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2006年12月06日

2006年12月5日 情緒と形

環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年12月5日 情緒と形

戦艦大和

広島県呉市の「大和ミュージアム」を訪れました。JR呉駅を出て、多勢が歩いていく方向について行くと自然に着きます。人気があるので訪問客が多いのです。入館すると眼前に「戦艦大和」が突如として現れます。この突如という言い方は少しおかしいと思いますが、こういう表現が適切と思えるほど、始めて見る「戦艦大和」は偉容に溢れています。

実は「戦艦大和」の全形を捉えた写真は少なく、その少ない中で公試運転中、全速で大時化の中を走っている姿が写され残っています。この写真が素晴らしく、これが残っていなかったら、「戦艦大和」人気は今ほど沸騰しなかったのではないか、と言われるほどの名写真で見慣れた姿が眼前にあるのです。イメージと実物とが一体化しました。実物の10分の1の大きさであっても、日本刀のような繊細なバランスと、日本人の緻密丁寧感覚でつくった造形美が横たわっています。
昨年公開された「男たちの大和」という映画、出演者の少年達を募集しましたら、オーディションに約2000人が集まり、何度かの選抜を重ね絞っていくうちに、少年達の様子が変わっていき「同年代であつた少年が、このように戦って、みんな死んでいったかと思うと、仇やおろそかに演技ができない」という心境をもらすようになったのですが、これは「戦艦大和」で亡くなった3300人の気持が伝わったものと思います。
確かに、館内で遺された遺書を読み、テープの声を聞くと、出演者の気持ち同様、私もあの時代に生きていれば、敵艦に体当たりすることに疑問を持たなかったのではないかと思います。何故なら、日本全体が「その時代の雰囲気」になっていたのですから、死に臨む気持ちと、死に対する疑問感、それが今とは全然異なっているので、現在の感覚で評論しても意味がないのです。これは戦争賛美ではありません。その状況下では「その時に生きている感覚しかない」のです。
この日本人が持つ全体的な「情緒感」と、そのような情緒感覚になっていく「形」、これは日本人特有のものではないかと感じます。

六義園

寒い日でしたが、始めて「六義園」を訪れました。JR駒込駅近くの27,000坪もある広い日本庭園です。柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園したものですが、明治時代は三菱財閥の岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年(1903)に東京都に寄付されたものです。今まで多くの人から素晴らしいとお聞きしていましたが、まだ訪れたことがなかったのです。
庭園の中心には池が配置され、そこに趣のある島と石が配置されています。池の周りを歩き、池越しに紅葉が映えている景色を見ますと、これが日本の美しさであると改めて感じ、10月に歩いたニューヨークの「セントラルパーク」との違いを感じます。「セントラルパーク」の面積は「六義園」の約35倍ありますので、規模は比較になりません。大きな樹木が並び立ち、芝生が広がり、池ではボート遊びが出来るほど、テニスコートもあり、動物園も劇場もあります。当然立派なレストランもあります。また、サイクリングで走れる道路も整備され、スピード出して走っているので危険を感じるほどです。更に、広大な貯水池もあって、この周りを亡くなったジャクリーン・ケネディ・オナシスがよく走っていたというので、彼女の名前がつけられています。
二つの庭は発想が全く異なります。「セントラルパーク」はゴミ捨て場だったところを、世界初の都市公園として造りました。「六義園」は昔の中国の詩の分類法である六義、それにならった古今集の和歌分類「かぞえ歌、なぞらえ歌など」に由来したものですから、同一基準で比較することが間違いです。
しかし、園内を人が歩いて回るという行動については同じですから、短い訪問タイミングで両方を体験しますと、独りでに比較してしまい、その結果で感じるのは日本とアメリカの差であり、その意識差を2001年9月11日以後、しばらく行かなかったニューヨークを今年訪れ、改めて感じました。
ニューヨークは異なった人種がかき混じりあって住んでいるのに、一体化していなく、多様な文化は残ったまま、つまり、「サラダボウル」という感覚で、その中で生き抜いていくには「競争に勝つ」ことしかない、と会った人たちが一様に語ります。だが、その語り口の肩越しに、勝者になれないことを予測している「孤独」さが漂い、結果として発生する超格差社会を受け入れる、ひやりとした割り切り感覚があります。
つまり、論理中心に勝ち生きる社会の現実の厳しさがアメリカにあり、そういう感覚を根底に持って造った機能美が「セントラルパーク」だと思います。ところが、「六義園」は違います。園内を歩くと内省的にならざるを得ない感傷感覚が伝わってきます。和歌の世界の「情緒感」と「形」が伝わってくるのです。

