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2008年08月31日

9月例会のご案内

経営ゼミナール2008年9月定例会(343回)ご案内

9月の経営ゼミナールは、9月22日(月)第四月曜日に開催いたします。
講師は株式会社イムラ封筒監査役であり、経済アナリストとしてご活躍の北川宏廸氏でございます。

世界経済は、原油高騰や食料価格の急激な上昇などによる消費者心理の冷え込みで、《景気減速》と《物価上昇》が同時進行する、いわゆる「スタグフレーション」の様相を呈しております。
現在の世界的な金融市場混乱のなかで、下落するドル通貨のハードパワーの緩衝材として、また下落するドルの通貨価値のカウンターパート・ 受け皿として、いまや「通貨のソフトパワー機能」を一手に担うまでに力をつけてきたEU(ヨーロッパ連合)の「単一共通通貨・ユーロ」に焦点をあてて、このスタグフレーションの問題を論じていただきます。
私たちは、第二次世界大戦後、全体主義と戦争に決別し、共同体(コミュニティー)と市場経済(アソシエーション)の間に折り合いをつけようと必死の努力を重ねてきた「欧州の智恵」に学ばなければなりません。
このことから、世界の金融市場で、日本の“円通貨”が、ソフトパワー通貨として、どのような通貨機能を担わならなければならないのかについて、発表をしていただきます。


【日時】 平成20年9月22日(月)

 18:00 集合(食事を用意しています)
 18:15 山本紀久雄代表の時流講話 
 20:30 終了予定

【場所】 東京銀行協会ビル内 銀行倶楽部 4階3号会議室
     千代田区丸の内1-3-1 Tel:03-5252-3791
     東京駅丸の内北口より徒歩5分(皇居和田倉門前)
     アクセス:
     http://www.kaikan.co.jp/bankersclub/access/access.htm

【テーマと講師】

   「グローバル経済下の“ユーロ通貨”の役割
    ~世界経済はドルとの“複合基軸通貨”体制へ~」
    株式会社イムラ封筒監査役・経済アナリスト
    北川 宏廸氏

略歴
北 川 宏 廸 (キタガワ ヒロミチ)
(1940年(昭和15)10月25日生まれ)
1963年(昭和38)3月  慶應義塾大学経済学部卒業
1963年(昭和38)4月  株式会社日本興業銀行入行
1985年(昭和60)1月  ジャパンライン株式会社(現商船三井)
               社長室長(出向)
1989年(昭和64)1月  株式会社日本興業銀行日本橋支店副支店長
1989年(平成元年)4月  同行 池袋支店長
1992年(平成4) 6月  興銀リース株式会社 常務取締役
1996年(平成8) 6月  八重洲リース株式会社 代表取締役
               (興銀リース関係会社)
1998年(平成10)6月  永和地所株式会社 取締役社長
               (興銀関係会社)
2001年(平成13)4月  株式会社イムラ封筒 監査役(現在)


【会費】 オブザーバー参加の方は、当日会費として1万円をご用意下さい。

【問い合わせ】
出欠:編集工房 代表 田中達也 
電話:048-229-2122
FAX:048-473-7293
その他は金子 ぬりえ美術館内(03-3892-5391)まで問い合わせ願います。

お申し込みはこちらをクリックしてください

9月22日(月)開催の例会に、多くの皆様のご参加をお待ち申し上げます。

投稿者 lefthand : 05:09 | コメント (0)

10月例会の予定

10月の例会は、10月20日(月)に開催いたします。

講師には、株式会社エコメイト、代表取締役の福原美里氏をお招きいたします。
平成12年の単独営業活動再開時より、厳しい経営を続けておられていました。その間には、ご自身の持ち家を処分して会社の存続に充てる等、忍耐の日々もありました。
ところが「あり得ない奇跡にちかい」とご自身が語る出来事が起きたり、これに呼応するようにネット通販サイト「椅子道楽」の業績がアップしてきました。
 10月は「一点の青空・復活を信じて」と題しまして、どんな奇跡が起こったのか、ネット通販の活用等、最近の株式会社エコメイトの経営について、発表していただく予定です。

10月の経営ゼミナール例会へのご予定をよろしくお願いいたします。

投稿者 lefthand : 05:04 | コメント (0)

