« 「21世紀のアジアビジネスモデルを探る」 | メイン | 2007年9月例会の予定 (8月例会はお休みです) »

2007年06月20日

2007年6月20日 BRICs・・・ロシア編その二

環境×文化×経済 山本紀久雄

2007年6月20日 BRICs・・・ロシア編その二


ロシアの未来

 HISの沢田秀雄会長が次のように語っています。(2007年3月18日 日経新聞)
 
 「約30年前、まだソ連だったころのモスクワを初めて訪れた時に直感しました。『この国は滅びる』。壮麗な建造物の陰で進行する病のにおいがしました」と。

 確かに、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦 CCCP)は、世界最初の社会主義国家として、1917年のロシア革命を経て、1922年15共和国によって成立し1991年に崩壊しロシアとなったので、沢田秀雄会長の直感は当たりました。

 だが、ソ連後のロシアは、ゴルバチョフ、エリツィン時代の経済混乱を、プーチン政権が進めた資源外交、石油や天然ガスの輸出収入で国内を潤し、資金力を拡大した企業が積極的な拡大戦略をとって、中産階級にも浸透し、個人消費が伸びてきています。

 この動きが本物で、数年後にロシアは素晴らしい国へと変化しているのか。それとも再び低迷する国家に戻るのか。モスクワに在住する日本人でも見解は半ば反していました。

 いずれにしても、ロシアの動向は、ロシア自身にとっても、世界にとっても、勿論、日本にとっても大きな関心事ですから、注視しなければならない国です。

ロシアという国の成り立ち
 
 司馬遼太郎は、次のようにロシアを若い国と見ています。

 「人類の文明史からみて、ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史をもっていることを重視せねばならないと思います。ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか十五、十六世紀にすぎないのです。若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野性をもっているといえます」(ロシアについて 文芸春秋)

 ロシアにおける最初の国家は、862年に建国されたキエフ公国からで、その後、13世紀の始めにチンギス汗(君主)・モンゴル軍がやってきて征服され、ロシア平原に居座って、キプチャク汗国(ハンこく 1,243~1502)を立国し、ここに「タタールのくびき」といわれた暴力支配が259年間続き、ロシア農民に対して行った搾りは凄まじく、いくつもの貢税がかけられ、ロシア農民は半死半生にさせられ、反対すると軍事力で徹底的な抹殺を行うというやり方に、ロシア人は従うしかなかったのです。

 一方、この時期の西欧は華やかな幕開きでした。花のルネサンスが進行しつつあった時期に、ロシアでは「タタールのくびき」によって文化が閉ざされていたわけです。

 ようやくキプチャク汗国からの支配を脱し、モスクワを中心として、ロシア人のロシア国家が成立するのは、ロマノフ朝という専制皇帝を戴く王朝が17世紀に成立するまで待つことになります。日本で言えば江戸初期、大阪落城の直前あたりに相当します。

 ロシア人の文化感覚に重要な影響を与えているのは、この「タタールのくびき」で、国民の母型感覚、マザータイプとしての人間文化の奥にあるものに大きく影響させ、これがロシアというものの原風景にある、という事実を見逃してはならないと思います。

 外敵を異常に恐れるだけでなく、病的な外国への猜疑心と潜在的な征服欲、軍事力への高い関心、これらはキプチャク汗国の支配と、その被支配を経験した結果と推測します。


問題の数々・・・サービスの悪さ

 前回に続いてモスクワの問題点を列挙してみます。

 まず、レストランのサービスは最悪です。店に入っても「いらっしゃいませ」とは絶対に言いません。支払いを済まして帰る背中に「ありがとうございました」とも絶対に言いません。日本食レストランのよさの一つとして、日本式サービスの丁寧さが評価されていますが、モスクワの一流すし店には驚きました。店に入っても何も言わず、座ると黙ってウェイターがメニューを持ってくるだけ。すしは美味かったが、支払い明細伝票に「モスクワではチップ制です。従業員の励みになりますから、お気持ちをお願いします」と日本語で書かれているのを見て、急にすしの味が不味くなりました。チップを払う気にならないサービスなのに、チップを強要することはロシアの印象をさらに悪くします。

