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2009年10月06日

2009年10月5日 オリンピック東京開催落選

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2009年10月5日 オリンピック東京開催落選

オリンピック東京開催落選

東京は10月2日のコペンハーゲンで開催されたIOC総会で、2016年夏季オリンピック開催地決選投票の結果、二回目の投票で最下位となり落選しました。
選ばれたのはブラジル・リオデジャネイロで、スペイン・マドリードとの決戦投票では、66票対32票と圧倒的な勝利でした。

前回2012年夏季オリンピック開催地決定のIOC総会は、2005年のシンガポールでしたが、その際はマドリードが三回目で落選、決選投票はロンドンとパリという永遠のライバル都市同士の戦いどおり、ロンドンが54票、パリが50票と接戦でした。
今回の東京落選、その失敗の筋書きは、このシンガポールでの接戦によって誤差を生じたと思います。ここ数年の開催地を結果的に分析すれば、ひとつのトレンド・流れがあり、それを見誤ったと思います。

トレンド・流れで東京落選は当然

トレンド・流れで考えれば東京落選は当たり前でした。落胆する必要もないくらい、当然のこととして東京は当初から対象外だったと思います。
まず、2008年の夏季オリンピックは北京でした。次の2012年はロンドンで、今度の2016年がリオデジャネイロ、いずれも国力上昇期を迎えつつあるというトレンド・流れの中で選出が決定しています。
BRICSの北京・リオデジャネイロは分かるが、ロンドンは国力上昇期ではないのでは、という疑問を持たれると思いますが、選出された2005年時の状況を思い出してください。
当時のロンドンは、サッチャー改革後の金融革命で、灰色経済のイギリスを立ち直らせたというウインブルドン現象の時期でした。当時のロンドン・シティでは、毎晩、蝶ネクタイの紳士が、派手に着飾った女性を連れてパーティに現れる、といった華やかな金融経済絶頂期でした。ですから、当時はロンドン市の収入も莫大だったでしょう。
そのマネー経済成功地の迫力と、元気さを世界にアピールしました。金融という新しい21世紀型産業を興隆させたパワー、これがパリを破ったロンドンの源泉でした。
ということは、今のタイミングでロンドンが挑戦しても、落選は間違いないでしょうし、まず挑戦する気にもならないでしょう。それだけ経済力が落ち込んでいて、2012年の開催費用の捻出は大変だろうと推測します。
因みに2014年の冬季オリンピックは、事前予想で最有力だった韓国の平昌を、ロシアのプーチン大統領がIOC総会で英語とフランス語(IOCではフランス語が公用語)でプレゼンし、開催地をソチにかっさらいました。
ロシアはBRICSの一員で、冬季オリンピックの決定時期は2007年7月でしたから、アメリカのサブプライムローン問題の発生直前、すれすれのセーフタイミングでした。

東京の2016年への挑戦根拠

東京の2016年オリンピック挑戦根拠は何だったのでしょうか。
それについて猪瀬東京都副知事が以下のように今年9月に語っています。
「一言でいえば環境都市を前面に押し出していく。開催都市を決定するIOC総会が開かれるコペンハーゲンでは、2008年12月に気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)が開かれ、京都議定書の次の枠組みが決まるので、その流れの中で『環境』を理念とした開催計画を訴える。
東京での開催が決まれば、非常に意義深い。確かにリオデジャネイロの理念『南米初の五輪』にもインパクトがあるが、『環境』を掲げるわれわれは理性に訴えていく。
五輪という将来の明るい希望が出てくれば、後ろ向きな国民の心理が前向きになる。経済活動にも好影響を与え、将来への悲観的な見方からこれまで控えられていた需要も喚起されるはずだ。これは直接の経済効果以上に大きい。
東京で開催することの最大のメリットは、希望や誇りを取り戻すことだ。日本には今、将来のビジョンがない。日本を再び世界をリードする国へとよみがえらせるには、環境と平和を訴えるしかない。優れた環境技術や環境施策を五輪を通して発信し、われわれが生き残る道として見せていくことが重要だ。
ロンドンは『成熟都市の五輪』の姿を示し12年開催を勝ち取った。日本の代表選手である東京がこれに続き、世界の先端にいなければならない。東京五輪は日本全体のためにも必要だ」
(日刊建設工業新聞 09年9月9日水曜日掲載)

