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2005年05月29日

7月の例会では、万博視察に行こう

愛知万博は現代社会が目指す近未来の姿を三つのアプローチから描き出しています。
1.循環型社会の実現
●万博の目玉・マンモスが入る「グローバル・ハウス」の外壁を囲む巨大な緑と花の壁が出現・・・バイオラング(広大な会場のための肺機能を表現) 赤塚植物園グループ出展
2.生活に溶け込む先端科学技術
●日本のロボット技術を生活空間に生かす実験 約80のロボットが集結
3.国境を越えた「地球市民」の大交流
●120ヵ国、4国際機関の参加

(1)赤塚植物園の夢・緑と花の巨大な壁を見学しよう。 
会場では、世界最大級の緑花壁「バイオラング」のオフィシャルパートナーであり、FFCウオーターという生物機能を高める水の実証・普及活動を20年にわたって行ってきた赤塚植物園の関係者からお話を伺う予定です。
赤塚充良社長は地球環境浄化への願いをこのFFC普及に託しています。環境に対する企業としての使命感、赤塚社長の志・夢の一端をこの「バイオラング」http://www.jp-akatsuka.co.jp/bio.htmlに見ることができることと思います。
尚、当日この緑花壁の前で赤塚社長に講演していただく予定でしたが、社長は当日ご予定があるため、赤塚植物園の関係者からお話を伺うことになります。何卒ご了承ください。

(2)万博で未来技術を体感しよう。
大阪万博は高度経済成長がもたらした産業技術の目覚しい進歩を背景に開催されましたが、愛知万博は、自然と人間の共生を果たすために、科学技術の発展の方向性を地球環境保護に向けるべきこと(豊田章一郎 日本国際博覧会協会会長)、を中心テーマとして掲げています。
近未来社会の新しいモデルを提起すると同時に、新しい技術を、楽しく身近に体感できる万博です。例えばロボットとの会話、未来の乗り物リニモや「i-unit」が体感できます。このような愛知万博に経営ゼミナールのメンバーの皆様と是非ご一緒に視察に参りたいと思います。
この万博会場では、赤塚植物園の20年間にわたる水の研究と水にまつわる貴重なお話、そして赤塚植物園の経営について伺えるというまたとない機会です。是非、ご参加のご予定をお願いいたします。

 

■実施要領
日程:2005年7月25日(月)

見学方法:この万博会場視察は、現地集合、現地解散となります。
長久手会場、「バイオ・ラング」中央前に16:00集合
正会員のメリット:正会員の方がご参加の場合、入場チケット(4600円)を経営ゼミナールが負担いたしますので、ぜひ大勢のご参加をお待ちしています。

*ご参考 赤塚社長のご紹介:
1956年 第1回カリフォルニア農業研究生として3年間渡米
1972年 株式会社赤塚植物園を創業
三重県をサツキ生産日本一へと導く
1967年 洋ランの組織培養による大量生産に国内で初めて成功
1985年 不思議な水と出会う 
この水によって人々の健康や地球環境の改善に貢献できる!との信念から水の研究を開始。FFCテクノロジーを確立し、以降その普及に努める

投稿者 Master : 22:49 | コメント (0)

これからも不動産は日本経済の基盤として存在し続けるのか

6月20日(月)に開催の6月例会では、不動産鑑定士の村松喜平氏をお招きして、5月のマンション問題に続いて、不動産問題をテーマに開催いたします。

不動産とは何か
不動産(土地)は、大自然の創造物であり、今我々が接する都市、町、農地などは人類が大自然に働きかけて加工した人工物です。
ミクロ問題として「不動産の掘り出し物の探し方」や「ワンルームマンション投資の落とし穴」、「地価はどうなるか」、「マンション供給過剰時代」などは週刊誌的な興味の対象ですが、これらを解明するには、過去の歴史とその歴史の延長戦上に作られた現在ある不動産のあり姿が、一つの示唆を与えてくれます。