2008年08月20日

2008年8月20日 ロールモデル

環境×文化×経済 山本紀久雄
2008年8月20日 ロールモデル

東条元首相の手記

太平洋戦争開戦時の首相である東条英機陸軍大将が、終戦直前に書いた手記が国立公文書館で見つかり、その昭和20年8月13日に「戦いは常に一瞬において決定するの常則は不変なる」と書いています。これと全く同じことを開戦前にも発言しています。

それは昭和16年4月、当時の近衛内閣が「もし日米戦わばどのような結果になるか」を検討し、結論は「緒戦は勝つであろう。しかしながら、やがて国力、物量の差、それが明らかになって、最終的にはソビエトの参戦、こういうかたちでこの戦争は必ず負ける。よって日米は決して戦ってはならない」でした。

だが、東条陸軍大臣は「この結論は、まさしく机上の空論である。日露戦争も最初から勝てると思ってやったわけではない。三国同盟、三国干渉があってやむを得ず立ち上がったのである。戦というのは意外なことが起こってそれで勝敗が決するのである」と発言し、同年10月に東条内閣が成立し、12月8日の真珠湾攻撃となったのです。

開戦前も、ポツダム宣言受諾後でも、同じことを述べていますので、これは東条元首相の信念と思いますが、明らかに戦争に勝利するための信念・思考力ではありません。

戦争ですから「意外なこと」が多々発生するでしょう。しかし、戦争とは国家の総力を挙げた、国の基盤同士の戦いですから、時間の経過とともに基盤力が表出し、「意外なこと」ではなく「力どおり」の結果になっていくのです。

ロールモデルのシフト

 山岡鉄舟の研究を通じ、幕末維新を検討していく過程で気づいてきたことがあります。それは、嘉永6年(1853)6月にペリー提督が浦賀に来たとき、これを切っ掛けにして、日本はそれまでの「ロールモデル(あこがれの対象)」を中国・清から欧米に切り替えたのではないかということです。

 それまでの日本は中国という大国を見習ってきました。文字でも、儒教でも、詩文でも、すべての基盤思考は中国で、そこに独自色を如何につけるかで、国家のアイデンティテイをつくりあげて来ました。

例えば、寛永18年(1641)に完成させた鎖国です。これは日本独自の政策と思っている人が多いのですが、すでに明と清が鎖国政策を採っていたことが、関係していないはずはありません。

仮に、清がヨーロッパ諸国と広く交易を展開していて、ヨーロッパの文物を採り入れた近代国家であり、豊かな国であった場合でも、日本は国内政局を理由として鎖国を完成させたかどうかです。清がヨーロッパ諸国と上手に付き合っていたならば、鎖国ということは考えなかったのではないでしょうか。逆に清を見習って、ヨーロッパと積極的な関係になったと思います。

日本の歴史書には明と清の鎖国政策との関係がふれていない場合が多いのですが、隣国の清が海禁政策を採っていなかったならば、徳川家光は果たして鎖国を断行したかどうか疑問です。

アメリカを採り入れた

 ところが、この清がアヘン戦争、アロー戦争、太平天国の乱によって、凄まじく瓦解する状態を知った幕末の日本の政治指導者は、「日本は清と同じ運命になるのでは」という恐怖心と危機感に襲われ、もう清をロールモデルにはできない、どうすればよいのか、とういう事態に陥ったと思います。

まさにそのとき、ペリー提督が浦賀に来たのです。おそらくこのタイミングに、日本は千年来のロールモデルであった中国を見限り、欧米をロールモデルに選び、シフトさせたのです。そう考えないと、明治時代の「脱亜入欧」を理解できません。

明治4年、まだ江戸時代の名残が深く、落ち着いたとはいえない時期に、右大臣岩倉具視を大使として、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳の4人を副使として、総勢50人に及ぶ大使節団を、欧米に派遣しました。内閣の主要メンバーが、2年間も一斉に日本を離れるということ、それはロールモデルを中国から欧米へとシフトさせたことの行動であり、その延長線上に今の日米同盟関係があると考えます。

