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2011年01月06日

日本を情報編集して再発信する

環境×文化×経済 山本紀久雄

2011年1月5日 日本を情報編集して再発信する

新年明けましておめでとうございます。本年もご愛読の程お願い申し上げます。

観光庁への提案

昨年9月20日号のYAMAMOTOレターで、世界の書店に配本ルートを持っている欧米の出版社から「日本の温泉ガイドブック」を刊行するための企画書をもって、近く観光庁に提案に行く予定ですとお伝えしました。この件は昨年12月末に霞が関の観光庁に出向き「世界50カ国の書店に配架する」計画書を提案して参りました。その際、観光庁の担当官と日本文化の捉え方について議論しました。計画の実施是非回答は後日になります。

アシェット社訪問

昨年11月、アシェット・フィリパッキ・メディア (Hachette Filipacchi Médias、略称アシェット社HFM)を訪問しました。ここはフランスに本社をもつ世界最大の雑誌出版社で、いまや日本の老舗出版社である婦人画報社を傘下に収め、「婦人画報」をはじめ「25ans」や「ELLE Japon」などの雑誌を発行しています。

パリの本社は元日航ホテルの隣ビルですが、ここで旅行出版部門の責任者と、アシェット社が世界50カ国で展開している旅行ガイドブック、ブルーガイドですが、この編集長と日本の温泉ガイドブック出版について打ち合わせしました。

私が説明する趣旨、話し終わるとよくわかると大きくうなずきます。これにビックリしました。世界的な大出版社が前向きに好意的に了解したのです。

その理由をいろいろ話し合っているうちに分かってきました。フランスでは空前の日本文化ブームであり、これは世界共通になりつつあると認識していることです。日本文化が世界の時流なのです。

さらに、旅行出版部門の責任者と編集長の二人の女史とも、子供が日本語を学んでいるといい、子供を連れて家族全員で今年春に日本へ旅行するというのです。

もう一つの国際標準化

今まで日本が展開してきた「国際化」とは、外国で国際標準になっているものをとりいれるか、外国に勝る技術を開発し、それを国際標準化しようとするものでした。これに対し「グローバル化」とは国際標準化レベルに、相手国の市場実態を加えることであると、サムスンの事例をもって昨年末レターでご案内しました。

しかし、もう一つ国際標準化という意味で、考えられることがあります。それは昨年9月来日し、一緒に「日本のONSENを世界のブランドへ」シンポジウムを開催した、リオネル・クローゾン氏発言の「温泉街には欧米にない異文化がある」という発言です。

この発言の意図は重要です。今までの温泉業界は、外国人に「合わせる」ことを考え、外国人に「すり寄っていく」という考え方が多かったのです。

しかし、クローゾン氏の発言は、この考え方を真っ向から批判しているのです。今のままでよい、そのままの温泉が魅力だという主張です。

日本人は戦後65年間、アメリカから様々な価値観を押し付けられたと感じている人が圧倒的に多いと思います。しかし、アメリカ人から見ると、確かに押し付けてはきたが、そういうことになったのは日本人にも大いに問題がある。日本人は「自分らが何ものであるか」について、隠しているのではないか、それとも現代の日本人は他者に知らせるべき自己を持たないのではないか、という指摘をされているのです。(「日本人と武士道」スティーブン・ナッシュ著)

この指摘の背景には、クローゾン氏の発言との同質性があります。自国の文化や社会や歴史を正しく語ろうとしないのが日本人だ、という本質的な指摘であり、逆に考えれば外国人は「日本は素晴らしい魅力がたくさんある国だ」という認識を持っていることになります。

問題は、この事実を受けとめ「世界に向けて情報化」編集する能力を発揮していない日本側にある、と考えるべきと思います。

子供が日本語を学ぶという意味背景

その日本に魅力があるという事実を、アシェット社の幹部二人の子供が、日本語を学んでいるということから理解できます。

欧米の子供たちは、日本のマンガを翻訳された言語で読むうちに、我々が気づかないところ、そこに日本の魅力を直感的に感じ、それを知るためには今の日本からの情報発信では不十分だから、直接に日本に行き日本語で尋ね知りたい、という欲望があるからと思います。

