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2007年10月20日

2007年10月20日 閾値(いきち)

環境×文化×経済 山本紀久雄
2007年10月20日 閾値(いきち)

ミステリーツアー
ようやく秋になりました。旅行社から毎日のように旅行案内が届き、新聞に旅行広告が掲載されます。その中で「さわやか名湯ミステリーツアー3日間」が目に入りました。
そうか、さわやかな秋だ、温泉に入るのもいいなぁ、もう紅葉も色づいているかな、多分この時期だから北海道か東北だろう。早速、申し込みしました。


旅行社から案内パンフレットが送られてきました。初日は羽田空港から「とある空港」へ。そこから「とある観光地」を経て「とある温泉ホテル泊」とあります。翌日も「とある観光地」経由で「とある温泉ホテル泊」と書かれているのを見て、期待は膨らみます。
どこへ行くのだろう。九州や四国はまだ暑いし、台風の恐れもあるから旅行社も安全を考慮して、ら絶対に北海道か東北に決まっている。そうならば寒いのでセーターをバックに入れないといけない、いろいろ考えながら準備に時間をかけ、出発当日は早起きし羽田空港に向いました。
羽田では、もうすでに多くのミステリーツアー参加者が集まっていました。さて、どこの空港に行くのだろう。ツアー団体専門カウンターでチケットを貰ってガッカリとビックリ。何と四国の松山空港行きになっているではありませんか。完全に期待と予測は外れました。ミステリーツアーなのですから、期待に反しても文句は言えません。行き先を知らせないという企画で、それを承知で申し込んでいるのですから当然です。
さて、松山空港に着きますと、添乗員が待っていて、全員が揃ってみると、何とバス三台という人数です。随分人気があるのです。これが毎日催行されているのです。
バスに乗ると、添乗員が最初に発言しました。「本日はありがとうございます。このミステリーツアーが四国と思って参加された方はいらっしゃいますか」、答えはゼロです。
全員が四国以外、それは北海道と東北を予測していたのです。後で添乗員に確認すると、他の日にちの参加者も全く同じ傾向だと苦笑します。
ところで、外国でもこのようなミステリーツアーがあるのでしょうか。具体的に調べていないので確実には言えませんが、多分、外国にはないと思います。
家を空けて旅行に出かけるのに、その行き先も宿泊先も確認しないで、事前にお金を払い込んで、到着空港に着いてからも、その先の行程が明確でないままに観光し宿泊先に向う。もし仮に、テロ組織がこのような企画を催行して、バス一台の人たちを誘拐しようとしたら、簡単に出来ます。だが、そういう危険性を全く考えない人たちが、毎日バス三台もの人数がいるという現実、改めて、日本の安全性の高さを確認しました。

沈下橋
一泊目は足摺岬でした。岬への遊歩道入り口にジョン万次郎の銅像が立っています。なるほど、万次郎は秘密結社フリーメイソンかと、銅像の手が持つ「コンパスと直角定規」を確認し納得しました。フリーメイソンのシンボルマークは「コンパスと直角定規」です。
バスが駐車した前は、四国お遍路の第38番寺「金剛福寺」です。この寺には嵯峨天皇勅額の「補陀落東門」があり、山門前にも「補陀落東門」との碑があるように、ここが「補陀落浄土(観音菩薩が住む浄土)」へ渡海するための道場でした。昔はこの寺のように海岸沿いの道や土地のことを「辺地」(へち)とか「辺路」(へじ)と称していましたが、その後、弘法大師信仰が四国に広がって、「辺地」「辺路」は、「偏禮」「邊路」と変わり「遍路」と変化したと言われています。 
また、別の説では、この「辺」という言葉には「さかい、はて」という意味があることから、験が良くないため「邊」や「遍」などに変わったとも言われていますが、今でも四国ではこの「さかい、はて」の感覚が残っていると思われる場面を見つけました。
 それは四万十川に架かっている「佐田の沈下橋」を見た時です。沈下橋とは橋の上に「欄干が無く」水面からの高さがあまり高くないことが特徴で、これは、増水時に、橋が水面下に没し、流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になることを防ぐためであり、また、壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もあると説明され、四万十川には支流も含め47の沈下橋があります。
「佐田の沈下橋」は長さ291.6M、幅は4.2Mです。橋の上を歩きだして、中央あたりに行った時、向こうから自動車が来ました。そこで端によって避けようとしましたが、急に足がすくみ、立っていることが出来ずしゃがんでしまいました。
橋の幅は4.2M、向こうから来た車の幅は1.8M、残りの幅は2.4Mとなり、それが車の両側に分かれますから、片方が1.2Mずつとなります。この幅を人が車を避けて安全に立ち続けるに十分なのか、それともこの幅では不安となるのか。
通常、人と人とが直線に並んで歩く間隔の幅距離、これ以上詰めるとお互い息が詰まるという、いわゆる臨海距離は1Mと言われています。また、広がって歩行している時は、1㎡当たり約1.8人で、これはお互いの幅距離は50cmに相当します。これは、ホールや劇場などから退出する場合、お互いの幅距離を50cm以上詰めない方が、全員が出終わる時間が短くなることを意味しています。
「佐田の沈下橋」上に車が来た時、この臨海距離で車との間隔を50cmとり、次に自分の体の幅として60cm、そうすると片側の1.2Mの残り幅は僅か10cmとなりました。その向こうは「欄干がない」という「さかい、はて」、これを越えますと川底に直下することになりますから、足がすくみしゃがんでしまったのです。