世界の動向

 先般の洞爺湖サミットでは、地球温暖化や石油・食糧価格の高騰などの問題に対し、先進国だけでは解決策を提示できないという事実、それは参加国がG8とEU委員長を中心に、招待国を含め23カ国に及んだことで分かります。また、ジュネーブでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議も、アメリカとインドの対立で結論を得ないまま頓挫しました。

 これらの事実は、新興勢力の台頭で、アメリカ中心に先進国が築いてきた秩序が崩れ始め、世界の勢力バランスが確実に変化していることを証明しました。

さらに、北京オリンピックの開催時期に、ロシアとグルジアが軍事衝突を起しました。ようやく8月16日に停戦合意が署名されましたが、ここで分かったことはロシアとアメリカの関係です。原油をはじめとする資源高を追い風に、ロシアが大国として再登場しようとする意図の紛争に対し、アメリカは初動対応が遅れ、代わってEUを代表してフランスのサルコジ大統領が調停役を務めたのです。

紛争が少し落ち着いたあたりから、アメリカはサミットからロシアを排除しろ、2014年の冬季オリンピック開催地をロシアのソチから変更させろ、というようなロシア非難を強く始めましたが、どうも犬の遠吠えのような感で、明らかにアメリカ中心の時代に陰りが出ていると感じます。

これからの大国はどこか

 2007年度のGDPはアメリカが13兆ドル超で世界一、次にEUを除けば日本で4兆ドル超、中国は3兆ドル超です。しかし、中国の人口13億人はこれからも増えていくはずですから、現状様々な問題があっても、全体では成長していくと多くの識者が指摘する通り、数年後には中国が日本をGDPで追い抜くと思います。

といっても、中国がアメリカを抜いて世界一になると予測するのは早計ですが、世界での地位、重要性は今より格段に強くなっていくでしょうし、そこに資源大国ロシアが絡んでいくと考えられます。

 これに対し、日本は明らかに人口減が始まっていますので、今までとは異なった方向での国家戦略、それはアメリカとの関係見直しを含めた新たな検討が必要となっています。

躁から鬱へ

作家の五木寛之氏が次のように語っています。(日経新聞2008年7月30日)
「僕の言う『鬱』は個人の病気や、短期的な社会の気分ではない。もっと大きな社会の流れとして実感している。日本は高度成長や万博、オリンピックに象徴される『躁の時代』を終え、バブル崩壊後10年の低迷期を経て、今『欝の時代』を迎えたと考えている。

 身の回りを見ればすべてが鬱の様相を呈している。がむしゃらに働いたり、遊んだりする躁の生活様式に対し、ロハスやスローライフは鬱のそれだ。エネルギーを消費せず限られた資源でやりくりしようというエコロジーも鬱の思想。予防を第一にするメタボは鬱の医学だし、敵が見えないテロとの戦いは鬱の戦争といえる。躁が50年続いたのだから、鬱も50年続くとみるのが自然だろう」と。

なるほどと思います。

ロールモデルを自分の中からつくる

 「アメリカ中心の時代」が陰ってきたことは、日本がアメリカをロールモデルとした時代の終わりを示しだしていると思います。そこで、過去を見習い、次のロールモデル国を探すかですが、それは現在の日本の立場と国際情勢からありえなく、新たなる方向性を見いだすしかないでしょう。

日本は、今その岐路に立っていますが、それは企業も人にもいえる課題です。躁の時代が終わって、欝が長く続く時代に変わったのに、躁の時代に成功した方策を、相変わらず続けていると、時代に合わないのですから、次第に企業実態は悪化し、個人は苦しい環境下になっていくでしょう。

新たなるロールモデル探しが必要です。また、それは、時代の変化・時流に合致した、生き方基準探しともいえ、信念づくりともいえますが、この作業は自らの基盤的なものであって、時代と自分の両方に適合したものでないと、東条元首相と同じ失敗となります。

多分、そのヒントは自分の中に存在する「好きなこと」「得意なこと」を探すこと、つまり、自分の奥底へ向う探検の旅であり、その事へひたむきな努力を続けることであり、また、その努力過程を楽しみにすることであろうと、変化した時流が教えてくれています。以上。

投稿者 Master : 06:18 | コメント (0)

