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2012年01月20日

2012年1月20日 今年の経済は難しい、だが鍵は米国だ(下)

YAMAMOTO・レター
環境×文化×経済 山本紀久雄
2012年1月20日 今年の経済は難しい、だが鍵は米国だ(下)

湿板(しっぱん)写真家ジョン氏(John Coffer)のビジネス

前号でお伝えしたジョン氏の続きです。ジョン氏の放浪目的は修行であって、自分の原点とは何かを探る旅であり、自分は何者なのか、それを問うもので、結局、写真家であることを再認識した過程で、湿板写真に巡りあうことができた。

さらに調べてみると1946年に湿板写真の博物館があったらしいことと、二人くらい湿板写真家がいたらしいが、それ以上実態がよくわからず、今は誰もしていないことが分かった。

そこでスミソニアン博物館にも行ってみたが、学芸員も知らず、学芸員が上司に報告し、手助けしてくれ、写真の歴史を調べてくれた。これが1976年ころだった。ようやく湿板写真の実態が分かってきてチャレンジしようと意欲が湧き、それからずっと研究している。

この放浪旅の状況はウェブの自分のホームページで公開している。近くに住む大学生がつくってくれたというので、片隅の机の上をよく見るとパソコンがある。自給生活なのにソーラーパネルで最低限電力を持ち、パソコンは所有しているのだ。これになるほどと思う。

湿板写真家として知られてきたのは、このパソコンのおかげなのだ。生活は自給自活だが、情報発信はデジタル科学機器を活用する。だから、ジョン氏は有名になりつつあるのだと納得し、当方もジョン氏のホームページ公開がなければ知り得なかったのだから。

今の活動は、年一回開催のジャンボリー、これはここの土地で開く湿板写真の愛好家の集い。この参加は無料。但し、食費とテントは持参。自分の作品を扱ってくれているギャラリーが、NYに二か所とサンタフェと他に一軒あるように、自分の写真のイメージを評価してくれるクリエーターがいるとのこと。

その他にワークショップを開いている。ワークショップは世界中から申し込みある。オーストラリア、サウジアラビア、ノルウェー、スェーデン、韓国、日本からはまだない。今は愛好家がワークショップ参加者を通じて世界に1000人はいると思う。

ワークショップの2012年受講者は既に全部埋まっている。一回四人の受付で、5月から9月まで展開。このワークショップが最大の収入源。一人800ドル。参加者は変わり者と思える中年者や、南北戦争好きの人が多かったが、最近はアート志向の人と女性が半分来る。昔は女性が来なかったが、心理学と同じで、参加費用を高くすると多くの客が来ると発言。

この湿板写真が受け入れられているもう一つの理由は、ユニークで一枚しかないから。同じものをコピーできない。それが特徴。今までの作品数は何千枚。昔は肖像写真だったが、今はこの土地のものを映している。

と言いつつ写真撮りのスタジオ・テントに案内してくれる。このテント内に暗室と撮影に必要な各材料を保管している。
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ここで写してくれたものが次の一枚である。
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これは誰か。地元のインディアンか、老齢のサムライか。                                   
 さて、今の日常は、昼間は農業・酪農作業し、夜は手紙書き。メールはしないのですべて連絡は郵便。今回のアポイントも郵便だった。机上のライトとパソコン電源は日本製のソーラーパネルである。13時過ぎに取材が終わり、門まで行き長靴を脱ぐときも肩を差しだしてくれる。

とにかく、ゆったりした動作で、ゆっくり話す。すべてに慌てない。 カメラはアンティーショップで買うか、道端に捨てられているものを拾って使う。

湿板写真は準備に時間がかかり、撮影と現像から完成まで、手間と時間がかかるのが特徴だが、これがよいのだという。今のカメラは手間かからずよい写真が撮れるが、これとは全く正反対なのが自分の生き方であり、それに共鳴してくれる人がこの地に訪ねてくるのだ。だから今は幸せだと言い切る。

