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2013年12月25日

渋谷時流塾1月ご案内

渋谷時流塾2014年1月10日テーマは
 
「2015年3月に物価上昇率2%は達成するか」です。

会場  ㈱東邦地形社 8階会議室
住所  渋谷区神宮前6-19-3 電話03-3400-1486
      JR渋谷駅東口 宮益坂下交差点から明治通りを原宿方向へ徒歩3分
      渋谷教育学園・渋谷中学高校学校前
時間  16:00から18:00
会費  1000円

ご参加ご希望の方は、直接、会場にお出で願います。

1. 日経新聞2013年12月22日「けいざい解説」記事   
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2. エコノミストは達成しないとみているのが多数説 
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3. 一国の経済が1年や2年で好転すると考えるのは間違っている。とUBCグローバル・アセット・マネジメントのジョン・フレーザー会長が述べた(日経12月22日)
4. 2項の「はい」(=できると思う人)・・・1名と答えたのは「三菱UFJモルガン・スタンレー証券㈱・景気循環研究所長」の嶋中雄二氏である。
5. 先日、嶋中氏から「一人だけできる」と答えた根拠・データを聞く機会がありました。
*この嶋中氏の内容をお伝えし皆さんと検討したいと思います。  以上。

投稿者 Master : 07:35 | コメント (0)

2013年12月21日

2013年12月20日 ウラジオストク視察旅行会に参加して・・・その二

YAMAMOTOレター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2013年12月20日 ウラジオストク視察旅行会に参加して・・・その二

1.ウラジオストク三つの見所

ウラジオストクは坂の多い街だ。 起伏の多い街のあちこちから海を望むことができ、街の中心部には19世紀末から20世紀初頭にかけて外国商人によって建設されたアールデコ調の洋館が多く残され、ヨーロッパの雰囲気を持っている。
街の散策はウラジオストク駅前広場からメインストリートのスヴェトランスカヤ通りを歩き、アルセーニエフ博物館、要塞博物館、 潜水艦C-56博物館、ニコライ二世凱旋門などが主な見所だとガイドブックにあるが、今回はバスで回ったので、筆者の見所はガイドブックと異なる。
我々のバスは、APEC開催を機会にインフラ整備が進んだ高速道路を走り、ルースキー島と結ぶ自慢の2本の橋を通り過ぎる。

1本目の金角湾大橋は海に面してコの字型に広がるウラジオストク市の内湾を、街の上にのしかかるように跨いで架けられたGolden Horn Bridge。2本目の東ボスポラス海峡大橋は2本の主塔から張ったケーブルで橋桁を支えるユニークな斜張橋で、世界最長の斜張橋といわれている。
ゴールデン橋.JPG
橋.JPG

だが、日本人として関心を呼ぶ見所は、この自慢の橋ではなく、以下の三か所と感じるので紹介したい。

① ウラジオストク駅
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日本人の心を打つ最初の見所は、シベリア鉄道の始発駅だろう。先の大戦でシベリアに抑留された日本兵士達が鉄道やビル建設に動員された。我々の先輩たちの汗と涙で造られたのであり考え深い。
駅はウラジオストクの街の中心に位置し、ネオロシア建築がすばらしい建物で、駅の向こうには社会主義革命を導いたレーニン像が建っている。
  モスクワまで.JPG
キロポスト (2).JPG

駅の中に入ると、天井画がすばらしく、大きな荷物を持った乗客が列車を待っている。ここからモスクワまでつながっていて、ホームの中央には「モスクワより9288㎞」と刻まれた石造りのキロポストが立っていて、ロシアの象徴である双頭の鷲が付いていて「まさにロシアに来た!という感じがする。

②  与謝野晶子の記念碑
次の見所は、極東総合大学東洋大学の入り口にある与謝野晶子記念碑だろう。
1912年(明治45年)5月、与謝野晶子が夫鉄幹を追ってパリに向った。500人もの友人達に新橋駅で見送られて東海道経由で敦賀に向かい、敦賀からロシア船でウラジオストクに渡り、シベリア鉄道に乗ってパリへ向かった。4ヶ月の欧州滞在の後、晶子はマルセイユから船で40日をかけて帰国したが、その与謝野晶子記念碑がウラジオストクにある。
与謝野晶子 (2).JPG

