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2011年05月06日

2011年5月5日 日本人が豊かになるためには・・・その一

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2011年5月5日 日本人が豊かになるためには・・・その一

めまいの街

東日本大震災による余震の「めまい」を引きずって、羽田から直行したサンフランシスコの4月末は結構寒い。この地も地震多く、太平洋プレートと北アメリカプレートが接しているサンアンドレアス断層の上に成り立っている。
105年前の1906年4月18日、この日も肌寒かった朝、サンフランシスコとその近辺の大地が突然に暴れだし、建物は崩壊し、発生した大火は3日間燃え続け、人口45万人のうち20万人が住む家を失った。

さらに22年前の1989年10月17日にも、マグニチュード6.9の大地震が発生し被害に遭っている。
日米修好通商条約の批准のため、万延元年(1860)咸臨丸で勝海舟・福沢諭吉、ジョン万次郎一行がここに初上陸したのは、お互い地震が多い事から、呼び寄せあったのかもしれない。
そういえば、サンフランシスコはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「めまい」(1958年)の舞台だ。高所恐怖症になったジェームス・スチュアート扮する元刑事が、キム・ノヴァク扮する友人の妻を追跡することによって、サンフランシスコを案内する巧みなスリラー物語だが、タイトル「めまい」は地震の街からだろう。

ベンチャービジネス起業家

サンフランシスコでアメリカ人8人と日本式の居酒屋で雑談した。その中の一人、まだ若いベンチャービジネス起業家、彼はツイッターを活用したマーケティング業務を展開している。業務内容はノウハウなので紹介できないが、彼を手伝う人物がインド人で、採用はamazon serviceの紹介で決めたという。

アメリカの最低賃金は、1997年以来アメリカ連邦政府が設定した時給5.10ドルだが、これでは人は集まらず、彼は近くに住む中年アメリカ人女性に、時給12ドル(約970円・81円レート)で、それまで働いてもらっていた。

だが、アマゾンの斡旋でインド・バンガロール近郊に住む若者に変更した。その理由は時給がたったの2ドル(約160円)という安さから。アマゾンにはインド人が多数登録してあって、その中からオークションで決める事ができる。

12ドルから2ドルへ。同じ業務が六分の一というコスト。英語は正確で仕事は出来るし、このインド人に下請け業務のインド人もいるらしい。2ドルで複数人が使えるというのだ。

また、この2ドルには、アマゾン経由の送金支払い手数料とルピー両替費用も含んでいるという。これにしばし言葉も出ない。

二つの愕然

さらに、このインド人はカースト制階級の下の方の人物らしいが、頭がよく、世界情勢に関心高く、東日本大震災に20ドル(約1600円)義援金支出したともいう。時給2ドルだから10時間以上の収入を日本のために支払ってくれたのだ。これにも愕然とする。

この愕然には二つの意味がある。インドでは2ドルの時給でも義援金が出せるという事と、アメリカ人はコンピューターテクノロジーを開発したために、アメリカ人が仕事を奪い取られているという事実だ。

つまり、本来アメリカ人に支払われるはずの人件費が、ただ同然の金額で外国に逃げ、アメリカ人の仕事がなくなって、とうとう起業家の彼のところに、一日20ドル(約1600円)でもよいから仕事させてくれと言ってくる人もいるという。

起業家のビジネス労働生産性は向上して、企業としての利益は増加するが、従業員として働いていたアメリカ人の収入は減るのだから、その人の生活消費は減少し、内需は増えなく、景気回復は難しいという事になる。

では、今後アメリカ人に残る仕事は何か。産業が少ないアメリカでは医者か、弁護士か、それになれない場合は軍隊に行くしかない。これはジョークではなくアメリカにとって大問題ではないか。そういうことがアメリカ社会に隠されていると感じる。