不動産の売買の際に動くものは、お金と人であり、不動産は動きません。また不動産の価格は、金融政策によって大きく左右されるものでもあります。

不動産に関しての知識をレクチャー
不動産について、マクロとミクロから仔細に分析して、出席者の皆様に不動産に関する一般的知識にお役立ちする内容を発表いたします。
村松氏から学ぶポイントは「これからも不動産は日本経済の基盤として存在し続けるのか」という、基本的な命題についてレクチャーを受けることでもあります。
また、村松喜平氏は、最近「貸地借地のトラブル解決ハンドブック」という本を出版されました。難しい問題をマンガの解説をいれて大変分かりやすく書かれていますので、この内容についてもご紹介いただきます

6月の具体的内容:
1. 地価の推移と将来予測
2. マンション市場と未来予測
3. 不動産投資の変遷と現状
4. 不動産業の分類と実態
1) 不動産業(宅地建物取引業)は、ガソリンスタンドの2倍以上。
2) 日本の不動産業は三井・三菱・住友ではない。
3) 不動産業は95%が零細企業である。

講師略歴
昭和32年 早稲田大学第二法学部卒業

不動産鑑定士、元東京地方裁判所鑑定委員、同民事調停委員(民事22部)
著書
「不動産仲介業ここが急所集」自由国民社刊
「固定資産税の闘い」(ペンネーム瑞穂新)碧天社刊


1.日時 平成17年6月20日(月)
6時集合(食事を用意しています)
6時15分より山本紀久雄代表の時流講話
経営ゼミナ−ルは6時半開始8時半終了予定
     
2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
千代田区丸の内1−3−1 ℡/03−5252−3791
東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)

3.テーマと講師
「不動産と不動産業の変遷」
不動産鑑定士
村松 喜平氏


* 会費  オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。
* お問い合わせ 
出欠:㈱ボスコ内 経営ゼミナール事務局 神山(03−3498−4200)まで
その他は金子(ぬりえ美術館内(03−3892−5391)まで

投稿者 Master : 22:43 | コメント (0)

2005年05月27日

「昨今のマンション事情」(株)長谷工アネシス 鈴木信男氏

経営ゼミナール ワンポイントレッスン 2005年5月16日
「昨今のマンション事情」(株)長谷工アネシス 鈴木信男氏

●今月の発表は鈴木氏の変化物語

鈴木信男氏が現職に異動されたのは、2001年6月でした。異動後、上田代表のお奨めで経営ゼミナールにご参加されるようになり、それ以後、正会員としてご多忙の中ご出席いただいております。
現職に異動し、暫く経過してから経営ゼミナールでご発表お願いした経緯がありますが、そのときの状態と比較し、鈴木氏のご発表内容は素晴らしい変化です。
業界状況から実務的なエッセンスまで詳しくお話いただき、銀行業界から見事にマンション業界人になられていることを確認できましたが、最も素晴らしいのは鈴木氏が経営に参画している長谷工アネシスの企業業績の立派な内容、これは鈴木氏が的確な経営をすすめられた結果が大きいと判断いたします。

●マンションの未来について

東京における分譲マンションの新規供給は、全分譲住戸の四分の三を占めていることを考えますと、マンション問題は普遍性あるテーマです。
そのマンションに居住する世帯主の年齢は、50歳以上が60%を超え、世帯人数2人以内が43%なっていて、マンションで永住するという意識層が約半数になっています。また、新規建設マンションと老朽化マンションが並存しており、仮に建替えしたとしても、建替え後の戸数が現在を下回る「既存不適格」となるものが、全体の半分近くを占めるという実態です。
これらを考えると「マンション問題への対応策」は、なかなか一筋縄ではいかないことが容易に推測できます。ですから、一概に「マンションの未来」について論議できず、その上、人それぞれにマンション居住状態が異なっていて、その異なった立場から見解が分かれますので、「昨今のマンション事情」は、テーマとしては身近で普遍性あるもので、簡単に理解できそうですが、そうではなく反対に難しい問題である、ということが改めて分かりました。

●業績を支えている内因

長谷工アネシスの経営実績は「マンション運営管理」からです。マンション居住が持つ人間内部要素にフイットし、受け入れられる実務として着実に展開しているからこそ、立派な業績を計上しているのです。その新しい新機軸事例が「既存マンションのブロードバンド化」「コンシェルジュサービス」「リサイクル事業」等です。このような新企画展開は「マンション居住者対応業」というコンセプト・方向性を社内でしっかり確認しているからできる、つまり、社内の内的要因が好業績を示している最大の要因と思います。以上。

