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2005年04月14日

経営ゼミナール7月例会は愛知万博視察・・・その四

■開幕17日間の入場者数は105万人で一日平均6.2万人
 4月10日の日曜日に6万人の入場者、9日、10日の土日を入れて17日間で105万人、期間目標1500万人達成のためには、一日8.1万人が来場しないといけない。しかし、相変わらず開幕当初の入場者数は不振である。
 このままでは期間目標達成は難しい。夏休み期間に万博事務局がどのような手段を講じるか。その入場者数増加への対策立案能力と、参加する三機能・・国、愛知県、地元企業・・の連携動員対策が採れるのかが見ものである。

■思い出すのは当初の基本計画決定経緯
 万博基本計画は「愛知万博検討会議」(委員長 谷岡郁子中京女子大学長)において、「海上(かいしょ)の森」大半除外という結論を下した(2000.7.24)時点で開催が正式決定したのであるが、その際、当時の自民党野中幹事長が発言した内容がある。野中氏は自民党の万博推進議員連盟の会長代行を務めていたが、今回の決定経緯を踏まえて次のように記者会見で語った。
 「みぞうの財政難に直面している中で、地元がマスコミ、経済界を含めて愛知万博を成功させたい、引き続き中部国際空港をやりたいという熱意が本当にあるのか疑問を感じざるを得ない」と述べ、地元の姿勢を批判し「私はややこの問題への熱意を失ったということを関係者に申し上げた。後は関係省庁や関係者が努力されることだ」と語り、今後この問題に積極的に関与する考えのないことを明らかにしたのである。
 この発言の意図は、万博計画が当初から地元の反対が強かったものを、十分に調整せずに進め、迷走してきたことへの批判である。

■当初の会場選定が問題の起点
 今回の万博の主目的は、愛知県が地域振興の起爆剤として構想を1988年に打ち出したものである。当初は愛知県瀬戸市の丘陵地「海上の森」だけを会場予定地にしていたが、99年5月に絶滅の恐れのあるオオタカの営巣が確認されたために同会場の規模を縮小し、代わりに近隣の愛知青少年公園(長久手町)などを追加したものである。つまり、主なる会場を全面変更したのである。
 また、会場造成を兼ねる宅地開発事業や、森を縦断するアクセス道路の計画を取り止めたりしたのである。会場地の最終決定までに88年から2000年まで要したのであって、その間の12年間はドタバタ騒ぎといわれても仕方のない経緯であった。

■オオタカとは
  「海上の森」にオオタカがいることは地元の人は当初から分かっていたのであるが、愛知県はそれを否定し続けてきたのであった。
 ところが、オオタカの巣を野鳥の会の会員が見つけたのである。会員は休日を利用し、時間を見つけては森の中に入り、ようやく地上約8mの木の上にある巣を見つけたのである。巣は直径約1m、深さが約50cm。巣には一つがいを確認した。99年5月のことである。
 このオオタカ発見を愛知県庁の記者クラブで発表した時から、世界を揺るがす大騒ぎになったのである。県にとっては青天の霹靂であった。今までの主張が覆されたのである。それまでに県は数千万円をかけて調査会社にオオタカ存在を調査させ、「存在しない」と結論付けしていたのである。
 オオタカはレッドデータブックの中でも、絶滅危惧2種に指定され、種の保護法でも「国内希少野生動植物種」に指定されている野鳥である。
 この発見によって会場計画は大幅な見直しを余儀なくされたのである。愛知県の「海上の森」に対する自然状態認識の甘さと、自然環境保護に対する見通しの甘さが迷走状態とした最大の原因である。
  (レッドデータブックとは環境庁が作成した絶滅の恐れがある野生動物の一覧)

 次回以降も、まだまだ続く万博情報をお楽しみに  

投稿者 Master : 2005年04月14日 10:08

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