« 日本人は武士道を理解しているか | メイン | 懐かしい生き方へ・・・その二 »

2011年03月21日

2011年3月20日 懐かしい生き方へ・・・その一

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2011年3月20日 懐かしい生き方へ・・・その一

今回の東日本大震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申し上げます。
当方にも世界各国からお見舞いのメールをいただき、また、中には「こちらに家族で移住するようにと」の申し出を頂きましたように、激甚な災害が世界中に伝わっています。

システムの崩壊

今回の東日本大震災は社会システムの大崩壊です。

我々は過去の世界が構築してきた、あるシステムの中で生活していて、このシステムから逃れられるこ
とはできませんし、通常の状態ではこのシステムを倒すことも出来ません。

しかし、特別な事件が発生した時は、この通常システムが崩壊する場合があります。それは、システム崩壊を予測していないか、予測を遥かに超える事態が発生した場合です。

例えば、サブプライムローン問題から発生した2008年9月のリーマンショク、これで世界的な金融危機に陥りましたが、これは金融経済面でのシステム大崩壊でした。

自然環境面では2005年8月に、ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ・ルイジアナ州を襲い、ニューオーリンズ市にもたらした大被害、これは社会システムの大崩壊です。

今回の東日本大震災も、事前に予測された規模を遥かに超える大災害でした。

今の時代のシステムとは

今の近代社会は、経済力を充実させる事によって、安全で豊かなシステム社会を築いてきました。結果として、このシステム社会は、自己利益を最優先するライフスタイルを採ることが優先され、欲しいものは何でも金を出せば買えるという考え方が強くなってきました。

一方、小集団とか仲間づくりということが、ないがしろにされる傾向となって、集団の規律や仲間とのしがらみなんて面倒だ、という考え方が強くなってきました。

具体的には、親族の解体化、地域共同体の解体化、終身雇用・年功序列制度に基づく疑似親族体であった日本的企業組織の解体化等です。

また、このようなシステム社会では、個性とオリジナリティが資産とみなされ「誰にも迷惑をかけない、かけられない」という「スタンドアローン」、社会から「孤立」した生き方が理想とされてきて、多くの人々が「自分さえよければ、それでよい」というようになってきたように思います。

危機にはその国の国民性が表出する

ところが、東日本大震災にみるようなシステムの大崩壊という危機、この時に、突然のごとく、その所属する国民性が色濃く表出します。

日本国民の態度を、アメリカCNNテレビ12日夜のニュース番組は、スタジオにいるキャスターのウルフ・ブリッツアー記者と、宮城県・仙台地区にいるキュン・ラー記者との会話を通じて伝えました。
「ブリッツアー記者が『災害を受けた地域で被災者が商店を略奪したり、暴動を起こしたりという暴力行為に走ることはありませんか』と質問すると、ラー記者は以下のように答えました。『日本の被災地の住民たちは冷静で、自助努力と他者との調和を保ちながら、礼儀さえも守っています。共に助け合っていくという共同体の意識でしょうか。調和を大切にする日本社会の特徴でしょうか。そんな傾向が目立ちます』と。

 更に、ブリッツアー記者が特に略奪について問うと、ラー記者の答えはさらに明確でした。
 『略奪のような行為は驚くほど皆無なのです。みんなが正直さや誠実さに駆られて機能しているという様子なのです』と」

 このラー記者の報告はCNNテレビで繰り返し放映され、日本人はこのような大危機状態でも冷静で沈着で、明らかに日本人のそうした態度が美徳として報じられ、その報道は全米向けだけでなく、世界各国に向けても放映されたのです。

更に、韓国の李明博大統領も、ソウル日本大使館で記帳し、日本人の冷静な対応について「印象深く感動的だった」と述べました。

世界から日本を見る

このレターで、何度も「世界から日本を見る」ことの重要性をお伝えしてきました。

我々は日本に住んでいますから「日本内から日本を見る」という見方が、当然のごとく行われています。しかし、日本の実態をより把握するためには、世界が日本をどう見ているかという内容も併せて確認することが、日本を妥当に判断するために必要で大事なことです。