投稿者 Master : 11:38 | コメント (0)

2005年05月26日

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・その六


■入場者数の変化

暫くこのテーマを留守している間に大きな潮流変化がありました。
じわじわと入場者が増えているのです。5月25日現在で529万人、一日平均8.7万人となりました。
目標1500万人は1日8.1万人ですから、0.6万人オーバーの達成率107%、素晴らしい変化です。

■変化した要因
変化するとすぐにその要因を知りたがりますが、それは確定的事実として分析できません。推測になります。その推測として大胆な内容、理念的なものですが5月20日のYAMAMOTO・レターで書きましたのでご参照願います。

■実際の万博会場を訪問して
しかし、すべては実際の現場で体験しないと分かりません。そこで、名古屋に前泊し5月24日(火)に名古屋駅からバスで往復、万博会場を歩いてみました。
日本の企業パビリオンは入り口に並んでいて、相当時間がかかりますので、入り口が混雑していないパピリオンを全部入ってみました。

■その感想
入り口に並んでいるパビリオンは、日本関係のところ、それと先進国です。そうでない国は入り口が混雑していません。特にトヨタは大変です。夕方五時に東口から帰るためバスターミナルに向かいましたが、その通路に500名くらいは床に座って並んでいます。これを見ての感想は「日本人は物見高い」と改めて感じました。

■今後の分析
今回はざっと会場全体の雰囲気を感じ、急いで見学しましたので、次回はジックリパビリオンのターゲットを決めて視察してきます。その結果を報告しますが、万博は一回、一日では分からないというのが、正直な感想です。しかしながら、ドイツのハノーバー万博会場よりは充実しているという感は持ちました。

投稿者 Master : 11:33 | コメント (0)

2005年05月22日

武士道と愛知万博

        YAMAMOTO・レター
     環境×文化×経済 山本紀久雄
   2005年5月20日 武士道と愛知万博

イラクで働いていた

前回レターでお伝えしたハローワークでの「イラク求人広告」、その際に「イラクに行けば金になると世界から様々な人が危険を承知で、傭兵とか、土木関係の作業員として集まっていている」ともお伝えしました。それが5月5日のレターで、その4日後の5月9日にイラクの武装組織「アンサール・スンナ軍」が斉藤昭彦さんを拘束していることを伝え、イラクに日本人がいることが判明しました。
斉藤さんはイラクで英国系警備会社ハート・セキュリティ社に勤めていて、それまでの経歴は自衛隊と、フランス外国人部隊に傭兵として長く所属していた「プロの軍人」です。今でもフランス外国人部隊には40人の日本人がいるそうです。
世界で最も危険な地域のイラクに世界中から人が集っていて、その一連の動きとして長崎ハローワーク「イラク求人広告」もあったのだ、と改めて理解しているところです。

新渡戸稲造の武士道

新渡戸稲造の「武士道—日本の魂」が出版されたのは1900年で、この本を書いた動機を、同書の中で以下のように説明しています。
「約十年前、ベルギーの高名な法学者、故ド・ラヴレー氏から『日本の学校には宗教教育はないと言うことなんですか』と、尋ねられた。私が『ありません』と答えると、すかさず、教授は『宗教なしとは! 道徳教育はどうしてほどこされるのですか?』私は即座に返答できなかった」と。
しかし、武士道を書くに至った本当の「動機」は、別のところにあったのではないかと推測します。当時の日本の状況から考えたいのです。明治維新後わずか二十数年で大国清国に勝利した日本、世界から「野蛮で好戦的な民族」とみられ誤解されていたと思います。外国にいた新渡戸稲造にはそれを直接肌身で感じ、心配し、正しく日本人の姿を伝えなければいけないと思ったはずです。
といいますのも、新渡戸稲造の武士道は、江戸時代に明確化された武士道ではないのです。武士道というタイトルですが、武家社会だった江戸時代の武士道ではなく、日本人の精神基盤にある「普遍的な倫理観」、それを武士道として表現し、それを世界に日本人の精神構造として知らしめたのです。
更に、また、同書の最後に次のように書いてあります。
「<武士道>は独立した倫理の掟としては、消え去るかもしれぬ。しかし、その力はこの地から滅び去ることはないであろう。武人の勇気や公民の名誉を教えるその学院は、破壊されるかもしれぬ。しかし、その光とその栄光は、その廃墟のあとまで長く生きのびるであろう。・・・(中略)・・・幾世をも経たのち、その慣例は埋め去られ、その名さえ忘れ去られても、その香りは、『道ばたに彼方を見つめれば』、はるか彼方に目に見えぬ丘からのように、空をただよって来るであろう」と。
つまり、日本人のDNAには、武士道精神が奥底に基盤として存在しているので、決して忘れ去ることがないモノである、と最後に書き残しています。