この碑の前で、晶子が詠った激しい恋心に驚く人は多いが、実は、この碑にウラジオストクの現実が遺されていることを知る人は少ない。
それは、この晶子の日本語原文と解説が刻まれた二枚の銅版が盗まれていたことだ。1998年9月のことである。
この事実は何を意味するか。当時のロシア経済は厳しく、貧しい人は金になるものなら何でも得ようとしたわけで、無防備な石に貼られた銅は、格好の獲物であったことを示した事件で、また、この当時は下水道マンホールのふたも盗まれているように、ウラジオストクは問題多き街であった。
 現在の晶子記念碑は2004年8月に修復されたものである。手がけたのは山梨学院大の我部政男教授。今度は盗まれないように、詩の原文などは碑に直接刻み、複製した銅板は極東大学の施設で保存してあるが、ここにウラジオストクの治安状態が現れている。
ウラジオストクの治安について、在住日本人がいろいろブログで述べている。一例を紹介する。

A 夜暗くなっての帰宅で、自宅の玄関先で殴られる⇒暗くなくても自宅の鍵を開けるときは、周りに要注意。
B 中央郵便局前のキオスクで買い物をした時から後をつけられる。
C 一時帰国中にアパートの電気製品などがごっそり盗まれた⇒玄関のドアは2重(1枚は鉄製のドア)になっていても、窓際の木をよじ登って窓から進入する。留守だということが知られると、狙われる。
ブログでの警戒警報はまだたくさんあるので、これから訪れる方は参考にされることをお勧めする。
 
③ 溢れる日本車
駐車場の車は日本製 (2).JPG
もうひとつの見所は「溢れる日本車」である。走っている車と駐車場の車の8割が日本車ということだが、そのほとんどは日本海側の港湾から積み出された中古車である。
複雑なのは、日本のメーカー企業が正規のルートを確立しているわけではなく、主としてパキスタン系の企業が日本国内の中古車を確保し、極東ロシアの受け皿企業を介して輸出しているという変則ビジネスモデルが肥大化したのである。
日本車の性能に対する極東ロシア市場の評価は極めて高く、特に厳寒の冬季に対応できる4WD型のランドクルーザーやプラドなどの車種への需要は強いという。一時、韓国車が攻勢をかけたこともあったが、市場の評価が日本車の優勢を決定づけた。
バスの中でガイドが補足する。市内を走る車の98%は日本車である。また、日本製そのままで右ハンドルのままの状態も多い。
いわれてウオッチングするとその通りで、メーカー別ではトヨタが多いが、ここでガイドが強調する。
それは、ソニーがサムソンに負けた要因についてである。
「日本車は、日本国内製と、サウジアラビア製では、明らかに性能が異なることをロシア人はよく知っている。ここが日本企業の問題点だ。サムスンはどこの国でも性能基準は同じだ。それがソニーの負けた理由。日本企業は日本人のためにつくる。サムソンは世界の人のためにつくる」
このガイドの指摘は鋭い。日本国内では聞けない貴重な見解と思う。


投稿者 Master : 11:41 | コメント (0)

2013年12月11日

2013年12月5日 ウラジオストク視察旅行会に参加して・・・その一

YAMAMOTOレター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2013年12月5日 ウラジオストク視察旅行会に参加して・・・その一

今回のYAMAMOTOレターは、経営者勉強会・清話会主催のロシア・ウラジオストク視察旅行会(2013年10月23日(水)から26日(土)三泊四日)に参加し、様々な体験を通じ、以下の三項目について考えさせられましたので、三回にわたって送りいたします。なお、三回とも従来の三ページスタイルではないことをご了解のほどお願いいたします。
1. ロシア人には微笑みがないのか・・・12月5日号
2. ウラジオストク三つの見所・・・・・12月20日号
3. ウラジオストクの未来考察・・・・・新年5日号

1. ロシア人には微笑みがないのか

① ウラジオストクに着いて
ウラジオ位置.jpg
事前に配布された資料に「ロシア人は笑わない」と書いてある。日本人はどちらかというと笑みを見せる顔かたちが多く、オリンピック招致で滝川クリステルの「おもてなし」プレゼンがその証明だ。
 しかし、ロシアのスチュワーデスや入国係官は、絶対に笑わない。だが、それはサービス精神の欠如ではなく、仕事中は笑ってはいけない、と教えられているからだという。だから、仕事中のロシア人が笑わなくとも、無愛想だと思わないで下さいとも書かれている。

