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2012年10月06日

2012年10月5日 一極集中、全体システム、または新工夫か(上)

YAMAMOTO・レター
環境×文化×環境 山本紀久雄
2012年10月5日 一極集中、全体システム、または新工夫か(上)

地方の家並み景観

9月下旬、羽田から伊丹乗り換えで但馬空港に着陸し、豊岡市を経由し朝来市と養父市を回った。利用したJR、タクシーから外を見、特にバスは片道30分の山深き目的地に行き、道端を歩く人も殆どいなく、乗客も往復とも二人のみという状態のなか、その間ずっと窓外をウオッチングし続けたが、家並みには何ら違和感がなく、景観に珍しさが感じられない。どこの家も、新しい建材で建てられており、庭の片隅にプレハブ物置小屋がたたずんでいて、筆者の自宅あたり首都圏と似ている。

勿論、自然環境の山川と木々は地方の素朴さを示し、道路端には田畑があり、農業が行われているので、家と家との間隔は広く、全体的景観は違っているのであるが、家は今時の建築で建てられているので、住居としての木造家屋には何ら違和感をおぼえない。つまり、かつて存在していた地方独自の建築様式による住宅が見られないのである。

そこでこの地に観光に訪れたとしても、家屋とそれが続く家並みそのものは観光資源として存在し得ないと感じる。首都圏と同じように建物と物置小屋が並ぶ光景では、何ら地域としての特殊性がないからである。では、何故にこのようになったのか。その理由の第一は、全国統一基準の建築基準法により建築されるからであろうと推測している。

しかし、仮に日本に建築基準法がなければ、昔の家並みが維持されたか。それも疑わしい。日本人の家は、その家族の状況によって建てられるケースが多い。したがって、家族構成の変化や、今時の生活スタイルと異なった昔のままの間取りでは快適さが損なわれる。

さらに、元々冬寒く夏暑い構造建築であることや、萱葺きの屋根の場合、葺き替えにコストがかかり過ぎるように、メンテナンス費用が膨大になってしまい、それなら建て替えした方が安いし快適な生活が出来る。加えて、高度成長時代の道路等公共設備関係の整備も影響し、そこに日本人の何でも新しいものを好む感覚が加わって、家の建て替えに至るのだろう。

竹田城跡

家並みに景観に珍しさが感じない、朝来市和田山のホテルに宿泊しようと、チェックインすると本日は満室で、このところ連日団体客が入り満室が続いているとのこと。
どうして観光客が来て満室なのか。それは直ぐに分かった。JR山陰本線和田山駅にも、ホテルロビーにも竹田城跡のポスターが貼ってあるからである。竹田城跡への観光客が急増しているのである。

急増化した背景は、高倉健主演の映画「あなたへ」で竹田城跡が登場した結果である。亡くなった妻から「故郷の長崎県平戸の海へ散骨して下さい」という絵葉書での遺言と、その妻の真意を知るため、旅に出る男の話だが、その旅の途中で竹田城跡に立ち寄るのである。

竹田城跡は、標高353.7メートルの山頂に位置し、豪壮な石積みの城郭で、南北400メートル、東西100メートルにおよび、完存する石垣遺構としては全国屈指のもの。

この竹田城跡周辺では秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生し、雲海に包まれた竹田城跡は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、この幻想的な風景が「あなたへ」で巧みな映像と共に紹介され、それを一目見ようとたくさんの人々が訪れるようになったのである。実は、この城跡は以前から但馬地方では知られていたところだが、全国的にはそれほど有名でなく「あなたへ」のヒットで脚光を浴び、ホテルが満室状態という結果にしたのである。一つの観光資源が大勢の人々をひきつけるという好例である。

だが、この竹田城跡には欧米人観光客は少ない。

ところで、今、日本で欧米人が多いのはどこか。その第一は東京である。東京駅に行けばすぐにわかる。タクシー乗り場には大きなバックを持った欧米人が大勢並んでいるし、八重洲口のスカイツリー行きバス乗り場にも大勢いる。

訪日外国人は2012年7月、前年同月比50.5%増の845,300人。7月としては過去最高の2010年に次ぐ。それも都心ホテルに宿泊し「ビジネス客の戻りが顕著」という。

尖閣諸島を巡る日中関係の悪化を受けて、地方のホテルや旅館では、中国人団体客の予約キャンセルが出ているが、都内の大手ホテルは欧米からの利用者が中心。中国人の利用者が少ないこともあり、キャンセルは殆ど出ていないという。(日経新聞2012年9月21日)

2012年10月にはIMF総会が開かれるので、一段と外国人が訪れる。

高山市

さて、この東京のように欧米人が多いところが地方に存在していることをご存じだろうか。それは岐阜県高山市である。名古屋から高山本線で二時間以上かかり、その列車も昭和9年10月に開通した単線上を走るので、特急列車は左右揺れが酷く、トイレに行くのにも容易でないほどで、交通が決して便利とはいえない。また、到着した高山駅には、エレベーターもエスカレーターもない。重い大きいバックを抱えた観光客は、階段を上り下りすることになる。日本の主要な交通駅はすべてエレベーターやエスカレーターがあると言っても過言でないほど便利になっている。だが、高山は違う。それでも欧米人は訪れる。

この高山を有名にしている大きな要因は高山祭りである。春の山王祭りと秋の八幡祭りを言う。春祭りは、高山市城山に鎮座する日枝神社の例祭で、安川通りを境にして南側が祭礼の区域、現在屋台は十二基ある。

秋祭りは、高山市桜町に鎮座する桜山八幡宮の例祭で、安川通りを境にして北側が祭礼の区域、屋台は十一基ある。

 江戸時代からのこる屋台は、当時の材木商・金貸し業・酒造業・流通関係等、富を蓄えた豪商に支えられ、東西文化をふんだんに吸収して華麗に造られた。そこに屋台大工、漆塗職人、彫刻師が見事な技術で芸術品に育てている。

屋台は各町の通りに面した各々の保管庫に格納され、祭りの際に引き出されるのであるが、各屋台組には、屋台ごと非常に熱心な人が何人か必ずいる。これは一年の生活の中で「屋台が第一」という公言する人たちであり、祭りの時に、ほかの組の屋台に少しでもケチをつけられたり、差し出がましいことを言われたりすると、屋台好き同士でけんかになるほど屋台にひたむきの人である。屋台組では、自分の組の屋台が一番いいと自慢しあい、「オゾクタイ(立派でない、だめな意)屋台」と笑われることが何よりも腹立たしく、高いプライドを持っている。

屋台が定住要因

なお、この屋台組というのは、区域が決まっていて、その組内に入れば屋台組の権利が得られるが、いったん組の外へ出る、つまり、移住すると、どんな功労者でも屋台に乗ったり、曳いたりする権利を失うころになるので、この屋台組を離れない。
ということは、後に述べる屋台組が位置している「重要伝統的建造物群保存地区」から引っ越しをしないということ、つまり、現代的な快適性を捨てても、ここで生活していくことになり、屋台のお陰で昔ながらの保存建物が維持されていくのである。日本各地に祭りはいくつあるだろう。いったいどのくらいあるのか。10万とも30万あるとも言われるが、生活システムとして屋台を中心に置く祭りは他では見られない。これが高山祭りの特徴である。

日韓の団体観光客は領土問題で厳しい状況が続く。一方、欧米人観光客は個人が多く、文化的価値を求める傾向が強い。欧米人観光客増加対策について次号で検討する。以上。

投稿者 Master : 2012年10月06日 09:38

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