武士道の二つの側面

武士道研究家の第一人者である笠谷和比古教授(国際日本文化研究センター)は、著書(武士道その名誉と掟)で武士道の二つの側面を述べています。
「武士道の一つの側面は『忠義』の観念で、それは『主君−家臣』というタテの関係である。もう一つの側面は『名誉』の観念で、これは個々の武士の『武士としての自我意識・矜持』としてのヨコの関係として存在する」と。
この二つの側面を今の時代に当てはめ、会社組織に例えていえば「忠義」は社長・上司との関係、会社の組織一員として働く立場からは「名誉」を「人間としての規範・矜持」として理解できます。
新渡戸稲造の武士道は、この二つの側面の「名誉」を中心ポイントに取り上げているのですが、それは、書いたときが封建時代が終わった明治時代ですから当然で、このヨコ関係としての「名誉」、現代風にいえば自らが持つ「志・大義・理念・良心」等の、自己の内部に存在する「人間としての規範・矜持」が最も大事と考え書いたのです。

「愛・地球博」愛知万博に行こう

3月25日に開幕した愛知万博は当初不振でした。入場者目標1500万人、これを開催日数で割りますと、一日平均8.1万人の入場者が必要です。
開幕して最初の土曜日は4.6万人、日曜日は好天でしたが5.7万人、万博事務局の計画は15万人でしたから、三分の一の達成率でした。これで先行きを心配していたのですが、5月19日現在で462万人、一日平均8.4万人となりました。
イベント等にみられる一般的な動員傾向は、立ち上がり当初が好調ですと、それを引きずって後半も順調に行くので、愛知万博当初の不振は今後に懸念を生じさせました。
ところが、ここに来て、ジワッと集客力が高まってきました。爆発的な人気、すごい目玉的な存在、それが見当たらないのに会場に人が集まりだしたのです。
その要因として、既に何回も万博に行き、会場の状況に詳しい人からお聞きしますと、「従来の万博とは異なっている」と明確に発言します。
多くの人は大阪の万博、1970年ですが、この高度経済成長途上の万博残像を持っていて「何か面白くて目立つもの」があると思い、実際に愛知万博に行ってみると、結果は「従来の万博とは異なっている」と一様に発言するのです。
愛知万博は「環境がテーマ」であることは誰でも知っています。ですから「環境にやさしい万博だろう」程度で行くと、そこには「ポスト環境」ともいうべき技術やビジネスモデルが並んでいて、そこで時代は新しい21世紀に入っていることを感じ取るのです。1958年のブリュッセル万博は「核技術」がテーマでした。原発によってエネルギー問題が解決されれば、世界はハッピーになるという発想だったのです。その当時はそれが最先端時代感覚だったのです。今では誰もそう思わない、考えられないテーマだったのです。前回のハノーバー万博テーマは「人・自然・技術」という三者の集大成、つまり、20世紀最後のハノーバー万博は環境技術の総まとめでした。
しかし、21世紀最初の愛知万博は「自然の叡智」がテーマとなり、ハノーバー万博テーマから「人」と「技術」が消え、残ったのは自然であり、その叡智だというのです。
この叡智とは何か。それは具体的に明確には分からないまでも、現在の環境問題への対応状況では、地球世界が危ないという意識と共に、次の新しい「安全な世界物語」の創造が必要である、という感覚が日本人には分かっていて、その内面下意識の顕れ、それがこのところジワッと集客が増えてきた理由ではないかと推察しているところです。

