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2012年05月07日

YAMAMOTO・レター

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄

2012年5月5日 ビジョン構築力・・・前半

原節子

東京都写真美術館で、幕末から明治初年に来日し活躍した写真家フェリーチェ・ベアトの展示会が、2012年3月6日 ( 火 ) ~ 5月6日 ( 日 )で開催された。とても興味深い鶏卵写真と湿板写真の展示が多くされており、中でも「愛宕山から見た江戸のパノラマ」(1863-1864頃撮影作品)は、当時の江戸がいかに美しい都市景観であったかを示す貴重なものであった。

このベアト展を見てフロアに出ると、目の前に原節子の美しい写真ポスターが展示されていた。同美術館ホールで原節子16歳主演デビュー作の「新しき土」が、75年ぶりにスクリーン公開されているのだ。これは観ないといけないと早速に入ってみた。

「新しき土」は昭和12年(1937)公開の日独合作映画。新しき土とは満州のことを指していて、ドイツ語版のタイトルは「Die Tochter des Samurai」(侍の娘)である。

ドイツの山岳映画の巨匠アーノルド・ファンクと、日本の伊丹万作の共同監督で制作が計画されたが、文化的背景の違いから両監督の対立となり、同タイトルでファンク版と伊丹版の2本のフィルムが撮影された。

監督以外のキャスト・スタッフも豪華で、国民的人気のあった原節子や日本を代表する国際スター早川雪洲、スタッフでは撮影協力に円谷英二(この作品において日本で初めて本格的なスクリーン・プロセス撮影が行なわれた)、音楽に山田耕筰が名を連ねている。東京都写真美術館ホールで公開されたのは、ドイツ人監督ファンク版のほうで、山岳映画の監督らしく、日本の山々の美しい景色が映されている一方で、東京市街を阪神電車が走っていたり、光子の家の裏が厳島神社であるなど、日本人から見ると滑稽なシーンも多いが、原節子の息をのむ美しさに満足すると同時に、当時と今では人口に対する考え方が全く反対であることに気づいた。

人口過多か、人口減か

映画「新しき土」のなかで、何回か語られるのは「日本は土地が狭いのに人口が多すぎる」という問題指摘である。映画が公開された昭和12年の人口は7,063万人であって、この数字が日本にとっては多すぎるからこそ、その対策として「新しき土=満洲侵略」を国家政策としたのである。当時の国家政策判断として、他国に侵略してまで、日本の人口過大問題を解決しようとしたことは問題であるが、国民と政治家が人口対策を真剣に考えていたことは事実である。

一方、今の日本人は、平成22年国勢調査人口12,805万人と、75年前より5,742万人も多いのに、今度は「人口減」に向かうことを心配している。たったの75年で、日本人の人口数に対する考え方は全く正反対となっている。だが、この反対になった考え方というところ、そこに気づいている人はどのくらいいるのだろうか。

同じ国土面積で生活しているのであるから、昭和12年を基準に考えれば、今は全く多すぎる人口となっているが、このような認識を今の日本人はもっていないだろう。

だから、これから予測される「人口減」の「減少」というところのみを強調して考えてしまい、人口減を恐怖観念へ結びつけ、日本全体を重苦しい気持ちにさせているのではないか。今、必要とする検討は、このような悲観的な思考に陥るのではなく、「では、実際のところ、日本はどの程度の人口が適切なのか」、つまり、日本の「適正人口数」はどの程度か、ということの追及であろう。

ここを明確にしないまま、加えて、75年前は今の55%しか人口がいなかったのに、人口過多と日本人が自ら考えていたという事実を多くの国民は知らずして、これから向かう減少人口状態のことばかり心配しているような気がしてならない。

つまり、物事は事実から判断すべきというのがセオリーであるが、現在の人口減議論は、ついこの間のわずか75年前の人口への考え方を忘却して論議されている。

前原誠司民主党政策調査会長

「新しき土」映画を観た5日後に、前原誠司民主党政策調査会長の講演を聞く機会があった。前原氏は次期首相候補の一人でもあり、民主党切っての論客と評判が高いので、大変興味持ち会場に入った。会場では親切にもパワーポイント資料が配られ、その資料に基づいて前原氏の講演が始まった。テレビ・新聞で見る通りの爽やか、若々しい前原氏であったが、講演タイトル「社会保障・税の一体改革」というテーマ設定に、おや、これはちょっと期待はずれかなと思いつつ、話を聞ききはじめた。

