2005年05月04日

ゲランドの塩が生み出す塩味スイーツが流行のきざし

日経新聞4月30日(土の「はやりを読む」で、塩味スイーツがで特集されていた。
日本では、甘いものに隠し味に塩をつかうのは珍しくないが、フランスでは塩を必要とする菓子はあまりないという。しかしフランスにも例外があった。それがブルターニュ地方だ。「ガレットブルトンヌゲランド」などがそうで、甘さと塩味がほどよいバランスで、どちらの後味も印象に残るそうだ。
塩味スイーツが流行る下地となったのは、2002年4月の塩の輸入と販売が完全に自由化されたことにがある。これにより国内外の「自然塩」が目立つようになったのだそうだ
自然塩は精製度が高い普及品の塩にくらべ、うまみを醸し出すとされるミネラル分が多い。
最近流行の塩味スイーツには、ブルターニュのゲランドの塩やシチリア産、ボリビア産の塩が使われているそうだが、ゲランドの塩は、カルシウム、カリウムの量は日本の食塩に含まれるものより、はるかに多くうまみが多いとある「フランスの塩は味がソフトで、しょっぱさ加減が柔らかく菓子に使いやすい」そうである。
ゲランドの塩がお菓子の世界でも新しい風を起こしているようだ。

お菓子にも使えるゲランドの塩の味は、その製法から生まれている。自然塩といっても作られ方は様々。ゲランドならではの製法がその旨味を作っているのである。その製法の秘訣を来年は視察予定である。お楽しみにしていただきたい。

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2005年03月25日

ゲランドの塩・・・国別輸出先(13)

■国別輸出先・・・ゲランドの塩(13)

ゲランドの実態について12回にわたって述べてきました。
この12回のなかで明らかにしていなかった、フランスからの輸出先のデータが、ゲランドの組合から入手できましたので、以下に整理してみました。

●輸出金額の国別ベストファイブ
 1位日本53% 2位ヨーロッパ31% 3位アメリカ6% 4位韓国3% 5位カナダ2%

●輸出数量の国別ベストファイブ
 1位日本43% 2位ヨーロッパ33% 3位アメリカ11% 4位韓国・イスラエル4% 5位カ ナダ3%

上の中でヨーロッパの内訳では、ベルギーが半分占め、次いでスイス、ドイツ、イギリス、デンマークと続いています。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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2005年03月20日

塩田を守る・・・ゲランドの塩(12)

■ 塩田を守る
塩田という湿地帯は、人為の介在によって、生態系が豊かになっているところである。人があるやり方を持って介入し、湿地帯が腐食と侵食から保護されると、そこに豊かな生態系が発生する。
だから、人間の関わりようによういかんによっては、崩壊もすれば豊かにもなる。

ゲランド塩田の一帯、それは未開発地域も含むが、1996年にラムサ-ル国際条約(1971年イランのラムサールで湿地に関する国際会議で採択)による国定保護を受けた。
ゲランドの沿岸地帯では、魚の種類が多いことが特徴である。ヒラメ、カレイ、タラ、エビ等豊富である。稚魚の大半がこの湿地帯で生まれ育つ。ある程度の塩分と、水が温かく、荒波から保護されている環境が稚魚の発育に最適なのである。

ゲランドにとって最大の環境問題は、タンカー事故である。1999年に起こしたタンカーが沈没し、沿岸に深刻な重油汚染をもたらした。これがゲランド岬に漂着したとき、塩田口の給水口を閉じ、重油の入ってくるのを防いだが、それ以後もタンカー事故は続いている。
世界の海で航海しているタンカー、その中で事故を発生させているのは、建造後15年以上のものであることが多い。これらがこれからも航海しつづけている現状では、何時どこでタンカー事故が発生するかもしれない。それがゲランドにとっても、海にとっても大きな環境脅威である。

これらの海洋保護は、塩職人だけの問題ではなく、海を利用し活用している全ての関係者の意識と管理の向上に待つしかないが、その改善への努力を「ゲランド塩生産者集団」は今後も続けていくしかないのである。