都電が懐かしい

ぬりえ美術館に取材で来るマスコミ、その人たちが一様に語るのは、都電とぬりえのミックスが時代感覚に合っているということです。走る車の邪魔になるからと、都電を廃線にしてきた日本の各都市、今になってみれば都電が残っている街並みを高く評価するのです。香港からも都電とぬりえの視察に来るほどです。路面電車は車の邪魔で「もはや時代遅れ」だと、渋谷の玉川通りの坂道を上っていた「玉電」と、御徒町昭和通りの都電を消した発想は、1958年のブリュッセル万博の「核技術」をテーマにしたことと同じです。市電を残し、郊外まで延伸活用しているドイツ・カールスルーエに世界中から視察に行くのは、当時の考え方が問題であったと分かり、昔がよかったと懐かしむ気持ちからです。人が本来持っている「自然感覚」が戻ってきつつあると思います。

万博は世界の方向性を示している

日本人は、その精神基盤に存在した武士道精神を忘れ、経済優先で走ってきました。だが、「その名さえ忘れ去られても、はるか彼方に目に見えぬ丘からのように、空をただよって来るであろう」と最後に新渡戸稲造が書き残した武士道精神は、我々のDNAに残っているはずです。愛知万博は20世紀に破壊し苛め抜いた地球環境、それを人間の持つ「志・大義・理念・良心」から発した「自然感覚」による「叡智」で組み立てなおすことがテーマです。忘れ去られた武士道精神が「はるか彼方からただよってくる」のと同じく、「彼方に見え始めた安全な世界物語」を求め始めだした日本人を愛知万博へ向かわせ、その人達によりジワッと集客力を高めてきているのではないでしょうか。以上。

投稿者 Master : 12:06 | コメント (0)

2005年05月11日

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・その五

■開幕から5月9日までの入場者は358万人で、3月25日開幕から45日間、一日平均にすると
 79,647人、目標1500万人を達成するには一日8.1万人であるから、もう少しのところまでたどりつ きました。ゴールデンウイークの5月4日には14.9万人が来るなど、徐々に盛況となってきた。

■万博にいくなら、ついでにどこかに足を伸ばしてみたい、というのが人の心理である。そのアンケート調査を日経新聞が行ってみたら(2005.4.30掲載)、1位は中部国際空港であった。2位は名古屋城、 3位は名古屋港水族館という状況である。筆者は徳川美術館に行ってみたいが、ここは7位である。

■中部国際空港に行ってみたい理由、それをアンケート結果からみてみると
    
  ●空港というよりアミューズメントパークという感じ
  ●離着陸する飛行機を間近眺められる大人一人900円の展望風呂がある
  ●海に沈む夕日を背に受けて飛行機が降り立つ光景が素敵だ

 などとあり、評判がよいようだ。これらが影響して1位の人気立ち寄りスポットになったと思われる。
 しかし、この中部国際空港の開港は、中部経済圏に大きな影響を与えている。それを次回は分析して みたい

投稿者 Master : 11:46 | コメント (0)

2005年05月06日

時代の中での判断基準

      YAMAMOTO・レター
   環境×文化×経済 山本紀久雄
  2005年5月5日 時代の中での判断基準

イラクで働かないか

イラクで働かないかという求人広告が、ハローワークに出たと赤旗新聞(2005.3.28)が報道しました。長崎のハローワークで、地元の会社が求人票を出したのですが、元請がどこかは分かりません。給料は二週間で50万円で、渡航費用は全額支給です。二週間経って求人票は消えましたが、応募した人がいたそうです。
朝のNHKラジオに時折登場する経済評論家の藤原直哉氏によると、イラクに行けば金になると世界から様々な人が危険を承知で、傭兵とか、土木関係の作業員として集まっていているそうです。今回応募した日本人はお金が目的か、それとも別のものがあったのでしょうか。

