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2005年03月29日

マンションの『住生活』サポートの視点から

5月の例会の予告
5月の例会は、5月16日(月)に開催です。講師には、株式会社長谷工アネシスの取締役専務執行役員の鈴木信男氏をお招きいたします。
皆様のお住まいは、一戸建て住宅でしょうか、それともマンションでしょうか。
今、東京における分譲住宅新規供給の4分の3をマンションが占める時代となり、一般的な都市型の居住形態として定着してきました。それに伴い、人々のマンションの認識も変化してきております。
また住んでみますと、建物の一部を共有し、また住民共同体のメンバーを構成しているという特性から、住民の合意形成過程の難しさという特有の問題があることも分かってきました。
皆様の関心の高いマンションについて、マンションの管理運営をお手伝いする管理会社の眼を通して様々な経験を持つ鈴木信男氏から、衣食住の住、特に『住生活』サポートという視点で、どのようなビジネスチャンスが考えられるのか、今回は発表いただく予定でございます。
5月も見逃せない経営ゼミナ−ルです。5月も参加のご予定をお願いいたします。

投稿者 Master : 16:10 | コメント (0)

現代の少子化社会における大学の問題について

4月18日開催の経営ゼミナールは、株式会社NES/クイック教育システムズ代表補佐役であります矢澤昌敏氏をお招きして、現代の少子化社会における大学の問題を講演いただきます。
従来拡大傾向にあった大学が、1990年代半ばから180度転換を余儀なくされました。少子化、学力低下、ニートの問題と大学を取り巻く環境は大変厳しいものとなりました。
これは単なる大学だけの問題ではなく、いずれ一般企業にも社会にも大きな影響を与える確定事実としての流れです。今の時点で大学経営問題を検討しておくことは、近未来の企業経営への問題解決への糸口を見つけるチャンスと考えられます。
生き残る大学の将来図のご提案のなかに、皆様の企業経営にお役に立つ情報が隠されているのではないかと確信いたします。
 

略歴
1944年  東京都豊島区生まれ
1968年  中央大学商学部経営学科卒業
1968年  明治電機工業株式会社(FA技術商社)入社 
1993年  株式会社プルータス(精密特殊鋼の専門商社)
2004年  株式会社NES/クイック教育システムズに移り、現在に至る。

        
1.日時 平成17年4月18日(月)
6時集合(食事を用意しています)6時15分より時流講話
経営ゼミナ−ルは6時半開始8時半終了予定
     
2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
千代田区丸の内1−3−1 ℡/03−5252−3791
東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)

3.テーマと講師
「少子化と大学陶汰の時代」
副題:少子化・学力低下・大学全入時代・倒産・フリーター・ニート
株式会社 NES/クイック教育システムズ
代表補佐役 矢澤 昌敏氏
    
*会費:オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。
*お問い合わせ 
㈱ボスコ内 経営ゼミナール事務局 河瀬(03−3498−4200)まで
その他は金子(ぬりえ美術館内(03−3892−5391)まで

投稿者 Master : 16:09 | コメント (0)

フランス牡蠣

フランス牡蠣

■経営ゼミナ−ルのパリの農業祭視察で、フランスの生牡蠣を堪能しました。フランスの主なる六ヶ所の牡蠣養殖海域がコ−ナ−を展示し、そこで生牡蠣を無料で食べさせてくれます。牡蠣の隣にはワインコ−ナ−があり、そこで白ワインの試飲をしますから、生牡蠣でお腹を壊す心配はありません。白ワインは消毒作用があるといわれています。農業祭なのに海のものも山のものも機械類も出展されています。入場料は12ユ−ロ、140円換算で1680円。これで牡蠣もワインも食べ飲み放題とは安いものです。お菓子もパンの試食もあります。とにかくフランス中の産物が出展されている一大フランスイベントです。

■フランスの牡蠣といえば、経営ゼミナ−ル代表の山本紀久雄氏の著書「フランスを救った日本の牡蠣」(小学館スクウェア−1500円)が参考になります。フランス牡蠣養殖主要6ヵ所海域を訪問し、実際の養殖方法から食べ方や牡蠣文化について詳説していて、面白く楽しめる本です。

■この「フランスを救った日本の牡蠣」をご希望の方に経営ゼミナ−ルから進呈申し上げます。牡蠣関係のお仕事の方も含めて、牡蠣好きの方にお勧めする逸品本です。
お申し込みは info@keiei-semi.jp にお願いいたします。郵便番号、住所、氏名、明記願います。 

投稿者 Master : 12:11 | コメント (0)

第305回例会は大変面白かったです!

第305回例会は大変面白かったです!

3月22開催の経営ゼミナールは、株式会社ピエールファーブルジャポン代表取締役社長 富岡順一氏から「なぜフランスがブランド国家になりえたのか 食文化が創り上げたフランスのブランド力」の発表をいただき、ご出席の方多数で活発なディスカッションが行われました。
その富岡順一氏の発表内容につきまして、ミュウインターナショナル有限会社竹内冨美江社長より、以下の感想が寄せられましたので、ご紹介いたします。

■昨日は、大変に面白かったです!

●「食文化からフランスプレステイジブランドを読み解く」考察に、世界中を食い倒れて歩いている女(笑)は大いに共感しました。

●非常に単純な事実ですが『人間の身体は食べ物でできている』を意外に大勢の人が忘れているのです!食べることは生命そのもの!

●また、調理方法にも大きな違いがあります。
「フォン=スープ・ソース」に代表されるフランスの「煮る」は、調理にじっくり時間を掛けることの出来る方法です。平穏な環境で、安心しておいしい料理を作ることを試みることが出来るということです。
アメリカ・イギリスの「焼く」は、敵が急に攻めて来る状況下では、おちおち料理も作れないから、短時間で食材を調理をする方法です。

●それと、言語の歴史や言語の特徴からの見方もあります。
知り合いの翻訳者は「日、仏、英をどちらからどちらへでも」の人ですが「関係代名詞が幾つも幾つもぶら下がっている複雑で難解なフランス語は、17世紀にはすでに完成していたのだから、それを日常的に使っているフランス人は、当然、その思考形態や思考回路も難解で複雑なのである」と言っています。なるほど(!)です。
彼は「英語は比較的新しい言語でまだ発展途上?」と言っています。

投稿者 Master : 10:01 | コメント (0)

2005年03月28日

2005年パリ農業祭

      2005年第114回パリ農業祭視察報告    
                               経営ゼミナール事務局  
                                      阿部 義通
         

今年の農業祭は2月26日(土)から3月6日(日)にわたって開催された。19世紀末から毎年開催され、今年で第114回目を迎える。まさに伝統ある祭だ。

経営ゼミナール農業祭視察チームの一人として現地に入った。
会場はパリ市南西部のヴェルサイユ。26日(土)朝、まず一人で下見を兼ねて午前10時過ぎ、メトロ12号線の終点の2つ手前の駅porte de versaillesを降りて会場に向かった。初日で土曜日ということもあってか、大変な人出だ。小さな子供達を連れた家族連れも多い。
ビジター用の受付で12ユーロのチケットを買って会場の中に入る。会場は1ホールから7ホールまである。会場のおおよその配置は以下のようになっている。さてどう回ろうかと一瞬考えたが、初めてのことでもあり数字順に回ることにした。
また28日(月)は山本代表を始めとして視察チーム全員で通訳に案内されて農業祭に出かけた。以下の報告はこの2日間の視察をもとにまとめたものである。とにかく会場は大変な広さだ。

1ホール   牛、豚、鶏、羊
2.1    馬、ロバ
2.2    環境 花、昆虫
3      麦、野菜・果物、魚・海産物 海外物産
4      地方物産、ワイン
7.1    地方物産、ワイン
7.2    犬、地方物産
7.3    鳥

さてこの農業祭視察報告は以下のような構成となる。
(1)会場を見て歩いた印象
(2)現地マスコミの取り上げ方紹介
(3)外国人にとっての見所
(4)農業祭視察を通しての感想
(5)日本人(経営者)にとって参考になること 


(1)会場を見て歩いた印象
(ホール1)
●牛の巨大さ
まず1ホールに足を踏み入れた。最初に目についたのは牛だ。びっくりしたのは牛の巨大なことだった。日本ではまず見かけないような大きさで、一体どのくらいの目方があるのかと表示版をみると1500kgsとあった。左右に並ぶ囲いの中の牛を見ながら奥へと進んでいく。 
牛の数はおよそ60頭だ。全部肉牛のように見える。突き当たると豚のコーナーで、黒豚から白豚までそれぞれ囲いの中で寝ている。子豚が沢山いて可愛らしい。ぴょんぴょんと走り回っている子豚がいる。大人の豚でおよそ、20頭。
それからまた牛のコーナーだが、こちらは乳牛。乳房は巨大だが身体は痩せて骨ばっている。この会場で搾乳した乳を持ち込まれた設備で紙パックに充填し、飲ませてくれる。牛のコーナーが終わると羊のコーナーで、羊毛製品も販売されている。羊のコーナーの隣の鶏のスペースは小さかったが、鶏は大きく、脚も羽で覆われているのがいた。
1ホールの中央に広場があり、ここで牛の品評会をやっている。
エレベーターを上がり2.1に行くと、ここは馬とロバのフロアーで、様々な種類の馬具が売られていた。フランス人の豊かなライフスタイルにとって乗馬は大事な一部なのだろうと思わされた。
●大人しい家畜達
家畜はこのような会場で乾草を敷き込んだ囲いの中にいるとはいえ、1週間も過ごすというのは大変なストレスになるはずだが、皆大人しくしている。何かの処置をしているのだろうか。後で聞いた話だが、毎晩家畜農家の人たちが自分の牛とか馬とか豚、羊の横で添い寝している様子がテレビに出ていたと、聞い
た。また糞も出そうになるとその部分に木製の大きな塵取りのようなものをあてがって乾草の上に落ちないようにしている。大変な作業だと感じた。そんなこともあるのだろう、会場はいわゆる家畜特有の臭いは殆どなく、快適に見て回ることができる。