2008年08月06日

2008年8月5日 予測に必要なセンチメント感覚

環境×文化×経済 山本紀久雄
2008年8月5日 予測に必要なセンチメント感覚

山岡鉄舟講演

経営者が集う勉強会の名門である「清話会」で、「山岡鉄舟の生き方」について講演しました。大勢の方が参加されまして、鉄舟の生き方にご関心を持つ経営者が多いことが分かりました。

鉄舟は一身にして二生を過ごしました。幕末の封建時代は徳川幕府に仕え、江戸無血開城という明治維新への糸口を成し遂げ、維新後は少年明治天皇を侍従として補佐し、偉大な天皇になられることに貢献しましたが、生き方思想は常に一貫していました。

つまり、鉄舟の生き方思想は、徳川幕府と明治維新後の両時代を包含する体系となっていたからこそ、時代が変わっても「ブレない生き方」ができたのです。

この生き方思想を、現代的に編集し、今の時代に活かせるセオリーにしようと、山岡鉄舟研究会を毎月開催しているところですが、鉄舟の生きた時代と現代では、グローバル化を含め大きく変化していますので、併せて今の時代・時流研究も行っているところです。
 
センチメント(漠然感傷感覚)認識になりやすい
 
その時流ですが、今はデジタル時代で、ヨコ軸で動いているような気がします。世界中から届くマスコミ情報、それはその日の出来事の集計で、翌日になれば、また、新しい出来事情報が届いてきます。あっという間に、今の新しいことは忘れ去られ、次の問題に右往左往させられているように感じます。

加えて教育が、幼稚園から小中学校も高校大学も、同年代の友達中心行われているという、ヨコ並びの学びと遊びのシステムとなっています。

 ところが、国の歴史も、社会構造も、企業構造も、すべて過去からの積み重ねで出来上がっているという、タテ軸結果となっているのです。

ですから、過去から延々と流れ続くタテ軸の来歴を知らずして、今の問題解決は成り立たないのですが、ヨコ軸で慣れきっている現代人は、タテ軸で見直すという思考力を苦手にする傾向があり、結果としてセンチメントに認識する傾向が強いと思います。

つまり、「ブレない生き方」を持つことが難しい時代になっています。

長州砲の行方

 フランスが戦利品として持ち帰った多くの大砲が、パリのアンバリットに展示されています。この間、それを一つひとつ確認してみました。パリも暑く、汗が滴り落ちます。どこの大砲を探したのか。それは下関戦争で奪われた長州藩の大砲です。

 1863年(文久三年)5月、攘夷実行という大義のもと長州藩が馬関海峡(現 関門海峡)を封鎖、航行中の英仏蘭米船に対して砲撃を加えたことから、1864年(元治元年)7月、英仏蘭米の四カ国は、艦船17隻で連合艦隊を編成し、8月5日から7日にかけて馬関(現 下関市)と彦島の砲台を徹底的に砲撃し、陸戦隊が上陸占拠し砲台を破壊し、大砲を奪ったのが下関戦争といわれるものです。

 この奪われた大砲について、全部海中に捨てられたという説と、四カ国に戦利品として持ち去られたという見解の両方があることを、鉄舟研究の過程で見つけ、フランスが持ち帰った大砲がパリ・アンバリットにあるという資料を見つけ行ってみたのです。

 しかし、2日間にわたる調査でもアンバリットにはありませんでした。おかしいと思い、再度詳しく調べていくと、既に下関長府博物館に戻って保管されていることがわかり、先日、早速、その確認のため下関に行ってきました。

下関長府博物館では、若い男女2人の学芸員の方から、ご親切な説明を受け、資料をいただき、ようやく日本に戻ってきた背景理由を納得しました。さすがに博物館は歴史の事実をタテ軸で捉えており、センチメント感覚ではありませんでした。

世界の動向 

このように歴史事実はセンチメントでなく、過去からつながるタテ軸で認識していくことが必要ですが、未来洞察をタテ軸の事実だけからはできません。

例えば、これからの世界の動向、これをどう読み取ればよいのでしょうか。

世界は大きく動いています。昨年のアメリカで発生したサブプライムローン問題は、世界の超大国として君臨してきたアメリカの覇権的地位を、次第に弱体化させています。

そこに加えて、原油高騰などによるエネルギー価格の高止まりは、先進国から資源国へ富の移転を加速させ、オイルマネーは世界のあらゆる金融市場へなだれ込み、政府系ファンドは資金力を武器に新たな展開を始めました。

