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2009年12月21日

2009年12月20日 山岡鉄舟に学ぶ

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2009年12月20日 山岡鉄舟に学ぶ

今年最後のレターとなりました。
日本経済は一段とデフレ色が鮮明化、景気は上向かわず、政治も日米関係にきしみが見えはじめたような気配、それに合わせて世間が何となく落ちつかず、はっきりはしないが、将来への心配の種がいっぱいあるような気がする、という年末ではないでしょうか。

だが、このような時であるからこそ、時代に惑わされず、時代に迎合せず、しかも時代の流れを取り入れ、且つ、自分の特長に適する妥当な生き方を追求し続けること、それが今の混迷時代でありながら「ブレない生き様」につながるのではないでしょうか。
実は、この「ブレない生き様」を、激動の幕末・維新時に貫いたのが山岡鉄舟です。今回のレターは、皆様に、先日、山岡鉄舟研究会例会で発表した内容をお伝えいたします。

鉄舟の大悟

鉄舟が大悟したのは、明治十三年(1880)三月三十日、四十五歳。この時に小野派一刀流十二代浅利又七郎から、一刀流祖伊藤一刀斎から伝授された、いわゆる「夢想(無想)剣」の極意を伝えられ、同年四月、鉄舟は新たに無刀流を開きました。
その後、明治十八年(1885)三月に、一刀流小野家九代小野業雄忠政から「一刀流の相伝」と、小野家伝来の重宝「瓶(かめ)割(わり)刀」を授けられ、それ以来「一刀正伝無刀流」を称することになり、これで、ようやく二つの流派に分かれていた一刀流が、鉄舟によって再び統括されたのです。

大悟とは

では、大悟とは何か。これをある程度明確化しておかないと、抽象的な理解で終わってしまいます。
広辞苑を繙(ひもと)きますと、大悟とは完全な悟りといい、迷いを去って真理を悟ることとあります。では、悟りとは何か。同じく広辞苑に、理解すること、知ること、気づくこと、感ずることとあり、仏教でいう迷いが解けて真理を会得することとあります。
また、認知科学では、人間の知覚というのは、徐々に潜在意識に深く入って行き、知覚→意味付け→納得→悟りになると考えているようです。
しかし、この悟りや悟った状態を、言葉で完全に表現することは不可能であるともいわれています。確かに、我々一般人が悟りということを、いくら論理的に検討しても、悟りの状態を体験的に完全に理解することはできません。
そこで、先日、北京オリンピック開催時に、金メダルの北島選手を含む水泳日本選手団を指導した林成之氏(日大医学部付属板橋病院救命救急センター部長)からお話を聞いた際に、冒頭「私は、人間が能力を最大限に発揮するための方法論を述べる」と語りました。
これをヒントにすれば、自分自身が持つ能力、それが余すことなく、最大限に発揮されれば、誰でも素晴らしい人生を送れるはずです。能力を最大限に発揮していないから、多くの人は課題・問題をもって、不十分な環境下におかれているのではないか。また、他人に対する影響力も少なく、結果として思い通りの人生になっていないのではないか。
 つまり、大悟するとは、自分が持つ能力全てが発揮できる状態になった時を言うのではないかと思われ、鉄舟はこの境地に達していたと思います。

「一刀正伝無刀流」を開く

鉄舟は、二派に分かれていた一刀流を「一刀正伝無刀流」と統括しましたが、何故に、これに取り組んだかです。これについては、鉄舟長女の山岡松子刀(と)自(じ)が、牛山栄治氏に次のように語ったと「定本 山岡鉄舟」(牛山栄治著)にあります。
「父は思うところがあって大悟した後、無刀流の一派を開きましたが、浅利先生の剣もまだ本当ではないところがあると、たえず工夫をこらしていました。晩年(明治十七年)のことですが、一刀流六代の次に中西派とわかれ、小野派の正統をついだという業雄という人が上総にいることを探し出し、自宅におつれして、その剣技を研究していましたが、これが正しいのだとさとる箇所があり、自分の研究と照らして満足したようでした」

極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」

このような経過で、「伊藤一刀斎」が編み出した一刀流が、鉄舟によって再度統括されたのですが、その際、流祖伊藤一刀斎から伝わる極意を「一刀正伝無刀流十二箇条目録」として改めて書き示し、門下に目録として授与しました。
では、この極意の目録にはどのような剣技が記されているのか、これをお話する前に、伊藤一刀斎について、少しお伝えした方がよいと思います。