ゲランドの今後を更に見つめていきたい。
そこにはブランド化への大きな成功ストーリーがある。
日本には見当たらないブランド化への道筋が存在している。

ゲランドから学ぶことは実に多い。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドの塩の「世界ブランド化」・・・ゲランドの塩(11)

■ ゲランドの塩の「世界ブランド化」
品質も優れてきて、「塩の花」(フルール・ド・セル)は同様のネーミングを冠した商品、それは「カマルグのフルール・ド・セル」と称し、フランス第一の南仏の企業が売り出したが、味はゲランドの正真正銘の「フルール・ド・セル」とは比較にならず、舐めてみれば明らかであるが、そのような類似品とも模倣品ともいえる塩が出回ってきたことは、ゲランド塩が認められてきた証明でもある。
更に、この南仏にある大企業は、スペイン産の安い塩をゲランドに輸入し、梱包をゲランドと銘記して売ることを始めたが、現在、これと「ゲランド塩生産者集団」は闘っているとモランドー・イヴォン氏が語ってくれた。

このような闘いの現状が意味するところは、ゲランドの塩がすでに「世界ブランド化」していることを意味する。他人の確立したブランドを利用しようとする動きが発生したことは、そけをブランドとして育てようとしてきたことが成功した証明でもある。

ブランド化への重要な手段は1992年に設立した「レ・サリーヌ・ド・ゲランド」社という直営の販売会社の設立であった。
この設立によって、商品の多様化やパッケージ・デザインのリニューアル、販売キャンペーン等を行って、創造的イメージづくりを図ってきた。
その中で最も特筆すべき行動は、フランス料理のシェフへのPRであり、シェフたちがゲランドの塩を使ってみて、その味への変化を実際に認識したことによる口コミによる推薦であった。

ゲランドの国際化も進んでいる。現在の販売状況は5%が外国への輸出である。輸出先としてはアメリカ、日本、北ヨーロッパであり、日本への関心は高く、モランドー・イヴォン氏によると日本への売り込むために、関係者が日本へ訪問しているという。

いずれにしても、塩は世界各地で産出されるが、ゲランドで展開されている実際の自然そのままの生産方法を見るならば、改めてその価値を認識せざるを得ない。
工業化による大量生産方式に慣れ親しんだ現代の人々、その人々がゲランドに行ってみると、そこには心の奥底に横たわっている原風景、昔からの手作業生産風景がそのまま実在しているという驚きと共に、昔からの生産方法を守り抜いている姿勢に感動するのである。

今ではゲランドの塩は「白い金」ともいわれている。
それほど「ゲランド塩生産者集団」は、ゲランドの塩のブランド価値を高めたのである。

経営ゼミナ-ル代表 山本紀久雄

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シャルル・ロペー氏の活躍・・・ゲランドの塩(10)

■ シャルル・ロペー氏の活躍
日本の団塊世代と共通する「68年世代」である、シャルル・ロペー氏は1946年生れである。ル・マンやナント大学で経営学を学び、卒業後大企業に就職するが、サラリーマン生活に飽き足らず、いくつかの会社を転々とした後で、自分自身を考えるために塩田作業をする機会に出会うことで、塩作りの素晴らしさに魅入り、塩職人なる決意をしたのである。
それまでは外部から塩職人になる人は少なかったから、古老の塩職人は奇異な目で見、いぶかしく思っていたが、次第にシャルル・ロペー氏やその仲間を受け入れるようになっていった。

塩づくりは自然の力・太陽・風・潮の満ち引き等、それらの要素が中心有機的な労働であるので、塩職人が使用する近代的な道具は、手押しトロッコが唯一という生産体制である。したがって、時代は大きく変化し、資本主義というビジネス社会になっているのに、その体制変化を意識できず、昔のままに塩づくりだけをしていた塩職人達は、自分たちと時代の変化との関係を整理・理解できないままになっていた。
それが製塩業の危機という事件を迎え、ようやく時代の変化を考えるようになり「ゲランド塩生産者集団」を設立したのであるが、その歩みを始めた二年後にシャルル・ロペー氏がこの団体に加入したのである。

