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2005年03月20日

シャルル・ロペー氏の活躍・・・ゲランドの塩(10)

■ シャルル・ロペー氏の活躍
日本の団塊世代と共通する「68年世代」である、シャルル・ロペー氏は1946年生れである。ル・マンやナント大学で経営学を学び、卒業後大企業に就職するが、サラリーマン生活に飽き足らず、いくつかの会社を転々とした後で、自分自身を考えるために塩田作業をする機会に出会うことで、塩作りの素晴らしさに魅入り、塩職人なる決意をしたのである。
それまでは外部から塩職人になる人は少なかったから、古老の塩職人は奇異な目で見、いぶかしく思っていたが、次第にシャルル・ロペー氏やその仲間を受け入れるようになっていった。

塩づくりは自然の力・太陽・風・潮の満ち引き等、それらの要素が中心有機的な労働であるので、塩職人が使用する近代的な道具は、手押しトロッコが唯一という生産体制である。したがって、時代は大きく変化し、資本主義というビジネス社会になっているのに、その体制変化を意識できず、昔のままに塩づくりだけをしていた塩職人達は、自分たちと時代の変化との関係を整理・理解できないままになっていた。
それが製塩業の危機という事件を迎え、ようやく時代の変化を考えるようになり「ゲランド塩生産者集団」を設立したのであるが、その歩みを始めた二年後にシャルル・ロペー氏がこの団体に加入したのである。

また、それまでの塩職人の多くは、仲買業者が塩田の所有者であり、ここから塩田を借りて耕作していたので、仲買業者に依存するという状態であった。
しかし、「ゲランド塩生産者集団」の設立によって、仲買業者との塩値段の交渉を始めることができ、ようやく卸値の引き上げに成功し、続いて塩を貯蔵する倉庫の建設を行う等、一歩一歩の動きを見せていった。

ところが、1983年から収穫の悪い年が重なって、この間仲買人と塩の価値が落ちないように交渉してきたが、87年には交渉が妥結せず、決裂したのである。
この決裂結果は、仲買人に任せる方法ではない手段、それは自らが直接販売する方法であるが、販売会社の設立ということにつながったのである。

また、シャルル・ロペー氏が塩職人になったときは、40歳以下の塩職人は三人しかいなかったという後継者問題があったので「塩職人養成センター」の設立に動いた。加えて、品質管理を充実させるため、様々な設備投資を行った。
現在では、塩職人となるための「塩職人養成センター」での受講生は増え、その大半はこの地方の出身者であるが、中にはパリやリオンからや、外国人もいたりするようになった。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 2005年03月20日 16:43

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