« 万博会場で、バイオラングの霧を体験 | メイン | 歴史は人が残す »

2005年08月08日

感性と論理性と実現性

YAMAMOO・レター 環境×文化×経済 山本紀久雄
2005年8月5日 感性と論理性と実現性

内閣府セミナー
7月20日に内閣府と高齢社会NGO連携協議会主催のセミナーがあり、その分科会のパネラーとして出席しました。基調講演はさわやか福祉財団理事長の堀田力氏と、一橋大学名誉教授の江見康一氏です。堀田氏はロッキード事件の検事として著名であり、江見氏は81歳のときに東京から兵庫県赤穂市まで、約680キロを自転車で走破した人物で現在84歳、お二人とも洒脱な話し振りと、ハッとさせる含蓄に富んだ内容で勉強になりました。お二人の主張で共通していたのは、自分の人生は自分でつくるものであって、それは一人一人のオリジナルなものであるということ、これに同感いたしました。パネラーとしての分科会テーマは「自己実現の夢、健康で、明るく、楽しく、生涯学習」で、最初にパネラーとしてテーマについて見解を要望され、次のように申し上げました。

「国際会議や海外企業訪問時に経験することですが、日本人が発する質問に一つのパターンがあります。それは『平均ではどのくらいか』というもので、これに対する欧米人の回答は『多い人は多いです』といたって簡単です。つまり、平均ということにあまり関心がないのです。人は人、自分は自分ですから、多少は人を気にしますが、日本人のようにあまりにも気にすることはありません。この傾向は『欧米人は一人一人が違う生き方をしているという意味』に通じます」また「分科会のテーマは五つの内容から構成されていますが、自己実現していれば、その人は楽しく、明るいですから、身体も健康になり、自己実現を目指すための研究も進み、結果的に生涯学習になります。この五つの内容はつながっているのです」と。

他人から知る自分の個性
突然、若い男性から連絡が来ました。ある会社に勤めていたのですが、退社し独立したいという連絡です。早い時期に独立したほうがよい、という主張を持っていながら、なかなか独立できなかった経験者として、このような若い人の決断に賛成しますが、課題はその独立する内容です。条件整備がどの程度整っているかというところです。
概略の経緯をお聞きしてみますと、まだ十分に条件整備を整えていない実態でした。これは当たり前のことと思います。十分なる条件整備が整ってから独立するというのは、希望としては成り立ちますが、実際には「十分という意味」が抽象的ですので、それが完全に整備されるということはありえないと思います。
しかし問題は、安定した収入がなくなるのですから、独立するという意味、つまり、プロとして世間が認める力がないとお金は入ってきません。そのプロとして世間が認める内容を保有しているのか、というところが最大の課題となります。
また、一般的には若い時代は、自らの力の内容、それは潜在能力を含めてまだまだ自らの力の中味を知らないのが実態です。加えて、素晴らしい素材としての魅力があったとしても、それを発揮する場がないと、独立したとしても仕事にはつながらないのです。
そこで自らの存在価値を判定する方法の一つとして、今まで経験したことのない新しいテーマに挑戦することを勧めました。自分がどのような分野で活躍できるかという検討・トライのためです。
ちょうどよいタイミングで、ある企業からご依頼のテーマがあり、直感的にこのテーマが若い人に向いているのではないかと思い、企業に企画提案してもらいましたら、幸いに受け入れられましてスタートしたところです。
結果は分かりませんが、仮に今回のテーマが成功しますと、新しく経験する内容であって、成果を他者である企業が評価してくれるのですから、他者がプロとして通じる素材を見つけ、人に役立つ若い人の個性を探してくれる、ということになっていきます。
つまり、自分の個性は他者との関係性で開発され、磨かれるものであると考えていることの実証、それがこの若い人にも適応できることになりました。

