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2010年12月20日

国際化とグローバル化(後)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年12月20日 国際化とグローバル化(後)

舛添要一氏の発言

12月16日に新党改革代表の舛添要一氏の講演を聞きました。東京大学卒業後ヨーロッパに留学、パリ大学現代国際関係史研究所やジュネーブ高等国際政治研究所の客員研究員などを経ています。なかなか鋭い内容でした。私が印象に残ったのは次の二つです。

一つは、厚生労働大臣時代に、後任の長妻昭前大臣が細かい、さしたる重要性のない議員質問を連発し、そのために国会に足止めされ、海外からの諸会議出席要請を殆ど断らなければならなかった事。これは大臣が海外出張出来ないシステムで問題だと思いました。
もう一つは、日本の家電メーカーが、サムスンに「束になってかかっても敵わない」実態に陥っているという事実認識でした。政治家もサムスンについてよく承知しているのです。

ドイツ・カールスルーエにて

11月末のドイツ・カールスルーエの街は雪で、マルクト広場のクリスマス・マーケットも白く、市電も寒そうでした。その様子が新聞に出ましたので写真を紹介します。
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写真の市電は街中を縦横に通っていて、タクシーが必要ないほど便利で、宿泊したホテルからは滞在中の期間、無料カードが提供されます。ということは東京のようなSuicaスイカシステムではないということです。
この街に先日JR東日本が訪れSuicaの説明会を開き、そこに出席していたカールスルーエの関係者から、説明会場全体の雰囲気が「よくわからなかった」という状況だったと伺いました。市電カードで慣れている地元の人々には、見たことがなく、初めて聞く先端システムのSuicaは理解できなかったのです。これを聞き、改めて、日本の問題点を痛感しました。

バーデン・バーデンにて

ドイツでは雪の中バーデン・バーデンにも参りました。バーデン・バーデンとは温泉を意味するバ-デンという名を二つ持つ「温泉の中の温泉」であり、世界でもっとも有名な温泉地であると共に、今や「温泉と観光・文化とコンベンションの街」という総合観光都市に発展している人口5万人の街です。

2009年3月には、アメリカのオバマ大統領が、ここでメルケル独首相と会合し、マルクト広場から市役所、オ-ス川を渡りカジノ前まで散策したように、ここは「ドイツが誇る美しい街」として評価されています。そこで、この街を取材するため、小高い丘の中腹の元は城と思われる観光組合を訪れ、組合長の女性から説明を受けました。彼女のオフィスは、二方向に窓が大きく開かれ、バーデン・バーデンの街並みが見渡せ、その窓を背景に大きいコの字方デスクを配した、大きくて素晴らしい環境でしたが、最も感じ入ったのは彼女から発する「この街が本当に好きで愛している」という情熱説明でした。

その説明で、この街の魅力を十分に理解したと考えましたが、把握した内容が、彼女の情熱説明と合致しているだろうか、受けとめ方にズレがないだろうか、その点を確認しようと、こちらの認識内容を伝えました。
「バーデン・バーデンの温泉を健康と理解し、観光・文化を歴史文化と理解し、コンベンションを経済とすると、この三要素のバランスがとれている街で、そこを貫くコンセプトは『エレガンス』でないか。つまり『エレガントなバランス』がこの街のコンセプトだ」と。
彼女が大きく頷きました。これで双方理解が一致したので原稿を書き終えたところです。

日経新聞社の企業総合評価

12月9日の日経新聞一面は「企業総合評価NICES」の報道でした。一位キャノン、二位ホンダ、三位武田薬品で、企業評価上位の常連であった三菱商事は19位、トヨタ自動車は25位、日産自動車は27位、銀行の順位は探すのに苦労するほどの位置づけです。

解説に「過去半世紀の米国を引っ張った『株主価値の最大化』は曲がり角にある。近視眼的な株高経営を反省し、ジョンソン・エンド・ジョンソンやプロクター・アンド・ギャンブルの安定経営を再評価するのが、今の米国だ」とあり、「顧客は何を求めているか常に真摯に考え、自らの社会的意義を問う組織が持続的に安定した利益を上げられる」と述べています。

これを読み、ようやく日経新聞も「世界から日本を見る」という立場になったなと理解しました。というのは、今までは利益額とか規模とか投資額で企業を評価していたのが「顧客が何を求めているか」を重要な評価基準とし、その「顧客」という存在を「世界の顧客」と受けとめ、積極的に活動しているグローバル化企業が上位になっていたからです。

サムスンの改革

実は、サムスンが日本企業に先駆けて、いち早く改革したのは、この「世界の顧客が何を求めているか」であり、その顧客の主力を経済成長躍進著しい「新興国」においたことです。

サムスンが本当に改革しようと覚悟したのは、1997年7月のタイから始まった「IMF危機」でした。IMF(国際通貨基金)の支援を受けなければならないほどのショックが韓国経済に走ったのです。GDPは四割減になり、IMFからは「お金を借りたいなら生活を切り詰めろ」という国家として屈辱的な指示を受けざるを得ない状況で、給料は三割、四割カットが当たり前でした。

この「IMF危機」を契機としてサムスンは考え抜きました。技術力では日本企業に敵わない。しかし、日本に対抗し、追い抜くには、技術力ではない、別の何かがあるはずだと。

自らの弱点を克服する方法として、相手の強みである日本の技術力に対抗するのではなく、日本企業が手抜かりしている方向に目を向けたのです。ここがサムスンの逞しいところです。

それは「技術の使い方」の工夫です。技術があっても、その技術が「顧客の求めるレベルと異なっている」場合は、その技術力は効果が発揮しません。そこで採用した戦略は「顧客が求める技術に変換して提供する」ということ、つまり、新興国のレベルに対応した技術力の製品づくりに特化したのです。ということは、日本の技術力から、新興国の生活水準では進み過ぎている先端技術をふるい落とし、削り、カットして行くということになります。

具体的にいえば、あまりに優れている日本製品を解体し、分析し、該当新興国にとって不必要な技術部分を取りはずし、その国の顧客にふさわしい商品につくり直し、それを投入していくという戦略を採用しました。うまくて、ずるい方法です。

ただし、この戦略を成功させるために必要不可欠条件は、ターゲットになる国の情報について、そこに住
む人と同じか、それ以上に精通しなければいけません。

そこでサムスンは、「地域専門家」の育成に全力を注ぎました。情報収集のスペシャリスト人材の育成です。その人材によって、その国と地域の情報を徹底的に集め分析し、それに合わせた技術力に修正し、その国の「顧客が何を求めているか」に対応した商品づくりを実行したのです。孫子兵法の「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」の実践です。

考えて見れば当たり前のことで、サムスンの成功はセオリー通りに展開した結果です。

日本が対応すべきこと

優れた技術力を持つ日本企業が「束になってかかっても敵わない」という舛添発言の背景は簡単でした。だがカールスルーエのSuicaの事例はこの対応が未だしという証明です。

全ての物事は相手との対応力で成否が決まります。そこで相手が「何を求めているか」を常に問う姿勢と実践が重要です。今迄の日本の国際化とは、外国に勝る技術力を開発する事に特化していました。

グローバル化とは、この国際化レベルに、相手国の顧客視点を加えることだというサムスンからの教示、これは企業と個人にも該当する成功セオリーです。以上。

投稿者 Master : 2010年12月20日 06:17

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