(ホール2.2)
●シラク大統領登場
ホール2.2に移動するとき報道陣の一団がやってきた。農業祭初日ということでシラク大統領が来たのだ。人込みの中に大統領の顔が見える。この報道陣

の波は2.2の会見ブースの前で止まり、大統領がスピーチし始めた。
ホール2.2は自然の生活コーナー。このコーナーで目を引いたのは環境問題への取り組みだ。まず自動車のディーゼル油に植物油を混ぜて廃棄ガスを削減するということで、バイオディーゼル対応の車が陳列されている。植物油も菜の花、ビーツ、大豆と6種類程紹介されている。係りの人がイアホンマイクを使いながら参加者に質問形式で植物油の利用をPRしている。菜の花の廃油を使うという運動は日本でも最近広がってきているが、フランスではバージン油を使うのだろうか。

もう一つは農薬を使わないで、天敵で農作物につく害虫を駆除するという方法で、この天敵を販売している会社はもう20年の歴史がある、とのことだった。またブドウの木の下に黄色い薔薇が植えられているが、これはブドウの木につく害虫を薔薇を囮にして薔薇に集め、ブドウを守るやり方だ。これもできるだけ農薬を使わないという考え方だろう。

(ホール3)
●牡蠣の養殖
ホール3に向かう。このホールは野菜・果物と魚と海産物が並べられている。生牡蠣を食べさせるコーナーがある。並んで順番を待って生牡蠣を頂く。まずヒラガキから。殻ごと口に持ってきて丸い形の牡蠣を食べる。身は扁平で薄く味はさっぱりしている。次はマガキ。こちらは身が長い。味は同じようにさっぱりしている。日本の牡蠣とは大分違う。また別のコーナーでは「フランス人よ、もっと魚を食べましょう」ということで簡単で美味しい魚のメニュー紹介をしていた。ライ麦パンの上にクリームを塗りその上に鱒を乗せたカナッペ風のものを試食させてくれた。
またこのホールには諸外国の農産物が出品されている。イタリアを初めとしたヨーロッパ諸国、ブラジル、アルジェリア、セネガル、それに東南アジアでは中国、韓国からも出品されている。日本からの出品はなかったようだ。

(ホール4)
●ワイン試飲
ホール4は地方の物産展。ワインの店が並んでいる。奥にレストランがある。
(ホール7)
ホール7.1はワイン・ホール。ワインを試飲させてくれるので楽しみなホールだ。
ホール7.2は肉、チーズなど酪農の加工製品が並ぶ。

以上広い会場の駆け足記録であるが、とても1日では回れない。じっくり見て歩くにはやはり最低2日間は必要だろう。小生は2日間出かけたがそれでも足りないくらいだった。

会場の中は混雑してはいるが、身体がぶつかり合うほどでもない。スリに注意するように言われたので気をつけた。ただ歩き疲れた時、ちょっと休むためのベンチとか椅子が欲しいところだが、見当たらない。フランス人はこの程度歩くことは何ともない、特に農家の人たちは、ということだろうか。(続く)

投稿者 Master : 20:16 | コメント (0)

「笑う温泉・泣く温泉」がトップ売れ筋となる

「笑う温泉・泣く温泉」がトップ売り筋となる

■経営ゼミナールの代表の山本紀久雄著の「笑う温泉・泣く温泉」は昨年末に小学館スクウェアから出版されました。

■この「笑う温泉・泣く温泉」が、紀伊国屋のBookWevでの最近一ヶ月の売れ筋でトップとなりました。温泉専門書としての分野です。

■読者からも読後感が届き始め、日本とヨーロッパの温泉比較が具体的によく分かるということと、この本によって「ヨーロッパの温泉治療」の実態が詳しく分かったという声でした。

■また、フジテレビの日曜七時半から放映されている「報道2001」の黒岩祐治キャスターからも「参考になった」というハガキが届きました。

投稿者 Master : 11:14 | コメント (0)

2005年03月27日

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・その二

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・その二

■開幕二日間は不振

開幕二日目で初の週末となった3月26日(土)、愛知万博の入場者は約四万六千人で、万博協会はこの日の入場者を約15万人と想定しており、その三分の一にとどまりました。
開幕日に続く低迷に「率直に言って土曜日なので、もう少し来ると思った」と、万博協会の中村事務総長が嘆いています。
しかし、全期間入場券の完売もあって、入場者見込みについて「現時点では楽観も悲観もしていない」と語り、そのうえで「来場者の感想を聞き、問題点があるなら知りたい」と述べました。

■今後はどう展開するか

愛知万博の目標来場者数は1500万人です。開催日数は185日ですので、一日平均8.1万人という目標となります。これに対して開幕日と二日目は、天候が悪いこともあって大きく下回っています。
今後状況がどうなるか。トヨタがバックについているのですから、何らかの対策を講じるのか、それともこのまま天候回復と共に上昇していくのか。そのあたりが見ものです。

■ドイツ・ハノ−バ−環境万博の状況

2000年に開催したドイツ・ハノ−バ−万国博覧会について、筆者(山本紀久雄)が視察後YAMAMOTOレターで報告いたしました内容を下記いたしますので、愛知万博に対する状況分析にご参考にしていただきますと幸甚でございます。

●10月でドイツ・ハノ−バ−万国博覧会EXPOが閉幕しました。メインテ−マは「新しい世界の創造〜人間・自然・技術」で別名「環境万博」と銘打って開催されましたので、ここへ関心のある方々と9月に行ってまいりました。

●二日間、足に豆が出来たほどタップリ会場を歩きました。まず一日目は全体の概要把握を行って、二日目は現地在住の日本人通訳をつけてしっかり見学しました。日本出発前にハノ−バ−のホテルだけが旅行会社では予約できず、とうとう現地の知り合いの会社にお願いして、ようやくホテル手配が出来たほどでしたので、入場者もかなり多く賑わっていると予測してまいりましたら、何と大変な不評EXPOとの事でビックリしました。現地ではホテルは直ぐに予約できるのに、日本での情報ではどのホテルも満員であり、料金もバカ高い事を言われていましたので、現地に着いてEXPOの状況を実際に見て、聞いて驚いた次第です。いかに日本の情報が当てにならないかの証明でした。

●不評の原因を一言で表現すれば「楽しくない」との評価なのです。面白くない・娯楽性に欠ける・真面目すぎるなどで、4000万人予定の入場者に対して40%程度の実績で、とうとうEXPOのテ−マとして「環境」を選んだ事に根本的な失敗があるのだ、とも言われる始末です。会場の行き帰りタクシ−を利用しましたが、ドライバ−当然現地のドイツ人ですが、乗るや否や「どうだお客さん面白くないだろう」と決め付けてくる始末です。乗車する多くの入場者が同じ印象を漏らすので、我々も同じだろうと当然の如くに発言しているのです。

●確かに環境がメインテ−マですから、各国のパピリオンも一生懸命PRしていますが、これまでのEXPOのように技術と産業振興のためにビックリさせ、評判になり長蛇の列がつながるような展示物はありませんので、楽しさに欠ける事はやむをえないと思います。

●その最たる典型パピリオンは日本館です。建物全部を紙で造り、紙で造った自動車の展示、終わったら再生紙として再活用するという、環境に配慮した立派なコンセプトテ−マ館となっています。だが、他国のすべてが設置しているお土産売り場や飲食店の設置は一切無く、とにかくデ−タと資料展示で「勉強になりました」との台詞が出口で自然に口から出てくるのが我が日本館で、徹底的に環境をテ−マに取り組んでいる最優等生パピリオンです。

●一方世界の覇者アメリカは環境がテ−マでは出展しても儲からないから、最初から参加を見送っています。割り切りが早く、徹底しているのがアメリカです。


この続きは次回になります。

投稿者 Master : 11:20 | コメント (0)

2005年03月26日

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・万博情報その一

経営ゼミナールの7月25日(月)例会は、3月25日から始まった「愛知万博」(愛・地球博)視察を行います。愛知万博を視察予定の方は、経営ゼミナール主催の「万博ツアー」にご参加お待ちしています。詳しい内容は後日ご案内いたしますが、筆者(山本紀久雄)が前回の万博、それはドイツのハノーバーでの2000年開催に視察しておりますので、そことのつなぎから「愛知万博」への視点を整理してみたいと思います。