皇居

次に行ったのは皇居です。いつも皇居前広場とお堀端から皇居を眺めるだけでした。
今回は一般参観として、多くの人と一緒に桔梗門の前に整列し、それも四列に整然と
30分前から並び、外国人も同じく整列に入れられ、皇宮警察官に引率され一般参観コースを歩きましたが、少しでも列が乱れると指摘され、元の四列に直されます。誠に厳しいもので、外国人はビックリでしょう。
富士見櫓を右手に見て、上り坂を左に曲がると宮内庁があって、その奥が「宮殿」です、という案内皇宮警察官の説明に違和感を持ちました。「宮殿」というにはあまりにも質素なのです。今まで多くの国でパレス・宮殿を見てきました。ロンドンのバッキンガム宮殿が代表するように、いずれも石造りの威圧感を与える構造となっています。
それに対して皇居は平屋建ての「宮殿」で、静かにそこに佇んでいる、という感じがします。また、毎年、新年と天皇誕生日に、宮殿の長和殿東庭に面したバルコニーで両陛下が祝賀を受けられるところ、参賀する人たちからあまりにも近い距離に位置していることにもビックリし、加えて緑の多さにも驚き、最後まで四列縦列で歩いて、皇居には典型的な日本の「情緒感」と「形」が表現されていると感じました。

秩父夜祭

最後は12月3日夜の「秩父夜祭」です。秩父市は埼玉県内にありますが、そこで開かれる三百数十年の歴史を誇る「秩父夜祭」に、ようやく今回行くことができました。
今まで行かなかったのは、とにかく秩父盆地は寒く、その寒い夜中に開催され、見物客が多すぎるという評判を聞いていましたので、長いこと逡巡していたのです。
実際に「秩父夜祭」の現場に立ってみると、熱燗を何度も手にしてしまう寒さと、息が詰まるほどの人ごみ、これは前評判通りでしたが、しかし、秩父神社からお旅所といわれる場所まで、元気な若衆によって掛け声と共に、豪壮に街の中を曳きまわされる六基の屋台と笠鉾は誠に見事です。素晴らしいの一言です。よくぞこういう伝統が何百年も残っていたと感動します。また、その曳きまわしの背景に、夜空の連発スターマイン花火が彩ります。更に、昼間は街の各地で屋台芝居の歌舞伎と、屋台囃子が演奏され一日中楽しめますが、問題は祭りの終わりが深夜になりますので、戻りが明け方になるということだけです。始めて見物した「秩父夜祭」にも、日本の「情緒感」と「形」が表現されていることを確認しました。

情緒と形

今年の流行語大賞は、トリノオリンピック金メダル荒川選手の「イナバウアー」と、「品格」です。「品格」は藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮新書)がベストセラーになったことかからですが、この本は「論理より情緒」「英語より国語」「民主主義より武士道精神」「経済大国より文化大国」「普通な国より異常な国」・・・それらが「日本が品格を取り戻す」ためのキーワードだと主張し、これが多くの人から共感を得ました。
この流行語大賞を機会に改めて「国家の品格」読み直しますと、「数年間はアメリカかぶれだったのですが、次第に論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになりました。数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。そして、『情緒』とか『形』というものの意義を考えるようになりました」(はじめに)と述べているところに強く共感いたしました。
そこで10月と11月は海外出張がないので、今まで訪れていない国内各地を回り、この「情緒」と「形」が、日本に確かに存在する事実を再確認してみたわけです。以上。

投稿者 Master : 2006年12月06日 09:49

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