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2011年04月06日

懐かしい生き方へ・・・その二

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2011年4月5日 懐かしい生き方へ・・・その二

東日本大震災と危機管理

前号で「武士道」を考察するとお伝えしましたが、変更して、少し今回の東日本大震災から学ぶべき危機管理項目を取り上げたいと思います。
まず、大前提として大事な事は、日本列島は新たな地震活動期に入っているという事実を再確認すべき事です。また、現在の危機管理体制は、大正12年9月(1923)の関東大震災による88年前の体験からつくられたものが中心になっているので、それらを見直さなければいけないという事です。

関東大震災による88年前の体験からつくられたものが中心になっているので、それらを見直さなければいけないという事です。

具体的に言えば、当時と今では「オフィス・住環境」が著しく変化しています。今の都市では超高層ビルが乱立しています。88年前は存在していませんでした。今回の地震、高層ビルの上層階ほど揺れました。地震発生後、エレベーターが停まった高層マンションから階段を歩いて降りて、上を見ながら道路際に佇む人々をたくさん見ました。地震の揺れがさぞかし怖かったのでしょう。専門家に言わせれば、室内の家具転倒防止具のL字型金具で留めてあっても、その効果が効くのは6階までとの見解です。

近く予測されている「東京湾北部地震M7.3」が発生したら、家具類は凶器に変化するでしょう。冷蔵庫は90kg、洗濯機は60kgもありますから。さらに、オフィスに常備している自販機は350kgから800kgあります。これが凶器になって、人に襲いかかります。
人間は自分の体重の4倍以上の加重が、胸部を強く圧迫した場合70%以上の人が   10分以内に死ぬといわれています。

つまり、自分が関係する建物の耐震構造度合いによって、危機への事前準備と、実際の地震時の行動が違ってくるのです。「地震発生時に外に出ないこと」とか「机の下に入る」というような言い古された教訓は、自らの環境を判断して見直すべきでしょう。

3月11日の体験

東日本大震災発生時、私は浜松町駅ホームで電車を待っていました。突然、頭上の蛍光灯が大きく揺れ出し、目の前の広告看板が動きましたが、ちょうどその時、京浜東北線が到着しドアが開きました。

頭上からモノが落下する可能性もあるので、いち早く電車内に入りましたが、揺れは何回も続き、当然ですが電車は動かず、しばらくすると構内マイクで「この地区は芝公園が避難地区なので、そちらへ避難してください」とあり、駅が閉鎖されました。

この時、考えたことは「土地勘があるところに行こう」ということでした。知らない場所ではかえって危ないと思ったのです。土地勘があるところとは、長く勤め人をしていた銀座地区であり、今の仕事でよく行く東京駅近辺ですので、浜松町から歩きだし、最初は銀座の松坂屋に行きました。何故かというと、松坂屋の一階から地下に降りる角に固定電話があることを知っていたからです。

携帯電話は全く機能しませんでした。家族と、当日の会合責任者に連絡を取らねばいけないので、固定電話を探しましたが、公衆電話ボックスの前は長蛇の列。そこで思いだしたのが松坂屋なのです。次に、携帯電話は消耗して赤印となっていたので、松坂屋前のドコモショップ地下で充電しました。その間に、そこにいる人々と情報交換しましたが、皆さん、これからどうするか困っているだけでした。

一時間半程度で充電でき、東京駅の地下街に向かいました。もう夕刻でしたので、地下街なら何か食べられるだろうと思ったわけですが、行ってみるとどの店も既に完売で閉まっています。また、既に段ボールを敷いて夜を過ごす準備の人が大勢いました。

一瞬、一緒に地下街で過ごそうと思いましたが、何も食べていないので、八重洲口地上に出て食事場所を探しましたが、どこも満員。ようやく一軒の居酒屋に入り、カウンターに座ることができましたが、私の後から来た人は全店断られていました。

カラオケボックスに泊る

食事しながら回りの人々の会話を注目していましたら、若い男性の「今日はカラオケボックスだ」という発言が耳に入りました。そうかホテルがダメだからカラオケボックスにしようと、直ぐに居酒屋の女将にお握りをつくってもらい、カラオケボックスに行きましたら、既に大勢の人が受付に並んでいます。ようやく受付が終りましたが、私の次の人は「満室です」と断られました。