これからの生き方は、と問うと「今と同じことしている」と答え「自分の主張を守りながら、農業と畜産を続けること」だとつけ加え、歳をとったら死ぬだけだと笑う。

今の時代の進み過ぎた生活に対するアンチテーゼではないかと思い、再度「過去から見つけてきた湿板写真を通じて、現代生活がもう一度戻るであろう生活へのさきがけ」をしているのではないかと尋ねると「19世紀の生活と、現代の生活を比べながら生活している」と。

今回、この不便な僻地を訪問し、湿板写真家の実態を見聞きし、湿板写真愛好家が増えはじめ、その人達が自宅に同様撮影設備をつくるようになっていることを確認した。

グローバル競争世界では、他人と違うことに対して支払う対価が利益となるのであるから、ジョン氏の他と違う生き方が、少数ではあるが新しい需要を創ったといえる。

これはJPモルガンCEO ジエイミー・ダイモン氏がいう米国の不変な起業家精神の発揮であって、小規模ではあるが新ビジネスを創った、と思った次第である。

NYの二つ目の事例・手づくりで手間をかける

次の事例を紹介したい。NY地下鉄でブルックリンに行き、商店街の奥にある倉庫ビル、その大きな運搬用エレベーターで四階に上がりドアが開くと、段ボールの山で、これが会社かと思えないほどの乱雑さで散らかっている企業を訪問した。

これでは以前に見たインド・ムンバイで見た工場と同じレベルで、米国とはとても思えない。
この企業は液体石鹸、固形石鹸、キャンドルなどをこの倉庫内で製造し、日本のトゥモローランドや伊勢丹に納入している。NYではバーニーズなどで取り扱っている。

1991年に両親がブロンクスで創業、その後マンハッタン38丁目で製造していた当時は、ホームレスを使い、1ドルのローソクを100万個という体制の企業だった。

2004年に息子に経営権が移ってからは、今の方法の「完全手づくり・高付加価値方法」に変えたと、二代目30歳社長が次から次へとテキパキと話を展開し、写真も自由に撮ってよいという。写真撮られて、仮に他社に真似されてとしても、その時当社は違う事をしていると胸を張る。

今では磁器容器デザインから、石膏型つくり、粘土を練って型に入れ、それを乾して倉庫内の窯に入れ焼き、その磁器容器に蝋を入れる作業までを、全て手作業でこの乱雑な倉庫内で行っている。

従って、生産された製品は当然ながら均一ではなく、ひとつ一つが少しずつ違っている。不揃いなのであるが、それが当社の売り物だと再び胸を張り、一日に30個しかできない製品に6万個のオーダーがきているという。

工場内は雑然として、すべて手づくりだから時間と手間がかかっているが、在庫管理とホームページはパソコンで処理。お金出す宣伝は一切しない。パブリシティは歓迎。

昔の工場はこのような実態だったと思う。それを生産性向上という名目で、機械化等によって近代化し、大量生産できる体制にした。だからどこの工場もきれいになっている。

ところが、この企業は昔に戻して、近代化とは無縁の実態だが、それが今の時流だと言い切る。時代への逆行が時流であり、それが当社の伸びている背景で、そのためには「他との違い」を日夜考え続けることだと言い、「手間をかけることが価値を生む」と言い切り、再び自ら強く頷く。

帰りには製品をプレゼントしてくれた。成功したという自信に溢れている。再び、この企業はひとつの時流をつかんでいると感じる。これも起業の事例と納得した。

米国はVB大国だ

米国における2100年のベンチャーキャピタル投資は219億ドル。欧州の4倍以上、日本の15倍以上である。

米国の成人人口のうち起業に携わる人の割合は7.6%と主要先進国で最も高い。

アメリカ経済は難しい時に来ている。マクロ経済政策では救えないと思う。

ひとりひとり、一社一社の工夫と努力で救うしかないと考えるが、お伝えしたような事例の人達はほんの一例であるが、近代化と逆行するアイディアを出し続けている現場を訪問すると、もしかしたらJPモルガンCEO ジエイミー・ダイモン氏がいうように、米国の未来はまだ続くのかと思う。

今年は米国実態と経済データを注視しウォッチングしていきたい。以上。

投稿者 Master : 2012年01月20日 10:46

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