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2010年12月05日

2010年12月5日 国際化とグローバル化(前)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2010年12月5日 国際化とグローバル化(前)

パリのデザイン企業

パリの6区、このエリアはサン・ジェルマン・デプレ教会があって、セーヌ川にも面している地域。その一角の細い迷路みたいな路地を通って、ひとつの古びた石造り建物の前に立ち、重いドアを開けて中に入ると、そこは中庭で意外に明るいスペースが広がっていました。

中庭に面した通路の突き当たりのドアを開けると、まだ若いフランス人男女が日本式と思えるぎこちないお辞儀をします。握手の前に頭を下げるのを見て、これは日本に関心高いなと思いました。

会議室に入ると、テーブルが部屋の角から対角線に置かれています。日本はどこに行っても壁と直角に、スクウェア四角直線的な配置でテーブルが並べられていますが、フランスはどこでも斜めスタイルで、ここに国民性と文化性が現れています。

企業変革した結果

社長が挨拶しながら出てきて、気負いなく静かに自社の状況を語り出しました。
「印刷業から15年前にIT企業に変革させ、インド企業を買収し、そのインド企業が日本の大都市からITシステムを受注したので、来春日本に行く」と。

ほおーと思い、どういうシステムですかと質問すると、自分でパソコンを開いて「例えばエクセルだが、今まではインプットと図表作成が時間差作業だった。今回のシステムは同時に同じ画面に配置できるので、スピードと見る側へ働きかける感度が全く違う。これを様々な分野で活用できると、日本の大都市が目をつけたのだ」と語ります。

そこで現在、私が課題にしていることを伝えると、すぐに次回パリに来るまでに作業しておいて提案すると言います。今までのフランス型商売は、必ずお金を受け取ってから作業に入るのが常でしたから、これには驚きました。無料で提案するというのです。

さすがに時流をつかんでいるベンチャー企業は違う、ということを現場で認識し、フランスでも時代が企業をドンドン変えていくということを感じました。

サムスン電子

シャルル・ド・ゴール空港からパリに車で入るには、必ず環状高速道路を通過して市内に入りますが、その環状高速道路に入るポイントのビル屋上には、昔から企業名の電飾看板があります。

つい、10年前までは日本企業名が電飾看板として目立っていました。ところが、今はサムスンです。少し離れたビルにはLGです。また、世界中の国際空港で見るテレビもかつては日本製でしたが、現在はサムスン製に代わっています。

サムスンは今や韓国GDPの15%も占める規模にまで成長したのですが、どうしてこのような状況までに躍進したのでしょうか。それを今号と次号で検討してみます。

どうして日本企業を追い抜いたか

サムスンの経営実態については「危機の経営」(畑村陽太郎+吉川良三著 講談社)に詳しいのですが、先日、吉川良三氏のお話を聞く機会があり、改めて同書を読んで感じたことをご紹介したいと思います。詳しくは同書を参考に願います。

ご存知のように、かつての韓国企業は日本の技術を導入するだけの製品づくりで、世界の市場では常に日本の後塵を拝していました。

この状態から脱皮したい、サムスンの経営を改善させたいと、会長の李健熙イゴンヒ氏が「妻と子以外はみんな変えなくてはいけないと思っている」という強靭な想いから改革を進めました。

まず、最初に打った手は

李健熙会長がはじめた方法は当たり前とも思えることからでした。
まず、グループの幹部を引き連れてドイツ、日本、アメリカなどの先進国を訪れ、グループの事業や他企業の様子を視察しながら、サムスンをどのように変えるべきかの話し合いを、その現地で行ったことです。

これは明治維新の際、日本が採用した伝統的な手段です。明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣された、岩倉具視を正使とし、政府のトップや留学生を含む総勢107名で構成された使節団のことです。
政府のトップが長期間政府を離れ外国を訪れるというのは異例でしたが、肌で西洋文明や思想に触れたという経験が、彼らに与えた影響は大きく評価され、留学生も帰国後に政治、経済、教育、文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献しました。

これと同じことをサムスンは1993年に行ったのです。改革の前に先進国・先人から学ぶというのは、時代が変わっても、常に変わらないセオリーなのです。

他社製品との客観的評価の実施

次に、改革に取り組むには自社の実力を客観的に評価する。これが重要な前提条件であり、改革を始めるためのセオリーです。

そこでサムスンは、自社製と日本製のテレビを見比べました。外見はさほど変わらないものの、カバーを外して中を見ると、その差は歴然でした。日本製のテレビは部品や配線が無駄なくきれいに整って並んでいるのに対し、自社製のものは、部品も配線もごちゃごちゃでした。それを見た会長は「こんなものしかつくれないなんて、今まで何をしてきたのか」と激怒したのです。

その次にはデザインの評価です。何人かの幹部と共に、自社製と日本製のテレビを見比べるよう、メーカーのロゴを隠して状態で、自分が買うとしたらどちらを選ぶかを幹部に聞いてみると、その場にいる人たち全員が日本製を選んだのです。こうやって自社の評価を客観的に算定していきました。

韓国人の国民性の是正

冒頭のフランス企業のテーブルの配置の仕方、これは国民性でフランスの文化性です。
隣のドイツ企業にもよく行きますが、ここでは日本と同じくスクウェア四角直線的な配置でテーブルが並べられています。隣国でも国民性と文化性が全く異なるのです。

同様に韓国にも根強い国民性・文化性があります。それは「個人主義」ということです。

日本ではチーム制で仕事するのが常識ですが、韓国では深く根ざしている個人主義のため、サムスンのエリート幹部は格下と見ている現場には行きたがりません。現場を軽視し、現場を把握しないで仕事をする傾向が強いのです。

個人主義には別の問題もあります。個人主義は自分の非を認めると、すべての責任を個人がとらなければならなくなるので、これを避けるために、上司から指示されたことしかしないということになりがちです。
また、失敗した時には、「環境が変わったのでうまくいかなかった」「他の組織が協力してくれないから仕事が進まない」というような責任転嫁を平然と行うのが普通です。

このような国民性と文化性によって発生するもの、それがグローバル企業になろうとするときには大きな弊害となります。このような韓国人の実態を日本人はよく把握し、韓国と取引や交渉を行うことが必要でしょう。サムスンの事例を自らの教育にすることです。

日和見主義

韓国の企業では、日本のような定期人事異動はありません。異動があるのは、あるレベル以上の役員と、その部門に問題が起こった時だけです。

しかし、その異動が発生すると、つまり、上司が変わると、それまでに仕事の方針や仕方が大きく変わります。これは日本でも同様ですが、日本より振幅が大きいのです。
そのように上司の異動は、自分の仕事の大変化を意味し、そこに個人主義ですから、変化によって自分が損を被らないことを常に考えていますから、上司の異動の噂が出回ると、途端に部下は仕事をしなくなり、その部門の動きがすべて止まってしまう、というような事態が多く発生するのです。

これらの国民性と文化性を変えさせたもの

では、サムスンはこのような問題ある国民性と文化性をどのようにクリアしていき、世界のトップになったのか。最大のピンチをチャンスとした改革ポイントは次号です。以上。

投稿者 Master : 2010年12月05日 18:15

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