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2006年09月22日

2006年9月20日 新時代の競争とは

環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年9月20日 新時代の競争とは

ピアノコンサート

近所のカトリック教会が経営している幼稚園を卒園し、現在、イタリア・フィレンツェ在住のピアニスト、五月女慧さんをお迎えし、町内自治会主催の教会内コンサートが開かれました。

幼児よりピアニストを目指し、この町に九歳まで住み、フランスで国立高等音楽院を卒業し、その後フィレンツェで研鑽を積み、イタリアを中心にしてヨーロッパ各地で活躍している五月女慧さん。幼い頃よく見かけた、見覚えのある皇太子妃雅子様似の笑顔が、一段と落ち着き、重厚さを加え、譜面なしで一気にショパンからバッハ、モーツアルトと弾いていきます。さすがに一流のプロは違うと感じ入りました。身体から音を生み出していると感じました。
曲の合間に幼稚園時代の思い出「幼い頃に通ったこの教会、多分、大きくなって見たら小さく感じられると思っていたが、今日久し振りに来て見て、昔のイメージ通りで大きく、また、園長先生のお話が長いとき、教会天井のモザイク模様の十字星印を数えていたが、覚えていた数どおりであることを確認でき、懐かしさで感動した」と語りました。
一般的には、幼いときの印象を大人になって確認してみると、大きく異なることが多いのですが、五月女慧さんは幼いときの観察と、今回、改めて確認した内容が同じであったということ、つまり、大人になってから感じる感覚を幼児時に既に持っていたのです。

ハンマー投げの室伏選手

今年になって世界の各大会で負け知らずで、優勝が続いているハンマー投げの室伏選手が次のように語っています。「ハンマー投げはフォームで覚えるものじゃなく感覚です。感覚はつねに新しくしていかないと先がありません。結果が出たときのフォームを守る発想はハンマー投げにはないですね」と。
一般的に、多くの人は、仕事ということを決められたルール、定められた手順でするものと理解し、実行しているのではないでしょうか。マクドナルドの応対手順のようにある一定の社内基準があって、それに基づいて眼の前の仕事をこなしていく。これを仕事と思っているのではないでしょうか。
これも確かに仕事をしているということに当てはまりますし、そうすべき業務も多いと思います。しかし、このような仕事の癖をつけると、何かトラブルが発生したとき、その問題解決に当たっても、決められたルールがないかと、それらを求めていくことになりやすいと思います。手順、ルールというものは過去に発生し、過去に処理してうまく行ったものを整理したもので作成されている事例が多く、そのマニュアルどおり動くことが仕事であると思い込んでいます。また、このような姿勢で仕事するのは、大きな変化のない時代では、的確で妥当な仕事振りとして評価されたと思います。
ところが、時代はバブル崩壊があって、もはやバブル崩壊後と言えない新展開の時代環境になってきています。バブル以前とも、バブル崩壊以後と異なる時代環境になっているのです。つまり、今までの経験やルールでは適応できなくなるケースが多くなっているのです。過去の成功体験、問題体験から作り上げた手順・ルールというものが、現実に合わなくなっているのです。
とすると、今の時代と環境に合致させた手順・ルール、それを作り直さなければならないと考えるか。いや違う。新しい時代は未知の実態に踏み込むのだから、自らの感覚を磨いて、どのような事態にも対処できるようにしておくことで対応すべきか。
これに対する答えが冒頭の室伏選手の発言であると思います。即ち、感覚を磨いておくことが、新しい時代への仕事対応力であると、室伏選手は主張しているのです。

