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2005年07月21日

都市は養育するもの

   YAMAMOTO・レター 環境×文化×経済 山本紀久雄
      2005年7月20日 都市は養育するもの

国際かきフェスティバル

7月13日、14日の二日間、第一回国際かきフェスティバルが開催され、参加いたしました。会場はゆりかもめ国際展示場、東京ビックサイト会議室です。
世界のかき専門家の集まりで、講演発表は基本的に英語のため苦労しましたが、世界で始めてのかき研究者会議は満員盛況でした。
会議の合間や懇親会で名刺交換したのですが、ここでビックリしたことがありました。
それは名刺交換すると、相手の多くの方が「フランスを救った日本の牡蠣」の著者ですね、とこちらに確認します。中には、この本を持ってフランスまで調査に行ったオイスターバーのコンサルタントや、テレビ局の人からはこの本を部内で回覧して読んだ、というようなお礼とも報告ともいえる内容を聞くことができました。

当初は、フランスのかき事情、それを知ろうと調べ始めたのですが、日本には断片的なエッセー風なものしかないということが分かり、それならばかき全体を網羅し、関係する現場からの実態内容にしたいと、かき養殖場・販売チャネル・かき専門レストラン、それと一般人へのアンケート取材まで行って、2003年に出版したのが「フランスを救った日本の牡蠣」です。
今回、国際かきフェスティバルに出席することで、かきに関係する人たちにお役に立っているということが分かり、この本を書いたことの意義を改めて感じると共に、日本には、あるテーマで統一構成した資料が少ないという事実を再認識し、その統一したものの一つとして評価されているという事実、これに満足した第一回国際かきフェスティバルでした。

7月5日のレター

前回のレターについては、随分ご見解と感想をいただきました。熊野古道の石畳、トヨタと二宮尊徳との関係性、これらについてメールや電話、それと直接にお話をいただき、皆さんのご関心が高いテーマであったと改めて認識した次第です。
また、二宮尊徳に対するイメージが一般的に「徳の人」と受け取られているような雰囲気があるようでしたが、そうではなく「再建請負人」というのが実態だという説明を新鮮受けとめられたようです。
いつの時代でも再建が必要ですが、特に幕末という時期は、江戸幕府及び各藩の経済状態が最悪で、その解決のために尊徳が活躍し実績を残したのであって、ちょうど今の日本の政府と各県市町村財政悪化問題と通じるところがあるのです。
そのような財政悪化状態の中にあって、トヨタ自動車という一企業がますます隆盛し、世界中の国々から工場をつくって欲しいと要望される実態、それを尊徳の「仕法」という改革手段とトヨタの「カイゼン運動」と重ね合わせて解説いたしました。
尊徳の改革手段「仕法」については、山岡鉄舟を研究している過程で幕末の政治・経済状態の分析から当然に関心事として浮かび上がってきました。更に、トヨタについてもトヨタ出身者が多くの機関から引く手数多の状態であることから、トヨタの実態を時流として分析するのは当然です。ですから、前回のレターでも触れ、現在、各地でお話しているのですが、この見解については同様な方が多いようで、尊徳とトヨタを結びつけて論及する傾向が広まっています。両者に共通するのは昔から変わらない日本の良習慣といえるものを取り入れていることですが、これは熊野古道を世界遺産として遺してくれた先人の知恵にも共通しています。

都市を養育する

本には「まえがき」があり「あとがき」もあります。忙しい人は「まえがき」を読み、すべてを理解したように本を閉じます。もう少し余裕がある人は「あとがき」を読みますが、これで本の中味は終わったと、あとは書店の書棚に戻します。
これが一般の傾向と思いますし、自分もそうしているのですから多くの方も同様と思います。これだけ書籍が数多く出版されるのですら当然と思います。
ですから、本を書く立場としては「まえがき」に全精力を傾ける必要があります。「まえがき」の出来が悪いと「あとがき」にも行かずに、それでおしまいですので、「まえがき」は重要です。「まえがき」を的確に印象付ける内容にすることがすべてに優先します。
という考え方をもって8月末出版予定の「ぬりえ文化」の「まえがき」では、この本の「志」を強調しております。

