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2008年04月21日

2008年4月20日 折り合いをつける

環境×文化×経済 山本紀久雄
2008年4月20日 折り合いをつける

ロンドンのアルコール飲酒量

新しく4月から、渋谷で「山本時流塾」を開催させていただくことになりました。毎月、第二金曜日の午後4時から6時まで、㈱東邦地形社の会議室で行います。
その第一回で、話題としてロンドンの「ビンジ・ドリンカー」、これはBinge=暴食(飲)、つまり、度を超した飲酒癖を持つ人を指し、この結果「飲酒が絡んだ犯罪」が増えて問題が多いことを紹介しました。(日経新聞2008.4.6)

ビールを多量に飲む要因としては、価格が安いことも影響しています。ロンドンのパブでは、ビール1パイント(568ml)が2ポンドですから、1ポンド208円(4/18レート)で換算しますと416円です。地下鉄初乗り料金が4ポンド(832円)の半分です。

また、イギリスでは10代前半の子どもにビールを飲ませる家庭が多く、「11歳から15歳の5人に1人が過去1週間で平均5パイント強のビールに相当するアルコールを飲む」と同記事にあり、ビール5パイントは2840mlですから、これを日本の缶ビール350mlに換算しますと、何と8缶に相当します。
子どもが1週間に、毎日缶ビール1缶以上飲むというのですから驚きです。

当然の疑問

日本人の常識感覚では、子どもがビールを飲むことさえ問題で、その上、毎日缶ビール1缶以上飲むというのですから尋常ではありません。
当然、ご参加の方から「どうして子どもがビールを飲むのか」という質問が出ました。

これへの回答は難しいのですが、日経新聞記事では「英国人の大量飲酒癖は千年前にさかのぼる」とあり、「当時は衛生的な水の入手が難しく大人も子どもも朝からビールを飲んでいた」とあります。
時流塾にご出席のタイに詳しい方が「タイでも水が問題なので、ビールを子どもが飲む」と補足説明をしてくれましたが、子どもがアルコールを飲むこと、それは健康上に問題があるというのが常識ですから、日本人の感覚では釈然としないのも当然です。

上海女性のパジャマ姿

次は中国・上海の話題です。先般、上海でアパート最上階六階の住居に訪問しました。玄関を入ると家の中は、中二階スタイル、その中二階の窓を工事していまして、ご主人が仕事休んで、半袖シャツ姿で工事人の監督をしています。ご主人の今の仕事は自動車修理工、以前は韓国系企業に勤めていた時に、日本に行くこともあろうかと日本語を勉強したことがあるので、挨拶は日本語で、穏やかニコニコ丸顔です。

29歳の奥さんも挨拶に出てきました。ご主人は半袖シャツですが、奥さんは一見してパジャマと分かる上にコートを着ています。ビックリして「それはパジャマでは?」と聞きますと、「そうです」と平然と答えます。

この奥さん、仕事はしていなく、現在は二つの大学で昼間は会計学、夜は経済学を学んでいます。いずれご主人が起業するので、その際は会計を担当するためといいます。
家の中はソニーの大型テレビ、応接セットも立派で、上海では広いスペースなので、素晴らしいですねといいますと、家は奥さんの母が買ってくれたとの説明、余裕ある生活をしています。中国の経済成長によって中間所得層が増えた、その代表的な家庭ですが、家の中では奥さんはパジャマ姿で過ごしているのです。

日本人の常識感覚で判断すれば、今まで一度も話したことのない外国人が訪ねてくるのですから、パジャマ姿というのはどうしても理解できません。ドレスアップしたファッションは望みませんが、一応の普段着程度は着衣して欲しいと思います。

しかし、後で通訳に確認しますと、上海の女性は休みの日はパジャマで一日中過ごすことが多く、上海に長く駐在している日本人ビジネスマンに確認しましたら、家の中だけでなく、表の通りを女性がパジャマ姿で、歩いているのを見かけることがあるそうです。だが、何故にパジャマ・ファッションで歩いているのか、その理由はわからないといいます。