カラオケの部屋に入って携帯で家族に連絡しようとしましたが、まだつながらず、あきらめてソファに寝たわけです。飛行機の座席で寝るよりはずっと快適でしたが、朝五時には閉店で、東京駅に行きましたが、まだ電車は動いていません。

東京駅構内と地下街は人で溢れていましたが、驚いたことにゴミが無いのです。大きなビニール袋を持つ係りが廻り歩いてゴミを回収し清潔で、大勢の人々も山奥にいるような静けさで、誰も慌てていません。ただ、ジッとテレビに見入っていました。

自宅方面への始発電車がある上野駅まで歩こうと、日本橋の高島屋前を通りますと、店内一階売り場に大勢の人が椅子に座っているではありませんか。そこで正面入り口に行きますと、社員が「どうぞ、お休みください」とドアを開けてくれます。中には買い物にきたまま一晩過ごした着物姿の女性やベビーカーの若夫婦もいます。高島屋の社員が水や朝食代わりにお菓子を提供してくれ、暖房の快適さと、社員の親切さにホッとし感激しました。

ようやく電車が動きましたという店内放送で、地下鉄で上野駅まで行きましたが、始発電車は直ぐには出ず、かなり待ちようやく動き出しました。当然ですが電車内は超満員鮨詰めで、空調が利かず熱く汗だくですが、コートと上着も脱げないほどでした。しかし、誰一人文句は言いません。通常は20分で到着する区間を、線路の安全確認をしながら動くので1時間40分かかりましたが、乗客は静かに耐えていました。浦和駅に到着し降りる時「気をつけて」という声が車内からかかりました。ビックリすると同時に感激しました。日本人は何と素晴らしい助け合いの気持ちを持っているのだろうか。すごい民族だと再確認したわけです。

世界の報道

アメリカCNNテレビ3月12日夜のニュース番組が、被災地の状況を「略奪のような行為は皆無で、住民たちは冷静で、自助努力と他者との調和を保ちながら、礼儀さえも守っています」と報道し、これが全世界に流れました。

また、私が体験した東京の地震発生時の状況も、各国の新聞が「いつもと変わらず人々は冷静に対処し行動していた」と報道しました。その報道内容をNYタイムズ、ロサンゼルス・タイムズ、UKデイリー・テレグラフ、仏ル・モンド、韓国・中央日報、イスラエル・ハアレツ、ロシア・イズベスチヤ、伊コリエレ・デラ・セラ等で後日確認しましたので、間違いなく全世界の新聞は、東京における日本人の行動も共通認識で報道しています。

加えて、その行動が外国人には信じられないものである事を認めつつ、だが、どうして日本人はそのような行動をとれるのか、という背景要因を探ろうとしています。その分析が本質的で的確であるかどうかは別として、何かが日本人にあるのだという論理組み立てです。

例えば、ル・モンドは「驚くべき自制心は仏教の教えが心情にしみ込んでいるからだ」と分析し、イズベスチヤは「日本人は自分たちを一つの大きな家族と捉えている。そこには宗教や道徳観、強い民族的自覚が影響している」と書き、デイリー・テレグラフは「何をするときでも正しい作法に則ってやりなさい、というのが日本の暮らしの大原則だ。茶道がいい例だ」というように解説しています。

東日本大震災時の日本人の行動は、世界中の国とは価値観が異なる民族である事を認め、そこに日本の何かが存在しているのだと、日本人を精一杯研究し推考しているのです。

日本の報道

では、日本の新聞報道は被災地の人々の行動に対し、どのような報道だったでしょうか。著名な作家・建築家・経営者の新聞掲載内容を読みますと、外国人の反応を誇らしげに受けとめ、日本人は「やさしさ・愛等の人間の本質的なものを持っている」という事を再確認する内容で共通しています。

しかし、どうして日本人は外国人が信じられない行動を、システム崩壊時に発揮できるのかという事への言及と、背景分析が今一歩踏み込み不十分である事も共通し、日本人のDNAに存在するというレベルに止まっています。

日本人には世界の人々と違う何かがあり、それはどこでどのようにいつから身についたのか。その本質面からの日本人分析が甘いと思います。実は、この分析力の甘さが、今回の福島原発事故をもたらした根本要因ではないか。それを次号で検討したいと思います。以上。

投稿者 Master : 2011年04月06日 10:41

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