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2010年12月25日

2010年12月「感謝の懇親会」開催

2010年12月は「感謝の懇親会」開催をいたしました。
 
経営ゼミナールは上田正臣氏が創設し、故城野宏氏の脳力開発に基づく実践経営道場として進めてまいりまして、現在は上田正臣氏の意を受け山本紀久雄が代表を務め、今回で368回という定例会歴史を記念し、今回は「中締め」といたしまして、12月20日(月)18:30から20:30に東京銀行協会ビル内・銀行倶楽部4階3号会議室で「感謝の懇親会」を開催致しました。

席上にて、ご参加の皆さまから激励と感謝のお言葉を賜り、時間を延長する盛会でした。

永きにわたりまして定例会開催を続けられたことにご協力・ご支援を厚く御礼申し上げます。

今後は、このページにて、山本紀久雄が「YAMAMOTOレター」を始めとして、時代・時流の解説等致したく考えております。

投稿者 Master : 10:24 | コメント (0)

2010年12月20日

国際化とグローバル化(後)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年12月20日 国際化とグローバル化(後)

舛添要一氏の発言

12月16日に新党改革代表の舛添要一氏の講演を聞きました。東京大学卒業後ヨーロッパに留学、パリ大学現代国際関係史研究所やジュネーブ高等国際政治研究所の客員研究員などを経ています。なかなか鋭い内容でした。私が印象に残ったのは次の二つです。

一つは、厚生労働大臣時代に、後任の長妻昭前大臣が細かい、さしたる重要性のない議員質問を連発し、そのために国会に足止めされ、海外からの諸会議出席要請を殆ど断らなければならなかった事。これは大臣が海外出張出来ないシステムで問題だと思いました。
もう一つは、日本の家電メーカーが、サムスンに「束になってかかっても敵わない」実態に陥っているという事実認識でした。政治家もサムスンについてよく承知しているのです。

ドイツ・カールスルーエにて

11月末のドイツ・カールスルーエの街は雪で、マルクト広場のクリスマス・マーケットも白く、市電も寒そうでした。その様子が新聞に出ましたので写真を紹介します。
010.jpg

写真の市電は街中を縦横に通っていて、タクシーが必要ないほど便利で、宿泊したホテルからは滞在中の期間、無料カードが提供されます。ということは東京のようなSuicaスイカシステムではないということです。
この街に先日JR東日本が訪れSuicaの説明会を開き、そこに出席していたカールスルーエの関係者から、説明会場全体の雰囲気が「よくわからなかった」という状況だったと伺いました。市電カードで慣れている地元の人々には、見たことがなく、初めて聞く先端システムのSuicaは理解できなかったのです。これを聞き、改めて、日本の問題点を痛感しました。

バーデン・バーデンにて

ドイツでは雪の中バーデン・バーデンにも参りました。バーデン・バーデンとは温泉を意味するバ-デンという名を二つ持つ「温泉の中の温泉」であり、世界でもっとも有名な温泉地であると共に、今や「温泉と観光・文化とコンベンションの街」という総合観光都市に発展している人口5万人の街です。

2009年3月には、アメリカのオバマ大統領が、ここでメルケル独首相と会合し、マルクト広場から市役所、オ-ス川を渡りカジノ前まで散策したように、ここは「ドイツが誇る美しい街」として評価されています。そこで、この街を取材するため、小高い丘の中腹の元は城と思われる観光組合を訪れ、組合長の女性から説明を受けました。彼女のオフィスは、二方向に窓が大きく開かれ、バーデン・バーデンの街並みが見渡せ、その窓を背景に大きいコの字方デスクを配した、大きくて素晴らしい環境でしたが、最も感じ入ったのは彼女から発する「この街が本当に好きで愛している」という情熱説明でした。

