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2005年03月20日

塩職人の家(塩田資料館)・・・ゲランドの塩(2)

■ 塩職人の家(塩田資料館)
ゲランドが位置する状況は地図を参照願いたい。
  
(出典:ゲランドの塩物語 コリン・コバヤシ著 岩波新書より)

パリから新幹線TGVに乗って、西に向かって走り、「ナントの勅令」で有名なナントを過ぎて、ロワ−ル河口を通って終点のル・コワジックに着く。パリから三時間程度である。このル・コワジックとはブルトン語でアル・グロアジック「十字架の場所」という意味である。周囲五キロほどの小島のようになっている岬の港町である。小さい街だが漁業が盛んである。
ゲランドの塩生産地視察は、このル・コワジックから始めるのもよいし、保養地として著名なラ・ボウルでTGVを降りて、塩田を見ながらル・コワジックに向かうのもよい。

今回はラ・ボウルからの道をとり、まず最初に車でサイエ村に向かった。このラ・ボウルは昔あったエスクーブラック村が拡大して大きな街に発展したのであって、19世紀末までは、この地は松林の砂丘に包まれた丘陵地帯であった。ここに1960年代から70年代にかけて、大リゾート開発を行って避暑地となったのである。美しい海岸に別荘建築を並べたのである。
今回の訪問は冬の時期であったから、駅から街中を歩いてみても人は疎らであり、原色で塗られた看板が、パタパタと音立てて、侘しく寂しく風に揺れているのが印象的であった。夏場が観光地である土地、そのシーズン外れの典型的な風景であるが、今までフランス各地で訪れた著名観光地と比較しレベルが低い印象をもった。

ラ・ボウルからサイエ村はそれほど遠くない。このサイエ村はゲランド塩田のほぼ中央に位置して、代表的な「塩職人の村」である。サイエという名前はラテン語でサリアクムという「塩田生産地」を意味する語源に由来するように、殆どが塩職人の家が続いている。
このサイエ村に塩田資料館「塩職人の家」がある。塩職人のことをパリュディエと呼ぶ。接頭語のパリュスはラテン語の「沼」という意味で、「沼の人」となる。

事前に訪問を予約してあったので、「塩職人の家」では案内役のモランドー・イヴォン氏
(MORANDEAU YVON)が待っていてくれた。モランドー・イヴォン氏も自分の塩田で塩をつくっている職人であるが、今日はガイドとして説明を担当してくれ、スライドや実際の塩田を再現している模型に基づき、ゲランドの塩について解説をしてくれた。
今回の報告書は、このモランドー・イヴォン氏による解説内容と、コリン・コバヤシ著「ゲランドの塩物語」(岩波新書)がゲランドの専門書としてよく整理されているので、これを参照し作成したものである。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 2005年03月20日 16:15

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