■万博154年の歴史を振り返る・・・特筆すべきはパリと大阪だった

1851年のロンドンでに始まった万国博覧会、すでに154年の歴史を要しているが、そのコンセプトは「産業振興を競う場として発展し、技術万能主義を主体」としてきた。
その長い歴史の中でも、目立った開催としては、1889年のフランス革命100周年を記念して、開催されたパリ万博であるが、そこでは高層建築の走りとなったエッフェル塔に、世界中の人々が驚嘆したのであった。
1970年には大阪で開催された。ここにはアメリカが宇宙から持ち帰った「月の石」が展示され、それを目的に長い行列が出来たことはまだ記憶に生々しい。この大阪の入場者は史上最高の6420万人を記録した大成功の万博であった。また、この万博を起点に日本は更に高度経済成長を果たしたのであった。

■2000年のハノーバーはどうだっか・・・それは失敗であった

ドイツで開催された2000年のハノーバー万博は、当初計画4000万人を見込んでいた。しかし、終わってみれば1400万人、目標比35%と無残な結果であった。
ハノーバー万博のテーマは「人間ー自然ー技術、リオ地球サミットでの宣言『持続可能な開発』を基盤にする」でした。少し長い正式テーマですが、要するに「環境万博」だったのです。
集客の失敗理由として「入場料が高い(大人標準の日本円で3500円。これは前売り券と午前・午後券や週末券などに細かく分かれているので大体の平均価格である)ことや、ドイツ当局の運営が官僚的という指摘もあったが、よくよく行かない人々に聞いてみた結果「万博のテーマに『環境』を選んだことに根本的な過ちがあった」との見解になった。
この見解と集客失敗の結果をみて、愛知万博は計画を修正せざるを得なくなったのである。

この続きは次回掲載になります。

投稿者 Master : 11:12 | コメント (1)

2005年03月25日

ゲランドの塩・・・国別輸出先(13)

■国別輸出先・・・ゲランドの塩(13)

ゲランドの実態について12回にわたって述べてきました。
この12回のなかで明らかにしていなかった、フランスからの輸出先のデータが、ゲランドの組合から入手できましたので、以下に整理してみました。

●輸出金額の国別ベストファイブ
 1位日本53% 2位ヨーロッパ31% 3位アメリカ6% 4位韓国3% 5位カナダ2%

●輸出数量の国別ベストファイブ
 1位日本43% 2位ヨーロッパ33% 3位アメリカ11% 4位韓国・イスラエル4% 5位カ ナダ3%

上の中でヨーロッパの内訳では、ベルギーが半分占め、次いでスイス、ドイツ、イギリス、デンマークと続いています。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 12:10 | コメント (0)

2005年03月24日

フランスのブランド力

  経営ゼミナール ワンポイントレッスン 2005年3月22日
「フランスのブランド力」ピェール・ファーブル・ジャポン社長富岡順一社長

フランスとの長いビジネス経験と、在仏日本大使館に勤務経験のある富岡社長のお話は魅力的である。成る程と頷かせる内容の連続であったが、そこで浮かび上がったことは、日本のブランド力はどのようにものにすべきか、という我々日本人に問うべき内容であった。

1. 現在、富岡社長は資生堂からの出向社長として、ピェール・ファーブル・ジャポン社の経営に携わっているが、もともとは資生堂のフランス進出時に活躍した人物である。資生堂がフランスに進出した際は、カネボウも同時期に進出した。最初はカネボウの方が拡大急で成功したようにみえたが、その後カネボウは撤退せざるを得ない状況に陥った。その要因はスイスの代理店に任せたチャネル拡大マーケティングを採用したことであった。一方、資生堂は当初からジックリとブランドマ-ケティングを展開し、時間は要したが今やプレステージブランドとして定着している。この事例は、進出時の方向性戦略が誤ると、その後に怖いものがある証明である。
2. 資生堂がフランスに進出時にロレアルの会長から言われたのは「資生堂は怖くない。日本でトイレタリー商品を販売している人種は、プレステージ商品の販売に向かない。なぜならばそういう低価格の商品を扱うという体質が、全ての場面に出て行くので、高級品販売には馴染まないだろう」と。
この背景思想には、日本人が考えるブランドと、フランス人が意識するブランドとでは、本質的に差があるという意味である。フランス人はコルベール委員会という「最高の職人技術の保存」と「手作り的な部分」を大事にしていくことを基本にしている。このことを分からないといけないが、それは中産階級社会で育っている日本人には難しい感覚の分野に属するもので、これが体質的にみて日本人の大きな課題となっている。
3. そこで、日本は日本らしいブランド構築が必要である。資生堂は高い日本の工業力、つまり、高品質というところにブランド力を求め、その追求で現在の地位を築いた。しかし、日本らしさというところにブランドの原点をおこうとしたら、それは江戸文化から語ることになるだろう。だが、江戸時代は今では遠い過去のことであり、現在は経済中心という社会価値となっている。その現状でありながら江戸文化を持ってきて、ブランド構築するということ、そこには無理があると考えられるが、では経済力・工業力からブランド力構築をすることでうまくいくのか。資生堂はうまくいったが、果たして同様にうまくいくとは限らない。そのところが大きな課題であり、これは商品だけでなく、日本全体のイメージ構築戦略の難しい問題である。
4. なお富岡社長は4月から国際交流基金に職場を替えることになっている。資生堂時代に経験した国際感覚を持って、日本全体の文化発信の仕事をすることになるが、是非とも日本のブランドイメージ構築と確立に貢献されることを期待したい。   以上

投稿者 Master : 14:30 | コメント (0)

第一回丸の内時流塾・温泉編開催される

第一回丸の内時流塾開催される

3月22日、銀行会館にて第一回丸の内時流塾が開催されました。
テ-マは「南仏アベンヌ温泉の成功に学ぶ」で、講師はピエール・ファーブル・ジャポン社の是末悦子チーフマネージャーで、同氏から詳しく的確に成功に至るまでの要因について説明がなされました。

成功要因その一
成功要因の第一は、アベンヌ温泉を買収したピエール・ファーブル社が採った逆転の発想である。通常、温泉地を買収したら、その地で温泉治療施設を造り、温泉経営に乗り出すことになる。
しかし、ピエール・ファーブル社は温泉治療施設を設置せず、地下から湧出するアベンヌ温泉水をスプレー式ウォーターにし、それを敏感肌用の化粧品として発売して15年後、その間で得た化粧品成功の資金で温泉治療施設を造り、今やそこに世界中から皮膚治療に訪れるという、大成功を成し遂げたのである。
結果的に温泉経営として成功したのであるが、その成功までのプロセスは逆転の発想によって、まず、化粧品業界へ進出を行い、次に本来の温泉経営に入るという、まことに見事な戦略を採ったことである。

成功要因その二
成功の第二要因は、そのスプレー式ウォーターを、世界で最も化粧品市場が激烈といわれている日本でいち早く発売し、発売後一気に日本でトップシェアにした戦略である。
勿論、その背景には日本での合弁企業として協力した資生堂の協力は大きいが、時代が環境問題から敏感肌市場が高まったタイミングという、絶好のマーケット時流を捉えた感覚はさすがである。

成功要因その三
成功の第三要因は、日本で発売するにあたって、スプレー式ウォーターのパッケージをリニューアルしたのであるが、そのリニューアルを日本人デザイナーに委嘱したことである。そのデザイナーはイラストレーターとして著名な水野卓史氏であるが、同氏の繊細で気品あるアベンヌ・ウォーターを表現したパッケージ、これがフランスでも評判となり、今や世界中で水野卓史氏のデザインが受け入れられている。
あの気位の高いフランス人が日本人にデザインを依頼したのである。これまたフランスが採る戦略としては、全く感覚が異なる新しいセンス、それは有望市場とみた日本での成功がキーポイントと判断すると、すばやく思考転換し日本人を登用するという思い切った戦略が成功したのである。

これらの成功要因について、是末悦子チーフマネージャーよりビジュアルな表現力で、巧みな話術を持って説明を受けたのであるが、温泉経営の新しい戦略として出席者に多くの示唆を与えてくれた、第一回丸の内時流塾であった。

この内容が好評につき、また、当日参加できない方も多く、そのために4月18日(月)に再度同じく銀行会館(16時から17:30分)で特別開催いたしますので、皆様のご参加をお待ちしております。

投稿者 Master : 11:50 | コメント (0)

2005年03月21日

住宅情報連絡会で山本紀久雄代表が講演

住宅情報連絡会で山本紀久雄代表が講演

2月23日、経営ゼミナール正会員である「郡山サッシセンター」の佐藤富雄社長(写真)主催で、同社会議室において「住宅情報連絡会」が開催され、ここに経営ゼミナール代表の山本紀久雄が出席いたしました。keizemi0502sato200_s.jpg
住宅情報連絡会とは、郡山サッシセンター(福島県郡山市香久池1-8-6)と、ご関係のある企業を中心に、毎月15社から20社の出席で数年前から開催されているものです。
23日も盛況で、郡山近辺の企業だけでなく、仙台からも来られて、お互い自社の状況について実態報告と意見交換を、活発に率直に展開されていました。

同業関係企業の勉強会ではありますが、この住宅情報連絡会では、お互い忌憚のない情報連絡が交わされ、具体的・実践的で直ぐに役立つ場となっていることに、強い感銘を受けました。
景気の踊り場ということで、手探りの難しい経済状況が続いている、このような時にこそ前向きに意見交換できる勉強会がありますと、そこで入手できる実態情報と的確なお互いの交換指摘によって、経営を進める上で大きな成果が得られることになります。
ご参加の方に感想をお聞きしましたが、毎月出席することで「自社の方向性を再確認できる」というご意見が多く、混迷の時代の中で経営判断を誤らない情報ネットワーク体として、この住宅情報連絡会が大きく貢献していることを確認いたしました。