東京駅前郵便局

郵政民営化が大詰めを迎え、もうすぐに決着がつくと思いますが、いつも不思議に思っていることがあります。東京駅前の中央郵便局のことです。
先般、ドイツのカールスルーエに行き、街中を歩いていて疲れたのでカフェで一休みしようと、店がたくさん集まっているビルの中に入りました。入り口を入るとすぐの左側片隅に郵便局がありましたので、地元の人に「ショッピング街の中に郵便局があるのですね」と尋ねますと「ここはもともと中央郵便局でしたが今はショッピング街に変身したのです」という答えです。郵便局は片隅で全体の10分の一にも満たないスペースになり、内部改装し、郵便局がビル所有者でテナントとして多くの店が入ったのです。場所は街中の一等地ですから、市民が大勢立ち寄って買い物・飲食を楽しんでいます。
同様なことが東京駅前の中央郵便局でも、できないかということです。東京駅前に中央郵便局をおいた発想は鉄道で配達する時代のものでした。
今は状況が変わっていますし、東京駅前は車が多く、一流企業が集積する一等地ですからいつも渋滞しています。また、回りを見れば東京駅丸の内界隈は再開発で大変化しているのですから、中央郵便局敷地評価額1600億円を効果的に活用してもらいたいと思っています。同様に全国各地の一等地に所在している郵便局が、民営化されれば素晴らしい改革変化ができるはずで、民営化後に期待したいと思います。

尼崎脱線事故

JR西日本の尼崎脱線事故は悲惨でした。通勤列車でしたから多くの被害が発生し、改めて交通機関の怖さを感じました。
その加害当事者であるJR西日本の幹部の対応が厳しく問われています。事故後の記者会見での迷走や、被害者・家族への対応、社員の事故当日親睦ボーリング大会の開催と飲み会、全く常識を欠いた行動です。幹部への批判として代表的な事例は「用意された文章を読み上げて謝罪した垣内社長」です。このずれ込んだ感覚差はどうしようもありませんが、問題なのはこのような感覚の人がトップになっているという事実です。
企業幹部となっている人たちとは、ある目的をもった一つの組織の中で、多数の人と競争し生き残って階段を上がることができた、という人種です。ですから、ある意味での企業論理・常識を十分持ち、それを駆使した行動をしてきたからこそ、幹部になれたのです。
企業にはその会社の社風を含め、ある基準が存在します。一般社会とは異なった基準と考えてよいと思います。その社風・基準にうまく合格した人たちが幹部であり、それが企業内部では成功といわれる人たちなのです。ですから、企業感覚には優れているが、そこで上手に適応することで生きてきたために、普遍的な感覚を失いやすいというデメリットがあります。これがJR西日本の幹部に見事に発揮されているのです。

生活環境と生活習慣

「諸法無我」という言葉があります。広辞苑によると「いかなる存在も永遠不変の実体を有しない」とあります。この意味を「物事の実体と本質は、その物事の回りに存在する関係で決まる」と解釈しますと、我々が現在持っている常識感覚の内容は「自分の回りを取り囲む生活環境と生活習慣によって決まる」と理解できます。
イラクへ働きに行くことに応募した人、それはその人が持っている生活環境と生活習慣によつて、つくり上げられた考えから判断したと思います。
東京駅前の中央郵便局、前をみればオアゾという新しいエキサイティングなビル、左側をみれば再開発された丸ビル、その隣は現在再開発中の新丸ビルがあり、東京駅周辺はすごいスピードで変化しているのです。変わらないのは中央郵便局だけで、変わらない理由は郵便局に存在している生活環境と生活習慣からです。
事例としてあげるのも嫌なのですが、悲惨な事故に対する対応感覚のずれたJR西日本幹部達、これもJR西日本の中に存在する生活環境と生活習慣からです。

山岡鉄舟

この連休は月刊ベルダ誌に、山岡鉄舟の連載第一号を書くために費やしました。雑誌の連載ですから各号ごとの字数は制限されていますので、実際に書上げる時間はそれほどかかりません。しかしながら、改めて山岡鉄舟物語を書くという意味を考え、その考えをどのように組み立てるかというところに精力を費やしたのですが、結局、それは山岡鉄舟という稀有な人材を自分の常識で判断し、書き著すしかないと気づいたのです。
ということは、山岡鉄舟という人物を語るということを通じて、自分がいつも何を想い、どのような生き方をイメージし描いているか、そのことを幕末明治維新史という歴史舞台を通じて表現することになるのです。これはとても怖いことです。自分の考えと常識を、世間という広い一般社会に、雑誌という公共的媒体で発表するということ、つまり、自分の生活環境と生活習慣を発表することになるのです。

