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2006年05月05日

2006年5月5日 集団的催眠状態になる日本人

環境×文化×経済 山本紀久雄
2006年5月5日 集団的催眠状態になる日本人

財政赤字の本質
ゴールデンウイークも後半になって、各地からUターンの渋滞が始まっています。天気は快晴、気持ちよい五月五日ですが如何お過ごしですか。当方は事務所移転後の細かい後始末と、放っておいた草花の手入れと、原稿書きで過ごしております。

先日、自民党の片山さつき代議士のお話を聞く機会がありました。さすがに東京大学法学部卒で大蔵省の主税局勤務、その後フランスの最高レベルのENA(フランス国立行政学院)を修了しただけに、何でも詳しく現在の問題点を解説してくれました。その中で当然ですが、国家財政の赤字についてもふれ、解決策は行政改革と消費税の増額になるだろうとの見解でした。国と地方を合わせた2005年12月末の債務残高は800兆円で、GDP対比
150%程度、この改善策として外国からは「どこかの時点で増税してリカバリーするだろう」と見られているとも言っておりました。まだ日本の消費税が他国に比較し低いので、その分楽観的に外国から見られているという意味です。
しかし、この内容を聞きながら思ったことは、この巨額の財政赤字を発生させた張本人は、国の財布を管理している大蔵省に責任があり、その大蔵省に在籍していた片山代議士にも当然あるわけですが、その責任云々については一切言及しませんでした。バブル崩壊以後も公共投資重視の、ケインズ型経済政策を採ったのは大蔵省です。勿論、政治の力によって押し切られたとも思いますが、ヨーロッパ各国の非ケインズ経済政策に対して、日本は反対の従来政策を踏襲してきた責任、それについて何ら言及がなかったのです。経済政策の失敗が今日の巨額債務残高に拍車をかけたことへの説明、それが欠如していました。

集団的催眠
日本人は「物事を自分に都合よく動くという夜郎自大的な判断をする」というのが半藤一利氏の見解です。「例えば、第二次世界大戦のガダルカナルの戦い。最初は米軍の本格的な反攻でない、という判断で対策が後手後手に回ったが、これは起きて困ることは起きないという発想だった。ソ連の満州侵攻にしても陸軍は考えたくなかった。海軍は米艦隊を日本近海におびき寄せて撃滅できると夢をみていた。こういう発想を持つのは、小集団のエリートの弊害で、陸大や海大出の優秀な人材が集まった参謀本部や軍令部に絶対的な権力が集中していたからであった。その彼らは作戦を司る軍事学にはたけていたが、常識を教わっていない。ある種の『タコツボ社会』で、失敗してもかばい合って反省が次に生かされない。ノモンハン事件の参謀たちがそのいい事例だ。この戦争の指導者たちが陥った『根拠なき自己過信』は、何もその時代だけのものではない」(日経2006.4.20)。
この見解は巨額債務残高となったことにも重なり合います。終戦後展開してきた経済政策、高度成長時代を支えた見事なケインズ型経済政策、その効果がバブル崩壊という時代が反転した状況下でも通じると過信し、思い込み、それを声高に叫ぶ一部の政治家に圧され、集団催眠にかかったように、巨額の国債発行をくり返したのです。その事実を当時の政治家言動から振り返ってみます。
(小渕首相)世界一の借金王にとうとうなってしまった。600兆円も借金をもっているのは日本の首相しかいない(2000年度予算案提示時1999.12.12)
(宮沢大蔵大臣)大きな歴史から見ると、私は恐らく大変な借金をした大蔵大臣として歴史に残るんだろうと思います(2001年度予算編成記者会見時2000.12.20)
(亀井自民党政調会長)一家の稼ぎ頭の父ちゃんが倒れてしまったのだから、子供から借金しても栄養をつけさせないといけない(毎日新聞1999.11.14)
いずれも世界に類例のなき巨額国債発行であること、それを十分認識しているのですが、その効果を確証出来ず、しないまま、公共投資等を増額すれば経済が好転するという「思い込み」の集団的催眠状態で、国家の政治を推進していたのです。恐ろしい感覚です。
この集団的催眠状態を小泉首相がようやく覚まし、歯止めをかけましたが、残った結果は今日の財政惨状です。政治家と大蔵省の持つ世界的視野での経済認識、ベルリンの壁崩壊以後の世界経済状況激変、そのことに対する事実認識に問題があったのです。
これらの経緯について、大蔵省出身の片山代議士から何も発言がありませんでした。責任の所在を感じていないのだと思います。いずれにしても、日本人は思い込みが強く、いったん燃え上がると熱狂そのものが権威となって、多くの人々を引っ張っていき、引っ張られた人々も頑張り過ぎるということを、昔も今も続けているのです。危険な習性を持つ国民です。

