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2008年10月20日

2008年10月20日 士道にあるまじき

環境×文化×経済 山本紀久雄
2008年10月20日 士道にあるまじき

かもめ食道広場

フィンランド・ヘルシンキのハカニエミ(HAKAMIEMI)広場に行きました。ここは2006年に公開された映画「かもめ食道」が撮影されたところです。
ご参考までに映画「かもめ食道」のPR文を紹介します。

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『東京から10時間、日本から最も近いヨーロッパの国、フィンランド。そんな何だか遠くて近い国でひそかに誕生した映画「かもめ食堂」。フィンランドの首都ヘルシンキは青い空にのんびりとかもめが空を飛び交い、ヨーロッパ各地からの客船が行き交う美しい港町です。その街角に、日本人女性サチエ(小林聡美)が経営する「かもめ食堂」(ruokala lokki)は小さいながらも健気に開店しました。そんなかもめ食堂を舞台にそれぞれの登場人物の、丈夫だけれどちょっとやるせない、日常的なようでそうでない不思議な物語が始まります』

上の写真の左側は映画のポスターです。右側はこの映画が撮影されたハカニエミ広場の一角ですが、写真の真ん中は男性がドラム缶式のゴミ入れに、ゴミを捨てているところです。地下にゴミ収集小屋が三つあり、市役所がゴミ処理するときだけ地上に現れるシステムとなって、一番左側の小屋がそれです。普段は地下にあって景観を損なわず、一番右側は亀の置物が置かれ、ここに駐車させないようになっています。
日本では、毎朝カラスの宴会が行われているゴミ収集システムと比較し、フィンランドは景観を配慮した実態となっています。

一国の総合評価

2006年度の一人当たりGDPでフィンランドは世界第14位、日本は18位です。一位はルクセンブルグ、二位はノルウェー、三位はアイスランドとなっていて、この順位をもって、その国の豊かさを測る基準と理解されていましたが、世界の金融危機で分からなくなりました。例えば、三位のアイスランドは富裕国のはずですが、急激な資金逼迫に陥り、世界各国に融資を要請する実態となっていますから、一概にGDPのみで一国の評価を断定できません。
また、フィンランドでは9月に職業専門学校で、銃乱射事件が発生し11人が死亡し、前年11月にヘルシンキの中学校で乱射事件があり、生徒6人と校長、保健士が殺されるという問題、さらに離婚・自殺も多く、詳しく見ていけば多くの社会問題があります。
しかし、OECDの学習到達度調査(PISA)で世界一という実績と、ヘルシンキでいくつかの家庭を訪問し、人と会い話し、街並み観察など現地現場確認を行ってみますと、フィンランドは世界各国との相対比較で「よい国」の分類に入ると判断します。

日英・日仏百五十周年

今年は、安政五年(1858)に徳川幕府と米英仏蘭露の五カ国が修好通商条約を結んで百五十年に当たります。
それを記念して各国で様々なイベントが開催され、そのひとつがロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館での「山岡鉄舟書展」であり、パリのユネスコ本部で開催された今西淳恵さんによる「源氏物語現代画展」(A World of "Tale of Genji")です。

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写真の左が鉄舟書展です。右の写真の源氏物語現代画展のオープニングパーティには、ユネスコ本部の松浦事務局長も出席挨拶される華やかなものでしたが、この二つの会場で強く感じたのは、歴史と文化に裏付けされた日本は「よい国」であり、その「よい国」となった要因は、幕末時の政治判断が優れていたからだ、という深い感慨でした。

江戸無血開城

ご存じのとおり明治維新は慶応四年(1868)四月の江戸無血開城で事実上成し遂げられました。仮にこの無血開城による政治判断がなされず、官軍と徳川側が一戦を交える事態となっていたら、日本国内は大混乱に陥り、今日までの日本国家発展は別の形になっていたと思います。その意味で、同年三月の駿府における官軍参謀の西郷隆盛と山岡鉄舟による会談で、実質の江戸無血開城が決まったことの意義は大きく、また、それを指示した勝海舟の政治判断力を高く評価します。

福沢諭吉の批判

だが、あくまで主戦を唱える勢力陣を抑え、平和的解決へ持っていった勝海舟等の和平派に対して、当時も今も一部から大きな強い批判があります。
例えば、明治時代の最高の文化人であった福沢諭吉が、明治二四年(1891)に「痩我慢の説」を書き、その中で次のように述べています。
「痩我慢とは、個々人についていえば、主に対しての節操であり、その存亡が問われる危機にのぞんで、主を守り抜こうとする気概を強くすることである。勝敗の打算を度外視して、犠牲になることを惜しまない。このような節を守る痩我慢こそ、立国の大本となる心情である」と述べ「徳川の末期に、家臣の一部分が早く大事の去るを悟り、敵に向かいてかつて抵抗を試みず、ひたすら和を講じてみずから家を解きたる」者ありとして、その批判の対象を名指しで勝海舟と榎本武揚に向けました。
 
士道にあるまじき

士道とは「武士として守り行わなければならない道義。武士道」と明鏡口語辞典にあり、広辞苑には「士たる者の履み行うべき道義」とあり、新撰組の土方歳三がいうように「士道とは、すなわち、節である」と解釈すれば、福沢諭吉のいう「主に対しての節操」とは士道であり、それに反して「二君に仕えた」者は「士道にあるまじき」者となります。つまり、勝海舟が明治政府で参議兼海軍卿となり、伯爵の爵位を受けたこと、榎本武揚が函館で戦いはしたが、のちに明治政府の大臣になったという身の処し方、これは「士道にあるまじき」行為であり「二君に仕えた」ことを批判されているのです。
 その点では、福沢諭吉からは名指しで批判はされなかったものの、鉄舟も「二君に仕えた」のですから「士道にあるまじき」者に該当するかもしれません。

世界との比較で日本は豊かだ

確かに「義と情」を「理」として判断すれば、福沢諭吉のとおりです。だが、米英仏蘭露と修好通商条約締結後、百五十年を経た現在の日本、その実態は問題が多々あるにせよ経済面で豊かな国であり、文化面でも「山岡鉄舟書展」「源氏物語現代画展」の開催で証明されるように日本文化の成熟度は高く、これらから考えれば時代の大変換期に「士道にはもとづかない」世界観による和平路線の「理」を受け入れた徳川幕府の江戸無血開城は正解で、日本が「よい国」となった最高の政治判断と断定できます。
以上。

投稿者 lefthand : 2008年10月20日 08:14

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