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2010年10月05日

2010年10月5日 日本の政治劣化背景要因(前)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年10月5日 日本の政治劣化背景要因(前)

人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり(老子)。
他人のことの批評や分析はよく行うが、自分のことはあまり追及しない。中国をけしからんと言うのはその通りであるが、日本側の不十分なことを考えると、日本国際競争力の基本的問題がわかる。

菅内閣の外交下手

今回の尖閣海域問題の日本政府対応に、日本人全員が怒り狂っているが、その要因を掘り下げていけば菅内閣の外国(人)との交渉下手ということに尽きるだろう。
 菅首相の経歴は市民運動家であり、仙谷由人幹事長は全共闘の新左翼系学生運動家であって、商社やメーカーに勤務し、海外との難しい商売で苦労したり、海外企業や合弁会社の経営にタッチしたりした経験がない。

つまり、若い時代から今日まで外国人と対決するとか、仕事を通じて外国人と激しいディスカッションの経験が薄いまま、今日の日本政府要人となっている。ここに大きな問題要因があるように感じる。

 その証明が菅首相の代表再選後の記者会見である。真っ先に取り組むべき課題として、経済問題を挙げたのは当然としても、国際関係が大きく変貌し複雑化している世界戦略については触れなかった。思うに、国内選挙用のマニフェストはあっても、グローバルな国家観を持っていないのではないかと推測する。
 
菅首相の歴史的認識力

もう一つは、尊敬する歴史上人物として長州・奇兵隊の高杉晋作を挙げ「奇兵隊内閣」になりたいと発言したことである。高杉晋作の功績は倒幕の狼煙を揚げ、その後の明治維新への最初のキッカケをつくったことで高く評価される。

だが、民主党は昨年8月の衆議院議員選挙で自民党に大勝したことにより、政権交代という倒幕は成し遂げ、鳩山前首相の不始末を引き継いで首相に就任した菅首相であるから、今後の日本国家運営を問題少なくスムースにさせるための、緻密な計画に基づく行動が求められていたタイミングであり、奇兵隊発言は歴史的認識が薄いと思わざるを得ない。江戸開城によって明治維新の扉は開いたが、実際の倒幕確立は、彰義隊壊滅から東北・函館までの戊辰戦争勝利によるもので、この勝利を指揮した大村益次郎の功績が大きい。

菅首相は同じ長州出身の大村益次郎を知らないわけはなく、首相就任後の現状認識から歴史上の人物を見習うとしたら、銅像として靖国神社に立つ大村益次郎でなければならないはず。このように何か時代への認識力にかけるのが菅首相ではないかと思う。
 
自らの体験から 

私は40歳代の前半から後半にかけて日仏合弁企業に在籍した。最初の一年は副社長としてフランス人の社長と仕事をした。副社長就任直後は、相手が社長であるから仲良くしようと努力したが、一か月で対決路線に切り替えた。というのも、彼はフランス本国の言うことを日本側に押しつけるだけで、日本の実態を理解しようとしない傾向が強く、このままでは企業が成り立たないと対決戦略を採ったのである。事実、この合弁会社は赤字額が大きく、日本の親会社は早くつぶそうとしていたのである。

 対決ということは、経営の仕方をディスカッションすることであり、見解が大きく異なるのであるから、ディスカッションは激しく長く喧嘩となる。通常は午後から夜まで毎日のように行なった。これを一年間続けていると、大体に相手の思考方法習慣が分かってくる。そこで、相手の出方を予測し、それを活用してこちらが手練手管を用いて交渉事を有利に展開しようとすることになっていく。当時は、朝起きると今日のディスカッション対策を考えることが楽しみになっていたくらいである。
 
押し通すことがセオリー

しかし、その間も通常の経営は進めるのであるから、意見が合わないままにしておくと、物事が進まず、得意先に迷惑を掛けることになる。そこで、見解が分かれることであっても、実行すべきことは私の独断でドンドン進めていった。つまり、当方の主張を押し通したのである。今までは、意思決定がはっきりしなく、現場に対応しないものであったので経営不振であったが、押し通すようになって経営改善は進んだ。