また、それまでの塩職人の多くは、仲買業者が塩田の所有者であり、ここから塩田を借りて耕作していたので、仲買業者に依存するという状態であった。
しかし、「ゲランド塩生産者集団」の設立によって、仲買業者との塩値段の交渉を始めることができ、ようやく卸値の引き上げに成功し、続いて塩を貯蔵する倉庫の建設を行う等、一歩一歩の動きを見せていった。

ところが、1983年から収穫の悪い年が重なって、この間仲買人と塩の価値が落ちないように交渉してきたが、87年には交渉が妥結せず、決裂したのである。
この決裂結果は、仲買人に任せる方法ではない手段、それは自らが直接販売する方法であるが、販売会社の設立ということにつながったのである。

また、シャルル・ロペー氏が塩職人になったときは、40歳以下の塩職人は三人しかいなかったという後継者問題があったので「塩職人養成センター」の設立に動いた。加えて、品質管理を充実させるため、様々な設備投資を行った。
現在では、塩職人となるための「塩職人養成センター」での受講生は増え、その大半はこの地方の出身者であるが、中にはパリやリオンからや、外国人もいたりするようになった。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと・・・ゲランドの塩(9)

■ ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと
ゲランドの塩を、世界的ブランドに仕掛けたのは、サリーヌ・ド・ゲランド社社長のシャルル・ロペー氏等の、「ゲランド塩生産者集団」のメンバー達であったが、その成功ストーリーを述べる前に、フランスにおける塩職人の状況についてふれたい。

第二次世界大戦後に、産業の工業化・機械化が進んだのはフランスでも同様である。塩の生産も工業化・機械化が進み、手作業としての塩職人にとっては大量生産の塩が大きな脅威となって、塩職人は減り、残った塩職人もほとんど兼業するしかなかい経済状態に陥った。
昼間は別の仕事をし、夕方に仕事から戻って塩田に出るという過酷な状況であった。この生活状態から子どもは家業を継がず、近くの都市に就職していき、塩作りの伝承仕事は失われかけていった。

この地域に根ざした地場産業が崩壊していくという意味の背景には、手作業的産業としての弱点があった。それは経済的に自立していくに必要な、流通基盤を持たないという問題である。従来から仲介業者による販売にのみ依存してきたことで、継続的に安定し利幅のある利益収入を確保できない、という致命的な弱点があったのである。

こうした弱点を乗り越えた契機は1972年の闘争であった。この年の5月、サン・ナゼールに陸揚げされようとしていたシシリア産の塩の荷揚げ反対闘争に、塩職人の全てが参加し、実力で阻止が行われたのである。その実力行使の背景には、製塩業としての自分達の存在が消えていくのではないか、という危機感があった。
この闘争は、県知事が間に入って、シシリア産の塩は大量販売しない、一方、塩職人側は販売に関して組織的な運営をするということで、和解が成立した。それまでは塩職人は全く個々人が勝手に自由に販売側と交渉を行っていたのであって、そこには投機もおきやすかったのである。
この闘争を契機に塩職人は「ゲランド塩生産者集団」を発足させることが出来たのである。
「ゲランド塩生産者集団」には320名いた塩職人のうち、280名が参加した。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 16:41 | コメント (0)

ゲランドの塩の特徴・・・ゲランドの塩(8)

■ ゲランドの塩の特徴
ゲランドの天日塩の特徴は、なんといっても塩化ナトリウム以外のミネラル分が豊富で、特にマグネシウムが多く含まれていることだろう。(成分表参照)

(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)
大西洋の陽光と風が穏やかなため、ゆっくりした速度で結晶が進行し、その時間の長さが、それだけミネラル分を取り込むことを可能にしているのである。ここがゲラルドの塩の美味しさである。
勿論、ミネラル分が多ければ多いほど美味しいというわけではない。全体の鹹味、苦味、甘味等が程よく交わっていて、けっしてニガリが強すぎてはいけないのである。