 到着したウラジオストク空港、1999年開港、2012年APEC開催にあわせ改修し、なかなか機能的と思える中規模の空港である。日本でいえば広島か岡山空港といったところ。
出迎えの日本語ガイドの案内で、出口前に駐車しているバスに乗る。

早速に同乗した経営者の一人がガイドに質問する。「日本人はロシア人に好かれていますか」「好かれています」「中国人はどうですか」「それほどでもありません」

15分程で夕食レストランに着く。街道わきのハブみたいなところ。奥にパーティ用なののか、岩窟部屋みたいな個室があって、そこに座るとガイドが「飲み物は」と聞くので「ビール」と多くの人が手を挙げる。

ウェイトレスがサラダ、スープ、メインがオヒョウの蒸し料理とバターライスを次々と手早く運んでくる。結構うまい。この間行ってきたドイツよりもうまい。しかし、期待のビールがなかなか出てこない。ガイドが説明する。注文してからジョッキに注ぐので、時間がかかります。食事中盤には出で来るでしょうと。
ようやく現れたビール、グラスが様々な形をしている。そういえばスープ皿もそろっていない。総勢16名に対応できる容器が備わっていないのだ。

ところで、ここのウェイトレスは全員若く美人で、体の線が崩れていなく魅力的ラインであるが、全員口をしっかり結んで笑顔は皆無。ガイドが「テーブルで粗相してはいけないと緊張しているせいです」という。これは、その後入ったどこのレストランも同様で、笑顔のない、若い美人女性ばかりだった。

② 笑顔のない歴史的背景

 笑顔がないのは以前モスクワに行った時も同じだった。美人が多いのに笑顔はない。この笑顔がないという背景、事前資料やガイドの説明通りだろうか。違うように思う。

 かつてのソ連時代、グロムイコという外務大臣がいた。あだ名は「Mr ニェット(ノー)」であった。いつも表情を変えず、とりつくしまもなく、これがロシア人の代表的イメージとなっているように、ロシア人の無愛想顔は共通している。いわばロシア人の母型感覚、マザータイプといえるのではないか。少し長くなるがロシアという国の歴史から、その背景を検討してみたい。

ロシアにおける最初の国家は、ノルマン人(スェーデン人)の族長リューリクが862年に建国した時、それがキエフ公国となって、ビザンチン(コンスタンチノーブル)文化を導入し、農民達をロシア正教(ギリシャ正教)に帰依させ、教会に属させたが、ここで大事件が勃発した。

13世紀の始めにチンギス汗(君主)・モンゴル軍がやってきたのである。その勢力は西方に伸び、チンギス汗の孫バトゥ大汗の征服軍は、在来のモンゴル式騎兵のほかに、攻城に対しては、工学的方法による投石機その他城破壊機を用い、キエフのモスクワも破壊され瓦礫の山になり、さらに、西ヨーロッパまで侵攻したが、内部事情により軍勢を後方にひきあげ、ロシア平原に居座って、キプチャク汗(はん)国(こく)(1243~1502)を立国する。

ここからキプチャク汗国による「タタールのくびき」といわれる暴力支配が259年間続き、ロシア農民に対する搾りは凄まじかった。いくつもの貢税がかけられ、ロシア農民は半死半生にさせられた。反対すると軍事力で徹底的な抹殺を行うというやり方に従うしかなく、この当時、育ちつつあった都市文化や石工、鋳金、彫金、絵画、鍛冶職も連れ去られ、文化が根こそぎ絶やされるというひどい実態であった。

一方、この時期の西欧は華やか文化への幕開き時期だった。花のルネサンスが進行しつつあったこの時、ロシアでは「タタールのくびき」によって文化が閉ざされていた。

このことがロシアというものの原風景にある、という事実を見逃してはならないと思う。外敵を異常に恐れるだけでなく、病的な外国への猜疑心と潜在的な征服欲、軍事力への高い関心、これらはキプチャク汗国の支配と、その被支配を経験した結果であって、他人に笑顔を簡単に見せない、特に外国人には見せないというところにつながっていると推測する。

③ 極東連邦大学訪問
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 二日目の24日はルースキー島の極東連邦大学へ向かった。ここで日本語を学ぶ学生と懇談するためである。

 極東連邦大学は、1899年にロシア極東最初の高等教育機関として前身が誕生、1920年に極東国立大学に再編され、ウラジオストク随一の総合大学となった。2010年には、 ロシアの8つの連邦管区に設置する連邦的意義をもつ国立大学「連邦大学」として、ウラジオストクの3つの大学、国立極東技術大学、 国立太平洋経済大学、国立ウスリー教育大学を吸収して極東連邦大学として生まれ変わった。