伊藤一刀斎とは

 伊藤一刀斎は戦国時代から江戸初期にかけての剣客ですが、一刀斎の経歴は異説が多く、どれが正しいか拠り所がありませんので、「剣と禅」(大森曹玄著)から引用いたします。
「一刀斎は、通称を弥五郎と呼び、伊豆の人とも関西の生まれともいわれ、生国も死処も明らかでないが、身の丈は群を抜き、眼光は炯炯(けいけい)として、いつもふさふさした惣(そう)髪(はつ)をなでつけ、ちょっと見ると山伏かなにかのような風態で、実に堂々とした偉丈夫だったという。はじめ鐘捲(かねまき)自斎について中条流の小太刀と、自斎が発明した鐘捲流の中太刀を学び、両方ともその奥儀を極めたうえ、さらに、諸国を遍歴修行して諸流の極意をさぐり、また、有名な剣客と仕合をすること三十三度、そのうち真剣での勝負が七回で、一回も敗れたことがなかったという。それらの体験から一刀流を創始したが、老年になってから秘訣を神子上(みこがみ)典膳に授け、自身は仏道に帰依して行方を晦(くら)ましたので、一層その人物像が神秘化されている」

極意を好村兼一氏から教えていただく

 剣については全く素人の身ですから、この極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」を解説する立場になっても、一切分からないのです。鉄舟研究者として「何とかしなければならない」という困った事態に陥りました。
その時、「伊藤一刀斎」(廣済堂出版)が、著者謹呈という手紙とともに手許に届いたのです。2009年9月に好村兼一氏が、伊藤一刀斎を主人公にした小説上下二巻の大作を出版したのです。天の助けです。早速、熟読し、伊藤一刀斎をようやく理解できました。
著者の好村氏は1949年生まれ、パリ在住の剣道最高位の八段です。2007年に「侍の翼」で小説家としてデビューした際、縁あってパリでお会いしたことから親しくなりました。そこで、今回もパリでお会いし、いろいろ極意について、親切にご教示いただくことができました。大変ありがたいことです。幸運が舞い込んできた気持ちでした。

極意「切落し」

 極意「一刀正伝無刀流十二箇条目録」には「二之目付之事(にのめつけのこと)、切落之事(きりおとしのこと)、遠近之事(えんきんのこと)」など十二箇条が取り上げられています。
 これらについて好村氏から身振り手振りで解説いただきましたが、ここで十二箇条すべてを解説することはページ数の関係でできません。
 ですから、この中で今の時代に最も大事で、鉄舟が成し遂げた偉業「江戸無血開城」の原点をなすものであり、好村氏が「一刀斎が築いた一刀流剣術は現代剣道の根幹を成しており、極意『切落し』は今なおそこに生き続けている」と高く評価する「切落之事」のみ触れたいと思います。この詳しい内容は好村氏の小説の中で、鐘捲自斎と弥五郎(一刀斎)の手合せ場面に詳しいので、できればそれをご参考にされることをお薦めしますが、
「自斎の二の太刀が頭上目がけてきた瞬間、今だーと弥五郎は怯(ひる)まず、よける代わりに上から鋭く切落す・・・・。弾かれたのは、今度は自斎の竹刀であった。」
 とあるように、「切落し」とは、相手が剣を打ち込んでくる瞬間、逃げずに、間髪を容れず、真っ向から剣を振り下ろすことなのです。

時代から逃げない

 剣の道は「人と人との闘い」、つまり、それは闘いという「人間関係論」とも言え、それを剣から説き起こしているのだ、と考え気づいた時、極意「切落し」は、今の時代の生き方を我々に提示しているのではないか。強いデフレという苦しい状況下でも、現実から逃げず、一人ひとりが必死に工夫と努力を重ねること。そのことを極意「切落し」が語り、鉄舟が目録として伝えたのです。本年の愛読を感謝。よいお年をお迎え願います。以上。

【2010年1月のプログラム】

1月 8日(金)16:00 渋谷山本時流塾(会場)東邦地形社ビル会議室
1月18日(月)18:00 経営ゼミナール(会場)皇居和田蔵門前銀行会館
1月20日(水)18:30 山岡鉄舟研究会(会場)上野・東京文化会館

投稿者 lefthand : 2009年12月21日 20:37

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