日本内から日本を見るだけの場合は、日本の過去実態との比較になりますから、年配者がよく口にする「昔はよかった。それに比較し今はダメだ」という見解になりやすいのです。

ところが、社会は時間と共にドンドン変わっていきますので、過去の日本と今では環境条件が大きく異なっています。従って、今の日本実態を判断したい場合、日本内部だけでの情報でなく、世界の国々の実態と比較し判断すると、より一層日本の位置づけ実態が明確になるのです。

つまり、今回の東日本大震災被災によって示された行動、それが的確であったかどうか、その判断は世界の人々の反応から見てみることが重要です。つまり、CNNテレビニュースの報道内容を素直に受け入れることが必要で大事な事でしょう。

日本では略奪が無い

CNCの米国人キャスターは「略奪」という言葉を出しましたが、それはそれなりの理由があります。米国では同種の自然災害や人為的な騒動が生じた際に、必ずと言ってよいほど被災者側だとみられた人間集団による商店の略奪が起きています。

2005年8月のハリケーン「カトリーナ」が襲った時、ニューオーリンズ市から住民の大多数が市外へと避難しましたが、市内中心部にとどまった一部の人たちが付近の商店へ押し入り、商品略奪する光景がテレビで全世界に流されました。

 広大なスーパーマーケットに侵入して、食物や飲料を片端からカートに投げ込んで走り去る青年。ドアの破れた薬局から医薬品を山のように盗んでカゴに下げ、水浸しの街路を歩いていく中年女性。テレビやラジオなどの電気製品を肩にかついで逃げていく中年男性。色とりどりの衣類を腕いっぱいに抱え、笑顔を見せ、走っていく少女。何かの商品を入れた箱を引っ張り、誇らしげに片手を宙に高々と突き出す少年・・・。他人の財産を奪い、盗むという「火事場泥棒」が当然のごとく表出したのです。
 だが、日本ではニューオーリンズ市の光景は出現していません。

「日本人は、これほど無惨な被害に遭っても、沈着・整然として、静かに復旧作業に取り組んでいる。一体なぜ日本国民はこれほど秩序のある態度を保てるのだろうか」

これが全世界の人々が持つ率直な疑問点となっているのです。日本と他国との文化や国民の意識と価値観には、大きな隔たりがあると思わざるを得ません。この実態判断は「世界から日本を見る」ことから分かり、日本には独自の何かがあるはずと考えるべきでしょう。

日本独自のものとは何か

世界の人々が賞賛する、東日本大震災被災によって示された行動は、日本人が持つ「常識」が顕れたのです。では、その「常識」の中味は何で、それはどこで生まれ、どのように日本人の中に住みついたのか。その検討が必要でしょう。

実は、この検討は「日本人とは」という日本人論考察につながり、そのためには我々の「懐かしい思い出」を呼び起こすことが必要なのです。

その「懐かしい思い出」とは、親から受けた「しつけ・躾」のことです。

日本人は一般的に親からのしつけで「人から後ろ指さされないように」「恥ずかしい事はするな」「体を清潔にしなさい」等を幼少時代から叩きこまれてきたと思います。

このしつけの「し」とは能でいう「仕手」の「し」であり、意図的に行為し振る舞うことを意味し、「つけ」とは行為や振る舞いが習慣化されることを意味しています。

また、このしつけという日本文字は「躾」と書くように、身体に美しいという字を寄り添わせます。古くは「美」という文字に代えて「花」「華」という字を使っていました。

このように「躾」という意味には、内心の美的感覚が含まれており、それは、かつての時代、武士たちは花を賞でつつ、そのつぼみがつき、花開き、咲き誇り、やがて散る運命を自分の生き様に重ね合わし、戦闘で死ぬことと結び付け、その死を「花花しい討死」や「死に花を咲かせる」につなげたいという「日本の武士道」から発しているものなのです。

世界から賞賛される背景には、我々が忘却の彼方にした「武士道」という思いがけないものが存在しているのです。「武士道」検討こそが日本人論考察となり次号に続きます。以上。

投稿者 Master : 2011年03月21日 09:46

コメント