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2020年04月30日

東京都庭園美術館 その七 朝香宮鳩彦王(1)

朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)、明治20年(1887) -昭和56年(1981)、または朝香鳩彦(あさか やすひこ)は旧皇族で、旧陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で朝香宮初代当主である。
1947年(昭和22年)10月14日に皇籍離脱している。允(のぶ)子(こ)妃殿下は明治天皇の第八皇女である。
昭和天皇のお妃であった香淳皇后は、久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女子良子(ながこ)女王である。
久邇宮邦彦王と朝香宮鳩彦王は兄弟であるから、朝香宮鳩彦王は香淳皇后の叔父に当たる。

幕末以来つづいた宮家はそれほど多くない。『東京の地霊』(鈴木博之著 ちくま学芸文庫)を参照して述べたい。
一般の四親王家といわれる宮家がある。これは世襲親王家とも称され、南北朝時代から江戸時代の日本の皇室において、当代の天皇との血統の遠近にかかわらず、代々親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続けた四つの宮家をいう。
最初の世襲親王家とされる伏見宮、その後、天正17年(1589)に桂宮(当初は八条宮)、寛永2年(1625)に有栖川宮(当初は高松宮)、宝永7年(1710)に閑院宮が創設され、最終的に世襲親王家は四家となった。
だが、桂宮家は明治14年に、有栖川宮家は大正12年に、それぞれ絶えてしまうが、明治に入ってからつぎつぎに宮家が創設された。
明治元年(1868) 華頂宮(かちょうのみや)
山階宮(やましなのみや)
明治3年(1870) 北白川宮
         東伏見宮
         梨本宮
明治9年(1876) 久邇宮
明治25年(1892) 賀陽宮(かやのみや)
明治39年(1906) 朝香宮
         竹田宮
         東久邇宮
明治43年(1910) 李王家(二家) 〔王族〕

投稿者 Master : 2020年04月30日 10:36

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