« 2013年9月5日 日本は「つなぎ・絆」大国(上) | メイン | 渋谷山本時流塾のご案内 »

2013年09月20日

2013年9月20日 日本は「つなぎ・絆」大国(下)

YAMAMOTOレター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2013年9月20日 日本は「つなぎ・絆」大国(下)

サッチャーイズムでの祭り開催

前号でお伝えしたウィスタブル牡蠣祭りの始まりは1985年、マーガレット・サッチャー政権下。第二次世界大戦後のスローガン「ゆりかごから墓場まで」によって「英国病」となり、マーガレット・サッチャー政権下で経済立て直しへ大転換、以後、今のイギリスがあり、ウィスタブル牡蠣祭りも存在する。

そのサッチャー氏、7月8日に87歳で死去し葬儀が7月17日、ロンドン中心部のセントポール大聖堂で、1965年のチャーチル氏の国葬以来の、エリザベス英女王の出席と、国内外の要人ら約2300人が参列、1千万ポンド(約15億円)という葬儀費用を要して国葬が営まれた。

サッチャー氏は、国を開いて海外マネーを呼び込む金融立国で成長を実現し、貧富の格差は開いたが、経済優先という国造りでの貢献をイギリス政府が国葬という形で認めたのである。これと同じくウィスタブル牡蠣祭りも地元経済の発展に開催されている。

洲崎神社祭り

一方、日本の祭はどういう実態なのか。日本には各地に多くの様々な祭りがある。町おこし、地元経済対策を目的とした祭りも多いだろうが、これらとは一線を画す祭りもある。

 そのひとつが千葉県館山市の洲崎神社祭りで、2013年8月21日(水)に訪問してみた。
館山市は、千葉県房総半島の突端南部に位置し、歴史的には房総半島の戦国大名"里見氏"の本拠地であり、神社仏閣が多く、市内各地において催される祭りが数多く、内容も多彩であることで知られている。この館山市、通常の日本地図ではなく南北逆さにしてみると、弧を描く日本列島の頂点に位置していることが分かる。見方を変えれば館山は日本の中心ともいえるだろう。


館山駅に行くには東京駅からJRと高速バスがある。洲崎神社は、館山市の最西部、海にせり出した岬の突端に位置している。東京湾を航行すると、この岬を境に海の姿は一変し、広大な太平洋へと視界が開け、沖合は潮の流れが速い海上交通の危険個所で、沖を通る船は海上安全を祈願して洲崎神社を篤く信仰、その信心は東京湾内に広がった。

洲崎神社本殿・拝殿へは、勾配30度急坂147段の石階を上る必要がある。一気に上るのは息が切れ、途中で一休みが必要となるほどである。15時、拝殿前には白丁(はくちょう)姿の若衆と、見物の客が集まる。

神社は御手洗(みたらし)山の中腹にある。中腹の神社拝殿から見渡す海の景観は絶景で、その境内に白丁姿の神輿担ぎ手が集まり、宮司からお祓いを受け、いよいよ神輿担ぎを始めた。

まず、拝殿前の境内を何回も神輿が勢いよく揉み回る。見物客も神輿の勢いに押され隅の方に追いやられるほどである。

ここで疑問を持ったのは白丁姿である。今まで各地のお祭りで見た神輿担ぎ手の衣装は半纏、腹巻、股引、足袋であった。ここは全員白丁姿。

この白丁とは何か。ハクテイともいうが、古代律令制のもとで、公の資格を一切持たない無位無官の一般男子が着用したものであり、神事や神葬などに物を持ち運ぶ人夫をいう(広辞苑) とあり、祭りでの衣装として館山の祭りで定着している。

さて、拝殿前の境内を何回も勢いよく揉み回った神輿は、いよいよ勾配30度の147石階段を降り出す。普通に降りても危ない急勾配、そこを重い神輿を担ぎながら、それも左右に揉みだして、下がるのであるから、白丁の担ぎ手は必死の形相、見ている方もハラハラ、洲崎神社祭りのハイライトである。
 
 
神輿は拝殿前での揉み時間を含め、約30分かけて石段を降り、随身門をくぐり、そこで一旦休憩する。今日の気温は34度。白丁姿から汗が滴り落ち白衣が皮膚にまとわりつく。