なお、住宅情報連絡会終了後に、山本紀久雄から「現在の経済状況とこれからの日本の進路」というテ-マで皆さんに講演申し上げました。
時代がどのような方向性に向かっていて、それへの戦略構築はどうあるべきか、それらにつきまして日本と外国との比較や、他社や行政で行われている事例をもとにお話いたしました。

経営ゼミナールは毎月の銀行会館で開催される例会だけでなく、山本紀久雄が各企業にもお伺いし、様々なご相談や、今回の郡山サッシセンターにおける住宅情報交換会のような機会に、情勢判断学に基づいた時流研究家としての見解をお話し申上げますので、こ希望がございます場合は経営ゼミナール事務局にお申し込みいただきたいと思います。

投稿者 Master : 14:40 | コメント (0)

本籍地と現住所

YAMAMOTO・レター
環境・文化・経済 山本紀久雄
2005年3月20日 本籍地と現住所

温泉治療に携わりたい
「笑う温泉・泣く温泉」の読者から、長文の手紙が出版社経由で届きました。内容は「一気に読んだ。この本の中に探していたものがあった。自分の心の中を整理させてくれ、求めていたものを明確にしてくれた。今は学生だが、将来は温泉治療に携わり、自然の治癒力による力で社会に貢献したい」というものです。

書店の旅行コーナーに並んでいる、一般の温泉本には共通性があります。それは温泉水の効能効果よりも、「温泉の楽しさ」を伝えること、つまり、景観とか、旅館の施設、料理の豪華さ等の特徴に主点がおかれていることです。しかし、「笑う温泉・泣く温泉」は専門書の分野に入ります。日本図書館協会推薦図書になったのも、内容が専門的だからです。
手紙を書いた若い女性は、幼いときからニキビ・アトピー等で苦労してきて、その治療として温泉が有効であると聞いていたが、その治療が現実にヨーロッパで行われている実態を「笑う温泉・泣く温泉」で初めて詳しく知り、日本でも同様の温泉治療を普及させたいので、その方向に向かうための勉強をしたい。ついてはその勉強機関を教えてほしい。との希望も書いてあり、温泉治療に詳しい専門家を紹介いたしました。
出版した本が若い人の未来に影響を与えたということ、著者として望外の喜びです。

目の前の情報
民営化と共に「新東京」という冠名前が消えた、「成田国際空港」からパリに向かいました。パリのド・ゴール空港に飛行機が着陸し、ボーディングブリッジへたどり着くと、「客室乗務員はドアモードをディスアームド・ポジションに変更してください」と機内アナウンスが流れます。これはどの航空会社でも必ず流すアナウンスです。
このアナウンスが流れると、乗務員がドアに何か作業するのですが、今までこの作業は、多分「ドアにかかっている鍵を外しているんだろう」と思っていましたが、山本塾に出席するスチュアーデスの方からお聞きし、初めてこのアナウンスの意味が分かりました。
それは「ドアに取り付けられた緊急脱出用の装置を解除するため」だったのです。ドアの内部には「緊急脱出用の滑り台が収納されている」ので、ドアを開けると同時にガスが充填され、自動的に滑り台ができるようになっているのです。ですから、緊急時でないとき、つまり、空港のボーディングブリッジへたどり着いたときには、この緊急脱出用の装置を解除することが必要なのです。そうしないと高圧ガスによって、10秒で膨らむようになっているので、ドアの近くにいる人はとても危険なのです。
飛行機に乗るたびに目の前で行われる光景、その意味を分からないまま長いこと過ごしてきました。分かってみれば成る程と思うことでも、漠然と事実ではないまま勝手に認識していることが多いと、今回、改めてド・ゴール空港で感じた次第です。

サン・ジェルマン・デ・プレの書道塾
パリの中心、サン・ジェルマン・デ・プレの交差点はいつも喧騒に満ちていますが、そのすぐ裏手にある「カリグラフィス」という書道教室は静かです。ここでフランス人が書道を習っているのです。一昨年、フランス人からもらった一冊の本、それはフランスで最も美しい本として表彰されたもので、書道の本でした。書道が人気なのです。
フランス人が書道をする理由、それは「書かれたものが言葉として何を意味しているかは分からないが、スピードの対極にある書道は癒しになる」という理由が多いのです。
確かに、日常の生活とかけ離れたこと、それが大きな魅力であって、「カリグラフィス」は人気なのですが、今回、その書道教室をやめたフランス人の声を聞くことが出来ました。
なぜやめたのか。それは「熱心に書き、上手く書けていたが、結局書いている字の意味が分からない、ということに改めて気づいた。分からないものを書いても空しい」というのです。何となく実感として分かり、行動の意味づけの大事さを再認識しました。

ゲランドの塩
昨年に続きパリの農業祭を視察し、加えてブルターニュのゲランドに向かいました。
目的は世界に冠たるブランドとして確立しているゲランドの塩田視察です。
モンパルナス駅からTGVで約3時間、冬のゲランドは塩田の補修作業の毎日です。塩の生産は6月中旬から9月中旬までの3か月間、その生産方法をサイエ村の「塩職人の家」で、塩職人の「イヴォン・モランドー」氏から説明を受け、塩生産の塩田模様をモデルルームで見学しました。
その生産方法を一言でいえば「完全なる自然」です。海水をゆっくりと勾配五千分の一で、水を通す穴は鉛筆の太さという、異なった五つの池を回遊させていくうちに、海水が天日で蒸発し、最後にたどり着くオイエ(採塩池)では塩だけが残り、それを掬い取るのです。ですから、海水の蒸発を天日だけで行うのですから「天日塩」というのです。
この「天日塩」というネーミング、それを単なる品名に近いものだろうと理解していましたが、ゲランドの現場で初めて「天日塩」という意味を理解しました。現代の科学社会の中にあって、ゲランドは完全なる自然有機生産であるという意味、それが「天日塩」というネーミングの背景にあること、それを、初めて現地で知り深く頷いたのです。

宮古島の塩
日本に戻りましたら、近所の方が宮古島に行かれて、そのお土産に塩をいただきました。
説明を読んでみますと「ミネラル成分の含有量18種類は世界一でギネスブックに認められた」とあります。早速、電話して成分表をFAXしていただき、ゲランドの成分表と比較してみました。確かに宮古島のほうがミネラル成分が多く、ギネスブック掲載は嘘ではありません。
次にパンフレットに図示してある生産方法をみますと、そこには「海水を熱し塩分の濃度を高めて、水分を瞬時に蒸発させる」とあります。人間の科学力によって塩を採り、それも一年中安定した塩生産を可能なシステムにしているのです。
また、その塩は細かにパウダー状になっていて、手にとると粉のようなやわらかく、食感もよく、使いやすさという点ですばらしく、各成分がどのような効能効果があるのかという説明も明確です。その上、容器もしっかりした瓶ですので、そのまま食卓におけます。
成る程、宮古島の塩はさすがに工業国日本製で、工業的安定生産によって品質管理状態も瓶詰めで問題ないと納得したところに、宮古島から電話がありまして「FAXは届きましたでしょうか」という親切さです。さすがに日本の客対応は見事です。感心しました。
一方、ゲランドはどうか。ゲランドの「フルール・ド・セル 塩の花」という最もよい塩は、密封したビニールに入れ、その上から布袋包装しています。密封ビニール袋を開けますと、再び密封出来ませんので、全部ビニールから取り出せる大きさの瓶に詰め替えなければいけません。また、自然のままですからパウダー状ではなく粒状です。

本籍地と現住所
困ったことが生じると、人は何かに頼りたくなります。苦境に陥った経営者の多くが採る行動パターンがあります。まず、最初は仏壇に手を合わせ出します。いままで仏壇に線香もあげなかったのに仏壇を拝み、次に座禅に挑戦し、幹部に厳しいはっぱをかけ始め、寝酒を飲みだし、夜中に悪夢にうなされるようになっていきます。ホッとするのは、同業経営者との飲み会で、その経営者の方が自社よりも悪い経営状況だと知ったときだけですが、このような現住所状態では本質的な経営改善は出来ません。
苦境を乗り切るためには、自らの仕事の原点から考え直さねばならないと思います。自分の仕事の原点としての本籍地、その自らの本籍地を強く認識しながら、今の「現住所としての仕事に献身」する姿勢が大事なのです。これは人の生き方にも通じることです。
そのためには、飛行機客室乗務員が行う目前の行動意味を、よく分からないまま漠然と認識したままにすることや、意味不明の字を書にして空しくなるフランス人の事例のようなことは、なるべく行わないことが大事であると思います。
ゲランドと宮古島の塩生産方法は、自然と科学という両極に位置しています。どちらの塩を好み、食するか、その判断のための情報は、ゲランドも宮古島も、つくり方からミネラル成分量まで明確に表現しています。原点からの本籍地情報を公開しています。
若い女性からの手紙、いろいろ探してようやく「笑う温泉・泣く温泉」に出合ったとあり、読み終えて未来への方向性が定まったということの意味、それは今まで漠然と想い探し求めていたこの読者の原点・本籍地、それを暗示できたのではないかと思っています。以上。