 しかし、このようなサービスではない日本食レストランもあることも付け加えます。一週間滞在中にモスクワ市内の日本食レストランに二度行って、一軒は酷いサービス、もう一軒は素晴らしいサービス。素晴らしいサービスの店はロシア人で満員で、酷いサービスの店は数組だけという現実、やはり、ロシア人も日本的サービスを期待しているのです。


問題の数々・・・離婚の多さ

 よくない印象と言えば、離婚の多さもあります。ロシア人は肌着を脱ぎ捨てるように離婚を繰り返すといわれています。離婚率はアメリカを超えているらしく、離婚の主な理由の一つは夫か妻のアルコール依存症です。ロシア人のウォッカ好きは有名です。

 離婚理由に兵役逃れ対策もあります。18歳から28歳までの男性は兵役の義務があり、大学生や病人で逃げる方法もありますが、28歳以下で妻と子どもがいれば兵営免除されるので、ロシアの男女は愛が実る前に、まず子どもをつくり、兵役逃れの必要がなくなるとさっと別れるといいます。


モスクワのよい点・・・地下鉄の素晴らしさ

 ロシアの悪い面だけ挙げては不公平です。よい点もたくさんあります。まず、経済が順調であることは既にお伝えしたが、問題の車渋滞対策は地下鉄によって救われます。

 11路線ある地下鉄は素晴らしい、という一言です。モスクワ滞在中、地下鉄乗車は40回しました。20回分の回数券を二枚購入し、使い切ったことでカウントできます。

 電車は二分間隔でプラットホームに入ってきて、停車時間は30秒。それが分かるのは、一番前の車両から見える位置に、電光掲示板で現在時間と、停車秒時間が表示されるからで、それをかっちり守って動いています。

 駅のホームやエントランス、天井には見事なレリーフ絵があったり、大理石の壁がつながっているところが多く、コンコースにゴミは無く、改札口の通過は日本のスイカと同じICチップ制で、日本より早く導入されています。

 さらに、車内で感心するのは、お年寄りに席を譲るということが自然に行われていることです。お年寄りが乗ってくるとさっと若者が立ち上がります。お年寄りを大事にするということが常識になっていると感じます。

 もっと大事なことは、地下鉄車内で見かける若い女性、美人が多いことです。スタイルもよく、眼の保養になるので居眠りする必要が無く、それとアメリカに見られるような巨大なデブは皆無。デブが消えたのは経済状態がよくなってきてからだと言われています。


モスクワのよい点・・・緑の多さと素朴な人柄

 市内の樹木の多さもすごく、通りに面して森が連なっています。市電に乗ると、森の中を通過するので、近郊の田舎かと思いますが、ちゃんとしたモスクワ市内であって、軽井沢に街が造られているという感です。

 家はたいてい高層アパート。その一人の女性の住居に訪問しました。森の中に点在するアパートメント群一角の二階、中は居間と寝室、台所、洗面所だけの狭いスペースに夫婦二人。この間まで長男が同居していたというが、どうやって三人が起居していたか疑問もつほどの狭さですが、お話はいたって率直。素直に自分をさらけ出し、打ち解けた雰囲気で対応してくれます。他の国より素直な感じを受けました。

 地下鉄の中でも、合気道と印字されたTシャツを着た若者から話しかけられ、一緒のかわいいガールフレンドからも英語で質問受けます。急速に英語が通じるようになっているようです。さらに、日本外務省管轄の独立非営利法人「日本センター」で、日本語を学ぶロシア人に同行者が講演しましたが、眼を輝かして聞く態度と、熱心な質問、それへの回答に対して頷き、明るい笑顔が印象的に残りました。


ロシア理解は難しい

 一般的に、ロシア人は個人で接すると素朴でおおらかで親切であるが、ひとたび集団化すると横柄な態度になると言われています。モスクワでお会いした人たち、皆さんにこやかで親切でした。しかし、その人たちが集団化して起こす違法運転や、レストランの無愛想な対応、この落差は何から来ているのか。多分、その要因はロシアが持っている過去の歴史を含む様々な要因が絡み合って、論じるのは難しいのですが、しかし、ロシアを結論付けしたい方は、渋滞と高額ホテルを覚悟しモスクワに行くことをお勧めします。以上。

投稿者 staff : 2007年06月20日 11:39

コメント