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2010年06月21日

2010年6月20日 ユーロ安の円高をどう考えるか

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年6月20日 ユーロ安の円高をどう考えるか

イタリアからのメール

今回のギリシャ危機に当って、ギリシャに住む主婦からいただいたメール内容は前号でご紹介しました。同タイミングでイタリアからもいただきましたので、ご紹介します。
「ギリシャは大変そうですが、イタリアの財政は今のところ問題なし、ということで、特に変化はありません。ユーロが大幅に下がったこの機会を利用して、輸出を増やし、経済回復に拍車をかけるべきだ、と先日、プローディ前首相があるテレビ番組で力説されていました」・・・ボローニャの主婦。ギリシャとは大違いです。

スペインからのメール

同じタイミングで、スペインからもメールをいただきました。
「スペインは昨年から失業率が急上昇し、財政赤字も増加。7年目に入ったサパテロ社会労働党政権も、遅まきながら経済政策に大きなメスを入れて★ 公務員の賃金カット(12~15%)★ 社会年金・恩給の一部凍結★ 定年退職年齢の引き上げ(65歳から67歳)★ 幼児・子供への政府援助金の一旦中止など、右傾化した経済政策に方向転換し、来月国会でそれが承認されたらすぐ公務員がストライキを実施すると発表。

そしてスペインの2大労組(労働総同盟=UGT; 社会党系と労働者委員会=CC.OO.共産党系)がゼネストも辞さないと発表しているが、『このような時期にゼネストなどやっている場合じゃない』という声も多いし、国民やマスコミも余り支持していなくて、ギリシャのようなゼネスト、社会問題にはならないと思う。
 デパートやスーパーでの一般市民の購買力も落ちていないし、夏のバカンスも財布を引き締めながらも、8割以上の国民がバカンスに出かけるとアンケート調査で答えています。

大多数のスペイン人は根っからの楽天的な性格で、何でもポシティブに考えるんです。マドリードの中心部を歩いていると、『経済危機なんてどこ吹く風?』という感じです」・・・マドリード在住のビジネスマン。これもギリシャとは大違いです。

ギリシャ人から聞いたこと

在日ギリシャ大使館公式通訳の方に、昨年3月の経営ゼミナールでギリシャ状況をお聞きしました。その際に述べられたことが記憶に残っています。
「2001年にユーロを導入したが、これを機にギリシャは急激な物価高に見舞われた。例えば、ユーロ導入前のギリシャの通貨はドラクマで、その頃はギリシャの朝市などでは『たったの100ドラクマ』という謳い文句があったのだが、しかし、ユーロ導入とともにそれが『たったの1ユーロ(=340ドラクマ)』になって、通貨切り替えの際の便乗値上げが横行し、その後も物価は上昇し、現在では日本とあまり変わらない物価水準となっている。

一方、賃金は物価上昇に合わせて賃上げされず、ギリシャの2005年の最低賃金は668ユーロ(約87,000万円・当時レート130円)で、EU加盟国の中で7番目の水準となっている」と。

このようにユーロ圏に加盟したが、インフレとなり収入は増えず、国民生活は一段と苦しくなった状況、また、ギリシャの経営者は「私たちはギリシャをバルカンの中心地にしたいという気持ちが強い」と述べましたが、これは結局、ギリシャ人自ら独仏などとの競争を諦めて、バルカン半島内での経済国になりたいということを表していると理解しました。つまり、EUユーロ圏に入ったが、意識はバルカン半島国家であり、国境を接しているアルバニア、マケドニア、ブルガリア、トルコという近東(Near East)諸国と関係を深めていると認識できます。

現代のギリシャ人とは

現代のギリシャは、古代ギリシャ人の直系子孫として1830年、オスマン帝国から独立を果たしましたが、独立早々ドイツの学者によって「いまのギリシャ人には古代ギリシャ人の血が一滴も流れていないと書かれてしまったときには、国じゅうに衝撃が走った」ということがありました。(内山明子著 国立民族学博物館『季刊民族学』123号2008年新春号の『ギリシャ・ヨーロッパとバルカンの架け橋』)
ギリシャの歴史は占領され続けた苦しみの連続です。その中で最も外国の支配が長かったのはトルコからで、アテネが1458年にオスマンによって支配され、1503年にはギリシャ全土が完全にオスマン帝国の州となり、キプロス島も1577年にオスマン帝国下に入りました。