ぬりえ文化

山岡鉄舟を書く直前まで「ぬりえ文化」を書いていました。一応書上げ秋に出版となりますが、これも苦労しました。理由は「ぬりえ」ということを描いた経験、少しはあったとしてももうかなり昔の幼いときの思い出しかない、そのぬりえを「文化論」と論じていく。これは難しいことだと感じていたからです。
「ぬりえ文化」を書こうと思ったのは数年前からです。東京都荒川区に「ぬりえ美術館」が設立されたのが三年前、その設立構想段階から参画していましたので、ぬりえを「文化」にする必要性は感じていました。そこで、いずれ取り上げたいと思っていましたが、そのキッカケ・切り口が見つからなく数年過ごしたのです。
書くキッカケ・切り口が見いだしえなかったのは、自分の中にぬりえに対する感覚と常識が欠けていると認識していたからです。しかし、常識が欠けているのならそれをつくりあげればよいのだ、と思い直したときから楽になりました。
様々なところから資料を集め始め、整理し分析しているうちに、ようやく頭の中に構想が浮かぶと共に、金子マサ館長という共著者の協力もあり、ようやく連休前に書上げられたのです。ずい分時間がかかりましたが、終わってみれば子どもの遊びであり、子どもが楽しみに描くものですから、そのところを素直に捉えて、自分の常識からぬりえを捉えればよいとおもったときから書き出せたのです。よい経験になりました。

時代の中での判断基準

連休中にも「ぬりえ美術館」にマスコミ取材が多くありました。マスコミの関心は「ぬりえ美術館」の近くを通る都電、それが今人気なので、都電とぬりえを結びつける企画で取材にくるのです。昔は路面電車が多くありました。渋谷の玉川通りを走っていた「玉電」、御徒町を走っていた「都電」、これらを消したのは日本の戦後の「もはや路面電車は時代遅れ」という交通政策で、消した後を首都高速道路の高架で覆ったのです。
ところが、すでに紹介したカールスルーエの目抜きカイザー通りは、人と電車しか入れないショッピングモールとなって、人と電車の共存が実現しているのです。日本は電車を消し、ドイツは残しました。同じ敗戦国でも判断基準が異なりましたが、今になってみれば日本人の多くは都電を懐かしく求め始めたのです。この感覚のずれが怖いのです。そのときの政策推進者の常識感覚と判断基準が社会をつくりかえていくのです。
山岡鉄舟は誰も見通しのつけられなかった巨大な歴史的課題に、徒手空拳で立ち向かい、結果的に時代を見通した判断基準で、新しい明治維新という姿を実現させたのです。以上。

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2005年05月04日

ゲランドの塩が生み出す塩味スイーツが流行のきざし

日経新聞4月30日(土の「はやりを読む」で、塩味スイーツがで特集されていた。
日本では、甘いものに隠し味に塩をつかうのは珍しくないが、フランスでは塩を必要とする菓子はあまりないという。しかしフランスにも例外があった。それがブルターニュ地方だ。「ガレットブルトンヌゲランド」などがそうで、甘さと塩味がほどよいバランスで、どちらの後味も印象に残るそうだ。
塩味スイーツが流行る下地となったのは、2002年4月の塩の輸入と販売が完全に自由化されたことにがある。これにより国内外の「自然塩」が目立つようになったのだそうだ
自然塩は精製度が高い普及品の塩にくらべ、うまみを醸し出すとされるミネラル分が多い。
最近流行の塩味スイーツには、ブルターニュのゲランドの塩やシチリア産、ボリビア産の塩が使われているそうだが、ゲランドの塩は、カルシウム、カリウムの量は日本の食塩に含まれるものより、はるかに多くうまみが多いとある「フランスの塩は味がソフトで、しょっぱさ加減が柔らかく菓子に使いやすい」そうである。
ゲランドの塩がお菓子の世界でも新しい風を起こしているようだ。

お菓子にも使えるゲランドの塩の味は、その製法から生まれている。自然塩といっても作られ方は様々。ゲランドならではの製法がその旨味を作っているのである。その製法の秘訣を来年は視察予定である。お楽しみにしていただきたい。

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