« 渋谷時流塾開催のご案内 | メイン | 2013年11月5日 世界で最も幸せな国、暮らしやすい都市(上 »

2013年10月23日

2013年10月20日 計画された偶発性(2020への戦略)・・・その二

YAMAMOTOレター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2013年10月20日 計画された偶発性(2020への戦略)・・・その二

スポーツジムで

毎日、スポーツジムに行くようにしている。顔馴染みができ、自然に会話が進むことになって、お互いの生き方環境が分かってくる。
その中の一人、85歳の男性、白髪と見事な白ひげをたくわえた穏やかな人物。このジムでは最高年齢で、ジム開設時からの会員だという。いろいろ物事に詳しく、教えてもらうこと多く、次第に親しさが増していく。

ある日、何となく元気がないようなので「どうかしましたか」と尋ねると「家内が明日ガンの手術です」という。
「奥さんは何歳ですか」「もう80歳を超えていますよ」「どこを手術するのですか」「腹部です。大腸ガンの手術を既に二回受けていますが、それが転移したらしいのです」
一週間ほど経って「奥さんいかがですか」と尋ねると「退院して自宅で静かにしています」「手術は成功したんですね」「お陰さまで」「よかったですね」「手術はよかったのですが、このところの暑さで参っていますよ」「クーラーで調整するしかないですね」「それが問題で、クーラーが壊れてしまったのです」「奥さんのためにも新しいクーラーを買った方がよいのでは」「そうなんですが、もう少しで涼しくなるし、それと・・・もう歳だから・・・あと何年生きるのか・・・考えているのですよ」「うーん・・・」

お向かいのご夫婦
 
広い敷地に住むお向かいのご夫婦、ご主人は99歳、奥さんは95歳。ご主人を亡くされた長女が関西から戻って来て、一緒に住んでいるので生活は心配ない、と言いたいが、実は、ご主人は娘さんと一緒に自転車で買い物に行くほど元気。
 奥さんもいたってしっかりしていて、インターホンを鳴らすと「ハーイ」と明るい笑顔で出て、記憶力もよく「先日はご馳走様」と旅行のお土産に対する配慮も忘れない。
 この高齢ご夫婦、わが町の有名人で、目標とすべきご夫婦として、町民の憧れのもとであり、娘さんの同居が必要ないのではないかと思われるほどの健在ぶり。
 先日、庭の茗荷を採りに来たら、という電話があったので伺うと、暑い中、奥さんと娘さん二人で新しい大きな物置前で汗掻いている。
 「物置を買ったのですね」「そうなのよ。物が増えて必要になって」という隣には、もうひとつ以前からの物置がある。つまり、物置が二つ並んでいるのである。
 このお宅、20年ほど前に建て替えし、その時の奥さんが挨拶に来た会話をよく覚えている。
「今度、家を建て替えすることにしました。いろいろご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」「そうですか。ご立派なお宅を立てるのでしょうね」「いやいや、今より小さい家にするのよ」「どうしてですか。家財や荷物もたくさんあるでしょう」「全部、整理して少なくする予定なの」「へえー」「もう歳だし、あと何年生きられるか分からないから、そんなに大きな家は建てないようにします」「うーん・・・」
20年後の今、娘さんが同居し、孫が曾孫を連れて泊りに来るという状態になって「狭くて困るわ」が奥さんの常套語になって、新しい物置を買うことになったのです。

友人の経営者

 友人の経営者、現在76歳。至って元気である。サラリーマンを60歳で定年となり、新橋に事務所を設置したという挨拶ハガキが届いたので、電話してみると「事務所を見に来てくれ」とのこと。
当方は、この友人より年齢的に後輩だが、定年前に独立したから、事務所経営としては先輩に当たるので、声がかかったのである。
 早速、行ってみると「毎月一回事務所に来てくれないか。いろいろ相談したいから」という申し出で、昼頃に行き、昼食をご馳走になりながら、経営の状況を聞き、アドバイスという程でもないが雑談を長年過ごしている。
 事務所独立当初の昼食は、近くのうどん屋。まずくはないが、それほど高くない普通の価格。このうどんがしばらく続いて、いつの間にか、今度はすし屋に昇格した。すし屋でも当初は「並み握り」そのうち「上握り」となり「特上握り」となった。
 業容拡大したのか、新橋から愛宕山下の元焼肉屋ビル一階に移転したところ、このビルが東京都の再開発に引っかかり、立ち退きとなって、多額の補償金を受け取り、一気に財政は好転し、昼食はホテルのレストランへ格上げとなった
現在の取引先に、世界ナンバーワンブランド企業があって、そこへ部品を納入しているのだが、相手の大企業、頻繁に人事異動があり、その度に担当者が代わる。
世界各地に工場を持っているので、そこへ転勤するらしいのだが、その度に、不慣れな新担当者へ部品取り扱いノウハウを教えに九州まで出張している。
さらに、孫がオーストラリア・シドニーにいて、運動会だから「カム・ヒァー」と孫から電話があったので、成田から三泊四日で行って来て、孫がとても喜んでくれたと話す。
つまり、年齢を感じさせない元気人間なのである。
ところが、独立した当初は「70歳になったら、この会社を誰かに譲って引退する」と何度も公言していた。年齢をひとつの区切りとして考えていたのだ。