湿地帯のゲランドは、単細胞の微小な植物プランクトンが発生する。その代表的なものが、デュナリア・サリナという海藻の一種である。夏の塩田はデュナリア・サリナの繁殖で、水の色が赤っぽくなっている。デュナリア・サリナは生きている間と、死ぬ時にミネラルを輩出する。そのミネラルを取り込んで結晶するのでミネラルが豊富なのである。

また、淡いスミレのような香りと独特な風味も、デュナリア・サリナのおかげである。特に「塩の花」(フルール・ド・セル)は淡いスミレのような香りとともに、白く、味がまろやかで、多くのフランス料理のシェフが、ゲランドの塩を推薦する理由がここにある。更に、料理一般のつかわれる「粗塩」(グロ・セル)でも、塩をこの「粗塩」(グロ・セル)に替えただけで確実に「料理の腕前が三倍ぐらいあがった」といわれるほど、評価が高いのである。

加えて、ゲランドの塩は、地中海の塩に比べて、水に溶解しやすく、すぐに体内に吸収されるため、ダイエット効果が高いともいわれている。
この他に、自然海塩が喘息や皮膚アレルギー等にも効果があり、タラソテラピーや他の医療法方法にも使用されている。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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塩田のオイエの手入れ・・・ゲランドの塩(7)

■塩田のオイエの手入れ
オイエでは年平均1.3トン、1日50~60キロの収穫がある。一人の塩職人は平均60個所のオイエを持っている。
最高のときは1日3トンの収穫を示す塩職人もいる、と「塩職人の家」の案内役モランドー・イヴォン氏が語ったが、これはちょっとオーバーではないかと思う。しばしばフランス人は数字を的確に言わない傾向があるので要注意である。これは過去多くのフランス人とのビジネス体験で熟知しているところであるので強調し補足しておきたい。

塩職人は夏の間、あの長いヨーロッパの日中を利用して、ほぼ一日12時間ぐらい作業する。塩職人はいつでも塩田の状態を確認しておくことが重要である。自分の塩田の固有の性質を知り抜いていないと、ゲランドの塩職人は出来ない。何故なら、塩田への陽光と風の関係、これがうまく作用しないと塩が上手く結晶しないからである。

ラデュールに盛り上げた塩は、塩田の脇にあるトレメ(塩を山積みにしておく場所)までトロッコで運び、小山状に堆積させておく。その小山をミュロンという。その後はブルド-ザ-で貯蔵倉庫まで運ぶ。倉庫では一年か二年寝かして水分を抜き、ふるいにかけ、化学処理や水洗いせずに梱包される。

このように製品として出荷される塩には、何らの手も加えないのであるから、塩田の手入れが大事である。塩田の床がきれいに平になっていないと、収穫時に粘土が混入してしまい、良質とはいえない塩となるからである。したがって、この塩田整備は年間通して行われるが、特に冬から春先にかけては手入れを十分にする。

最後にモランドー・イヴォン氏の説明で最も驚いたのは、海水をエチエ給水路から取り入れてから、オイエの最終採塩池である結晶池に到着するまでの勾配であるが、たったの五千分の一であり、最初と最後の高さの違いはわずか3センチメートルに過ぎないということ、それと塩田池間の海水を通す穴はえんぴつの大きさだ、という発言であった。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドの塩の最大の問題点・・・ゲランドの塩(6)

■ゲランドの塩の最大の問題点
このゲランドの塩生産には最大の問題がある。それは大量生産が難しいことである。
例えば、南仏地中海の塩生産は、11,000ヘクタールの塩田にコンピューター制御により、毎秒10~15立方メートルの海水を供給し、トラクターとベルトコンベアーで毎時2,400トンを収穫することができる。
日本のイオン交換膜式は、1971年から始まった工業生産であるが、天候の影響を全く受けないので、製塩のための専有面積は少なく、労働力はわずかで、生産量は膨大である。

これらに比べて、ゲランドの塩生産は全くの自然の中での作業だけであるから、天候に左右されることになる。天日塩の弱点である。太陽の加減、風向き、その強さ、湿度、天候の移り変わり、潮の満干等によって塩の生産量が変わっていく。
年間平均生産量は一万トンであるが、200トンから22,000トンというように変動が大きい。これが弱点であるが、現在では後述する「ゲランド塩生産者集団」が貯蔵倉庫をつくり、3年間のストックを蓄えているので、販売量としては安定供給できるようになっている。