投稿者 Master : 12:43 | コメント (0)

2005年03月20日

塩田を守る・・・ゲランドの塩(12)

■ 塩田を守る
塩田という湿地帯は、人為の介在によって、生態系が豊かになっているところである。人があるやり方を持って介入し、湿地帯が腐食と侵食から保護されると、そこに豊かな生態系が発生する。
だから、人間の関わりようによういかんによっては、崩壊もすれば豊かにもなる。

ゲランド塩田の一帯、それは未開発地域も含むが、1996年にラムサ-ル国際条約(1971年イランのラムサールで湿地に関する国際会議で採択)による国定保護を受けた。
ゲランドの沿岸地帯では、魚の種類が多いことが特徴である。ヒラメ、カレイ、タラ、エビ等豊富である。稚魚の大半がこの湿地帯で生まれ育つ。ある程度の塩分と、水が温かく、荒波から保護されている環境が稚魚の発育に最適なのである。

ゲランドにとって最大の環境問題は、タンカー事故である。1999年に起こしたタンカーが沈没し、沿岸に深刻な重油汚染をもたらした。これがゲランド岬に漂着したとき、塩田口の給水口を閉じ、重油の入ってくるのを防いだが、それ以後もタンカー事故は続いている。
世界の海で航海しているタンカー、その中で事故を発生させているのは、建造後15年以上のものであることが多い。これらがこれからも航海しつづけている現状では、何時どこでタンカー事故が発生するかもしれない。それがゲランドにとっても、海にとっても大きな環境脅威である。

これらの海洋保護は、塩職人だけの問題ではなく、海を利用し活用している全ての関係者の意識と管理の向上に待つしかないが、その改善への努力を「ゲランド塩生産者集団」は今後も続けていくしかないのである。

ゲランドの今後を更に見つめていきたい。
そこにはブランド化への大きな成功ストーリーがある。
日本には見当たらないブランド化への道筋が存在している。

ゲランドから学ぶことは実に多い。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:48 | コメント (0)

ゲランドの塩の「世界ブランド化」・・・ゲランドの塩(11)

■ ゲランドの塩の「世界ブランド化」
品質も優れてきて、「塩の花」(フルール・ド・セル)は同様のネーミングを冠した商品、それは「カマルグのフルール・ド・セル」と称し、フランス第一の南仏の企業が売り出したが、味はゲランドの正真正銘の「フルール・ド・セル」とは比較にならず、舐めてみれば明らかであるが、そのような類似品とも模倣品ともいえる塩が出回ってきたことは、ゲランド塩が認められてきた証明でもある。
更に、この南仏にある大企業は、スペイン産の安い塩をゲランドに輸入し、梱包をゲランドと銘記して売ることを始めたが、現在、これと「ゲランド塩生産者集団」は闘っているとモランドー・イヴォン氏が語ってくれた。

このような闘いの現状が意味するところは、ゲランドの塩がすでに「世界ブランド化」していることを意味する。他人の確立したブランドを利用しようとする動きが発生したことは、そけをブランドとして育てようとしてきたことが成功した証明でもある。

ブランド化への重要な手段は1992年に設立した「レ・サリーヌ・ド・ゲランド」社という直営の販売会社の設立であった。
この設立によって、商品の多様化やパッケージ・デザインのリニューアル、販売キャンペーン等を行って、創造的イメージづくりを図ってきた。
その中で最も特筆すべき行動は、フランス料理のシェフへのPRであり、シェフたちがゲランドの塩を使ってみて、その味への変化を実際に認識したことによる口コミによる推薦であった。

ゲランドの国際化も進んでいる。現在の販売状況は5%が外国への輸出である。輸出先としてはアメリカ、日本、北ヨーロッパであり、日本への関心は高く、モランドー・イヴォン氏によると日本への売り込むために、関係者が日本へ訪問しているという。

いずれにしても、塩は世界各地で産出されるが、ゲランドで展開されている実際の自然そのままの生産方法を見るならば、改めてその価値を認識せざるを得ない。
工業化による大量生産方式に慣れ親しんだ現代の人々、その人々がゲランドに行ってみると、そこには心の奥底に横たわっている原風景、昔からの手作業生産風景がそのまま実在しているという驚きと共に、昔からの生産方法を守り抜いている姿勢に感動するのである。

今ではゲランドの塩は「白い金」ともいわれている。
それほど「ゲランド塩生産者集団」は、ゲランドの塩のブランド価値を高めたのである。

経営ゼミナ-ル代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:45 | コメント (0)

シャルル・ロペー氏の活躍・・・ゲランドの塩(10)

■ シャルル・ロペー氏の活躍
日本の団塊世代と共通する「68年世代」である、シャルル・ロペー氏は1946年生れである。ル・マンやナント大学で経営学を学び、卒業後大企業に就職するが、サラリーマン生活に飽き足らず、いくつかの会社を転々とした後で、自分自身を考えるために塩田作業をする機会に出会うことで、塩作りの素晴らしさに魅入り、塩職人なる決意をしたのである。
それまでは外部から塩職人になる人は少なかったから、古老の塩職人は奇異な目で見、いぶかしく思っていたが、次第にシャルル・ロペー氏やその仲間を受け入れるようになっていった。

塩づくりは自然の力・太陽・風・潮の満ち引き等、それらの要素が中心有機的な労働であるので、塩職人が使用する近代的な道具は、手押しトロッコが唯一という生産体制である。したがって、時代は大きく変化し、資本主義というビジネス社会になっているのに、その体制変化を意識できず、昔のままに塩づくりだけをしていた塩職人達は、自分たちと時代の変化との関係を整理・理解できないままになっていた。
それが製塩業の危機という事件を迎え、ようやく時代の変化を考えるようになり「ゲランド塩生産者集団」を設立したのであるが、その歩みを始めた二年後にシャルル・ロペー氏がこの団体に加入したのである。

また、それまでの塩職人の多くは、仲買業者が塩田の所有者であり、ここから塩田を借りて耕作していたので、仲買業者に依存するという状態であった。
しかし、「ゲランド塩生産者集団」の設立によって、仲買業者との塩値段の交渉を始めることができ、ようやく卸値の引き上げに成功し、続いて塩を貯蔵する倉庫の建設を行う等、一歩一歩の動きを見せていった。

ところが、1983年から収穫の悪い年が重なって、この間仲買人と塩の価値が落ちないように交渉してきたが、87年には交渉が妥結せず、決裂したのである。
この決裂結果は、仲買人に任せる方法ではない手段、それは自らが直接販売する方法であるが、販売会社の設立ということにつながったのである。

また、シャルル・ロペー氏が塩職人になったときは、40歳以下の塩職人は三人しかいなかったという後継者問題があったので「塩職人養成センター」の設立に動いた。加えて、品質管理を充実させるため、様々な設備投資を行った。
現在では、塩職人となるための「塩職人養成センター」での受講生は増え、その大半はこの地方の出身者であるが、中にはパリやリオンからや、外国人もいたりするようになった。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:43 | コメント (0)

ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと・・・ゲランドの塩(9)

■ ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと
ゲランドの塩を、世界的ブランドに仕掛けたのは、サリーヌ・ド・ゲランド社社長のシャルル・ロペー氏等の、「ゲランド塩生産者集団」のメンバー達であったが、その成功ストーリーを述べる前に、フランスにおける塩職人の状況についてふれたい。

第二次世界大戦後に、産業の工業化・機械化が進んだのはフランスでも同様である。塩の生産も工業化・機械化が進み、手作業としての塩職人にとっては大量生産の塩が大きな脅威となって、塩職人は減り、残った塩職人もほとんど兼業するしかなかい経済状態に陥った。
昼間は別の仕事をし、夕方に仕事から戻って塩田に出るという過酷な状況であった。この生活状態から子どもは家業を継がず、近くの都市に就職していき、塩作りの伝承仕事は失われかけていった。

この地域に根ざした地場産業が崩壊していくという意味の背景には、手作業的産業としての弱点があった。それは経済的に自立していくに必要な、流通基盤を持たないという問題である。従来から仲介業者による販売にのみ依存してきたことで、継続的に安定し利幅のある利益収入を確保できない、という致命的な弱点があったのである。

こうした弱点を乗り越えた契機は1972年の闘争であった。この年の5月、サン・ナゼールに陸揚げされようとしていたシシリア産の塩の荷揚げ反対闘争に、塩職人の全てが参加し、実力で阻止が行われたのである。その実力行使の背景には、製塩業としての自分達の存在が消えていくのではないか、という危機感があった。
この闘争は、県知事が間に入って、シシリア産の塩は大量販売しない、一方、塩職人側は販売に関して組織的な運営をするということで、和解が成立した。それまでは塩職人は全く個々人が勝手に自由に販売側と交渉を行っていたのであって、そこには投機もおきやすかったのである。
この闘争を契機に塩職人は「ゲランド塩生産者集団」を発足させることが出来たのである。
「ゲランド塩生産者集団」には320名いた塩職人のうち、280名が参加した。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:41 | コメント (0)

ゲランドの塩の特徴・・・ゲランドの塩(8)

■ ゲランドの塩の特徴
ゲランドの天日塩の特徴は、なんといっても塩化ナトリウム以外のミネラル分が豊富で、特にマグネシウムが多く含まれていることだろう。(成分表参照)