確かに、現在、野田政権は消費税増税問題を重要政策課題として進めているし、賛成・反対側に分れ喧々諤々議論が展開されている時期なので、一見、前原氏のテーマ設定は妥当と考えられる。

だが、最初のパワーポイント資料が「人口減少社会・少子高齢化社会の到来」で、2050年までの人口数予測がグラフで描かれ、次のパワーポイント資料では「一般政府債務残高GDP対比の国際比較」という、いわば見飽きた図表が表示された時、ああ、これはダメだとあきらめに近い気持ちになった。

政治家とは何をする仕事なのか。当たり前のことであるが、政治家とは政治を行う人物である。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、その著書「政治学」で、政治を「善い社会」の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけているように、政治家とは政治によって理想社会を実現するため社会に働きかける役割を、担当する人物のことである。

つまり、政治家を志すならば「日本社会の理想状態」を描いていなければならないのであって、その理想状態を実現するために、自らが政治家として存在していると覚悟すべき職業なのである。

海外メディアから指摘

日本の政治家が弱いという指摘は以前からなされている。最近では小泉純一郎元首相以来、首相がころころ変わって、リーダーシップについて内外から問題視されている。

昨年3月11日の東日本大震災時、世界中のメディアは日本に目を向け、一斉にトップページとして実態状況を報道した。当然に、日本を取材すべく世界中の記者が日本に集まった。一時、原発恐怖で帰国した記者もいたが、この時期のマスコミ報道は全世界が日本一色であった。

外国人記者はどのようにして取材するのか。それは、当然に日本政府発表の内容に基づくが、その裏付けをとるべく、個々に政治家や専門家に接触することになる。

筆者が親しくしている日本在住アメリカ人から聞いた内容であるが、アメリカの最有力メディア東京駐在編集長は、この時期、自宅には帰らず、睡眠時間も少なく、取材に明け暮れしていたが、その中で、大震災を機に日本はどうすべきか、というインタビューを数多くの政治家に心がけたという。

その理由は、全世界が一斉に日本に最大関心を持つチャンスは今しかない。ならば、これからの日本はどういう姿を理想とすべきなのか、それを全世界に伝える機会として、この東日本大震災時を捉え、世界への日本PRとして利用すべきと考えたわけである。

結果はどうなったか。残念なことに、多くの有力政治家にインタビューした内容では、全世界に発信できないと判断し、ボツにせざるを得なかったのである。

政治家が語る中味が薄い。世界基準から見てビジョン面が弱すぎる。問題点を把握し、問題の根本を指摘する力は十分にあるが、そこから国家未来ビジョンにつなげるパワーが欠けている、というのが東京駐在編集長の見解である。

この見解には同調せざるを得なく、前原誠司氏の講演でも同様の見解を持ったわけである。少なくとも政治家ならば、講演に最初の発言が「人口減と財政GDP比率」という、誰もが熟知している内容を、改めてパワーポイントで説明するなぞはすべきでない。

このような問題指摘は、通常よく財務省か経済・証券アナリストが使うのであって、国民は十分に知っているし、この問題を大きく心配している。

特に前原氏は政策調査会長である。ということは日本国家の政策面の責任者であろう。問題点は熟知しているのであるからこそ、未来に向かってどのような国家像を描いており、そこへ行く道筋をビジョンとして語り、だからこそ「社会保障・税の一体改革」が必要だと熱意を持って国民を説得すればよいのである。

しかし、前原氏の講演は「高齢者保険料の低所得者対策」とか「医療保険・介護保険制度」について細かい数字を説明する内容であって、日本国家をどうしたいという発言は無かったのである。政治家を志す人はビジョン構築力を磨く事だ。次号続く。以上。

投稿者 Master : 06:21 | コメント (0)