収穫期は一般的に3か月である。6月中旬に始まって、9月中旬には終了する。
収穫する塩の種類は2通りある。「粗塩」(グロ・セル)と「塩の花」(フルール・ド・セル)である。
「粗塩」(グロ・セル)は結晶体の比較的大きい多少灰色がかかったものであり、「塩の花」(フルール・ド・セル)とは細かい結晶で、軽くて非常に白い色をした塩である。
「塩の花」(フルール・ド・セル)が塩田のオイエ(採塩池)の水面に最初に浮き上がり、それをそっと掬い取るように収穫する。「粗塩」(グロ・セル)の収穫量に比べると十分の一から二十分の一であるため、純度は高く値段も高い。

実際の塩の収穫作業は、塩田の最終池であるオイエの畦道であるラデュールに塩をかき集める。ラスという塩をかき集めるのに使う最低5メ-トルほどの長い棹の先に横木がついたもの、それでオイエの床をえぐらないように薄く上手く塩の結晶だけを、まず床からローリングするように引き離してから、ラデュールの上に円錐形状に盛りつけるのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドはラベル・ルージュ(赤ラベル)・・・ゲランドの塩(5)

■ ゲランドはラベル・ルージュ(赤ラベル)
フランスにおける食品の品質管理制度に、ラベル・ル-ジュ(赤ラベル Label Rouge)がある。ラベル・ルージュとはフランス農林水産省の最優秀食品に与えられる。ラベル・ル-ジュの対象となる製品は、原材料すべてのライフサイクルが把握され、かつ、市場に流通している製品よりも高い品質を常時維持することを要求される。
このため、全ライフサイクルを把握することが不可能な、一般の生鮮魚介類は対象外となり、水産物では養殖生産品、加工水産品と塩がラベル・ルージュを獲得している。

ラベル・ルージュが認証された水産物は養殖牡蠣では「マレンヌ・オレロンの牡蠣」、水産加工品では「スモークサーモン」、それとゲランドの塩である。詳しくは山本紀久雄著「フランスを救った日本の牡蠣」(小学館スクウェア)を参照願いたい。

ラベル・ルージュの認定のために行われる検査は、塩の化学成分検査、バクテリア検査(海水の検査含む)、生理学に基づいた感覚印象受容性の検査の3項目である。加えて、味覚、様相、色についても年に4回、生産設備の一般検査は年に一度、それに抜き打ち検査もある厳しい検査規定をクリアしなければ認定されないのである。

■ ゲランド塩の生産方法
ゲランドでは、塩職人のことをパリュディエと呼ぶことはすでに紹介した。
塩は塩田で生産されるが、その塩田での生産方法はシンプルの一言である。

「太陽の陽光と風によって水分を乾燥させ、塩分濃度を濃縮させていき、飽和状態になったところで、塩は自然に結晶し、それを収穫する」

これが生産方法である。そこには科学的な機械類は一切使用されていない。その生産方法を図示したが、海水が池を回遊して出来上がる、それだけである。

(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)

まず、海水をエチエという給水路から取り入れてから、五つの異なった塩田(ヴァシエール、コビエ、ファール、アデルヌ、オイエ)を巡回することで、オイエ(採塩池)という最終採塩池である結晶池に到着して塩になるのである。

ということは、自然の海水をこの五つの異なった塩田に入れることだけで、勝手に自然が塩をつくってくれるのか、という解釈を持つかもしれない。
しかし、この解釈は全く誤りである。人間の力が大きく関係づけないとラベル・ルージュとしての、ゲランドの塩は生産されないのである。

