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2008年02月08日

2008年2月5日 エジプト・ナイルの賜

環境×文化×経済 山本紀久雄
2008年2月5日 エジプト・ナイルの賜

日経新聞で紹介される
昨年末に出版しました「ぬりえを旅する」(小学館スクウェア)が、1月17日(日)日本経済新聞図書欄で紹介されました。小さな掲載記事ですが、経済紙のメジャーが取り上げてくれたという意味、それはこの本が、時代の動きと、どこか重なっていること、それが評価されたのではないかと、素直に喜んでいます。
引き続き、「ぬりえを旅する」二冊目出版のため、エジプトを訪れました。


ナイル川クルーズ「エジプトはナイルの賜」という有名な言葉があります。前五世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスが述べたものです。この言葉どおり、ナイル川のお陰で、エジプトは世界四大文明を遺したのです。
したがって、エジプトを理解するには、ナイル川を体験しなければ話になりません。
しかし、どうやって体験するか。ナイル川の辺に立ってみるか、ナイル川に入ってみるか、ナイル川の中から岸辺をみてみるか、様々な体験方法がありますが、何といってもナイル川はアフリカ中央部、ルワンダ共和国のカゲラ川を水源とし、全長6600メートルを超える世界最長の川であって、エジプト国内に入ってからも1500キロメートルもある巨大な自然です。加えて、地域によってナイル川の持つ自然条件が異なり、一地域を切り取るようなスタイルでナイル川を体験しても、ナイルの賜という意味合いは理解できません。
そこで、今回はナイル川クルーズ三泊四日の旅、行程はアスワンからルクソールまでの200キロメートルに乗船してみました。エジプト国内1500キロメートルのうちのたった200キロメートル、ごく僅かなナイル川の体験のため、当然、不十分さは承知していますが、少しでもエジプトを理解しようと、クルーズに乗船したのです。

アスワン・ハイダム
クルージングのスタートはアスワンです。エジプト最南端の町で、スーダンとの国境まで350キロメートル、アスワンまでカイロから飛行機で行きました。
アスワンを世界中に知らしめたのは、1960年から70年にかけて、旧ソ連の協力で建設されたアスワン・ハイダムです。エジプト社会を発展成長させるためには、農地を増やし、増える人口を養い、工業化もしなければならない。そのためには、アスワンにダムを造って電力を起こし、灌漑を行い、農地を広げようと、幅3600メートル、高さ111メートルのダムを建設しました。また、その結果生まれたのが全長500キロメートルにおよぶ人造ナセル湖です。大きさは琵琶湖の7.5倍もあります。
 折角来たのだから写真を撮ろうと、堤防上に設置された展望所から、ナセル湖と下流に流れていくナイル川、それとソ連との建設記念塔などに向かってシヤッターを押していると、突然、どこからともなく一人の兵士がこちらに向かって走ってきました。手には当然ながら小銃を持っています。
しかし、当方は何も悪いことはしていないので、自分とは関係ないだろうと無視して、写真を撮っていると、こちらの目の前に立ち、怒り顔で、
「今、ズームを使用しただろう」と叫びました。
 予想がつかない詰問に、何と答えてよいか分からないので、黙っていると「ズームは禁止だ」と厳しい顔つきで、一歩前へ迫ってきます。
 そこで「ズームは使わない」と答えると、「いや、今、使ったように見えた」「使っていない」「使った」「使わない」。二三回言い合いしているうちに、最後は兵士があきらめ向こうに去っていきました。実はズームを使って撮影したのですが、危険を感じたので使用しないと言い張ったのです。だが、どうして遠くにいた兵士が、こちらのズーム使用を分かったのか、それが今でも不思議であるほど、警戒が厳重なのです。
 