その説明で、この街の魅力を十分に理解したと考えましたが、把握した内容が、彼女の情熱説明と合致しているだろうか、受けとめ方にズレがないだろうか、その点を確認しようと、こちらの認識内容を伝えました。
「バーデン・バーデンの温泉を健康と理解し、観光・文化を歴史文化と理解し、コンベンションを経済とすると、この三要素のバランスがとれている街で、そこを貫くコンセプトは『エレガンス』でないか。つまり『エレガントなバランス』がこの街のコンセプトだ」と。
彼女が大きく頷きました。これで双方理解が一致したので原稿を書き終えたところです。

日経新聞社の企業総合評価

12月9日の日経新聞一面は「企業総合評価NICES」の報道でした。一位キャノン、二位ホンダ、三位武田薬品で、企業評価上位の常連であった三菱商事は19位、トヨタ自動車は25位、日産自動車は27位、銀行の順位は探すのに苦労するほどの位置づけです。

解説に「過去半世紀の米国を引っ張った『株主価値の最大化』は曲がり角にある。近視眼的な株高経営を反省し、ジョンソン・エンド・ジョンソンやプロクター・アンド・ギャンブルの安定経営を再評価するのが、今の米国だ」とあり、「顧客は何を求めているか常に真摯に考え、自らの社会的意義を問う組織が持続的に安定した利益を上げられる」と述べています。

これを読み、ようやく日経新聞も「世界から日本を見る」という立場になったなと理解しました。というのは、今までは利益額とか規模とか投資額で企業を評価していたのが「顧客が何を求めているか」を重要な評価基準とし、その「顧客」という存在を「世界の顧客」と受けとめ、積極的に活動しているグローバル化企業が上位になっていたからです。

サムスンの改革

実は、サムスンが日本企業に先駆けて、いち早く改革したのは、この「世界の顧客が何を求めているか」であり、その顧客の主力を経済成長躍進著しい「新興国」においたことです。

サムスンが本当に改革しようと覚悟したのは、1997年7月のタイから始まった「IMF危機」でした。IMF(国際通貨基金)の支援を受けなければならないほどのショックが韓国経済に走ったのです。GDPは四割減になり、IMFからは「お金を借りたいなら生活を切り詰めろ」という国家として屈辱的な指示を受けざるを得ない状況で、給料は三割、四割カットが当たり前でした。

この「IMF危機」を契機としてサムスンは考え抜きました。技術力では日本企業に敵わない。しかし、日本に対抗し、追い抜くには、技術力ではない、別の何かがあるはずだと。

自らの弱点を克服する方法として、相手の強みである日本の技術力に対抗するのではなく、日本企業が手抜かりしている方向に目を向けたのです。ここがサムスンの逞しいところです。

それは「技術の使い方」の工夫です。技術があっても、その技術が「顧客の求めるレベルと異なっている」場合は、その技術力は効果が発揮しません。そこで採用した戦略は「顧客が求める技術に変換して提供する」ということ、つまり、新興国のレベルに対応した技術力の製品づくりに特化したのです。ということは、日本の技術力から、新興国の生活水準では進み過ぎている先端技術をふるい落とし、削り、カットして行くということになります。

具体的にいえば、あまりに優れている日本製品を解体し、分析し、該当新興国にとって不必要な技術部分を取りはずし、その国の顧客にふさわしい商品につくり直し、それを投入していくという戦略を採用しました。うまくて、ずるい方法です。

ただし、この戦略を成功させるために必要不可欠条件は、ターゲットになる国の情報について、そこに住
む人と同じか、それ以上に精通しなければいけません。

そこでサムスンは、「地域専門家」の育成に全力を注ぎました。情報収集のスペシャリスト人材の育成です。その人材によって、その国と地域の情報を徹底的に集め分析し、それに合わせた技術力に修正し、その国の「顧客が何を求めているか」に対応した商品づくりを実行したのです。孫子兵法の「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」の実践です。