 だがしかし、それらが続くと当然にフランス人社長は怒り心頭に達する。そこで彼が打った手は、フランス本国のオーナーの前で、どちらの見解が妥当か判断してもらうための会議を提案してきた。

 来たな!!と、しかめ面をして承知したが、心の中では「しめた」と思い、準備万端整えて、ということは理論的に資料をつくり、バックデータも十分に用意してフランスに向かった。考え方が異なる外国人を納得させるのはしっかりした論理展開しかない。

 フランス人オーナーは大企業を一代で築き上げた人物で、カリスマ性がすごいとの評判の人物であった。このオーナーの前で社長のフランス人と私がそれぞれ自説を展開したわけであるが、驚いたことに当方の見解に理解を示し、一年が終わった時に私が社長に昇格した。後で考えてみれば、業績向上の方がオーナーにとって得なのであるから、利口な経営者なら当然の判断だろう。

 結果として、多額の累積赤字を、社長を辞任する際は完全黒字転換し、フランス人オーナーから感謝されたことが強く記憶に残っているが、この合弁会社での経験から言えることは、海外との交渉では自分が思った事を押しとおすことである。

 責任は自分が採るのであるから、開き直って自説を押し通すことしかない。ところが、私の前任者はフランス人社長に迎合して、結果的に経営がうまくいかなかったので、責任を取らされ左遷になった。

「国益を守る」という判断基準

考え方の異なる外国人の見解を鵜呑みにしてはいけないのである。時には聞き、頷くべき見解もあるが、総じて事情理解が不十分であるから無理難題的な傾向が強い見解となる。その時が勝負である。相手がどう出ようと、判断基準を「会社の利益貢献」という立場から意思決定して行けばよいのである。

 これを国に例えれば「国益を守る」という判断基準になり、その思考から日本の考え方を押し通すのが外国と交渉する際のセオリーである。

 今回の尖閣海域問題における中国は、この押し通すというセオリーを忠実に貫いてきた。日本もセオリーを貫くことで対応すべきであった。

今も毎月海外に出かけ、多くの外国人と仕事をし、折衝事をしているが、最終的には当方の見解を押し通さないと目的の業務が達成できない結果となる。これが外国(人)との実践的な付き合い方セオリーである。

政治家は鍛えられていない 

だが、これらのセオリーを知らないのは菅首相だけでなく、政治家全員に当てはまる日本の構造問題ではないかと考える。政府要人全員が、過去に海外との商売や、海外企業・合弁会社の経営にタッチできるわけはない。海外との交渉が薄いままに政治家として選挙で当選し、当選回数を重ねて、要職に就けば、当然に諸外国との対応が問われ、日本の国益を第一にした対応が要望され、妥当な判断を行わなければならないということになって、そこで改めて外国との考え方の違いを大きく認識し、自己判断基準の持ちように迷うことになる。

根本的な要因は「記者クラブ」制にある

加えて、外国の政府要人は、押し並べて主義主張の強い頑固な人物である。そういう人材を外交用に配置しているのである。こういう強敵と交渉に臨むのであるから、お腹が弱い人物は直ぐに下痢をしてダウンし退陣となってしまうことになる。日本の政治家は総じて対外国(人)に対して経験不足だと思う。

 だが、これを政治家個人の理由にしては可哀そうである。もともと優れた才能の人物で、日本国内では立派に政治家として実績を挙げていたからこそ、政府要人になれたのである。ところが、その立場になってみると、小泉首相以後一年しか持たない。

それは実践的な海外勢との経験が少ないというところにあると思い、その根本的な要因は「記者クラブ」制にあると推察する。この問題は次号でも検討して参ります。以上。

投稿者 Master : 2010年10月05日 08:33

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