« 03/12/15「恋とビジネスの共通性」直木賞作家 唯川恵氏 | メイン | ブランド力 »

2004年03月07日

日本人は不安民族

YAMAMOTO・レタ-
環境×文化×経済 山本紀久雄
2004年2月20日 日本人は不安感民族

「鉄舟・21・サロン」のホ-ムペ-ジを2月15日オ-プンしました。一昨年の夏、荒川区町屋に世界で始めてのぬりえ専門美術館として「ぬりえ美術館」が開館されたのを機会に、同美術館のサロン活動の一環として、山岡鉄舟を研究する会を「鉄舟・21・サロン」として毎月開催してまいりましたが、ようやくホ-ムペ-ジをオ-プンできるところまで辿り着くことができました。(http://www.tessyuu.jp
ホ-ムペ-ジは誰でもプロに依頼すれば出来ますが、そのためには資金が必要です。その資金が「鉄舟・21・サロン」にはありませんでした。ゼロ預金から始めたのです。サロン参加者は当初数人でした。そのうち真面目な内容が評価され、口コミで広がりまして、最近はぬりえ美術館の1階ホ-ルが満員盛況になるほどの参加人数となってきました。

ホ-ムペ-ジの作成資金は、毎月の参加者からいただく会費を積み立ててまいりまして、時間はかかりましたが今回のオ-プンとなったわけです。1年6か月かかりました。
山岡鉄舟研究の専門家で著書もある佐藤寛氏からは、現在、日本で鉄舟研究会を毎月開催しているところは、この「鉄舟・21・サロン」しかないだろうといわれ、その言葉も励みになりました。鉄舟に関心あるファンは、男女・年齢・地域を超えて全国各地におられます。
今後は鉄舟にご関心ある方にホ-ムペ-ジでご連絡でき、とても楽しみにしております。

その鉄舟は、多くの偉人・先達とともに明治維新という大革命を成し遂げ、大混乱状態から日本を現代の近代国家にするための基礎を構築して来たのですが、その大混乱の明治維新時代と同じように大変革期にあるのが、現在の日本です。
日本経済の回復について、政府は中期的経済財政見通しを「改革と展望-2003年度改定」として目標を明示し閣議決定しています。それによりますと2006年度に名目2%成長を達成し、国と地方の基礎的な財政収支(プライマリ-バランス)を2013年度に黒字化する、という内容です。また、それに向かう年度としての2003年10月から12月の実質成長率実績は1.7%になったと2月18日に発表されましたが、これは13年半ぶりの高い成長率であり、年率換算では7.0%となりますから、これで2003年度の政府見通しはほぼ確実になったといえる状況にあります。
この政府見通しと今年の実績を信用すれば、日本はバブル崩壊後の後処理で失敗した政策の、その後始末としての改革を着実に行っていくことによって、日本経済は心配ない状態に持っていくというスト-リ-になります。しかし、多くの経済専門家はこの政府見通しについて懐疑的にみて、異なった見解を発表しています。
その懐疑的見解として、近いうちに「預金封鎖」が実施されるだろうという一方の主張、もう一方として「ハイパ-インフレ」が日本を襲うという主張があります。いずれもそれなりに検討した根拠があり成るほどと思いますし、そうなれば日本経済は大混乱状態に陥ることになりますので、それを心配する多くの人が「大いなる不安」を持っているのが事実です。

いったい「不安」とはどういう心理状態を指すのでしょうか。広辞苑では「安心できないこと。気がかりなさま」とあります。そのとおりですが、心理学的にもうちょっと定義づけしますと「不安とは、未来に直面する課題があるのだが、その課題がどちらかというと明確でなく、しっかりとした対処をできないでいる感情」となります。
恐怖とは異なります。恐怖とは「対象がハッキリしていて、外的要因が強い」のですが、不安は「対象が恐怖に比べてボンヤリしていて、内的要因が強い」ことで、日本人はこの不安感情を強く持ちやすい国民性ではないかと、改めて最近感じたことがあります。
現在「日欧温泉文化本」を、フランス語で出版するために翻訳をしている翻訳者から、内容確認・問い合わせ・指摘がある中で、はっと気づいたことがあります。
それは、フランス語に翻訳する過程で「この文章の主語は何ですか」という指摘を受けたことからです。この指摘は一回ではなく、その後も同様の「主語問題」が何回も続いています。つまり、普通に書いている日本語の文章に、フランス人から見ると主語が抜けている、という指摘を継続的に受けているという事実、それを新しい経験として新鮮に受け止めたのです。新しい気づきです。
主語の問題を指摘された当初は「それは文章全体から推察でき、十分に分かるだろう」と思い、そのような回答をしたのですが、よく考え直し、指摘受けた個所を再度見直してみると、確かに主語が明確でなく欠けていることに気づくのです。