熟成
ある人から連絡がありました。今日が誕生日でこのようなよい季節に生れたしあわせを噛みしめ、これからは更に熟成したいという内容でした。人は年齢とともに熟成していく。すばらしいことです。そうありたいと思っています。しかし、ここで考えなければならないことは、熟成という意味です。言葉として熟成の意味は分かりますが、人間としての熟成という意味をどのように理解するかです。ワインの熟成ならば樽に入っている年数で客観的に判断可能です。だが、人間の熟成はどうやって判断するのでしょう。例えば昨年の五月五日と、今年の同日を比べて、何がどのような変化したのか。それを比べる手段があるのでしょうか。年齢だけは生年月日が戸籍で確定していますから、明確に判定できます。
ところが、人間の内部に関する熟成はなかなか明確にはならないのですが、明らかに人は変化しているはずです。昨年と同じではありえないのが事実です。ですから、必ず人は熟成したいと願って行動していれば、その願いどおりに熟成していくはずですが、その根拠を明確し難いため、熟成度合いの判断は自分で自分を主観的に判断することになって、それは情緒的に自己評価することになります。
つまり、自分を自分で客観的に判断することが出来難いのですから、判断結果にその人の習癖が当然の如く表れることになり、自己流の熟成度合い判断になります。客観性に欠けることになります。半藤一利氏が言う「物事を自分に都合よく動くという夜郎自大的な判断」になります。ですから、自分で自分を熟成させるのはかなり困難で、特に「夜郎自大的な判断」をしたがる日本人には難しく、この習癖は国家運営の政治家にも官僚にも当然当てはまります。

山岡鉄舟の連載
このゴールデンウイークに、月刊ベルダ誌連載の山岡鉄舟六月号を書きました。この六月号でちょうど一年間掲載が過ぎ、二年目に入りました。この一年間、鉄舟の最大の業績「江戸無血開城」について展開し、現在はそのような偉大な業績を挙げ得る人物になれた、幼少年時代について書いております。鉄舟を研究すればするほど、鉄舟の偉大さに頭が下がり、このような人物が現在の日本に存在していたなら、集団的催眠状態に陥りやすい日本人に歯止めをかけてくれたと思います。
歌舞伎役者の八代目坂東三津五郎(1906〜75)も、同様のことを述べています。八代目は、歌舞伎界の故事、先達の芸風に詳しく、生き字引と言われ、随筆集「戯場戯語」でエッセイストクラブ賞を受賞していますが、何と鉄舟にも詳しいのです。
それもそのはずで「慶喜命乞い」の芝居を演じた際に鉄舟を随分研究して、次のように鉄舟を語っています。
「山岡鉄舟先生は、江戸城総攻めの時、あらゆる階級の人たちに会って『おまえたちが今、右往左往したってどうにもならない。たいへんな時なんだけれども、いちばんかんじんなことは、おまえたちが自分の稼業に励み、役者は舞台を努め、左官屋は壁を塗っていればよいのだ。あわてることはない。自分の稼業に励めばまちがいないんだ』と言うのです。このいちばん何でもないことを言ってくださったのが、山岡鉄舟先生で、これはたいへんなことだと思うんです。今度の戦争が済んだ終戦後に、われわれ芝居をやっている者は、進駐軍がやってきて、これから歌舞伎がどうなるかわからなかった。そのような時に、私たちに山岡鉄舟先生のようにそういうことを言ってくれる人は一人もおりませんでしたね」(『日本史探訪・第十巻』角川書店)
時代の混乱時に鉄舟のような偉大な人物が必要であったことを、八代目坂東三津五郎が認識しているのです。仮にバブル崩壊時の経済政策運営本部に、鉄舟がいたらどうであったか。歴史に「仮に」はないことは知っていますが、間違いなく集団的催眠状態からの政治に歯止めをかけたと思います。鉄舟の生き様を研究していると常人とは異なっています。鉄舟は自らの人間完成を戦略目的として生きた人物で、その実現を明治十三年(1880)に「大悟」、悟りの境地に達しました。日本人のような習癖には鉄舟のような熟成人物が必要です。以上。
(5月20日号レターは海外出張のため休刊となります)

投稿者 Master : 2006年05月05日 16:28

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