小泉政権を引き継ぐ安倍政権

今日20日、第二十一代自民党総裁に安倍晋三氏が選ばれました。安倍政権誕生です。安倍氏は小泉首相の改革路線を継承すると言明しています。ということは小泉政権が何を目指していたのか、ということを一度振り返ってみることが必要と思います。
2001年5月7日の小泉首相初の所信表明演説では、次の三つを述べました。
1. 不良債権最終処理、2.財政構造改革、3.競争的な経済システム整備でした。
このうち「不良債権最終処理」はメドがつき、「財政構造改革」は2006年の骨太方針で、2011年度でプライマリーバランスを採ると決定され、その方策として歳出のカット額配分も決められました。
そうすると三つ目の「競争的な経済システム整備」、つまり、「21世紀にふさわしい競争政策の確立」に重点配分され、そこへ主役が今後移っていくことになると思います。
その視点から最近の動きを見てみると、西武鉄道やライブドアによる証券取引法違反摘発事件、鋼鉄製橋梁工事や防衛施設庁工事をめぐる入札談合事件、水谷建設事件と村上ファンド問題、いずれも競争や透明性を追及する一連の流れが目につきます。
先日、アメリカからやってきて、日本で長いこと企業経営をしている社長が述懐していましたが、アメリカより日本のほうが順法精神で劣るというのです。新しい企業が既存業界に参入しようとすると、何々業界組合という存在が出てきて、日本は「和の国」だから仲良くやろう、そこで工事受注も皆が順番に受けられるようにしたい。つまり、談合に参加するようにと堂々と説明に来るのだそうです。アメリカではとても考えられない日本が持っている当たり前の商習慣だそうです。
つまり、既存組織が持つ利益、それを守って維持して生きていこうとする傾向、それが日本では強いのだ、ということを厳しく指摘していました。

競争という意味の理解

前号のレターで小林慶一郎氏(独立行政法人経済産業研究所)の見解「構造改革の継承とは、市場経済システムとは豊かさを得るための手段として考えるのでなく、政治が目指すべき目的と考えることである。小泉首相はおそらく戦後史上初めて、市場経済システムそのものを政治が目指すべき目的価値であると暗黙に宣言した首相だった」とご紹介しました。この市場経済システムを健全に安定させることが政治目的ならば、それは自由な競争が前提となります。自由を制限することは、市場経済ではなく、管理された市場経済となり、そこには競争原理が働かなくなります。競争が自由に行われる社会、それがあって健全な市場経済システムが成り立つのです。
では、ここでいう競争という意味とは何でしょうか。オリンピックの100メートル競走やマラソンのように、特別に鍛え上げた優れた身体を持った人間間の競争なのでしょうか。いやそうではなく、今の時代の競争とは「違いを創る」ことなのだと、東大教授の
岩井克人氏が次のように述べています。(日経新聞 経済教室 2005.8.29)
「かつての産業資本主義時代においては、農村に過剰な人口が存在したので、会社は都会に大量に流失してくる人々をいくらでも安い賃金で雇えたから、製造コストは低く抑えられ利益が上がった。しかし、20世紀の後半、先進資本主義国に異変が起こり、農村からの人口流出が止まり、都会で働く労働者の賃金があれよあれよと上がり始め、その結果、収入と費用の差が縮まり、かつての産業資本主義は終焉し、ポスト産業資本主義となった」
では、ポスト産業資本主義の現在はどうすれば利益が得られるか。岩井教授は続けます。
「利潤とは収入と費用の違いである。他社と同じ製品しか作れないなら、異なった技術を導入して費用を下げなければならない。他社と同じ技術しか使えなければ、異なった製品を作って収入を高めなければならない」と、更に続けて「会社は横並びの大量生産を止め、違いを意識的に創っていかなければ利潤を生むことが出来ない。カネ持ちであることは、違いを他より早く生み出すことの結果でしかない」と結論づけしています。
当たり前のことを説明しているようですが、ここが重要なポイントなのです。違いを創るためにはどうするか。それは「ヒト」の能力や知識を利潤の源泉にせざるを得なくなっているという事実を指摘しているのです。脳細胞からしか利益は生じないという意味です。

美しい国へ

安倍新自民党総裁の著書「美しい国へ」に「既得権益を持つ者が得するのでなく、フェアな競争がおこなわれ、それが正当に評価される社会」にするのが構造改革であると記されています。これは小泉首相初の所信表明演説の三点目「競争的な経済システム整備」を継承する宣言であり、競争とは岩井教授の「違いを創る」ことを意味し、そのためには
五月女慧さんと室伏選手が示した自らの時代感覚を磨くことが前提要件と思います。以上。
(10月5日レターは、ニューヨークぬりえ展参加のため休刊となります)

投稿者 Master : 2006年09月22日 06:47

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