したがって、トルコ人のギリシャ支配は、コンスタンティノーブル没落から1821年の反乱まで、約400年近く及んでいます。この期間は「トルコのくびき」と現代まで語り継がれるように、ギリシャは暗黒時代を過ごし、支配されてから1700年までにギリシャ人の人口が四分の一も減少した事実、それは征服下で厳しい圧政が行われたことを証明し、ギリシャ人のトルコ嫌いの原点になっています。
しかし、この約400年の間に、ギリシャ人とトルコ人との血のつながりは相当に進んだと想像できます。ご承知の通りトルコ人は黒髪です。本来、金髪であるギリシャ人とトルコ人との血のつながりの結果はどうなるか。それは黒髪となって現代に蘇っています。

2008年のアテネ訪問時、多くの家庭で子ども達と接しましたが、兄弟姉妹でありながら髪の毛の色が違っているケースが多く、同じ両親から生まれたのに、一人は金髪、もう一人は黒髪であり、顔は似ているが、髪の毛の色が異なると、一見別人の如く感じます。
これらから判断しますと、現代のギリシャ人は古代ギリシャ人の血にトルコ人が混じっていますし、その他の国の支配も受けているのですから、2500年という時間経過で、ドイツの学者の見解に頷かされる可能性が高いのです。

ギリシャの独立経緯

さらに、ギリシャ独立の経緯を内山明子氏の論文から整理しますと、
① 古代ギリシャへの関心が高まっていた十八世紀のヨーロッパでは、古代遺跡を巡るためオスマン帝国を訪れる旅行者が増えたが、彼らはそこに暮らすギリシャ語を話す人びとを古代ギリシャ人の末裔とみなし、その民族名称であるエリネス(ギリシャ人)の名で呼んだ。

② 一方、オスマン帝国内でギリシャ語を話す人々は、自分たちをギリシャ人ではなくローマ人(ロメイ)とみなしていたが、ヨーロッパ人の古代ギリシャ熱に接したことで、自分たちを古代ギリシャ人の末裔として自覚しはじめ、ギリシャ人としての民族意識を高め独立意識を強くし、1830年ギリシャはオスマン帝国から独立した。

③ ヨーロッパの協力を得て独立したギリシャは、外国から国王としてバイエルン王ルードヴィッヒ一世の息子、ヴッテルバッハのフリードリッヒ・オットーを迎え、そのオットーがギリシャを追われた1863年には、デンマークの王家出身のゲオルギオス一世をギリシャ王として迎え入れ、その後も王政が続き、1963年の国民投票で王政の廃止が決まって、ようやく現代のギリシャ共和国が誕生したという歴史経緯がある。

以上を整理すると、現代のギリシャ人は、ローマ人と認識していた人々が、ギリシャ語を話すことから、ヨーロッパ人の影響で古代ギリシャ人の末裔と認識し、現代のギリシャを創ったということになり、ギリシャ語というつながりだけが、古代ギリシャとの関係であって、そこには長い時間を費やしている民族としての血筋・歴史が明らかになっていない、ということになります。
 
ギリシャ危機によって円高となった

 ここで長らくギリシャ問題を取り上げたのは、特別にギリシャに関心が深いのではなく、これが日本経済に大きく影響しているからです。ギリシャ問題から一段とユーロ安となり、その結果、円が高騰しているからです。

6月19日現在1ユーロ112円、一時は108円まで高くなり、2009年12月は132円でしたから20円以上の円高です。この円高は韓国ウォン、オーストラリアドルに始まり、殆どの国に対して高くなって、勿論、アメリカドルに対しても同様です。

日本人全員が承知しているように、日本は長らく景気が良くないのに、どうして円高になるのか。外国から見ると日本経済は別の認識になるのでしょうか。

この素直な疑問に対し新聞等で明確に解説されていません。どうして経済専門家達は整理しないのでしょうか。専門家が分析しないのであれば、我々一人ひとりが、この素朴な疑問について、実態的に整理しておく必要があると思いますが、いかがでしょうか。以上。

投稿者 Master : 2010年06月21日 06:52

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