(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)
大西洋の陽光と風が穏やかなため、ゆっくりした速度で結晶が進行し、その時間の長さが、それだけミネラル分を取り込むことを可能にしているのである。ここがゲラルドの塩の美味しさである。
勿論、ミネラル分が多ければ多いほど美味しいというわけではない。全体の鹹味、苦味、甘味等が程よく交わっていて、けっしてニガリが強すぎてはいけないのである。

湿地帯のゲランドは、単細胞の微小な植物プランクトンが発生する。その代表的なものが、デュナリア・サリナという海藻の一種である。夏の塩田はデュナリア・サリナの繁殖で、水の色が赤っぽくなっている。デュナリア・サリナは生きている間と、死ぬ時にミネラルを輩出する。そのミネラルを取り込んで結晶するのでミネラルが豊富なのである。

また、淡いスミレのような香りと独特な風味も、デュナリア・サリナのおかげである。特に「塩の花」(フルール・ド・セル)は淡いスミレのような香りとともに、白く、味がまろやかで、多くのフランス料理のシェフが、ゲランドの塩を推薦する理由がここにある。更に、料理一般のつかわれる「粗塩」(グロ・セル)でも、塩をこの「粗塩」(グロ・セル)に替えただけで確実に「料理の腕前が三倍ぐらいあがった」といわれるほど、評価が高いのである。

加えて、ゲランドの塩は、地中海の塩に比べて、水に溶解しやすく、すぐに体内に吸収されるため、ダイエット効果が高いともいわれている。
この他に、自然海塩が喘息や皮膚アレルギー等にも効果があり、タラソテラピーや他の医療法方法にも使用されている。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:40 | コメント (0)

塩田のオイエの手入れ・・・ゲランドの塩(7)

■塩田のオイエの手入れ
オイエでは年平均1.3トン、1日50~60キロの収穫がある。一人の塩職人は平均60個所のオイエを持っている。
最高のときは1日3トンの収穫を示す塩職人もいる、と「塩職人の家」の案内役モランドー・イヴォン氏が語ったが、これはちょっとオーバーではないかと思う。しばしばフランス人は数字を的確に言わない傾向があるので要注意である。これは過去多くのフランス人とのビジネス体験で熟知しているところであるので強調し補足しておきたい。

塩職人は夏の間、あの長いヨーロッパの日中を利用して、ほぼ一日12時間ぐらい作業する。塩職人はいつでも塩田の状態を確認しておくことが重要である。自分の塩田の固有の性質を知り抜いていないと、ゲランドの塩職人は出来ない。何故なら、塩田への陽光と風の関係、これがうまく作用しないと塩が上手く結晶しないからである。

ラデュールに盛り上げた塩は、塩田の脇にあるトレメ(塩を山積みにしておく場所)までトロッコで運び、小山状に堆積させておく。その小山をミュロンという。その後はブルド-ザ-で貯蔵倉庫まで運ぶ。倉庫では一年か二年寝かして水分を抜き、ふるいにかけ、化学処理や水洗いせずに梱包される。

このように製品として出荷される塩には、何らの手も加えないのであるから、塩田の手入れが大事である。塩田の床がきれいに平になっていないと、収穫時に粘土が混入してしまい、良質とはいえない塩となるからである。したがって、この塩田整備は年間通して行われるが、特に冬から春先にかけては手入れを十分にする。

最後にモランドー・イヴォン氏の説明で最も驚いたのは、海水をエチエ給水路から取り入れてから、オイエの最終採塩池である結晶池に到着するまでの勾配であるが、たったの五千分の一であり、最初と最後の高さの違いはわずか3センチメートルに過ぎないということ、それと塩田池間の海水を通す穴はえんぴつの大きさだ、という発言であった。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:37 | コメント (0)

ゲランドの塩の最大の問題点・・・ゲランドの塩(6)

■ゲランドの塩の最大の問題点
このゲランドの塩生産には最大の問題がある。それは大量生産が難しいことである。
例えば、南仏地中海の塩生産は、11,000ヘクタールの塩田にコンピューター制御により、毎秒10~15立方メートルの海水を供給し、トラクターとベルトコンベアーで毎時2,400トンを収穫することができる。
日本のイオン交換膜式は、1971年から始まった工業生産であるが、天候の影響を全く受けないので、製塩のための専有面積は少なく、労働力はわずかで、生産量は膨大である。

これらに比べて、ゲランドの塩生産は全くの自然の中での作業だけであるから、天候に左右されることになる。天日塩の弱点である。太陽の加減、風向き、その強さ、湿度、天候の移り変わり、潮の満干等によって塩の生産量が変わっていく。
年間平均生産量は一万トンであるが、200トンから22,000トンというように変動が大きい。これが弱点であるが、現在では後述する「ゲランド塩生産者集団」が貯蔵倉庫をつくり、3年間のストックを蓄えているので、販売量としては安定供給できるようになっている。

収穫期は一般的に3か月である。6月中旬に始まって、9月中旬には終了する。
収穫する塩の種類は2通りある。「粗塩」(グロ・セル)と「塩の花」(フルール・ド・セル)である。
「粗塩」(グロ・セル)は結晶体の比較的大きい多少灰色がかかったものであり、「塩の花」(フルール・ド・セル)とは細かい結晶で、軽くて非常に白い色をした塩である。
「塩の花」(フルール・ド・セル)が塩田のオイエ(採塩池)の水面に最初に浮き上がり、それをそっと掬い取るように収穫する。「粗塩」(グロ・セル)の収穫量に比べると十分の一から二十分の一であるため、純度は高く値段も高い。

実際の塩の収穫作業は、塩田の最終池であるオイエの畦道であるラデュールに塩をかき集める。ラスという塩をかき集めるのに使う最低5メ-トルほどの長い棹の先に横木がついたもの、それでオイエの床をえぐらないように薄く上手く塩の結晶だけを、まず床からローリングするように引き離してから、ラデュールの上に円錐形状に盛りつけるのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:36 | コメント (0)

ゲランドはラベル・ルージュ(赤ラベル)・・・ゲランドの塩(5)

■ ゲランドはラベル・ルージュ(赤ラベル)
フランスにおける食品の品質管理制度に、ラベル・ル-ジュ(赤ラベル Label Rouge)がある。ラベル・ルージュとはフランス農林水産省の最優秀食品に与えられる。ラベル・ル-ジュの対象となる製品は、原材料すべてのライフサイクルが把握され、かつ、市場に流通している製品よりも高い品質を常時維持することを要求される。
このため、全ライフサイクルを把握することが不可能な、一般の生鮮魚介類は対象外となり、水産物では養殖生産品、加工水産品と塩がラベル・ルージュを獲得している。

ラベル・ルージュが認証された水産物は養殖牡蠣では「マレンヌ・オレロンの牡蠣」、水産加工品では「スモークサーモン」、それとゲランドの塩である。詳しくは山本紀久雄著「フランスを救った日本の牡蠣」(小学館スクウェア)を参照願いたい。

ラベル・ルージュの認定のために行われる検査は、塩の化学成分検査、バクテリア検査(海水の検査含む)、生理学に基づいた感覚印象受容性の検査の3項目である。加えて、味覚、様相、色についても年に4回、生産設備の一般検査は年に一度、それに抜き打ち検査もある厳しい検査規定をクリアしなければ認定されないのである。

■ ゲランド塩の生産方法
ゲランドでは、塩職人のことをパリュディエと呼ぶことはすでに紹介した。
塩は塩田で生産されるが、その塩田での生産方法はシンプルの一言である。

「太陽の陽光と風によって水分を乾燥させ、塩分濃度を濃縮させていき、飽和状態になったところで、塩は自然に結晶し、それを収穫する」

これが生産方法である。そこには科学的な機械類は一切使用されていない。その生産方法を図示したが、海水が池を回遊して出来上がる、それだけである。

(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)

まず、海水をエチエという給水路から取り入れてから、五つの異なった塩田(ヴァシエール、コビエ、ファール、アデルヌ、オイエ)を巡回することで、オイエ(採塩池)という最終採塩池である結晶池に到着して塩になるのである。

ということは、自然の海水をこの五つの異なった塩田に入れることだけで、勝手に自然が塩をつくってくれるのか、という解釈を持つかもしれない。
しかし、この解釈は全く誤りである。人間の力が大きく関係づけないとラベル・ルージュとしての、ゲランドの塩は生産されないのである。

その人間の関係とは、それぞれの塩田に入れる水量の調整、塩田の床の整備等で大変な作業が必要とする。例えば、水量調整であるが、一日の中でも風向きは微妙に変化する。そこで、西から吹く海風は湿り気を帯び、結晶は遅く粗いが、東から吹く陸風はカラッとして、乾燥も早く、結晶は早く進行しキメも細かい。そうした状況に応じて、水門の開閉を敏速にし、一日に何回も調整するのである。
ゲランドの塩は自然が全て生産してくれているように思えるが、実際には人間が重要な役割を果たしているのである。塩田作業とは自然と人間の競演である。この関係が上手に運営されないと良質の塩が生産できないのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:24 | コメント (0)

ゲランドの塩が受け入れられた要因・・・ゲランドの塩(4)