閾値(いきち)
 我々の体が行動するスタイルには、臨界値というものがあり、普段からこの臨界値を守りながら行動しているのです。そうでなければすべてやりすぎということになりますが、実は、この体の内部に潜む具体的臨界値を我々はよく知らないのです。暗黙値です。
 例えば、10Mほどの道幅がある場合、誰でも問題なくその道を歩けます。しかし、人間工学的に計算するならば、人が歩くには10Mの道幅は必要がなく、せいぜい3から4Mくらいあれば十分ですから、その道幅だけ確保し、両側を削りとり、その両側を切り立った深い崖や谷をつくって、「さぁ、どうぞ」と言われても、誰でも足がすくむでしょう。
 すくむ状態になる幅・地点がどこかにあるのです。逆に、すくまない道幅として何M以上ならば大丈夫だという幅ポイントがあるのです。これは、その人の精神や意識、考え方やイメージ、感覚や行動のなかに知らず知らず持ちかかえているものによって異なってきますが、これが、実は変化点なのです。
このある時点からある時点へ変化するポイント、それを閾値と言います。もし自分の閾値を知っていて、それをうまくコントロール出来たとすれば、その人の行動はリズミカル・スムースで、何事も問題なく進められ、日常生活は大きく変化するでしょう。

ティッピング・ポイント
 この閾値ポイントを社会的に考えたらどうなるか。人間集団ですから、そこには多くの人が共通する閾値ポイントがあるはずです。それを知ってうまく活用すれば、社会全体が大きく変化するはずです。
 これを活用して成功した事例はニューヨーク(NY)です。1990年代に入ってから、NYの治安は劇的に改善し、今では女性の夜の一人歩きもできるようになりました。
 この劇的改善対策ポイントは、警察官の増員などの直接防止策ではなく、それは「地下鉄の落書き清掃作戦」でした。それまでの落書きは酷い状態で、清掃作戦は1984年から90年まで続けられました。一見、治安と関係ない落書き清掃作戦を選定した根拠は「割れた窓」理論です。ある家で一枚のガラスが割られたとします。仮に割れたガラスをそのままにしておくと、次々と他のガラスも割られていき、あっという間に荒廃した家になっていくというのが「割れた窓」理論で、これをNYの治安対策の切り札として地下鉄の落書きに適用したのです。
 これは見事に成功しました。地下鉄の落書きが消えた時点を機に、NYの治安は劇的に回復し始めたのです。つまり、ある行動の累積結果が、ある一点を超えた瞬間に野火のように広がって、劇的転換するのです。この劇的転換する瞬間をティッピング・ポイントと言いますが、これは社会的な閾値を探り当てた事例です。

四国88ヶ寺お遍路とは
四国88ヶ寺の多くは海との「さかい」陸地の「はて」。弘法大師がお遍路によって教え遺した真意、それは自らの閾値を探ることを暗示しているのではないでしょうか。以上。

投稿者 Master : 2007年10月20日 12:36

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