何故にズームが禁止なのか
最近はデジタルカメラにも高倍率のズームが付いています。3倍ズームが多いのですが、6倍や10倍といった機種もリリースされています。このズームレンズは1カ所から広い画角や狭い画角がズーム操作ひとつで簡単に切り替えられます。高倍率ズームなら、離れた場所からでも遠くの被写体を大きく写すことができること、これが一番のズームレンズの効果です。
ということは、ナセル湖には何か撮影されては困る存在物、それは軍事的に重要なものが遠くに存在していて、それをズームでクリアに撮影されてしまうと、エジプト軍隊が困る事態になる恐れがあるもの、それがあるからこそ禁止しているのです。
そこで、地元の人にズーム撮影禁止の理由聞いてみますと、もし仮に、アスワン・ハイダムが破壊されるようなことになったら、水が一気に流れ出し、ナイル沿岸は8時間以内に全部埋まってしまうといいます。つまり、カイロ市内は大洪水になってしまうのです。だから、その危険防止で軍隊が守っているのです。実際に、第四次中東戦争時、ダム防衛のため高射砲でイスラエル空軍の攻撃を防ごうとしましたが、簡単にペイント弾を落とされ、この恐怖でエジプトはイスラエルと講和したといわれているほどです。

フルーカの若者
ナイル川にはフルーカという、帆で動く船がたくさん浮かんでいます。観光客を乗せるもので、ヨットをイメージしていただくとよろしいと思います。このフルーカは、風だけで動かす、つまり、帆で動く船ですので、結構、操作テクニックがいるようです。
そのひとつに乗ってみました。帆を操るのは色黒の現地ヌビア人男性で、20歳代の後半に見えます。裸足で船内を動き回り、風の向きを巧みに扱って、ナイル川の上をすべるように走り始めました。ナイル川のゆったりとした流れの上の風が、涼しく頬に当たり、船の動力は自然ですから、一切音はなく、鳥の声と岸の向こうから聞こえてくるコーランの祈り声ばかりです。
フルーカはナイル川の観光名物ですが、ふと、このフルーカはどのくらいするものか。それを若者に聞いてみました。答えは、フルーカの面積一平方メートルあたり1500ポンド(3万円)だといい、乗船したフルーカは7平方メートルだから約一万ポンド
(20万円)。若者が買うにはちょっと高いと思ったので、あなたの所有物かと確認してみると、違うといい、オーナーがいて、週3日間この仕事に雇われているといいます。後の4日はどうしているのか、これには「何もしていない」との答えにショックです。
いい若者が週3日しか仕事がないのです。生活が大変だろう思い「結婚しているのか」と聞くと、「まだだ。だけど恋人はいる。写真見たいか」、頷くとポケットから一枚の写真を渡してくれ、見ると少女と本人が並んでいます。若者の肩くらいしか身長がありません。「学生か」「そうだ、16歳だ」「エッ、すると君は何歳か」「20歳だ」。まじまじ顔を見てしまいました。老けている!!「ところで何年この仕事をしているのか」「10年している」この答えに返す言葉がありません。
つまり、10歳ごろから船の操作をしていることになり、そうすると学校に余り行っていなかったことになります。さらに「僕の収入はチップだけ。オーナーからは貰っていない」に、うーん、またもや考え込みました。
フルーカ体験は楽しかったのですが、エジプトの若者の実態を垣間見た気分で、心が少し重くなって、その分、下船時にチップを弾みましたが、この程度で若者の生活が向上するわけがありません。社会全体のシステムが問題です。
エジプト政府の発表で失業率は9.1%(2006年)ですが、若者の失業率は実際には20%を超えるようで、特に、大学卒業者は5人に2人は就職できないのが実態だと、地元の人が語ります。

クルーズ船のゴミ処理
 フルーカから上陸し、堤防の上を歩いてクルーズ船に戻ったとき、ギョッとする光景にぶつかりました。それは、クルーズの最後部甲板から、どっとゴミがナイル川に落とされたのです。乗客が出したゴミ、船のゴミ、それらがナイル川にそのまま捨てられる。当然、分別処理などはしておりません。環境問題が世界の課題で、洞爺湖サミットの議題となっていますが、世界四大文明発祥の地エジプトでは、ゴミ処理やアスワン・ハイダム建設による影響、そり他の環境問題があります。次号もエジプト報告です。以上。

投稿者 staff : 2008年02月08日 10:08

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