 再び、リーダーのかけ声で、今度は浜辺へ神輿が渡御するため動き出す。浜辺の鳥居をくぐったところで、再び、神輿を休め、全員お神酒で乾杯。無事に渡御できたことを祝い、海に対する感謝の神事を行うための準備でもあり、宮司がいよいよ米とお神酒をお払いしながら海に向かう。この一瞬のために大勢の白丁姿が大汗を掻いて神様を神輿に乗せてお運びして来たのである。時刻は16時を過ぎ、夕陽が沈み始めた。ここまで約1時間10分要している。

 厳かな儀式を終えると、再び、147段上の神社に神輿を奉納するため、大勢の白丁姿が担ぎ始める。見ていると海に面した鳥居に入る前の道路、そこで揉みだした。なかなか鳥居をくぐらない。もうくぐるかと思うと引き返し、左右に動き揉み回す。 見ている方が焦れるほどの時間を要している。ようやくリーダーのかけ声で鳥居をくぐり、随身門を通って147段の石段を上っていき、無事、神社本殿前に到着した。17時半である。

 怪我人もなく洲崎神社祭りは終了し、白丁姿のまま、ということは汗をかいたままであるが、社務所の広間で直会(なおらい)である。寿司や鶏のから揚げ、サラダなどが大盛りで出され、リーダーから「お疲れ様」の挨拶とともにビールで乾杯。

 その輪の中に入れていだいて「大変だったでしょう」と声掛けると、すきっとした笑顔が頷き「でも、楽しかったですよ」と語る。これが本音だろう。その証拠に全員の眼が澄んで、眼差しに満足感が漂っている。 あの鳥居の前で随分時間をかけて揉んでいましたね、と一人に尋ねると「あぁ、あれは神様と一体化する儀式で、憑依(ひょうい)ですよ」とさりげなく語る。 これにはビックリした。思わぬ言葉が出てきたと思う。憑依とは、霊などが乗り移ることを意味し、一種のトランス状態ともいえるが、洲崎神社祭りの白丁姿の若衆から憑依ですよと聞くとは思わなかった。

神輿を担ぐことで、神を意識しているのだ。日本人しか分からない感覚だと思うが、そのような純粋な気持・心理が一人ひとりの白丁姿に横たわっているのだ。

 穏やかに直会が続く中、数人の白丁姿が「今日はありがとうございました。これで失礼します」と席を立つ。聞いてみると東京の品川から来ていて、これから帰るのだという。今日は会社を休み参加した。洲崎の方も品川の祭に来てくれるので、そのお返しで来たと、当然のごとくに語る。

 リーダーが話してくれる。この洲崎神社祭りも地域人口減で、地元民だけでは開催できなくなっている。隣の坂東地区からも手伝いの担ぎ手が来てくれているように、各地との神輿つなぎネットワークがこの祭りを支えてくれているのだという。

 そうなのか。洲崎神社の祭りは各方面からのつながり、それは祭り神輿を通じた関係ネットワークによって今でも昔通りの祭が催すことが出来ているのだ。

 そういえば、この洲崎祭りにはビジネスの匂いのかけらもない。この祭りで町おこしをしようとするのではなく、昔からの伝統をそのまま守っていくという意識だけが祭りを支え、それを手助けしようと各地から駆けつける。純粋・無垢だと思う。

 この状況をどのように理解したらよいのか。南浦和駅事件や東北大震災時に発揮された日本人の助け合い、その行動を「精神」という言い方でまとめるのは、的を外しているとはいわないが適切ではないと思う。精神というより、もっと日本人が持つ内面・奥底にある気持ち、それは「つながり・絆」がそうさせたのではないかと思う。

もともと昔から日本人は祭りと共に生きてきた。それはとりもなおさず神仏と共に生きてきたことになる。つまり、神仏との「つながり・絆」で生きているのが日本人で、それがいざという時、咄嗟に顕現し発現するのでなかろうか。

ウィスタブル牡蠣祭りにはイギリス人が、洲崎神社祭りには日本人が現れている。以上。

投稿者 Master : 2013年09月20日 08:36

コメント