考えて見れば当たり前のことで、サムスンの成功はセオリー通りに展開した結果です。

日本が対応すべきこと

優れた技術力を持つ日本企業が「束になってかかっても敵わない」という舛添発言の背景は簡単でした。だがカールスルーエのSuicaの事例はこの対応が未だしという証明です。

全ての物事は相手との対応力で成否が決まります。そこで相手が「何を求めているか」を常に問う姿勢と実践が重要です。今迄の日本の国際化とは、外国に勝る技術力を開発する事に特化していました。

グローバル化とは、この国際化レベルに、相手国の顧客視点を加えることだというサムスンからの教示、これは企業と個人にも該当する成功セオリーです。以上。

投稿者 Master : 06:17 | コメント (0)

2010年12月05日

2010年12月5日 国際化とグローバル化(前)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年12月5日 国際化とグローバル化(前)

パリのデザイン企業

パリの6区、このエリアはサン・ジェルマン・デプレ教会があって、セーヌ川にも面している地域。その一角の細い迷路みたいな路地を通って、ひとつの古びた石造り建物の前に立ち、重いドアを開けて中に入ると、そこは中庭で意外に明るいスペースが広がっていました。

中庭に面した通路の突き当たりのドアを開けると、まだ若いフランス人男女が日本式と思えるぎこちないお辞儀をします。握手の前に頭を下げるのを見て、これは日本に関心高いなと思いました。

会議室に入ると、テーブルが部屋の角から対角線に置かれています。日本はどこに行っても壁と直角に、スクウェア四角直線的な配置でテーブルが並べられていますが、フランスはどこでも斜めスタイルで、ここに国民性と文化性が現れています。

企業変革した結果

社長が挨拶しながら出てきて、気負いなく静かに自社の状況を語り出しました。
「印刷業から15年前にIT企業に変革させ、インド企業を買収し、そのインド企業が日本の大都市からITシステムを受注したので、来春日本に行く」と。

ほおーと思い、どういうシステムですかと質問すると、自分でパソコンを開いて「例えばエクセルだが、今まではインプットと図表作成が時間差作業だった。今回のシステムは同時に同じ画面に配置できるので、スピードと見る側へ働きかける感度が全く違う。これを様々な分野で活用できると、日本の大都市が目をつけたのだ」と語ります。

そこで現在、私が課題にしていることを伝えると、すぐに次回パリに来るまでに作業しておいて提案すると言います。今までのフランス型商売は、必ずお金を受け取ってから作業に入るのが常でしたから、これには驚きました。無料で提案するというのです。

さすがに時流をつかんでいるベンチャー企業は違う、ということを現場で認識し、フランスでも時代が企業をドンドン変えていくということを感じました。

サムスン電子

シャルル・ド・ゴール空港からパリに車で入るには、必ず環状高速道路を通過して市内に入りますが、その環状高速道路に入るポイントのビル屋上には、昔から企業名の電飾看板があります。

つい、10年前までは日本企業名が電飾看板として目立っていました。ところが、今はサムスンです。少し離れたビルにはLGです。また、世界中の国際空港で見るテレビもかつては日本製でしたが、現在はサムスン製に代わっています。

サムスンは今や韓国GDPの15%も占める規模にまで成長したのですが、どうしてこのような状況までに躍進したのでしょうか。それを今号と次号で検討してみます。

どうして日本企業を追い抜いたか

サムスンの経営実態については「危機の経営」(畑村陽太郎+吉川良三著 講談社)に詳しいのですが、先日、吉川良三氏のお話を聞く機会があり、改めて同書を読んで感じたことをご紹介したいと思います。詳しくは同書を参考に願います。

ご存知のように、かつての韓国企業は日本の技術を導入するだけの製品づくりで、世界の市場では常に日本の後塵を拝していました。

この状態から脱皮したい、サムスンの経営を改善させたいと、会長の李健熙イゴンヒ氏が「妻と子以外はみんな変えなくてはいけないと思っている」という強靭な想いから改革を進めました。