鳥取県智頭町
何か困ったときに打開策を見つける作業は、一瞬の感覚・感性からが多いと思います。考えて、考え抜いて決めたとしても、その最初の発想と入り口は一つのある気づきから発生して行くことが多いのです。ですから、問題に当面したときに感じる最初の感覚・感性は大事です。
しかし、この感覚・感性のままで問題解決策を続けていくと、いつの間にか問題解決にならず、更に傷口を広げていくことも多々あります。それは、最初の感覚・感性は妥当であったとしても、その後に展開する方法に問題があるからです。
物事の印象を敏感に嗅ぎとって直感的に方向性をみつける感性と、物事の順序を組み立てていく能力としての論理性、その論理的に組み立てたものを本質を失わずに実際に処理して行く実現性が必要になります。つまり、物事を成し遂げていくには「感性」と「論理性」と「実現性」という三つの能力要素が必要なのです。

今、殆どの地方都市が集客力に悩んでいます。駅前にあった何とか銀座商店街はシャッター通りになっていますが、これは人が集まらないから売れず、売れないから営業不振となり、廃業していくからです。ですから、町に人が集まってくれれば、この問題は根本的に解決するのです。このようなロジックは当然分かっているのですが、その方策を考えられずに、一日一日無駄な時間を費やして、役場の地方公務員は給料を税金から受取っているのが実態です。しかし、この根本的問題を解決させかけている町もあり、その実例を鳥取県の端っこにある智頭(ちづ)町の実態からみてみたいと思います。

観光カリスマということをご存知でしょうか。国土交通省が認定した観光業に貢献した人におくられた名称です。智頭町の前町長の寺谷誠一郎氏も観光カリスマで、寺谷氏が行った実績は全国に知れ渡っています。今回、その現場をみて参りましたので実態をご報告いたします。
智頭町はJRで大阪から2時間、京都から2時間半、岡山からも1時間半、鳥取市からは約50分かかる山間僻地に所在します。トンネルを抜けて岡山方面に向かえば、剣豪宮本武蔵の生誕地がありますが、ここ智頭町には記念すべき歴史的な謂れや昔からの名所・旧跡は何もありません。何もない人口9000人の町に、今や年間5万人の観光客が訪れるようになっているのです。   


寺谷氏は素直な感性の持ち主です。小さな町が大都市に勝てる何かの武器は何か。これが発想の原点で、その原点から町を見回してみると「空気と水なら十分あるし、昔は宿場町だったからその名残は残っている」と気づいたのです。
次に考えたのは、町に中心ポイントをつくることでした。論理的に考えてみて、中心になる存在物は「大きくて目立つもの」が必要だと判断し、それなら町の中心地にある「大きな個人住宅」が適任だと、町長に当選したばかりの平成9年7月にこの住宅を訪ねたのです。訪ね伝えた言葉は「町のためにこの家を出て行って欲しい」という行動でした。これに対し当然のことながら、「大きな個人住宅」の当主は屋敷を町に譲る理由はなく、今まで住んでいたのだからこれからも住みつづけるという回答をしたわけです。
この町長の行動はあっという間に町全体に広まって「町長は頭がおかしい」と酷評されました。しかし、寺谷町長は日参を重ね、智頭町が観光で立ち上がるには中心ポイントがどうしても必要だということと、この「大きな個人住宅」を訪ねる度にその建物造作構造の素晴らしさにとりつかれていったのです。
この「大きな個人住宅」が、現在一般公開されている「石谷家住宅」です。石谷家は鳥取藩の、大名参勤交代宿泊地が智頭宿と定められた時代から、宿場町の中央に位置する庄屋をつとめ、その後も地域社会に大きな役割を果していたので、当然住宅も規模大きく立派なのです。ここに目をつけ説得し、今では智頭町の観光中心ポイントにし、ここを基点に宿場町の風情を残す杉玉を、各家の軒先に飾るなどの諸対策を講じた結果、観光客が急増したのです。詳しく知りたい方は、現地・現場・現認がセオリーですから、行かれると皆さんのお住みになっている街づくりへご参考になること請け合いです。

物事を成功させるには、直感的な感性、組み立てる論理性、実際に処していく実現性、この三要素が自己実現にも、プロを目指す独立にも、町活性化にも必要なのです。以上。

投稿者 Master : 2005年08月08日 11:09

コメント