■ゲランドの塩が受け入れられた要因
ゲランドの塩は、現代の食生活の問題解決から、生まれたということではないのである。
ゲランドは現代の問題とは関係なく、もうずっと古い時代、それは近代の科学的社会になる前であるが、その時代から続いている製法でつくり上げている塩なのである。
つまり、人間が自らの結果として発生させた環境問題とは関係ない次元の時代から、一貫して同じ製法で続けている塩生産なのである。

改めて有機栽培という視点で見直ししてみたら、そこにゲランドの塩があったというレベルではなく、そのような次元とは異なる昔からつながっている塩の生産方法を維持しているのである。ここが有機栽培が必要とされてきている背景、それは全く異なるゲランドの背景なのである。

だが、この昔からの製法による有機食品であるといっても、それが現代で最も求められている塩であるという立証がなければ、ゲランドはこれほど受け入れられなかったであろう。
その受け入れられた要因は次のとおりである
1.栄養バランスのとれた天然の有機的食品である
2.伝統的な塩田の仕組みが生態系を豊かにし、ゲランドの湿地帯を保護する役目に結果的になっている
3.また、その生態系が保護されている立証を専門家に科学的に解明してもらう努力をしている

つまり、整理するとゲランドの塩職人は、グローバルなビジョンである生態系の保護意識を思想的に持って、製塩と塩田保護に努力しているのであり、単なる塩生産販売者ではないという姿勢、それが現代の消費者に受け入れられている背景なのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:22 | コメント (0)

ゲランドが登場した背景・・・ゲランドの塩(3)

■ ゲランドが登場した背景
サイエ村「塩職人の家」におけるモランドー・イヴォン氏の説明内容を紹介する前に、ゲランドの塩が今日なぜこのような高い評価を受けるに至ったのか、その背景について検討してみたい。

現代の先進国はグルメ時代に突入している。グルメの最大の目的は「美味しさ」の追求であるが、その美味しさを追求しているうちに、その裏側に「どの食品が一番安心できるか」という問題があることに気づいた。
毎日食しているものが果して人間としての我々に安全であり、安心感を持って味わえるのか、という基本的な問題がグレーゾーンとして大きく立ちはだかっていることに気づいたのである。食の生産状況の実態がよく分からないまま、毎日、生産者から提供される食材を受け入れているという、漠然とした不安感を持った食生活をおくっているのである。つまり、つくっている側の実態がつかめ得ないのである。
これが現代の先進国に共通した問題点である。

しかし、この一般的な問題点に加え、日本の場合は更に問題が重なっている。それは日本の食品は輸入が圧倒的に多いのであるから、日本人の殆どは自らの眼で、自分が食している食材の生産現場を確認しようとしても簡単に出来ない、という地理的条件の問題がある。
第二次大戦後の日本は経済大国に向かう方針のもとに、食糧自給率を疎かにしてきたつけが、今まさに日本人食生活の不安感覚として表れているのである。

そこで多くの人は少しでも安全・安心感を得ようと、「有機栽培食品」という表現表示の食品に関心を持つのであるが、このような現代の不安問題点解決から発した「有機栽培食品」レベルとは、全くゲランドは異なるのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:18 | コメント (0)

塩職人の家(塩田資料館)・・・ゲランドの塩(2)

■ 塩職人の家(塩田資料館)
ゲランドが位置する状況は地図を参照願いたい。
  
(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)

パリから新幹線TGVに乗って、西に向かって走り、「ナントの勅令」で有名なナントを過ぎて、ロワ−ル河口を通って終点のル・コワジックに着く。パリから三時間程度である。このル・コワジックとはブルトン語でアル・グロアジック「十字架の場所」という意味である。周囲五キロほどの小島のようになっている岬の港町である。小さい街だが漁業が盛んである。
ゲランドの塩生産地視察は、このル・コワジックから始めるのもよいし、保養地として著名なラ・ボウルでTGVを降りて、塩田を見ながらル・コワジックに向かうのもよい。

今回はラ・ボウルからの道をとり、まず最初に車でサイエ村に向かった。このラ・ボウルは昔あったエスクーブラック村が拡大して大きな街に発展したのであって、19世紀末までは、この地は松林の砂丘に包まれた丘陵地帯であった。ここに1960年代から70年代にかけて、大リゾート開発を行って避暑地となったのである。美しい海岸に別荘建築を並べたのである。
今回の訪問は冬の時期であったから、駅から街中を歩いてみても人は疎らであり、原色で塗られた看板が、パタパタと音立てて、侘しく寂しく風に揺れているのが印象的であった。夏場が観光地である土地、そのシーズン外れの典型的な風景であるが、今までフランス各地で訪れた著名観光地と比較しレベルが低い印象をもった。

ラ・ボウルからサイエ村はそれほど遠くない。このサイエ村はゲランド塩田のほぼ中央に位置して、代表的な「塩職人の村」である。サイエという名前はラテン語でサリアクムという「塩田生産地」を意味する語源に由来するように、殆どが塩職人の家が続いている。
このサイエ村に塩田資料館「塩職人の家」がある。塩職人のことをパリュディエと呼ぶ。接頭語のパリュスはラテン語の「沼」という意味で、「沼の人」となる。

事前に訪問を予約してあったので、「塩職人の家」では案内役のモランドー・イヴォン氏
(MORANDEAU YVON)が待っていてくれた。モランドー・イヴォン氏も自分の塩田で塩をつくっている職人であるが、今日はガイドとして説明を担当してくれ、スライドや実際の塩田を再現している模型に基づき、ゲランドの塩について解説をしてくれた。
今回の報告書は、このモランドー・イヴォン氏による解説内容と、コリン・コバヤシ著「ゲランドの塩物語」(岩波新書)がゲランドの専門書としてよく整理されているので、これを参照し作成したものである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:15 | コメント (0)

ゲランドの塩(1)・・・世界ブランドへの道を探る

経営ゼミナール代表 山本紀久雄
まえがき
経営ゼミナールとは経営者勉強会として、毎月一回の開催で300回を超える例会実績を示している名門勉強会である。
この経営ゼミナールが2005年2月末から3月上旬にかけて行ったのが、パリの農業祭視察とゲランドの塩生産地の視察である。

パリの農業祭は農産物のみでなく、海産物からワイン・菓子・動物までフランスの全ての産物が展示される一大催事で、今年で114回を迎えている。
この農業祭にもゲランドの塩は当然出展され、会場のゲランドブーツでも大きな関心を呼んでいたが、今回、実際にブルターニュ地方のゲランドまで足を伸ばし、実態視察を行ってきた結果を「ゲランドの塩・・・世界ブランドへの道を探る」と題して以下に報告するものである。
なお、農業祭についても経営ゼミナールのHPで掲載しているので、ご参照願いたい。

■ ゲランドとは
ゲランドはブルターニュ半島の根っこに位置している。ゲランドというフランス語としてはめずらしい地名は、5世紀頃に北方から渡来したケルト系民族であるブルトン人の言語、それを語源としてゲランドという地名が生れたのである。

ブルターニュ半島は、紀元前6世紀頃ゴール人が侵入し、その次にロ−マ人も侵入してきて、その後にブルトン人が移住して王国をつくって、長らくフランスとは別の独立した国として存続してきた。フランス領となったのは16世紀である。

現在、ゲランド地方は行政区域としてはロワール地方に編入され、ロワール地方最西部のロワ−ル・アトランティック県に所属する。しかし、ブルターニュの伝統を継いでいるゲランドであるから、行政区分とは異なるが「ゲランドはブルターニュに存在する」という表現が妥当な実態解釈と思える

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2005年03月17日

2005年フランス農業祭

前回に続き農業祭のアルバム第2集を登録しました。

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2005年03月13日

フランス牡蠣の評判

パリの農業祭ではフランスの牡蠣が、ふんだんに無料で食べられ、それも生牡蠣として最も有名なブランドばかりの牡蠣である。と何人かの方にお話したら、来年は一緒にパリに行きたいという人が結構現れました。日本の生牡蠣とは味が全然違うことに、参加され食べられると驚くと思います。フランスでは牡蠣は生でしか食べなく、その生牡蠣を開けるための専門職業、それをエカイエといいますが、そのエカイエの職業的地位は専門家として高く評価されているのです。

フランス牡蠣のことを知りたい方は、経営ゼミナ-ル代表の山本紀久雄著「フランスを救った日本の牡蠣」をご参考にしてください。
ご希望の方は次にご連絡願います。特別に進呈いたします。info@keiei-semi.jp 

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2005年03月10日

3月は決算期、だから基本に戻りたい

3月は決算期、だから基本に戻りたい
                                  山本紀久雄

今月は決算月です。毎年のことですがこの月は大変です。
さて、2月末から3月初めまでフランス・ドイツに行ってまいりました。行って分かったことはフランスとドイツは全く逆の経済状態ということです。
フランスの2004年10月から12月までの、実質国内総生産GDPは前期比0.7%、年率換算で3%成長。対するドイツは同期間マイナス0.2%となりました。

その結果の要因も全く反対です。フランスは貿易収支が赤字でしたが、国内消費が活発でプラス成長です。ところがドイツは輸出が前年比10%増なのに、消費が伸びなくマイナス成長なのです。ドイツは失業者が多く、とうとう一ユ−ロ・ジョブという苦肉の低賃金(時給約200円)の、公共部門関係の仕事をつくり出す政策を投入するほどです。