最近読んだ「まえがき」で強烈な印象を受けたものに「持続可能な都市」(岩波書店)があります。この本では「まえがき」を「序章」に替えていますが、その出だし文章、
「和歌山市の歴史的ランドマークとなっている紀州和歌山城は、緑豊かな虎伏山に建つ。天守閣にのぼると、眼下に紀の川がゆったりと流れ、紀州海峡に注ぐ風景を眺めることができる。和歌山城は秀吉が弟の秀長に築城を命じたことにはじまり、その後、紀州徳川家55万5000石の城となった。・・・・・ところがその和歌山城に隣接した場所で、和歌山城の景観を台無しにしかねない大規模都市再開発プロジェクトが2005年春、終わった」に目が釘づけになりました。
またもや日本の景観が壊されたという残念さと、それを鋭く明確に指摘する論客がいるという事実、その両方から、本としては高い3400円をレジに持っていったのです。
和歌山城の天守閣の高さは67メートル、都市再開発プロジェクトのホテル建物は80メートル、ホテルが城よりも10メートル以上も高い。
この都市再開発プロジェクトは和歌山県が率先して再開発に奔走し、デベロッパーが計画を立案したのですが、この立案基本コンセプトは「和歌山城に相対する、都市の新たなシンボルを建設することによって、過去と現在の二つのランドマークからなる古都和歌山にふさわしい美しい都市景観を創出します」としたのです。
しかし「和歌山城は和歌山市の歴史的シンボルである。公共空間の最上位に位置することが望まれる和歌山城を見下ろす位置に、城とツインをなすどのような優雅なランドマークタワーホテルの建設が可能だというのだろうか」と指摘し「都市空間の占有、特に建築物の高さ制限に関しては、それぞれの社会の構成員が不文律の約束事として遵守してきた」ものがあると続けます。
加えて、「都市は養育する」のであり、その基本原則は「ゆるやかで自然な、過激でない変化、ほんとうの社会的、経済的要求にこたえるような変化である」とし、和歌山市のランドマークタワーホテル計画は「都市は養育する」精神を踏み外していると、鋭く厳しく痛烈に批判しています。
更に、「都市空間とは『精神的ルーツ』や『過去とのきずな』につながる建物、あるいは聖地・聖域、政治的空間の重要性に従って序列化しながら形成されることが重要である」ので「和歌山城を足下に見下ろす超高層ホテルの建設は、明らかにこの原則にも違反している」と結論づけしています。その通りと本当に思いますし、その実例を愛宕山から見た江戸景観と、現代の東京景観によっても強く感じます。

ベアトのパノラマ写真

手許に幕末の慶応元年(1865)から2年(1866)頃に、イギリス人写真家「フェリックス・ベアト」が愛宕山から撮影した江戸景観写真コピーがあります。恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館でコピーしてきたものです。当時世界一の人口100万人を誇った江戸、ベアト写真でみる大都市江戸は整然と落ち着いて上品な景観で、140年後の東京を、ベアトが撮ったと同じアングルから撮影し比較してみますと、つくづく貧しさと哀れさを東京景観に感じます。
近代化という日本人が走ってきた過去の実態、それは、日本人がつくりあげてきた素晴らしい景観をなくす行動だったと思わざるを得ません。都市空間の魅力を失わせること、それが、経済成長という意味であったのかと思い、悲しい思いになります。

国際かきフェスティバルの懇親会は台場の日航ホテルでした。宴会場からみる夜景は、日本開国の歴史を証明する台場と、その向こうに広がるレインボウブリッジと林立する高層ビルの明かりです。それは無秩序に乱立して結果的に輝いているのであって、日本が持ちつづけた良習慣としての「精神的ルーツ」や「過去とのきずな」とつながっているとはとうてい思えず、和歌山市の事例や愛宕山からみた東京と同じでした。「都市を養育する」という精神を大事に復活させること、それが日本の大きな課題であると思いました。以上。

投稿者 Master : 2005年07月21日 16:01

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