しかし、この事例は日本でも当てはまるだろう。日本企業が労働生産性を向上させようと、無人化工場を建設し、新たなる産業システムを稼働させたとすると、企業利益とGDPは増えても、当然ではあるが従業員は激減し、そのために人件費という人へのお金の支払いはなくなって、生活消費という内需は減るだろう。
日本もアメリカと同じ事を行っているのだ。

ケンゾーエステイト

サンフランシスコから帰りのJAL、機内誌を見ていたら「ケンゾーエステイトのワインをお楽しみいただけます」とあり、カリフォルニア州ナパ・ヴァレー奥の深い森に包まれて、誰の目にも触れることなく、ひっそりと美しい清らかなワイナリーが「ケンゾーエステイト」であると紹介されている。

ここは日本人の辻本憲三氏が20年前から開発していたエステイト(土地)。この土地のワインを食事時に飲んだのかと思いつつ、もう一度、改めて「紫鈴2007赤」と「あさつゆ2009白」を少し味見してみると、かなりいけるような気がする。

ワインについては、フランス各地のワイナリー訪問と、パリ農業祭で毎年金銀銅メダルのワインを試飲しているし、今回はシアトルでクマモトオイスターと合うワインコンテストにも参加したので、一応味は分かるのではと思っているが、この「ケンゾーエステイト」もなかなかである。

カリフォルニア・ワイン

元々カリフォルニア州ナパ・ヴァレーで、ワインづくりを始めたのはフランシスコ会の神父だった。
元来アメリカ人はステーキに代表されるアメリカ的料理で、ウイスキーとかビール中心であったのが、第二次世界大戦後ヨーロッパ的料理がアメリカに入り込んできて、ワイン需要が増えナパ・ヴァレーに多くのワイナリーが誕生。それも弁護士、学者、医者などが趣味でワイナリーを作りはじめ、次に大資本も入ってきて、現在約120のワイナリーがある。

さて、この地のワインの品質はどうなのか。1972年にパリで開催されたワイン品評会(Paris tasting)で、赤はボルドーを押さえ、また、白はブルゴーニュを押さえそれぞれ“1番”に輝き、この時から世界的に高い評価を得たわけで、その物語が日本では未公開だが「ボトルショック」という映画になっている。

その後も「ロバート・モンダビ」「オーバス・ワン」や「ケンゾーエステイト」のような優秀なワイナリーが誕生し、今では世界のワイン業界で確固たる位置づけとなって、アメリカを代表するワインブランドとして、一大産業になっている。

さらに、これは秘密でも何でもないが、ワイン造りには重要な条件がある。それは機械化をなるべく避け、ワインの苗を手作業で手入れするという事である。ぶどうの苗木に茂る葉の一枚一枚を日差しからコントロールするのを、人間の手で行う事。これが良質なワイン造りの当然の作業となる。

ということは、その手作業に人件費が膨大にかけられわけで、その結果として働く地元の人々に給料が支払いされ、それがこの地の内需に結びついて行くのである。

また、この手作業という結果は、価格を高くするという事になって、ロバート・モンダビのティスティングは四品で30ドルと15ドル。

オーバス・ワンのティスイングは一杯30ドルで一品だけ。高いが試してみると香りが豊かで、グラスを持って階上のテラスに行くと、ワイン畑が遠くまで見渡せ、ロスチャイルド家とロバート・モンダビが共同でつくりあげた物語と共に、グラス一杯だけなので、ゆっくり味わうから、なおさら美味いと思わせる。舞台づくりが上手なのだ。

このようなワイン造りは、地元の土地で行うので、インドに住むインド人には代替できない。したがって、完全なる内需産業であり、輸出する事で外需も稼げるのである。

日本人を豊かにする企画プランつくりへ

仏雑誌出版社アシェット社と世界50カ国書店に「日本の温泉ガイドブック」を配架するプロジェクトは東日本大震災で頓挫したので、次なる企画を検討中。次号へ。以上。

投稿者 Master : 2011年05月06日 05:36

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