 現在の学生総数は6万3000人。エンジニア、生物医学、人文、自然科学、 芸術文化体育、教育学、地域国際研究、経済経営、法学の9つの学部のほかに、ナホトカやユージノサハリンスクそのほかの極東都市、 そして日本の「ロシア極東連邦総合大学函館校」を含む10支部を含んでいる。

 この大学で2012年9月のAPEC開催が行われたが、総敷地面積は80万平方メートル。キャンパスはアヤクス湾に沿って11の校舎が弓形に広がり、どの校舎の前面には海が広がり、一か所に集中したロシアの大学キャンパスとしては最大規模で、 ウラジオストクを極東の学術と教育の中心にしようとするロシアの意気込みが感じられる。

さて、この極東連邦大学のD建物、ここの日本語学科五年生の教室に行く。ここはエリート校で入学が難しいとのこと。入り口でガードマンが生徒一人一人カードを確認する。

日本語教室には五年生の学生が4人。先生は森さんという女性。いつも10人いるというが風邪とかで休みで少ない。
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佐伯優税理士事務所長が生徒たちに「求められる人材」五項目を話し、学生に日本語を学ぶきっかけを尋ねる。答えは以下の通り。
A アニメから。セーラームーン、ワンピースなど。
B アニメとマンガから入って日本が好きになったため。
C 合気道六年経験し日本文化に興味あり。
D 日本の歴史に興味あり。

学生から質問が出る「日本では若い人の就職が難しいと聞いているが本当か」「そういうことはない。仕事はたくさんある。自分に合うものを探しているが、それを頭だけで考えているのでチャレンジしないのだ。二週間くらいで自分に合わない仕事だとやめてしまう傾向がつよいのだ」と佐伯所長。

4人がこれからの希望を述べる。
    A 今、自分の夢を探しているところ。
    B 日本語を使ってロシアで仕事したい。
    C 日本に行って仕事したい。
    D 性格が緊張しやすいので人と十分コミュニケーションがとれるか心配。

四人とも日本で三週間程度のホームスティ経験がある。

ここで、関西経営管理協会の鳥越理事長が「一年間はホームスティし体験してほしい。それがキャリアへのスタートだ」「ホームスティ先を探す組織としてロータリーとかライオンズクラブ等がある」と補足する。

日本語教師の森先生も発言「ここは伝統と歴史ある大学。卒業生は通訳等で活躍している」とガイドを指差す。
しかし、今のところ、ウラジオストクで日本語を活かした就職先がないのが現状らしい。

④  笑顔はあった

午後は北斗画像診断センターを訪問。2013年5月開設。ここは北海道の社会医療法人北斗病院が、ウラジオストクの機関と提携して開設したところ。
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北斗病院は、医療・福祉・介護サービスを事業としている全体人数881名(2013年4月)である。
この北斗画像診断センターは予防医療に位置づけられる。「健常者対象の脳ドックや心臓ドックを中心とした検診事業」「連携関係にある周辺医療機関から依頼を受けた患者の画像診断」という診療科目で、主要機器としては、血液検査器、心電図器、超音波診断装置、ABI動脈硬化測定、64列CT、MRI(1.5T)、遠隔画像診断システム 等。全て新品で機器が輝いている。敷地面積は638.93 平方メートル。

ところで、このセンター入り口から駐車場にバスが入ると、若い美人女性が立っている。ウラジオストクの若い女性は美人だらけである。

ところが、この北斗画像診断センターの美人、何と「満面の笑顔」である!!。絶対に笑わないというロシア女性がにこやかに迎えてくれたのだ。ロシア人でも日本人並みの笑顔ができるのだと感じる。
この笑顔美人女性、日本語が上手い。聞くと極東連邦大学出身。午前に聞いた学生の希望Bの「 日本語を使ってロシアで仕事したい」がここで実現しているのだ。

ということは、日本語を活かして就職すると、笑顔ができないロシア人も、滝川クリステルの「おもてなし」へ変身することができるということになる。

ウラジオストクの美人女性に笑顔をつくるためにも、今は少ない日本企業の進出を期待したいと思うが、経営者の皆さん、いかがでしょうか。
以上

投稿者 Master : 09:59 | コメント (0)