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2007年12月21日

2007年12月20日 何を成功基準とするか

環境×文化×経済 山本紀久雄
2007年12月20日 何を成功基準とするか

NYに来た香港人
前号で、ドイツ人の日本好きをお伝えしましたが、香港にも「東洋迷」と呼ばれる、熱心な日本ファンが増えているようです。「東洋」は日本を意味し、「迷」とはマニアを意味し、普通程度の日本理解では満足しない人たちが、日本研究を様々な角度から行ってから、日本に来ているらしいのです。


その影響は「ぬりえ美術館」にも現れています。昨年、掲載された香港の雑誌を手に、都電巡りしながら荒川区の「ぬりえ美術館」を、何人もの香港女性が訪ねてくることを確認できることから、「東洋迷」は事実であると判断します。
しかし、今年の6月、NY元パンナムビルの近くの、弁護士事務所勤務の香港人女性は、意外な事実を語ってくれました。現在40歳。7歳のときにNYに来ましたが、それまでは香港の小さな一室に6人で住む困窮家庭であり、自宅の回りも同様の貧しい家庭だらけで、玩具など買ってもらえる環境ではなかったといいます。
この女性が香港にいたのは、今から33年前の1974年、昭和49年ですが、その頃の香港は貧しかったのでしょうか?。
当時、仕事の関係で何回か香港に行きましたが、街中は活気に溢れていましたし、あの頃は多くの日本人が、世界の一流ブランド品を買いに香港に行ったと思います。ですから、景気は悪くなかったと思っていましたが、この女性から聞いた内容は、こちらの理解とは大きく異なっていました。

今の香港
香港郊外に住む19歳の女性、ファストフード店勤務で月収6万円、35平方メートルのアパートの4人暮らし、お金がないので高校にも行けない。
このような貧しい人たちが増えて、所得格差が広がっていると、日経新聞「民力アジア」連載(2007.11.26)の中で報道されました。
さらに、同記事は続けます。香港で貧しい人が増えていることに加えて、会社員は「仕事が楽しくない」という人が全体の89%もいて、これは前年より14%も増え、その要因として「香港ドリーム」が見えないことだと結論化しています。
また、その延長として、起業家が減少し、起業家の割合は調査対象35カ国の下から3番目であり、挑戦を恐れる機運が広がっているとも伝えています。
しかし、最後に、有機野菜レストランで成功した経営者が語った言葉、「自分の足で成功の機会を探さない限り問題は乗り越えられない」という記事で終着させています。

ストーリーの筋書き
この記事を読み終えて、なるほどと思いつつも、NYで香港女性の話を聞いている立場としては、今も33年前も、いつでも貧しい家庭は存在するという、世の中のセオリー通りである事実確認情報として、まず受け止めました。
次に、記事のストーリー展開が、最初に貧しい人の事例を挙げ、次に、その要因は所得格差の拡大であり、その背景には「香港ドリーム」が見当たらないからであり、事業意欲も低下しているが、しかし、個々に見れば成功している人もいる。
だから、「自分の足で成功の機会を探すべき」という「べき論」、つまり、成功者になれという主張で、その成功とは「お金」を得ることにおいています。

成功基準
成功というものを、お金を基準として判断すれば、必ず持ち高で序列がつきます。また、金額という数字は明確ですから、必ず所得格差として表現できます。
つまり、格差が確実に発生するものを成功基準として、今の実態を論じるのですから、当然に生じるであろう格差へのからくり、それをわかっていながら、次に、今度は、その生じた格差を問題として指摘する、というストーリーの展開です。
このような書き方が、日経新聞の一面紙上でなされ、読者はそれを疑問を持たず読んでいる人が多いと推察いたします。

時代は変わっている
第二次世界大戦が終わったとき、日本人の殆どは食べられない生活でした。その当時を体験している者として、お腹を空かして、食べ物探しに歩き回ったことを鮮明に記憶しています。ところが、今はどうでしょうか。食べられない家庭という存在、皆無とはいえないと思いますが、周りを見渡すと「ほどほどの生活レベル」の人たちが普通です。
つまり、普通の生活ができているという前提に立った上で、お金を基準にして格差を論じているのです。NYで会った女性、香港にいては一家が食べられないので、手づるを探して、アメリカへ脱出し、NYの叔母さんから人形を貰って、生まれて始めて人形を抱きしめたという、哀しくも嬉しかった思い出を語ってくれました。
しかし、今の日本も香港も、一般的に「食べられない」「人形を持てない」というレベルではありません。日本の戦後や、33年前の香港とは比較出来ない豊かさなのです。

良い仕事を続ける
ロボットデザイナーの松井龍也さん、ロボットデザインの草分けで、1969年生まれの38歳が、次のように語っています。(日経07.11.25)
「研究者やマニヤのものだったパソコンは、アップルのようなベンチャー企業が一般の人にどのように使ってもらうか考えて、工業製品としてデザインしたから、産業になった。ロボットでもそれができないかと思って、2001年にロボットのデザイン会社を設立しました」と語っています。
ロボットに眼をつけたのはパソコンの事例からであり、それまでの都市計画分野から転じた結果、今や世界的評価の高い人物になって、さらに、次のように語ります。
「僕たちの世代にはマネーゲームに懸命な者もいますが、少人数で質の高いものを創出したいという者が多い。生意気なようだけれど、物質的な豊かさを知っている世代ですから。良い仕事を続けるには、会社も家計も赤字を出さないことが大切だけど、お金持ちになる必要はないのです」
つまり、成功基準は「お金」ではなく「良い仕事を続ける」ことにおいているのです。

中田英寿
元サッカー選手の中田英寿さんが、責任監修したというクーリエジャポン2007年
12月号が、発売直後完売し、増刷したと編集長が1月号で語っています。これで中田さんの人気のほどが分かります。その中田英寿さんが国際サッカー連盟(FIFA)の親善大使になりましたが、クーリエジャポン1月号で、30代女性読者からの質問「世界のために自分は何ができるのだろうか」に、「自分が“良い”と思うことを少しでもこつこつ積み重ねてやること」だと答えています。

野村ホールディング
米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)関連で、1400億円超の損失を計上した野村ホールディング、米国の関連事業から完全撤退を決め、来年に向け、次の戦略を古賀信行社長が次のように語りました。(日経2007.12.15)
「米国では、自分の得意な分野以外にも中途半端に事業を漫然と広げすぎていた。これまではグローバル化を進めることが自己目的化していた。しかし、本来はまず顧客がいて、顧客ニーズがある分野に事業を特化すべきだ」と。
なるほどと思います。あの優れた野村集団でも、自社にとって「良い仕事を選ぶ」という基準ではなく、事業を漫然と展開していたのです。

何を成功基準とするか
サブプライムローン問題で、一斉に日本経済も世界経済も成長率を下方修正という事態となりました。時代の変化は常に続き、予測できない大問題が発生します。このような社会で生きていく、企業経営を続けていく、そのためには判断基準を変化させる必要があるようです。つまり、成功基準として何を選定するか。それが問われる2007年の年末ではないでしょうか。今年一年間の愛読を感謝します。良いお年をお迎え願います。以上。

投稿者 staff : 2007年12月21日 10:20

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