アテネの天皇制批判

ギリシア人が日本について、一番疑問に思うのは天皇制のことだと語ってくれたのは、長い間アテネで日本語教師している女性です。日本語を教える都合上、日本の社会について説明することになりますが、天皇制については必ず議論が紛糾して収まりがつかないといいます。

そこで仕方なく「天皇に使える人たちはたくさんいる。天皇制がなくなるとこの人たちは職を失う。だから維持している」と説明すると、一応納得し議論は収まるといいます。ギリシアでは失業率が高いので、こういう日本では考えられないような議論解決法がここでは有効なのです。なんとも国が違えば意見が異なる事例ですが、これもギリシア人の立場から考えると理解できなくもないのです。

それは過去何回もギリシアは王政を布き、問題を起こし、また王政に復帰した歴史があるからです。

まず、1832年にバイエルンのウィッテルスバハ家出身の、ドイツ名オットーが、ギリシア名のオソンに変え、ギリシア王となって1862年に追放されると、次は1864年にデンマーク王子ゲオルギオス一世をギリシア王と迎え、50年間在位し、さらに、1917年には第二王子アレクサンドルがギリシア国王になって、その後コンスタンティン国王の復帰や、息子のゲオルギオス二世が王位となり、その後の第二次世界大戦時の混乱を経て、1946年に再び王政に戻したが、1963年の国民投票で王政の廃止が決まって、ようやくギリシア共和国が誕生したという歴史経緯があります。したがって、王政=天皇制に対する深い疑問があるのです。

しかし、日本国体の中心に位置している天皇の存在理由を、失業率を持ってしか理解させられないということについては、どうしても違和感が残ります。

清河八郎

幕末維新の時代は、日本の歴史の中で、戦国中期以後の時代とならび、英雄時代といってよい時期で、さまざまな型の英雄が雲のごとく出ました。その中で特によく知られているのは「維新の三傑」としての西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允です。
また、幕府側にも「幕末三舟」の鉄舟、海舟、泥舟が存在し、また、異色ではあるが、清河八郎も同様で、その他にも多くの英雄といえる人材が輩出したからこそ、あのような偉大な改革が遂行されたのです。

清河八郎・・・山形・清川村の酒造業の息子が、江戸で儒学者を目指していたのに倒幕思想へ転換し、「回天の一番乗り」目指し、薩摩藩大坂屋敷に逗留するほどの人物になり、伏見寺田屋事件や幕府の浪士組から新撰組の登場にまで絡んでいき、最後は幕府によって暗殺されました。

これが清河の一生ですが、清河は儒学者を目指していて、著述数も多く、それが今でも遺っていて、これらを見ても清河の勉学修行は、並ではなかったことがわかります。

だが、この猛烈なる漢学の勉学が生涯の運命を決めた、と述べるのは牛山栄治氏です。
「清河は漢学によって『名分論』から結局は維新の泥沼にまきこまれて短命に終わり、勝海舟などは蘭学の道にすすんだために時代の波に乗っている。人の運命の分れ道とはふしぎなものである」(牛山栄治著 定本山岡鉄舟)
 
この名分論を「道徳上、身分に伴って必ず守るべき本分」と解釈すれば、あるひとつの見解・立場からのみ物事を決め付け行動していくことは、将来に危険をもたらす可能性があることを、清河の事例が教えてくれるような気がします。

折り合いをつける
 
グローバル化の時代とは、価値観の異なる人種と交わることです。日本人も外国人から見たら、よく分からないところだらけです。分からない同士が、直接出会ったり、情報を連絡し合ったりして、お互いの関係付けを図っていかねば、物事が進まない時代です。

日仏合弁企業の社長時代、フランス人と本心から理解し合えませんでしたが、ビジネスですから適当なところで「折り合い」をつけて解決しておりました。

よく分からないが、しかし適切に「折り合いをつける」。それがグローバル化の時代と思います。以上。

投稿者 Master : 2008年04月21日 08:55

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