東京の戦略的誤り

この猪瀬東京都副知事発言の中に、戦略の誤りを明確に指摘できます。ロンドンは『成熟都市の五輪』だと断定していることです。
ロンドンが成熟都市であることは間違いありません。だが、荒廃化しかけていたイギリス、それを立ち直らせたサッチャー革命以来、金融という武器を新たに手にいれ、再び経済力復興期を迎えていた2005年に選出された、ということを猪瀬さんは述べていません。ここを石原知事も猪瀬さんも見誤っています。
今回のコペンハーゲンでの最終プレゼンテーション「誰に聞いても東京が一番だと言っていた」と報道にあります。それは事実だったのでしょう。
しかし、このプレゼンの素晴らしさという事実を超えた「流れ・トレンド」が世界の人々の気持ちの中にあり、それを斟酌し汲み込んだIOC委員の気持ちがリオデジャネイロに傾き、圧倒的にマドリードを、東京を、そして今最も世界で人気の高い人物、アメリカ大統領オバマ氏とミッシェル夫人が出席プレゼンしたシカゴ、これも簡単に破ったのです。
オバマ夫妻と一緒に写真を撮りたいと、IOC委員が列をつくったというのに、結果は一回目でシカゴは最下位という屈辱的敗退です。オバマ大統領の支持率も下がりつつある中での負けですから、今後の動向に暗雲が立ち込めるかもしれません。

日本の東京という立場からは妥当な戦略

石原知事と猪瀬さんの主張は日本人の立場からは最適解です。妥当で正しい戦略でしょう。だが、勝負の鍵は世界中の外国人が握っているのです。世界の人々が何を判断基準にするか、そのところの事前把握が甘かったと思います。つまり、日本から世界という舞台を見て、戦略構築したのです。
しかし、今はグローバル化の時代であり、IOC委員2人の日本人を除いて、外国人による判断結果で決定します。オリンピックの開催地決定は正にそのグローバル化の中に存在するのです。
ですから、石原知事と猪瀬さんは「世界から日本の東京を見なければいけなかった」のです。それは難しい、と言ってしまえば終わりです。見なかったから落選したのです。
このYAMAMOTO・レターでお伝えしていること、その目的は日本の人たちが「世界から日本を見てもらいたい」という希望もあって続けています。

世界から日本を見る

「世界から日本を見る」という目的をもって、毎月、国内各地と海外各地を訪問しています。その訪問もなるべく行政の中に入り、企業の中に入り、家庭の中に入り、街角のショップやレストランの中で隣の人たちと語り合うことで、日本を世界から見ていき、その結果で世界における日本の成長発展を模索検討し、それを計画化すること、そのような業務を続ける立場から感じた事を月二回お届けしています。

IOC委員に明確な選出基準が無い

最後に、IOCのような組織、そこにはオリンピック開催地への明確な判断基準がないことを指摘しておきます。IOC委員はほとんど個人資格です。一国の政府代表ではありません。したがって、一人ひとり、それは世界中から集まった人たちですから、それぞれ異なる考え方を持ち、その上、単純かつ明確・厳密な選定基準がないのですから、アバウトな暗黙の判断基準で決定していくのです。そうであるからこそ、その時の時流・流れ・トレンドを「つかむ作業」が最も大事なのです。それが東京に欠けていました。

明確な判断基準がある場合と、それが不明確な場合とで戦略構築が異なるのです。以上。

【10月のプログラム】

10月 9日(金)16:00 渋谷山本時流塾(会場)東邦地形社ビル会議室
10月18日(日)    経営ゼミナール「ミシュラン温泉訪問研究会
10月21日(水)18:30 山岡鉄舟研究会(会場)上野・東京文化会館

投稿者 lefthand : 2009年10月06日 07:01

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