その人間の関係とは、それぞれの塩田に入れる水量の調整、塩田の床の整備等で大変な作業が必要とする。例えば、水量調整であるが、一日の中でも風向きは微妙に変化する。そこで、西から吹く海風は湿り気を帯び、結晶は遅く粗いが、東から吹く陸風はカラッとして、乾燥も早く、結晶は早く進行しキメも細かい。そうした状況に応じて、水門の開閉を敏速にし、一日に何回も調整するのである。
ゲランドの塩は自然が全て生産してくれているように思えるが、実際には人間が重要な役割を果たしているのである。塩田作業とは自然と人間の競演である。この関係が上手に運営されないと良質の塩が生産できないのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドの塩が受け入れられた要因・・・ゲランドの塩(4)

■ゲランドの塩が受け入れられた要因
ゲランドの塩は、現代の食生活の問題解決から、生まれたということではないのである。
ゲランドは現代の問題とは関係なく、もうずっと古い時代、それは近代の科学的社会になる前であるが、その時代から続いている製法でつくり上げている塩なのである。
つまり、人間が自らの結果として発生させた環境問題とは関係ない次元の時代から、一貫して同じ製法で続けている塩生産なのである。

改めて有機栽培という視点で見直ししてみたら、そこにゲランドの塩があったというレベルではなく、そのような次元とは異なる昔からつながっている塩の生産方法を維持しているのである。ここが有機栽培が必要とされてきている背景、それは全く異なるゲランドの背景なのである。

だが、この昔からの製法による有機食品であるといっても、それが現代で最も求められている塩であるという立証がなければ、ゲランドはこれほど受け入れられなかったであろう。
その受け入れられた要因は次のとおりである
1.栄養バランスのとれた天然の有機的食品である
2.伝統的な塩田の仕組みが生態系を豊かにし、ゲランドの湿地帯を保護する役目に結果的になっている
3.また、その生態系が保護されている立証を専門家に科学的に解明してもらう努力をしている

つまり、整理するとゲランドの塩職人は、グローバルなビジョンである生態系の保護意識を思想的に持って、製塩と塩田保護に努力しているのであり、単なる塩生産販売者ではないという姿勢、それが現代の消費者に受け入れられている背景なのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドが登場した背景・・・ゲランドの塩(3)

■ ゲランドが登場した背景
サイエ村「塩職人の家」におけるモランドー・イヴォン氏の説明内容を紹介する前に、ゲランドの塩が今日なぜこのような高い評価を受けるに至ったのか、その背景について検討してみたい。

現代の先進国はグルメ時代に突入している。グルメの最大の目的は「美味しさ」の追求であるが、その美味しさを追求しているうちに、その裏側に「どの食品が一番安心できるか」という問題があることに気づいた。
毎日食しているものが果して人間としての我々に安全であり、安心感を持って味わえるのか、という基本的な問題がグレーゾーンとして大きく立ちはだかっていることに気づいたのである。食の生産状況の実態がよく分からないまま、毎日、生産者から提供される食材を受け入れているという、漠然とした不安感を持った食生活をおくっているのである。つまり、つくっている側の実態がつかめ得ないのである。
これが現代の先進国に共通した問題点である。

しかし、この一般的な問題点に加え、日本の場合は更に問題が重なっている。それは日本の食品は輸入が圧倒的に多いのであるから、日本人の殆どは自らの眼で、自分が食している食材の生産現場を確認しようとしても簡単に出来ない、という地理的条件の問題がある。
第二次大戦後の日本は経済大国に向かう方針のもとに、食糧自給率を疎かにしてきたつけが、今まさに日本人食生活の不安感覚として表れているのである。

そこで多くの人は少しでも安全・安心感を得ようと、「有機栽培食品」という表現表示の食品に関心を持つのであるが、このような現代の不安問題点解決から発した「有機栽培食品」レベルとは、全くゲランドは異なるのである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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塩職人の家(塩田資料館)・・・ゲランドの塩(2)

■ 塩職人の家(塩田資料館)
ゲランドが位置する状況は地図を参照願いたい。
  
(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)

