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2005年03月20日

ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと・・・ゲランドの塩(9)

■ ブランド化成功は自主的なローカル行動を採ったこと
ゲランドの塩を、世界的ブランドに仕掛けたのは、サリーヌ・ド・ゲランド社社長のシャルル・ロペー氏等の、「ゲランド塩生産者集団」のメンバー達であったが、その成功ストーリーを述べる前に、フランスにおける塩職人の状況についてふれたい。

第二次世界大戦後に、産業の工業化・機械化が進んだのはフランスでも同様である。塩の生産も工業化・機械化が進み、手作業としての塩職人にとっては大量生産の塩が大きな脅威となって、塩職人は減り、残った塩職人もほとんど兼業するしかなかい経済状態に陥った。
昼間は別の仕事をし、夕方に仕事から戻って塩田に出るという過酷な状況であった。この生活状態から子どもは家業を継がず、近くの都市に就職していき、塩作りの伝承仕事は失われかけていった。

この地域に根ざした地場産業が崩壊していくという意味の背景には、手作業的産業としての弱点があった。それは経済的に自立していくに必要な、流通基盤を持たないという問題である。従来から仲介業者による販売にのみ依存してきたことで、継続的に安定し利幅のある利益収入を確保できない、という致命的な弱点があったのである。

こうした弱点を乗り越えた契機は1972年の闘争であった。この年の5月、サン・ナゼールに陸揚げされようとしていたシシリア産の塩の荷揚げ反対闘争に、塩職人の全てが参加し、実力で阻止が行われたのである。その実力行使の背景には、製塩業としての自分達の存在が消えていくのではないか、という危機感があった。
この闘争は、県知事が間に入って、シシリア産の塩は大量販売しない、一方、塩職人側は販売に関して組織的な運営をするということで、和解が成立した。それまでは塩職人は全く個々人が勝手に自由に販売側と交渉を行っていたのであって、そこには投機もおきやすかったのである。
この闘争を契機に塩職人は「ゲランド塩生産者集団」を発足させることが出来たのである。
「ゲランド塩生産者集団」には320名いた塩職人のうち、280名が参加した。

経営ゼミナール代表 山本紀久雄

投稿者 Master : 2005年03月20日 16:41

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