主語が抜けている日本語文章、それは私だけでなく日本人が共通している事例であるということを確認してみたいと思います。そこで、日本人なら誰でも知っている著名人作家で、ノ-ベル文学賞を受賞した川端康成氏の名作「雪国」で事例検討してみます。
同氏の名作「雪国」は「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」で始まります。この文節は日本人ならば殆どの人が暗記しているほど知られています。ということは、この雪国の始まり文節を何ら疑問に持たず受け入れ、名文として評価しているのが、日本人の共通した考えと思います。また、この文節が日本人の好きな文体として、いろいろな場面で引用される事例が多く、これは日本人好みの文章であるということを証明していると思います。
しかしながら、この文章をよく分析してみますと何かが欠けているのです。それが「主語」なのです。それを端的に指摘したのが、この文章を英文に翻訳したものです。
著名な翻訳家が英文化し、世界に紹介され、その結果として川端康成氏はノ-ベル文学賞を受賞したのですが、その英文の「雪国」の始まり文節には、「BY TRAIN」という言葉が付け加わっています。
つまり、「列車で、国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」と、翻訳では「列車で」が加わっているのです。日本人にとっては、「列車で」といわなくても、文脈から当たり前の理解がなされるという前提から、「列車で」という主語は省かれていて、その省かれたことによって「名文」と評価されていると思います。
仮に、この「雪国」の始まりを「列車で」という文章をいれてから、川端康成氏が書いたとすると、「雪国」は同氏の代表作になりえたかどうか、その疑問さえ生じる個所と思われるほど、「雪国」の出だし文章は重要ですが、その重要な始まり部分を英文に翻訳するためには、主語としての「BY TRAIN」がどうしても必要だったのです。

文体を構成する中に主語が抜けている、という指摘は重要です。主語がない文章を読むということはどのような結果となるのでしょうか。
それは文章を読む人の解釈に任せるということになり、読み手によってどうにでもとれるということになり、読む人の主観で理解内容が変化させられます。これは一見、弾力的ともいえなくありませんが、内容解釈が多様ということは明確さに欠け、曖昧さが多いことになって、主語として主張するものがボンヤリしやすいのです。したがって、主語がない文章は「課題が明確でないことから、しっかりした対処ができない」という、前述した心理学的にいうと「不安定」な感覚の多い文章となりやすいのです。
文章を書くということは、その人の考え方を表現することですので、主語がない文章を書き慣れている日本人とは、物事を曖昧にしやすく、曖昧さは不安感を醸成することに結びつきやすく、日本人は不安感を持ちやすい民族といえます。
その不安感を持ちやすい日本人に、バブル崩壊以後の長期経済低迷時代が訪れたのですから、本当に不安感に満ちた国民になってしまったのです。1965年(昭和40年)自殺者は1.5万人でした。今はここ五年間ずっと二倍以上の3万人を超えている自殺者数は、この不安感という曲者が大きく影響していると思います。
しかし、よく考えてみれば、不安は不安です。不安とは「課題が明確でないことから、しっかりした対処ができない」ことから発生した感情ですから、まだ問題が具体化していない前の感情なのです。まだ具体的な恐怖になっていないのですから、不安と思う感情が生じたら「それは、まだ現実問題ではない」という事実に立ち戻ってみる、という思考が必要で、その思考習慣をつけることが大事です。が、もっと不安感を無くすために必要不可欠なことは、日頃から「主語を明確にする文章を書く習慣」をつけることであると思います。

「鉄舟・21・サロン」のホ-ムペ-ジを、ゼロから18か月かけて開設できましたので、次のステップに入ります。「鉄舟・21・サロン」は研究会・勉強会ですから、その主語としての目的は「研究内容の深さ追求」が絶対必要条件です。そのためには、山岡鉄舟の何を研究し、その結果を何に反映するのか、という目的を明確にすること、つまり、主語を曖昧にしないことが大事であると、フランスからの指摘で改めて考えているところです。以上。

投稿者 Master : 2004年03月07日 09:53

コメント