一方、成長が続くBRICsの中でも、アメリカと輸出入関係が強い中国やインドは、経済成長にかげりが見られ、世界経済の先行きは一段と不透明になってきました。このような動向から、今やアメリカによる覇権時代は終わり、新興国にパワーシフトが急速に進み、新たなる国家群の幕開けになる、というような見解が一部でなされ始めています。

そこで、これら見解の妥当性を判断するためには、過去の事実認識の積み重ねに加えて、未来洞察という作業が必要ですが、未来は不確定要素ですから、どうしてもセンチメント感覚で行うことになります。

ですから未来予測は難しいのです。

中国人女性実態・・・その二

経済成長にかげりを見せ始めたオリンピック開催の中国。その動向変化は日本に大きく影響しますので、中国の未来をどう見通すかは大きな課題です。この場合の洞察もタテ軸としての歴史事実に、センチメント感覚を加えていくことになりますが、それを検討するひとつの材料として、中国人女性を一人、前号に続いてご紹介したいと思います。

 それは上海の30歳独身女性です。上海は住所表示が大雑把で分かりにくく、何回も人に尋ね、ようやく訪ねる住居のアパート群の中に入っていきますと、ジャンバー姿の姿勢のよい女性が犬を連れて散歩風に立っていました。この人かな、と思って近づくと頷き、犬を連れて自宅前まで案内してくれましたが、とにかく姿勢がよく、身長があまり高くないのにすらっと見えます。

三階の部屋に入ると、すぐに気がつくのは正面の大きな等身大の鏡であり、鏡は洗面所にも寝室にも洋服ダンスにも、ベッド枕上の窓近くにグリーンデザインの丸鏡、それと机の上にも平面の卓上鏡があります。

これだけ鏡を持っている中国人は少ないので、鏡という存在について少し説明しました。「自分を見つめようとする意識が強い人が鏡に興味があり、たくさん持っていて、その人は鏡を見つめることで自分探ししているのではないか」と。

そうすると本人が語り始めました。大学は映画を専門に勉強し、大学院でも同様で、映画プロデューサーになろうとしたが、上海の現実は問題があり、夢どおりにはならず、今は銀行に勤めている。学校時代は成績優秀だった。趣味は幼い頃からバレーを踊っていたことと、中国古典楽器の演奏。旅行は自然のあるところに行くのが好き。外国にはまだ行っていない。行きたいところは北欧。山と湖が好きだ。上海は人多く空気が悪いから。

将来の目標として特に大きな希望はなく、家族と楽しく話し合って仲良く暮らすことで、自分に素直に生きたいという。

そこで、上海の人はお金持ちになりたいという希望が強いだろうと聞くと、そういう人が多いが、自分は違う。お金にはあまり関心がない。お金を求めていくと人生にひずみが出るだろう。お金を持ちたい人はそれでよい。そういう人にお金は譲る。自分は自分の気持ちに素直に生きたいのだ。仮にそれによって問題が起きても、それでよいのだ。自分の人生は自分が生きるのだから、と言い切ります。

何か宗教を持っているのですかに、無宗教との答え。それぞれ価値観が異なる人が、それぞれ生きていくのが現代だろうともつけ加えます。正にグローバル時代の生き方です。

この女性に会って、上海人の中にも、お金至上主義者だけでない人がいることがわかったが、今まで会った多くの中国人は、とにかく金々という人たちで、中国人は儲けのためには何をしてもよい、という人ばかりのイメージが続いていた。

今は経済至上主義下の中国で、その最先端が上海。モノの豊かさが行き渡ると、多分、今度は自分とはどういう存在なのか、という段階に至ってくる。今の日本人がその段階だが、その時点になって、改めて、自分とは何ものか。自分とはどのような意味合いで生まれてきたのか、ということを問い直し始めるが、その時点にいたっているのがこの女性だろうと思い、その旅を今後も続けて欲しいと、エールを送って失礼しました。

中国のタテ軸事実、既に把握されている中国実態、紹介した中国人女性の生き方二事例、そこにご自身のセンチメント感覚を加味し、中国未来予測するのも夏日の一興です。以上。

投稿者 Master : 05:43 | コメント (0)