パリから新幹線TGVに乗って、西に向かって走り、「ナントの勅令」で有名なナントを過ぎて、ロワ−ル河口を通って終点のル・コワジックに着く。パリから三時間程度である。このル・コワジックとはブルトン語でアル・グロアジック「十字架の場所」という意味である。周囲五キロほどの小島のようになっている岬の港町である。小さい街だが漁業が盛んである。
ゲランドの塩生産地視察は、このル・コワジックから始めるのもよいし、保養地として著名なラ・ボウルでTGVを降りて、塩田を見ながらル・コワジックに向かうのもよい。

今回はラ・ボウルからの道をとり、まず最初に車でサイエ村に向かった。このラ・ボウルは昔あったエスクーブラック村が拡大して大きな街に発展したのであって、19世紀末までは、この地は松林の砂丘に包まれた丘陵地帯であった。ここに1960年代から70年代にかけて、大リゾート開発を行って避暑地となったのである。美しい海岸に別荘建築を並べたのである。
今回の訪問は冬の時期であったから、駅から街中を歩いてみても人は疎らであり、原色で塗られた看板が、パタパタと音立てて、侘しく寂しく風に揺れているのが印象的であった。夏場が観光地である土地、そのシーズン外れの典型的な風景であるが、今までフランス各地で訪れた著名観光地と比較しレベルが低い印象をもった。

ラ・ボウルからサイエ村はそれほど遠くない。このサイエ村はゲランド塩田のほぼ中央に位置して、代表的な「塩職人の村」である。サイエという名前はラテン語でサリアクムという「塩田生産地」を意味する語源に由来するように、殆どが塩職人の家が続いている。
このサイエ村に塩田資料館「塩職人の家」がある。塩職人のことをパリュディエと呼ぶ。接頭語のパリュスはラテン語の「沼」という意味で、「沼の人」となる。

事前に訪問を予約してあったので、「塩職人の家」では案内役のモランドー・イヴォン氏
(MORANDEAU YVON)が待っていてくれた。モランドー・イヴォン氏も自分の塩田で塩をつくっている職人であるが、今日はガイドとして説明を担当してくれ、スライドや実際の塩田を再現している模型に基づき、ゲランドの塩について解説をしてくれた。
今回の報告書は、このモランドー・イヴォン氏による解説内容と、コリン・コバヤシ著「ゲランドの塩物語」(岩波新書)がゲランドの専門書としてよく整理されているので、これを参照し作成したものである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

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ゲランドの塩(1)・・・世界ブランドへの道を探る

経営ゼミナール代表 山本紀久雄
まえがき
経営ゼミナールとは経営者勉強会として、毎月一回の開催で300回を超える例会実績を示している名門勉強会である。
この経営ゼミナールが2005年2月末から3月上旬にかけて行ったのが、パリの農業祭視察とゲランドの塩生産地の視察である。

パリの農業祭は農産物のみでなく、海産物からワイン・菓子・動物までフランスの全ての産物が展示される一大催事で、今年で114回を迎えている。
この農業祭にもゲランドの塩は当然出展され、会場のゲランドブーツでも大きな関心を呼んでいたが、今回、実際にブルターニュ地方のゲランドまで足を伸ばし、実態視察を行ってきた結果を「ゲランドの塩・・・世界ブランドへの道を探る」と題して以下に報告するものである。
なお、農業祭についても経営ゼミナールのHPで掲載しているので、ご参照願いたい。

■ ゲランドとは
ゲランドはブルターニュ半島の根っこに位置している。ゲランドというフランス語としてはめずらしい地名は、5世紀頃に北方から渡来したケルト系民族であるブルトン人の言語、それを語源としてゲランドという地名が生れたのである。

ブルターニュ半島は、紀元前6世紀頃ゴール人が侵入し、その次にロ−マ人も侵入してきて、その後にブルトン人が移住して王国をつくって、長らくフランスとは別の独立した国として存続してきた。フランス領となったのは16世紀である。

現在、ゲランド地方は行政区域としてはロワール地方に編入され、ロワール地方最西部のロワ−ル・アトランティック県に所属する。しかし、ブルターニュの伝統を継いでいるゲランドであるから、行政区分とは異なるが「ゲランドはブルターニュに存在する」という表現が妥当な実態解釈と思える

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