つまり、日本には、欧米とまったく異なるものがある故だと思わざるを得ませんが、この事実を日本人は分かっていないと、これまた思わざるを得ません。

坂の上の雲

NHKで放映されている「坂の上の雲」、制作の西村与志木プロデューサーが、ホームページで次のように語っています。

「司馬遼太郎氏の代表作ともいえる長編小説『坂の上の雲』が、完結したのは1972(昭和47)年とのことです。それ以来、あまたの映画やテレビの映像化の話が司馬さんのもとに持ち込まれました。無論、NHKのドラマの先輩たちもその一人でありました。しかし、司馬さんはこの作品だけは映像化を許さなかった、というように聞いています。
『坂の上の雲』が世に出てから40年近い歳月が流れました。そして、今でもこの作品の輝きは変わっていません。いや、むしろ現代の状況がもっとこの作品をしっかり読み解くことを要求しているのではないでしょうか」と、今が絶妙のタイミングだと自負しています。

司馬遼太郎の作品は翻訳できない

「日本辺境論」(内田樹著)に「日本を代表する国民作家である司馬遼太郎の作品の中で現在外国語で読めるものは三点しかありません。『最後の将軍』と『韃靼疾風録』と『空海の風景』。『竜馬もゆく』も『坂の上の雲』も『燃えよ剣』も外国語では読めないのです。

驚くべきことに、この国民文学を訳そうと思う外国の文学者がいないのです。いるのかも知れませんが、それを引き受ける出版社がない。市場の要請がない」と述べ、続いて「あまりに特殊な語法で語られているせいで、それを明晰判明な外国語に移すことが困難なのでしょう」とありますから、日本で最も有名な国民作家が、外国では全く無名というのが事実でしょう。

さらに、渡辺京二(選択2011.11)は、司馬小説は「小説としての『スカスカ』度は増していき、『坂の上の雲』に至っては『講釈が前面に出て小説はどこか行方知らずになってしまった』と断じ『司馬という作家から小説の提供を欲するもので、歴史に関する講釈を聞きたいのではない』とも論断しています。

今まで司馬遼太郎批判は、出版界でタブーでしたが、グローバル化という視点から検討すると、様々な解釈がなされ始めているのです。

村上春樹は国民文学でなく世界文学

村上春樹の「ノルウェイの森」が映画化されました。早速に満員の映画館で観ました。配役は全員日本人で、日本語ですが、監督はトラン・アン・ユンというベトナム系フランス人で、脚本も彼が担当しています。

村上春樹という人物は、東京の街中を歩いていても、殆ど誰にも気づかれない存在だと、自分で語っているように地味な風采らしいのですが、村上小説の物語は世界中から受け入れられていて、今や最も世界で読まれている日本人作家であり、数年前からノーベル賞有力候補者といわれています。

村上本人も、日本のマスコミを避けている節が強く、日本のマスコミには殆ど登場しないのですが、時折、外国でインタビューされた内容が雑誌に出ます。昨年の8月は、ノルウェイのオスロで村上作品を紹介する「ムラカミ・フエスティバル」に出席した際の講演会入場券が、わずか12分で完売となったこと、これは他の文学イベントでは想像できない勢いだとノルウェイ最大の新聞「アフテンボステン」がインタビュー記事とともに報道しました。

村上小説には、日本人のみが登場し、日本のみが舞台なのに、今や日本の国民文学ではなく、世界文学になっているのです。つまり、村上は「世界に向けて情報化」編集を行った結果、国際標準化レベルを創り上げ、それに基づいて物語を書いているのです。

日本を情報編集して再発信する

観光庁の担当官に伝えたことは、日本の温泉を村上春樹流に編集し発信すべきということでした。

現在、平成の開国が必要だと考えている日本人が多いのが事実ですが、一方、外国人から見た日本は魅力に溢れているにもかかわらず、それを外国に向けて発信していないという指摘があるのですから、情報面での開国は滞っています。村上春樹から学ぶべきでしょう。以上。

投稿者 Master : 2011年01月06日 08:44

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