストラン「小麦市場」に行き、世界基準の川越ビール「COEDOビール」を味わいながら、ビールの奥深さを楽しみました。
ご参加の皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:34 | コメント (0)