しかし、フランスがGDP成長しているといっても、パリ東駅から新幹線TGVの一等車でストラスブ−グに向かった列車、なんと暖房が壊れていたのです。外部気温は零下ですから最も寒い季節なのに、列車暖房が効かないのですから大変です。いくら車掌に文句をいってももう少し待ってくれ、の一点張りでとうとう4時間のTGVはマフラ−・コ−トを身につけたままでした。
また、ドイツではホテルのロビ−喫茶室でドイツ人主婦にインタビユ−したのですが、お互い寒さに震えたままでした。何故ならホテルのロビ−暖房が壊れていたからです。
フランスとドイツ、経済状況とその要因は全く逆関係ですが、暖房設備のメンテナンスが悪いということ、これは全く一致しているのです。

これを読まれる方は長年経営に携わっている人ばかりと思います。新規に企業をつくるというよりは、長い間経営を進めてきて、また今年も決算を迎えていると思います。
その一年間の決算結果、それは、企業運営は組織運営ですから、多くの部門と人々のネットワ−ク回路の巧拙で成果に変化が現れてきます。うまくネットワ−クが動いていると、無駄のない動きとなり、リズムカルに各機能が回転しはじめ、成果に結びつきますが、その反対は逆の結果になります。
つまり、出来上がっている企業組織は、そのメンテナンス如何で、各部門とそこに所属する人々のネットワ−ク力、その巧拙が問われていくのですが、そのネットワ−ク回路をつくったのは経営者なのですから、経営者のネットワ−ク・メンテナンス力が結果を決めているのです。これは当たり前のことですでに十分ご承知とは思いますが、期末の最も忙しいときには、このような基本のことが忘れかねません。

人間は脳回路の生物です。脳細胞が全ての行動の指示をしています。ということは経営者が考え行動するのも脳細胞がしているのです。ですから、経営者としての脳細胞が上手に回路化されていると、その企業のネットワ−ク力は順調に動き、組織のメンテナンスもタイミングよく行われる結果、今年の決算も結果が出せることになるのです。
逆に今年の経営結果が思わしくないという場合は、その要因として様々な現象や問題点を羅列できますが、最も大事にことはその結果をつくりあげている経営者の脳細胞の組み立てにあるということを理解されたほうがよいと思います。
主因は内因にあり、その内因の所在地は脳にある。このことを今年の決算月に再度思い出していただきたいと思います。
                                                      以上

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2005年度フランス農業祭見学

農業祭アルバム
今年経営ゼミの新しい活動の一つとしてフランスの農業祭を視察しました。今回は初めての視察でしたので、できるだけ沢山写真を撮ってきました。好評であれば第二弾、第三弾を掲載いたします。

投稿者 Master : 12:04 | コメント (0)

2005年03月08日

企業への少子化問題の影響について先取りして検討

4月の例会予告案内
4月は、4月18日(月)に開催です。講師には、株式会社NES/クイック教育システムズ 代表補佐役の矢澤昌敏氏をお招きして、現代の少子化社会における大学の問題を講演いただく予定でございます。
少子化問題はまず大学の経営に最も大きな影響を与え始めました。需要が少なく供給が多い、という典型的な過剰大学時代になっていて、これは近い未来の一般企業にも当然押し寄せてくる確定事実としての流れです。

つまり、今の時点で大学経営問題を検討しておくことは、近未来の企業経営への問題解決への糸口を見つけるチャンスになるのです。
2月はこれから期待される人工知能AIについて検討しました。4月は近未来を迎える企業への少子化問題影響を先取りして検討いたします。企業経営者にとって見逃すことのできないテ−マです。講師の矢澤氏は多くの大学経営実態に携わっていて、今の大学に最も詳しい人物です。皆様のご期待される内容で展開されると思います。
テ−マは「少子化と大学淘汰の時代」—少子化・学力低下・全入・倒産・フリーター、ニート—です。4月も見逃せない経営ゼミナ−ルです。
4月も参加のご予定をお願いいたします。

投稿者 Master : 20:14 | コメント (0)

ブランド国家フランスのブランドづくりの実態

3月例会のご案内
3月22日開催の経営ゼミナールは、元在仏日本大使館一等書記官であり、現在ピエール・ファーブル・ジャポン社の富岡順一社長に登場いただき、フランスの魅力とブランドづくりの実態を発表いただきます。

25年後の2030年の日本の「3つの国家ビジョン」の一つとして、「好感度第一位の国家」が目標に掲げられました。その具体的な目標は、「訪日外国人旅行者を4000万人」することです。しかし、現実の外国人旅行者は、2004年度見込みで600万人。これに対し、フランスは8000万人に近い外国人が訪れます。大きな差です。
どうしてフランスにこのように非常に多くの外国人が旅行するのか。それはフランスという国家がブランド化しているからです。

何故フランスがブランド国家となりえたのか。それは多くの要因が地層的・歴史的に折り重なって今日の姿になっているのですが、その中でもフランスといえば食文化の国として際立った魅力を発揮させているのはご存知のとおりです。
その食を中心にフランスの強いブランド創りの背景を、在仏日本大使館の一等書記官として、またフランスの合弁会社の社長として活躍し、フランス文化に深い造詣をお持ちの富岡順一社長より「食文化が創り上げたブランド国家フランス」と題しまして、講演いただきます。


略歴
1949年8月 神奈川県生まれ
1974年3月 慶応義塾大学商学部卒業
1974年4月 ㈱資生堂入社 
1980年6月 資生堂ヨーロッパ(フランス)駐在
1994年2月 資生堂インターナショナルフランス副社長(フランス)
1996年6月 ㈱ピエール・ファーブル・ジャポン商品開発部ゼネラルマネージャー
 2000年4月 外務省在仏日本国大使館一等書記官(広報文化担当) 
2002年6月 ㈱ピエール・ファーブル・ジャポン社長


1.日時平成17年3月22日(火)第三の火曜日の開催
*3月21日が祝日のため、翌日の22日になりますのでご注意願います。 
6時集合(食事を用意しています)6時15分より時流講話
経営ゼミナ−ルは6時半開始8時半終了予定
2.場所 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
千代田区丸の内1−3−1 ℡/03−5252−3791
東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)

3.テーマと講師
「何故フランスがブランド国家となりえたのか、食文化が創り上げたブランド国家フランス」
ピエール・ファーブル・ジャポン社社長
元在仏日本大使館一等書記官
富岡 順一氏
    
*会費  オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。
*お問い合わせ 
㈱ボスコ内 経営ゼミナール事務局 河瀬(03−3498−4200)まで
その他は金子(ぬりえ美術館内(03−3892−5391)まで 

投稿者 Master : 20:10 | コメント (0)

フランス牡蠣

経営ゼミナ−ルのパリの農業祭視察で、フランスの生牡蠣を堪能しました。フランスの主なる六ヶ所の牡蠣養殖海域がコ−ナ−を展示し、そこで生牡蠣を無料で食べさせてくれます。牡蠣の隣にはワインコ−ナ−があり、そこで白ワインの試飲をしますから、生牡蠣でお腹を壊す心配はありません。白ワインは消毒作用があるといわれています。農業祭なのに海のものも山のものも機械類も出展されています。入場料は12ユ−ロ、140円換算で1680円。これで牡蠣もワインも食べ飲み放題とは安いものです。お菓子もパンの試食もあります。とにかくフランス中の産物が出展されている一大フランスイベントです。

フランスの牡蠣といえば、経営ゼミナ−ル代表の山本紀久雄氏の著書「フランスを救った日本の牡蠣」(小学館スクウェア−1500円)が参考になります。フランス牡蠣養殖主要6ヵ所海域を訪問し、実際の養殖方法から食べ方や牡蠣文化について詳説していて、面白く楽しめる本です。

この「フランスを救った日本の牡蠣」をご希望の方に経営ゼミナ−ルから進呈申し上げます。牡蠣関係のお仕事の方も含めて、牡蠣好きの方にお勧めする逸品本です。
お申し込みは info@keiei-semi.jp にお願いいたします。郵便番号、住所、氏名、明記願います。 

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2005年03月06日

笑う温泉・泣く温泉が月刊ベルダに書評掲載される

経営ゼミナ-ルの代表である「山本紀久雄」が昨年末に出版した「笑う温泉・泣く温泉」小学館スクウエア(2000円)が、会員制の月刊誌「ベルダ」三月号の73頁に書評が掲載されましたのでご案内いたします。

書評の中に「日本の温泉改革の試みの一つとして、本書は貴重な提案書であり実態報告書となっている」と書かれているように、温泉地発展戦略論としての内容が評価されています。

  ベルダ誌 http://www.kkbestbook.com 

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パリ農業祭とゲランドの塩視察

経営ゼミナ−ルでは、2月28日にパリで開催されている農業祭の視察、それと3月1日にはブルタ−ニュのゲランドの塩産地を視察しました。グロ−バル化の時代、フランスは国家政策でブランドづくりを行っていて、その秘密の一つとして今回で114回開催となっている農業祭、それと一時は塩産地として壊滅的な打撃を受けながらも蘇ったゲランド、その実態について調査してまいりました。
調査内容はこの経営ゼミナ−ルのホ−ムペ−ジで後日公開いたします。多くの方が日本のブランドづくりという視点から関心をお持ちいただきたく希望いたします。経営ゼミナ−ル代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:20 | コメント (0)