目的・目標を立てること

 物事を進めるには目的・目標としての基準・物差しが必要である。基準・物差しを明確にしないま、何かを成し遂げようとして行動していると、いつの間にか時間軸の経過とともに、今、自分は、何のために「このようなことをしているか」という矛盾にぶつかり「そうだ、こんなことより別のことの方がよいのでは」と、全く新しい方向へ走っていくという事例が多いのではないかと思う。
 ものすごく簡単な事例で恐縮だが、新幹線で大阪に行こうと思って、東京駅に来たら、この日は大阪行きの新幹線が全て満員となっている。そこで、大阪へ行くのをやめて仙台に行くことにした。要するに、目的・目標をお大阪から仙台に変化させたのである。新幹線に乗るという手段は変わらないが、目的・目標を変えてしまったのである。
 そんなバカなことはしない。と殆どの方は思うでしょうが、ある会議で重要な議題があって、そこに参加しないと後に問題が生じる恐れがあるのに、会議メンバーに気が合わない、嫌いな人物がいるので出席しない、又は、代理を立てる、というようなことは日常割合あるのではないでしょうか。
 この場合も、会議の目的・目標を基準にするのでなく、同席するメンバーの好き嫌いから判断する。つまり、条件から目的・目標を変化させてしまうという事例である。
 
年齢を目的・目標にしない

年齢を目的・目標にしないことが重要だと思う。
スポーツジムの85歳の男性の場合、年齢面から躊躇しているが、手術後の奥さんと自分の健康を目的・目標にするならば、クーラーを新たに設置したほうがよく、年齢を基準にしないようアドバイスしたところ。
 お向かいのご夫婦、もう歳だからという理由で自宅建て替え規模を決めた結果、長寿で喜ばしいが、今度は「家が狭くて、孫と曾孫が可愛そう」という状態になっている。これも年齢を基準として物事を判断した事例。
 友人の経営者の「70歳に引退」発言の都度「年齢で物事を決めない方がよい。目的・目標の達成で区切りを決めるべきだ」とアドバイスしてきて、今は年齢のことは一切言わなくなって、さらに、業容拡大に邁進しているので、今は、どのような企業スタイルにするのかを明確化、つまり、目的・目標を紙に書いたほうがよいとアドバイスしている。

オリンピックの招致成功

 今回の東京オリンピック招致成功、様々な要因が語られている。
 最も高く評価されているのは、9月8日のブエノスアイレスIOC総会における、日本側プレゼンター素晴らしい内容である。
その通りであるが、我々がオリンピック招致成功で学ばなければいけないものがあると思う。それは、このIOC総会のプレゼンまで持ってきた全体計画作りである。
前回のコペンハーゲンでの失敗、そこから客観的に冷静に問題点を追及し、その上で4年後の招致を成功させようと作り上げた計画作業を評価したい。
この計画作業が、ライバルのマドリードとイスタンブールとの差となって、9月8日のブエノスアイレスIOC総会に表現されたのである。

 我々も東京オリンピック招致の成功に学ぼうではありませんか。
年齢を基準・物差しにしないと、三つの事例でお伝えしましたが、世界中が注目する東京オリンピック、そのビックチャンスを活用して、今回だけは2020年という時間軸に基づく年齢を考えた上で、自分はそのとき「何を目的とし、目標にしているか」を、アバウトでもよいから作ろうではありませんか。それが「計画された偶発性」を生むと思います。以上。

投稿者 Master : 2013年10月23日 21:01

コメント