まず、最初に打った手は

李健熙会長がはじめた方法は当たり前とも思えることからでした。
まず、グループの幹部を引き連れてドイツ、日本、アメリカなどの先進国を訪れ、グループの事業や他企業の様子を視察しながら、サムスンをどのように変えるべきかの話し合いを、その現地で行ったことです。

これは明治維新の際、日本が採用した伝統的な手段です。明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣された、岩倉具視を正使とし、政府のトップや留学生を含む総勢107名で構成された使節団のことです。
政府のトップが長期間政府を離れ外国を訪れるというのは異例でしたが、肌で西洋文明や思想に触れたという経験が、彼らに与えた影響は大きく評価され、留学生も帰国後に政治、経済、教育、文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献しました。

これと同じことをサムスンは1993年に行ったのです。改革の前に先進国・先人から学ぶというのは、時代が変わっても、常に変わらないセオリーなのです。

他社製品との客観的評価の実施

次に、改革に取り組むには自社の実力を客観的に評価する。これが重要な前提条件であり、改革を始めるためのセオリーです。

そこでサムスンは、自社製と日本製のテレビを見比べました。外見はさほど変わらないものの、カバーを外して中を見ると、その差は歴然でした。日本製のテレビは部品や配線が無駄なくきれいに整って並んでいるのに対し、自社製のものは、部品も配線もごちゃごちゃでした。それを見た会長は「こんなものしかつくれないなんて、今まで何をしてきたのか」と激怒したのです。

その次にはデザインの評価です。何人かの幹部と共に、自社製と日本製のテレビを見比べるよう、メーカーのロゴを隠して状態で、自分が買うとしたらどちらを選ぶかを幹部に聞いてみると、その場にいる人たち全員が日本製を選んだのです。こうやって自社の評価を客観的に算定していきました。

韓国人の国民性の是正

冒頭のフランス企業のテーブルの配置の仕方、これは国民性でフランスの文化性です。
隣のドイツ企業にもよく行きますが、ここでは日本と同じくスクウェア四角直線的な配置でテーブルが並べられています。隣国でも国民性と文化性が全く異なるのです。

同様に韓国にも根強い国民性・文化性があります。それは「個人主義」ということです。

日本ではチーム制で仕事するのが常識ですが、韓国では深く根ざしている個人主義のため、サムスンのエリート幹部は格下と見ている現場には行きたがりません。現場を軽視し、現場を把握しないで仕事をする傾向が強いのです。

個人主義には別の問題もあります。個人主義は自分の非を認めると、すべての責任を個人がとらなければならなくなるので、これを避けるために、上司から指示されたことしかしないということになりがちです。
また、失敗した時には、「環境が変わったのでうまくいかなかった」「他の組織が協力してくれないから仕事が進まない」というような責任転嫁を平然と行うのが普通です。

このような国民性と文化性によって発生するもの、それがグローバル企業になろうとするときには大きな弊害となります。このような韓国人の実態を日本人はよく把握し、韓国と取引や交渉を行うことが必要でしょう。サムスンの事例を自らの教育にすることです。

日和見主義

韓国の企業では、日本のような定期人事異動はありません。異動があるのは、あるレベル以上の役員と、その部門に問題が起こった時だけです。

しかし、その異動が発生すると、つまり、上司が変わると、それまでに仕事の方針や仕方が大きく変わります。これは日本でも同様ですが、日本より振幅が大きいのです。
そのように上司の異動は、自分の仕事の大変化を意味し、そこに個人主義ですから、変化によって自分が損を被らないことを常に考えていますから、上司の異動の噂が出回ると、途端に部下は仕事をしなくなり、その部門の動きがすべて止まってしまう、というような事態が多く発生するのです。

これらの国民性と文化性を変えさせたもの

では、サムスンはこのような問題ある国民性と文化性をどのようにクリアしていき、世界のトップになったのか。最大のピンチをチャンスとした改革ポイントは次号です。以上。

投稿者 Master : 18:15 | コメント (0)